投稿元:
レビューを見る
入院している母親と同室の婦人の依頼で、久しぶりに写真撮影をすることになった立花浩樹。彼はバブルの頃、自然写真家として人気になる。しかし、バブルの終焉と共に忘れ去られ、所属事務所に多額の借金を負わされた。その借金を返すため、カメラを捨て、ただ働くだけの毎日。
そんな立花が活躍していたころを知っていた、その婦人の息子 宮川は立花にキツイ言葉を投げ掛ける。
でも、その立花が撮影した母親の写真がきっかけで、物語は走り出す。
リストラされ離婚することになった立花。同じようにリストラの対象になった瀬戸。婚約破棄された佐山。昔は売れていた芸人会田。
「ちょっとついないだけ」の「ちょっと」が不要なほどに「ついていない」人たちが、ふとしたことがきっかけで立花を中心にして仕事で繋がる。
そして、「ついていない時間は、抜けたようです」と言えるように。その過程がとてもよくて、読後感の気持ちよかったこと!
挫折したり、上手くいかないことが立て続けに起こったりして、投げやりになったり、気力を失いかけたり、放り出したりしたくなることって、生きていれば、大なり小なりあると思います。
それでも、あきらめずに踏ん張ってこられたのは、やはり支えてくれる人がいたから。
昨日までは全く見も知らなかった人と、何かの巡り合わせで知り合い、それが人生に大きな変化を及ぼすことがあります。
そんな人と人との出逢いによって、変えられていく人たちがとても素適に描かれています。
投稿元:
レビューを見る
基本は短編集だけど、登場人物が繋がっていて、全部でひとつの物語になっている。こういう短編集、大好き。
伊吹さんは、本当に文章が素敵だなと思う。両手を上げてのハッピーエンドではないのに、どこか救われる思いがして、読了感が心地好い。
いくつになっても始められる。そう思わせてくれる作品だった。
投稿元:
レビューを見る
あまりリアリティがない感じがしますね。
タイトルからそう思うのかな。
本当についていけないだけかな。
投稿元:
レビューを見る
中年のおっさんおばはんの、再起物語なり。
そんな上手く話が進むか?と思うものの
いやいや頑張ってればいいことあるのですよ、
上手くいって当然なのですよと、自分を納得させるお話。
読みやすさも手伝ってガンガン読める。
途中も最後もほっこりしていいですねぇ。
こういう読後幸せになれるの好き。
投稿元:
レビューを見る
アラサー、アラフォー男女の日常物語。
かつて人気番組に出演していた主人公だが、バブルとともに借金が残り、ようやく返し終わったところからスタートする。他の登場人物も斜陽状態で、寄せ集まって何かするといった感じ。
婚活のくだりだけ一瞬盛り上がったけど、それもまた一瞬でしぼんでしまい、なんともいえない話がゆるゆる続いていくのに、ちょっと退屈してしまった。
投稿元:
レビューを見る
テレビのドキュメンタリー番組で一躍有名になったフォトグラファー・立花浩樹。しかし、借金の連帯保証人になってしまったため、その後は返済のため、何もかも捨ててしまった。全額返済した後もやる気を失っていた。そんな時、人の出会いから、もう一度「写真」に触れることになる。
人との出会いが紡ぐ再起の物語で、ほっこりとした気持ちになりました。なかなか一人だけだと前に進めない気持ちを周りの後押しや思いがけない出来事から波に乗るかのように良い方向に向くので、自分も何かやってみようかなとさせてくれます。
連作短編集で、時間が経過するごとに主人公が変わります。それぞれの登場人物にスポットを当てているため、その人の背景や心理描写を知ることができるので、奥行き感がありました。それぞれ不幸な状況で、人生うまくいかないけれども、なんとか頑張ろうともがいています。
一から新しくやってみようというよりは、みんな昔から経験したモノや糧になったモノをリニューアルして、今の仕事に生かしています。
自分では気づかなかったことが、もしかしたら周りの助言で、成功するかもしれません。
一人で頑張るよりも周りと協力することが大事だなということを感じました。
仲間を増やしながら、軌道に載るのですが、後半での借金の張本人や元恋人のパートをもう少し入れて欲しかったなと思いました。
過去を精算するために直接対決を期待していましたが、何でこんなにエラそうなの?と思うくらい浮いた存在でしたし、現在での元恋人と会っていないので、モヤモヤ感があったかなと思いました。
元有名人だから注目されるという点では、再注目されるのは致し方ないかもしれませんが、現実で考えてみると、人の出会いは大切なんだなと思いました。
人生思いもかけないことだらけで、この先何が起きるかわかりません。今がツイテいなくても、前向きに考えて、前へ頑張ろうとする姿に自分も頑張ってみようと思いました。
投稿元:
レビューを見る
あなたは今、”ついている”でしょうか?
