紙の本
夢か現か
2021/04/06 23:11
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投稿者:忍 - この投稿者のレビュー一覧を見る
もともと起承転結のはっきりした作風ではなかったが、この遺作では全く話の筋がなく、フィクションとノンフィクションが入り混じっていてどこに着地するのか見えてこない。話の流れと無関係に昔の思い出が出てきたり、ショートショートもどきの話が出てくるなど、支離滅裂ともいえる内容。ところが、これはこれで面白く、慣れてくると心地よい感じがしてくる。作者が亡くなる三日前に完成した作品だそうで、フィクションの体裁をとったノンフィクションと考えるのがよいと思います。
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現実的なところから、時折幻想的に展示、最後は幻想で終わる。著者の持ち味が発揮されており、また日本SF黎明期の記載なども充実しており(某編集長は本当に大変そうです)、読ませる。一般向けではないかもしれないが、良い作品。
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著者が亡くなった事を知らなかった。若い頃、随分著者の本を読ませて貰った。作品の世界に浸り、SFの面白さを教えてくれたものの一つであった。今回も異世界へ誘ってくれた。これが心地良い。
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昨年逝去された眉村卓の遺作。燃える傾斜、消滅の光輪、幻影の構成、引き潮のとき等の本格SFは勿論完読しており、角川文庫の謎の転校生、ねらわれた学園等のジュブナイル系はNHKのドラマと併せて楽しまさせて戴いた。光瀬龍と共に独特の世界観が大好きだった。
さて、本書の内容は全編に亘って闘病中の不思議体験を中心に描かれるものと思っていたが、途中からデビュー時からの回顧録に方向が変わる。やはり人間、死を目前にすると過去の記憶が走馬灯の様に蘇るものなのだ。また、様々な苦労話はこれまでにも断片的に耳に入っていたが、匿名ながらこの様に詳しく述べられているのは非常に面白かった。所謂、業界話なのだが、サラっと判り易い表現だったのて内容が頭にスッと入っていった。
最後の部分は、時折消え入る様な描き方でとても切ない一方、無理やり意識を現実に引き戻そうとする強い意志に感銘した。人生の後半はSF的要素は削がれた作品が多かったが、それでもジュブナイルのイメージの様に判りやすい表現が多く、作者の言いたい事をほぼ掴めることができた。
wikiにはまだ読んでない作品も見受けられるので、古本屋で入手出来たら積極的に読んでみたいと思う。
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幻視というか妄想というか、ある意味すごい境地に立ったよなあ。テイニー、テイニングなど著者らしい造語は楽しい。
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著者の遺作。
子どもの頃に好きだった「なぞの転校生」「ねらわれた学園」とテレビ、小説ともわくわくさせられた。
晩年の作品は、少し精彩を欠いていた気がするが、それも歳を重ねたものだったのかと。
妄想も一つのSFであり、それを作品として残せることも作家としての使命なのかもしれない。
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一昨年亡くなった眉村卓の遺作、書き下ろし。ガンの治療で入院しているところから始まって、小説家として駆け出しのころの回想につながっていく自伝小説のようなもの。いや、ずっと過去の回想に留まるわけではなく、現在の生活のことも書かれる。主人公は浦上映生、眉村卓の分身。小松左京や星新一、南山宏、福島章などもえらく凝った偽名で登場する。早川書房は、速風書房。
駆け出しのころ、サラリーマンをしつつ執筆していた時期の話、治療中に幻覚を見る話、現在書いているショートショートが掲載されていたり、話はとりとめもなくあちこちするが、その語り口は「司政官」の時と一緒だ。
「司政官」では惑星ひとつの切り盛りについてああでもないこうでもないと主人公が思索をめぐらせるのだが、ここでは老い先短い自分のことについて思索をめぐらせる。その語り口にぶれがない。とりとめがない話なのに読ませる。
84歳の年寄りが世間のことに疎くなっていると、いつの間にか世間ではみながテイニーなんかをするようになっている。テイニー、テイニング、空間転移、瞬間移動のことだ。そして映生、いや眉村卓はテイニーしたんだな。あっちのほうへ。
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p.134
何とかなる、というより、何とかするしかないのであった。
p.148
なるようになる、なるようにしかならないので、その結果としての自分がここにある。
晩年の病床で書かれたとは思えないエネルギーを感じたのはなぜだろう?
また、しばらくしたら読み返してみようと思います。
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SF作家眉村卓の遺作である。2019年11月3日死去、2020年10月20日発行。
何度目かの入院生活をしているSF作家映生(84歳)は、ある日、天井から剥がれ落ちようとしている透明薄膜などが見えてくる。彼はそれが幻覚であることを自覚して観察している。それ以降さまざまな幻覚がやってくる。やがて映生はエッセイのようなSF黎明期の話を書き出すが、やがておかしな方向に話が進んでゆき‥‥。
まるでエッセイか小説か、前衛的なSFか、わからないような作品。映生の過去の話は、少しSFを齧った者には直ぐにモデルがわかるようなことばかりだと思う。私のような者でも速水書房が早川書房、「月刊SF」は「SFマガジン」、「原始惑星」という同人誌は「宇宙塵」、光伸一は星新一、毛利嵐は小松左京、会津正巳が初代マガジン編集長の福島正実、林良宏は次の編集長の南山宏とピンとくる。もしかしたら、ここで初めて明かされる秘話もあったのかもしれないが、私はそこまで詳しくはない。
私の父親は大手術の後に深夜明確な幻覚を見たが、ホンモノだと言って譲らなかった。回復した後は、そんな幻覚なぞ忘れたように3年間過ごしたが、最期の時が近づいたころふと「あゝ分かったぞ、ホントのことが」などと言っていた。幻覚と現実の狭間を「自由に」往来した眉村卓さんは、人生の仕舞い方について、その一つの典型を、私に提示してくれた。
映生(眉村卓)さんは、最後の方でテイニー(瞬間移動)能力さえ身につけ、林良宏から宇宙の秘密を授けられる。実際、何処から狙って構成された小説で、どこから本気の幻覚小説だったのか、わからなかった。真面目な読者は「こんなの小説じゃない、SFでもない」と怒るかも知れないが、私はアリだと思う。そもそも、SFって、こんなモノだった。
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帯を見てSF創世期が主軸となる私小説のようなものかと思ったら、精神世界というかちょっと哲学のようで入り込み辛かった。
これが遺作らしい。
[図書館·初読·8月10日読了]