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主に東南アジア内陸部と日本古来の納豆文化を調査した『謎のアジア納豆』に続く、本書の大まかな流れとして、今回は西アフリカ(ナイジェリア、セネガル、ブルキナファソ)と、書名には表れない韓国も訪れ、現地の人びとと交流を深めながら各地で食される納豆文化の調査を進めます。終盤は帰国後に、前回調査地も含めた世界各地の"納豆菌ワールドカップ"と題した食べ比べを開催し、今回の調査全般に対する考察を経て、エピローグにおいて、とある仮説を導き出すことで、世界を股にかけた納豆調査の有終の美を飾ります。
まとまった感想を書きにくかったため、以降は箇条書きで雑感を綴ります。
・著者一流のひょうきんで親しみやすい語り口は健在で、案内役も含めた現地の人びととのやり取りの愉快さを楽しめる点は相変わらずです。
・調査紀行そのものとしては、高野氏の作品に多く見られる先の読めないハラハラさせるような冒険的要素は控え目ですが、テーマそのものの性格と、西アフリカについては調査地がイスラム過激派が活動する地域に近いことから安全性に万全を期した関係上、致し方ない部分だと思われます。
・『謎のアジア納豆』に引き続いてですが、食文化への造詣が浅い私にとっては、他の著者作品に較べてやや引き込まれにくいテーマではありました。とはいえ、所々で読んでいて食欲をそそられるような、各地のユニークな食の魅力を伝える描写を味わうことはできました。
・紙幅の半分ほどが割かれる西アフリカでの調査に関して、ブルキナファソの人びとの「争いごとが嫌いで自己主張も強くな」く「ムスリムとクリスチャンが和やかに同居し一緒に酒盛りする」様子や、村の首長への人びとの敬意や関係性、取材に協力したセネガルに暮らす人びとの鷹揚な姿と美しい女性たち、写真に収められた人びとの豊な表情など、調査対象からすれば副次的な西アフリカ社会を伝える側面に、強く心を惹かれました。
・最終となるエピローグにおいて、ネタバレ禁止の大胆な仮説が提示されており、納豆について長きに渡って世界各地を訪ね歩いた著者の考察が導き出した仮説に辿り着くこと自体が、本書を通読するうえでの最重要ポイントとなっています。
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長年の高野ファンである。その著作や人となりをこよなく愛することにかけては人後に落ちないという自負がある(そんな力んで言わなくてもいいことだけど)。何を読んでも面白いのだが、今回は「高野ワークスの集大成」ときた。さてさてどう驚かせ笑わせてくれるのか、期待度マックスで手に取った。
読み終えて胸に浮かんできたのは、「高野さん今回は成功しちゃったんだ」という、いわく言いがたい複雑な感慨であったことを正直に告白します。
いつも通り、高野さんの探索行は、パワフルかつ等身大的。アフリカ納豆の実態をとことん追いかける姿をずんずん読み進めていくうちに、まったく縁遠い世界であったアフリカのリアルな有様が目の前に像を結んでいく。このあたりは著者の独壇場で、アジアの辺境もイスラム社会もソマリ社会も、私は高野さんの書くものによって「知る」ことができたと思う。高野さんのノンフィクションには、いつもちゃんと人がいる。
そしてそして、高野さんと言えば期待してしまうのが、スットコどっこいな失敗談なのだった。「謎の独立国家ソマリランド」が代表的だが、硬派なルポと脱力してしまうトンチキさが絶妙に同居していて、これはもう他にはない唯一無二の高野ワールドと呼ぶしかない。そのスットコ成分が今回は少なめ。納豆の真実の姿を追求していく姿勢は、研究者そこのけで(まったく高野さんは学究肌だと思う)、きちんと結果も出して見事な結論にたどり着いている。それはすばらしいと本当に思うのだが、欲深なファンは少しばかりもの足りない気がしたりなんかしちゃったりして…。まことに申し訳ないけど、ズテーンと転んでる姿が一番高野さんらしいなあなんて思ってしまいました。
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アジア納豆のような、日本以外でも納豆食べてるというような衝撃はないが、世界で食べてる、いろんな納豆がある、納豆技術が古代にもあったみたいという面白さ。
もはや納豆研究書に近い
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探検部分は面白いのだが結論部分が長いわりに根拠薄弱に思えてのれなかった。もちろん納豆は食べたくなりすぐ買いにいった。
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わたしは納豆がまったく食べられなくて、納豆にはまーーーったく興味がないんだけれど、おもしろかった。
確かに、納豆って日本特有の食べ物って思ってて、まあ韓国とかアジアにあったっていうのは可能性はありそうと思えるけど、さすがに西アフリカにもあった(大豆じゃないけど)っていうのは驚く。
けっこう納豆研究として文化人類学的?学術的?な話も多かったけれど、でもやっぱり、読んでいておもしろい!と思うのは、現地でのハラハラするような経験で。西アフリカで憲兵隊に調べられる、とか、納豆できてないかもしれない、とか。あからさまには言わないけど、取材許可にお金が必要と言われて、案内してくれる人と、「いくら?」「あなたの好きな額で」「〇フラン?」「それじゃ少なすぎる」「じゃあいくら?」「好きな額で」みたいなやりとりとか。あと、納豆をつくってみせてくれる人にお金を要求されてその額の交渉とか興味深い。あまり他にこういう世界の奥地僻地での探検・冒険モノみたいなノンフィクションは読んでいないからわからないけど、こういうことよくあるのかな。
あと、いつも高野さんの本を読むと思うけど、現地で案内してくれる人たちがだれもかれも個性的で、高野さんとその人たちとのあれこれ、仲良くなったり、ときにはちょっと気まずくなったりていうのがおもしろかった。
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納豆を食べない関西人なので納豆興味ないなと思いつつ、前作読んだし、なんかミステリ的解決をするみたいなことをどっかで読んだので買ってみた。
私が食べないのはご飯に載せる臭い豆なので調味料的に使われるアフリカや韓国の納豆なら食べてみたいって思ったな。
あと解決部分は、あ、はい。って感じだけど、もしかしたらほんとに裏付け取れて歴史的解決するかもよねー。
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高野作品の1ファンですが、今作も本当に面白かったです。面白かった、と一言で片付けられない労力をヒシヒシと感じてはおりますが、その言葉しかありません。1日1食は必須で、たまに3食食べる大大大好き納豆の話なのでいつも以上に興味深く読ませていただきました。「ソマリランド」で講談社ノンフィクション賞受賞されましたが、結構真面目で深刻な主題にしかノンフィクション賞をあげない風潮には大いに憤りを感じます。このような日常的なものを追いかける労作にこそ大宅賞をあげてもよいのではと感じます。
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納豆を通して調査の面白さ・難しさ・思い込みが感じられる。どこの人間でもやっぱり似たよなことするんだと思った。
最後のハイビスカス・バオバブ納豆のところで無意味な作業とそれを補うべく追加された有用な作業がどのような経緯で発生したのか気になる。特に追加された作業。あと無意味な作業にはおのずからどこかで気づくのだろうか。
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いやあ、貴重な文献ともなりそうな納豆調査紀行。
いつも通りの楽しい高野さんの珍道中でありながら、最終章は論文としても成立する文章。納豆はこんなに世界中で食べられていたとは!!