“人生山あり、谷あり”という言葉がある通り、人生は決して平坦なものではありません。山の頂上の面積には限りがあります。誰もがそんな頂にいつまでもいられるわけがありません。人が集団社会の中で生きている以上、誰かが山の頂上でその時を満喫していれば、誰かは谷底でそんな頂の上にいる人を見上げることになる、そんな風に世の中は回っているのだと思います。しかし、こんな風に冷静に俯瞰した見方ができるというのは、それはある意味で幸せなことなのかもしれません。人生の谷、どん底にいる時にはそんな風に人生を俯瞰する心の余裕など生まれはしないからです。
このレビューを読んでくださっている皆さんの現況は人それぞれだと思います。幸せの絶頂期にいる方もいれば、反対に何かに思い悩み、”なんて、ついてないんだろう”と、悔しさに打ちひしがれている、まさにその真っ只中にいらっしゃる方もいると思います。『編集採用として出版社に入社したのに別の部署に配属になってしまって。毎日単純作業ばかりだったので、編集部に配属されて展示会やパーティに行く同期がきらきらして見えました』と、ご自身の過去を振り返る伊吹有喜さん。職業は違えど会社員をされていらっしゃる方の中には、”人事異動”の光と闇に、似たような経験をお持ちの方も多いと思います。かくいう私も現在進行形の会社の風景は、まさにこの状況です…。能天気なレビューを書く日もありますが、”無理してるよな”と一方で思う自分自身の今を噛み締めてもいます。そんな時にたまたま書名を目にして手にしたこの作品。『大丈夫、今はちょっと、ついてないだけ。そのうちどかーんとツキが来るよ。世の中、そういうふうにできている』とその時言われた言葉がずっと耳に残っている、と続ける伊吹さん。この作品は、”ついている?”、という質問に”No”と答えた、そう、そんなあなたのための物語です。
七つの短編それぞれに光が当たる主人公が登場する連作短編の形式をとるこの作品。『四十代は早期退職する人もいれば、そろそろ出向する人もいて、自分はこのまま会社にいられるのか考える人も多いと思うんです』とおっしゃる伊吹さんがそんな主人公に抜擢したのは、まさに四十歳、アラフォーとも言われ、人生のステージの切り替え期にあたる男女でした。そんな中でもこの作品の中核をなす人物が立花浩樹です。まずは、彼を中心に据えた一編目、表題作でもある〈今はちょっと、ついてないだけ〉をご紹介しましょう。
『名古屋近郊にある病院の中庭で、携帯電話の撮影機能を呼び出そうとして』戸惑うのは主人公の立花浩樹。そんな浩樹に『ちょっと何?そんなカメラで撮るの?』と『よく日に焼けた小柄な男』が近づいてきました。『ねえ、それって携帯だよね』という男に『事情がありまして』と返す浩樹。『うちのおふくろがプロのカメラマンに写真を撮ってもらうっていうから…携帯で撮るなら、俺のスマホで撮ってくれた方が話早くない?』と言う男。そんな男の横にある『クリスマスツリー』の前で『白髪をきれいにまとめ』車椅子に座るのは『この病院の二人部屋』で実母の隣に���た宮川静枝。『写真家なら機材を選んでよ』と続ける男に『何言ってんだね!』と『自分の母親の声が響き、立花は軽くうなだれる』という光景。『うちの浩樹はお金を取るんじゃないんだから。この子はボランティアなんだから』と言う母親に『金を払えばいいわけ?払いましょ。遺影にもなるような立派なやつを』と言う男。『金の問題じゃないって』と割って入る浩樹に『もういいよ、撮影なんて。俺、早く東京に帰りたいし。やめましょ、撤収、撤収』と静枝の方へと戻っていく男。『今日現れた男は静枝の一人息子で、東京で妻と娘とともに暮らして』おり、『バレエを習っているという十九歳の孫娘』は、『華やかな経歴を持つ』らしいことを母親から聞いていた浩樹。そんな中『待って、立花さん。私たちの写真を撮って、お願い』と言う静枝。『立花さんはとても素敵なお写真を撮る方なの』と続ける静枝に『うちの子の写真はアラスカやアマゾンだよ』と自慢げに話す母親。その時『ああっ!思い出した。思い出したよ、立花、俺、思い出した』、『おたく、ひょっとしてあのタチバナ・コウキ?ネイチャリング・フォトグラファーの』と、男が手を握ってきました。『俺ね、好きだったんですよ、あのシリーズ』と感激する男。『バブルと呼ばれた空前の好景気の勢い』の中、『社長の巻島』と出会った当時の浩樹。『東京に大きなスタジオを持ち、外車を何台も所有していた』あの時代。『モデルの真似事のような仕事も入ってきた』、『二十代半ばが、人生の絶頂期だったのかもしれない』と思う浩樹。そして『バブルが終焉し、その残り香も完全に消えたとき、すべてが変わってしまった』という転落の人生。そんな浩樹に『お願いしますよ』と写真を撮るよう迫る男は母親が出してきた浩樹のカメラを覗いて唖然とします。『なんだ、これ。視界が真っ白…ひょっとしてカビ?』と、態度が一変。『写真家といっても、お母さん。しょせんはバブルの時の人だから』と立ち去った親子に、『まさに自分はバブル…』と、うなだれる浩樹。しかし、それからしばらくして『写真を撮ってくれないかって。ダンスの公演をするんだって』と、静枝から孫娘の公演のパンフレット写真の撮影依頼が母親宛に届きます。そして浩樹は…というこの短編。八〇年代のバブルの大波に翻弄された主人公・浩樹の転落の人生。どん底から這い上がっていくそんな浩樹の姿が描かれる、この連作短編の冒頭に相応しい好編でした。
七つの短編、そのそれぞれの短編で主人公を務める人物は一編目〈今は〉の主人公である浩樹が過去に、そして今の人生に関わりを持つ人物から繋がっていきます。そんな人物たちはアラフォーと呼ばれる時代を生きています。アラフォーと聞いて感じるイメージは、その年代にまだ到達していない人、現在進行形の人、そして過去に振り返る年代になった人と、読者の年齢によってもイメージは異なってきます。しかし、平均寿命八十云歳という現代の我が国において、その後半の人生への折り返しに差し掛かる、まさしくそのような年代であることに違いはありません。そんなアラフォーを迎えるこの作品の登場人物たちは、”山あり谷あり”の人生の谷底でもがき苦しんでいました。『大学を卒業して以来、映像の制作会社』で『実績をあげていたプロデューサー』だっ��ものの後ろ盾を失って『自主退職を求められ』る職場へ人事異動となり無職となった宮川良和が主人公の〈朝日が当たる場所〉。『メイクや眉、睫毛のケアやエステの技術には自信がある』ものの『接客や人付き合いがあまり得意ではない』と結局、人員整理の対象となった瀬戸寛子が主人公の〈薔薇色の伝言〉。そして、『白金にあったスタジオ兼自宅の訪問取材などを受けたりしていた二十代半ばが、人生の絶頂期だったのかもしれない』と振り返る、バブルの終焉と共に全てを失ってしまった立花浩樹が主人公の表題作〈今はちょっと、ついてないだけ〉、とそれまで順調に歩んできたはずの人生が、ちょっとしたことをきっかけに大きく崩れ、途方に暮れる主人公たちの今。そして、そういった時代というのは、往々にして何もかもうまくいかないというおまけがついてくるものです。『家庭にも居場所はない』、『友人もいなければ、仕事仲間も消えていった』と、頼るべき人も、居場所もなくなり戸惑う主人公たち。こういった事態に陥った時、人はどうしたらいいのでしょうか?また、人はそんなどん底から頂へと再び上がっていくことはできるのでしょうか?