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納豆は日本独自の食べ物と思っていたが、韓国、ミャンマーなどのアジア、セネガルやブルキナファソ、ナイジェリアなどのアフリカ諸国にも、日本とは異なる過程で作られた納豆が存在している。アフリカ諸国の納豆の食仕方のバラエティーは日本よりも豊かなようである。驚いた。そして著者の取材にかけるエネルギーがすごいにも脱帽。
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いやあ、凄かった。壮大と言うにふさわしい。
前作も「納豆は日本の食文化」という思い込みを打ち砕くには十分であったが、この本の最後のサピエンス納豆という仮説は学者が検証するに値するのではないか。
高野さんは学者ではないけど、この行動力、頭の回転、発想力はそんじょそこらの学者がかなうものではないからなあ。しかし、学者のようにひとつのことだけをやるには才能がありすぎるのだ。ここまでくると、ただの「ノンフィクション作家」でいいのか?とすら思う。
『謎のアジア納豆』とあわせて高野秀行の代表作だろう。
本当に感動した。
でも、冷静に考えたらソマリアのときも、これは高野さんの代表作!と思ったのよね。他の人には決して書けないものだったから。
だから、私的にはソマリア2冊と納豆2冊が代表作。今のところ。
まだまだ代表作が書けそうな高野さんから目が離せない。どうかお元気で。
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人の食べることへの思いの強さを、納豆を通じて感じることができる。そもそも、「なぜそれを食べようと思ったか、なぜそう作ろうと思ったか」と思われる食材は多いが、その食べられるようになるまでの過程を見てとることが出来る。
純粋に好奇心を満たすことができ、読んでよかった。
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前にたまたま手にとってみた同作者のソマリアの紀行文がやたらと面白かったので手にとってたみた本作はタイトルのとおり世界の納豆を食べ歩くというもので、自分も納豆というものは日本固有の食べものでは、と思っていたのですがアフリカとアジアの一部では納豆が日常的に食べられているのだとか。本作で取り上げられているのはナイジェリア、セネガル、大韓民国、ブルキナファソ。アフリカ系のものは大豆ではなく現地のパルキア豆を使うのが一般的だがブルキナファソにはバオバブの実やハイビスカスの種から作る納豆もある。そしてこれは懺悔しなければいけないのだけどアフリカの内陸部では人は手に入るものをしかたなく素朴な味付けで食べているんだろう、と勝手に決めつけていたのだけど彼の地ではかなり手の混んだ手法で納豆を作り、しかも多くのケースで出汁や調味料としていわば贅沢にそれを使っているということがわかった。むしろ納豆そのままをご飯にのっけて食べるのはほぼ日本人だけ、日本人も江戸時代までは出汁としてしか使っていなかったらしい、ということが分かり非常に興味深かった。お隣の韓国にもほぼ製法が同じの大豆納豆があるものの彼の国ではチゲの材料にしてしまうので日本の一般的な納豆との共通点が見えにくくなっている、など興味深い視点がいろいろと非常に面白かった。結果として今、アフリカ料理とチョングッチャンが凄く食べてみたいです。美味しいところご存知なら教えて下さい(笑)
これはすごい作品でした。
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アフリカにも納豆がある、というのはちょっと信じがたいものがあるが、本書を読むと、いやいや、しっかりと根付いた食文化なのである。しかも、前作アジア納豆と全く違う様相を見せつつ、根底にはしっかりと納豆セオリーが流れていることが確認される、納豆探求の最終形態
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納豆求めて東へ西へ、弛まぬ追求と洞察。たかが納豆、されど納豆。ナイジェリア、セネガル、ブルキナファソの西アフリカと韓国。異色な取材の組み合わせも見事に調和する。距離と言語のギャップを乗り越えて通じ合える国、近いけど感覚のずれを認識して付き合わなければいけない国。世界は広いようで狭い。イトイ新聞での著者インタビュー記事より~地元の人たちからは『いや、悲惨だけじゃないんだ』『歴史や文化を、伝えてほしい』って言われるんです。~。紛争の悲惨さや飢餓の苦しみだけでなく、日常を知ることで世界は一つになれる。