人は順調な人生を送っている時、それは反面忙しさと表裏一体という時代でもあるのではないかと思います。毎日が充実して、その順調な人生に全てをかけて打ち込む人生。それ自体はとても幸せなことでもあると思います。自分が人の世の中で一つの役割を果たしていることを感じる人生。そして、この世に自分という人間が生きていることを実感できる人生。”一寸先は闇”というその先に待ち構える落とし穴に意を払っている余裕などありません。だからこそ、その先に待ち構えていたまさかの落とし穴に落ちてしまうと、逆にその反動も大きくなりがちです。『結局、仕事がすべてだったのに。それが無くなったら、どう生きていったらいいのかわからない』、と忙しい時には休めないことに不満も漏らしていたことがまるで皮肉であるかのように、その反動を感じながら生きる人生ほど辛いものはないと思います。そんな時には『振り出しに戻って出直そうか。生まれ変わった気持ちで、やり直そうか』というような前向きな発想を持つということなどなかなかにできることでもありません。
この作品では『人生にも、敗者復活戦みたいなものがあったらいいなと思って』という主人公の台詞の中で『敗者復活戦』という言葉が登場します。『私自身は本当は人生に勝ち負けはない、と思っています』と語る伊吹さんは『今いる場所が不遇で、そこから自分が望む場所に行きたいと動き出したなら、もうその時点で次の入口に立っている、復活戦は始まっているんじゃないか』とおっしゃいます。この作品に登場した主人公たちは、人生の転落ぶりに大きく混乱し、その不遇ぶりに戸惑いながらも毎日を生きてきました。そんな中で偶然の人と人との出会いに主人公たちは転機を見出していきます。どこまで行っても自分の人生は自分のものです。他の人を頼るだけでは前には進みません。しかし、自分と同じように、また自分以上に辛かったはずの人生を歩んでいたはずの人たちの姿を見て、自分も『人生をあきらめたくない』というその起点となる想いを主人公たちはそれぞれに感じていきます。決して他人に頼るばかりではなく、与えられるでもなく、あくまで自分の力で谷底から這い上がっていこうとする主人公たち。そんな彼らのひたむきな姿が描かれた物語は圧倒的に晴れやかな気持ちの中に幕を下ろしました。
『いろいろ遠回りをしてきたけれどー。今だからこそ見える景色が、ここにある』という瞬間へと這い上がっていく瞬間を垣間見るこの作品。それは、私たちのリアルな人生も同じことです。誰もが頂にばかりずっと留まっていられるわけではありません。短いようで長い人生の中では『何してんだろ…ほんと、どうしたらいいんだろ…』というどん底の時代を誰もが一度は経験する、それが悲しいかな、人生なのだと思います。しかし、『本当によかった。一歩、踏み出してみて』という瞬間は誰にも必ず訪れます。大切なのは、その”起点”です。小説の中にはそんな変化の”起点”に焦点を当てたものが多数存在します。そんな中で、この作品が拘るのは、そんなどん底にいる時の心持ちです。どん底へと落ちてしまった人はそこで何を見るのか、そんな時、どうやって気持ちを維持するのか、そして、再び這い上がれるまでをどうやって持ち堪えていくのか。
『うまくいかない時には、”今はちょっと、ついてないだけ”と考えて、少しでも気が楽になれるといいなと思います』と優しく語る伊吹さんが描くこの作品。そんな主人公たちの姿を見て、次は自分の番!と顔を上げたいと思います。そして、”今はちょっと、ついてないだけ”。そんな風に考えて気持ちを楽にしようと思います。そして、この作品からもらった魔法の言葉を大切にしようと思います。
本を閉じて、”がんばろう、自分!”、と自然に言葉がこぼれた、そんな作品でした。
投稿元:
レビューを見る
人生の敗者復活戦。ひょんなことで、自分の進む道が閉ざされたり、真っ暗になったりする。しかしその反対もあり、急に道が開けたり明かりが照らされたり、道筋が見えたりする。生き抜くことで、このようなことが起きる。だからなにが起きても生き抜かないといけないなと思わされる。このタイトルのように「今はちょっとついてないだけ」を思えば少しは嫌なことがあっても凌げるのではないだろうか。面白く読ませて頂きました。
投稿元:
レビューを見る
一生懸命生きていれば、同じように懸命に生きている仲間に出会って、お互いを程よく気遣いながら「復活戦」に挑むエネルギーを貯めていける。そのように感じました。
一日に何度も何度も井戸に水を汲みに行く少女のことをカメラマンの立花が回想しているシーンがあります。
立花「幸せ?」
少女「幸せ。家族がいて、ロバがいて、生きていけるから幸せ。水汲みはつらいけど、村一番にきれいな朝日を拝める。そのたびに生まれ変わった気持ちになれるから幸せ」
過酷な生活のなかにも見つけようと思えば、色んな幸せを見つけるとができる。自分も不平不満ばかり言わないで、小さな幸せから探してみようと思いました。
投稿元:
レビューを見る
「今はちょっとついてない」という境遇におかれた、中年たちの、「ついてない」状況から1つ足がかりを得た状況になる過程を描いた連作短編集。
…て、人生の半分以上を他人の借金返済するのに費やした、主人公が、いまは?、ちょっと?というレベルなんだろうかと、まずが疑問に思う。それも、バブル華やかなりしころ、所謂業界人にエエように出汁にされて、エキス搾り取られたら借金丸投げされてポイ…
こっからネタバレなんだが…
最後、その借金の根源にわざわざ主人公が会いに行くシーンがどうも納得いかない。この根源がものすごく鼻につくイヤなヤツで、主人公に「お前が選んだ道だ」「自己破産という道を教えたはずだ」「借金を返したということでほめてもらいたかったのだろう」とのたまうのである。借金の根源が、である。
主人公は、この言葉を聞いても、手もあげない、声も荒げない。立派である…が、それでいいのか?主人公がそういう設定なら、せめてケンカっぱやい脇役でもなんでも配置して、この野郎にせめてこぶしの一発を…
ってのが、俺の限界なんだろうなぁ。そっちへ思考が行くから行動もそこ止まりになる。その点、主人公は何も言わず、その暴言の中で、自分を育ててれたそのクソや周りの人々への感謝と当時の良かった思い出を、そこで取り戻すのである。
…って、やっぱり納得いかない。綺麗な展開、人間としてできたキャラクター。理想はこうありたいと思うが、それでもやっぱり、ついてない根源には、それなりの落とし前をつけてもらいたいのだ…。
やっぱ、俺は器の小さい人間だな、チキショー
投稿元:
レビューを見る
この本の設定にあるようなシェアハウスに住んでみたいなと思わせられた。
今はついていないとされる主人公がかっこよすぎてちょっと入り込めなかった。
投稿元:
レビューを見る
現在不遇の状況にある元フォトグラファーの立花浩樹と、浩樹の住むシェアハウスでたまたま出会った失意の男たちのリスタートを描く、ついてない人々の再生物語。
◇
かつて秘境を訪れありのままの自然を撮るTV番組で人気を博した写真家の立花浩樹だったけれど、バブル崩壊によりネイチャリング・フォトグラファーという肩書きを失ったあとは転落も速かった。
仕事だけでなく、家も失くし恋人も離れていった。バブルに踊らされ自分を見失っていたことに気づいたときは、後の祭りだった。
厭世的になり、自堕落な生活を送っていたある日、入院中の母親から知人を撮影するように頼まれた。気が進まないながら引き受けた浩樹だったが……。
* * * * *
登場する主要人物は、主人公の立花浩樹はじめ真面目で不器用な人間ばかり(宮川も実はそのタイプだと思います)。虚勢を張っていても足元の危うさには気づいています。
そんな彼らが、自分を見つめなおしつつ足下を固めていくという過程が面白かった。
何に仕事のやり甲斐を感じ、何を生き甲斐として人生を送っていくか。私たちは生きるうえで、そこに気をつける必要があるのだと思いました。
結局、金銭や虚栄心を第1にすると、切りがなくなる。いつまでも安心は手に入らない。だから、決して幸せにはならないのでしょうね。
大切なことは、きれいごとに聞こえるかも知れませんが、どれだけ人に喜んでもらえるかだと思います。(自分の能力を使って人々に感動や喜びを感じてもらう。大谷翔平選手を見ていると、よくわかります。)
伊吹有喜さんらしい優しいタッチで紡がれた物語で、温かい気持ちになりました。
安易に恋愛を味付けとして使っていないところもよかったと思います。
投稿元:
レビューを見る
「今はちょっと、ついてないだけ」
言葉って不思議。
言い方変えるだけで前向きに。
嫌なことがあっても
少しだけ発想の転換をして
過ごしていけたらいいな。
投稿元:
レビューを見る
思い返したらすごく好きな小説だったなぁと思った。おとなで、かっこよくて、泥臭いところもあって、人間味があって。いろんなことがある人生だけど、それはそれで良いのかもと思わせてくれた本だったかな〜。
投稿元:
レビューを見る
「今はちょっと、ついてないだけ」
長い人生、誰しもそんな時期は必ずあります。そんな「ついてない」人たちが少しだけ前を向けるようになっていくお話。
一人一人の足がかりは小さくても、そんな人たちが繋がれば人生は上向いていく。
私もついてない時期に顔を下に向けるんじゃなく、少しずつでも前に進んでみよう。そんな風に思わせてくれる優しい作品でした。