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昭和の世田谷。坪内さんが元気いっぱい遊びまわっていた雰囲気が伝わってきた。最後がタマムシで終わるのも良かったけれど、続きが読めないのがなにより残念。
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自分自身が今住んでいる世田谷の戦後すぐあたりから
今までの風景や文化が書かれている本。
私は、世田谷出身でも東京出身でもなく
この物語の記載されている著者の年代と
同じころの自分は、もっと田舎にいたので
逆に、風景が似通った部分があるような
気がしました。
やはり数十年というのは、あっという間のような
気もするし、それなりの年数であり、物事が
大きくかわっているのだということを
改めて感じました。
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玉電という響きに懐かしさを感じて読了はしたが、大量の括弧書きが、確信犯的な内輪ネタの羅列で辟易した。坪内祐三ファンだと楽しめるのだろうか。
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昭和33年生まれ。出身の世田谷の松原を回想する。下町でも山手でもない玉電の沿線風景。
松原に縁があるわけではないがどこか懐かしさを感じる作品。玉電の支線だった世田谷線の駅。近くには三軒茶屋や経堂、下高井戸などの町。
昭和40年代、個人商店が溢れていた時代。
「小説新潮」に連載されていたエッセイ。筆者の急逝により唐突に終わる。62歳、急性心不全。
人の死というのはその人の持つ記憶、経験、知識。ほとんどが断絶するものであることを痛感する。
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昨年(2020年)亡くなった著者が直前まで雑誌に連載していたエッセイ。小中学校時代を過ごした世田谷区松原辺りを、ゆるく回想している。昭和の世田谷は、のどかだった。
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急逝した評論家の「遺作」は、私小説のごとき昭和文化論だった。その町にはチンチン電車が走り、牧場には牛が群れる。そして駅前の商店街には、様々な人びとがいた―。自らのすべてを育んだかつての世田谷を卓越した記憶力で再現し、令和が喪った町と文化を瑞々しく甦らせる。
以前にも書いたが、私は著者の四つ下の学年である。小学校は違うが、生活圏が結構重なっていた。四谷軒牧場をはじめ、懐かしい記述がたくさん。もっともっと読みたかった。
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現在の世田谷線の松原駅とその界隈のことを回想するエッセイ。
現在の勤め先が近いので、とても興味深く読めた。
「オオゼキ」の1号店があそこだったなんて新発見。
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表紙でおおと思った。そうそう、松原駅。話からするとわりと後の方の絵。自分の知っていた町の話。牧場の後のあたりからは記憶にある。猫の集会を除きに行く話とか、風景が区画整理前で泣きたくなった。
坪内祐三さんなくなられていたのを知らなかった。
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1958年生まれの著者が、育った世田谷・松原界隈を語る。商店街の本屋、おもちゃ屋、駄菓子屋、喫茶店、レコード屋。この地域を知らなくても、次第に個人商店がなくなり、小さな川が暗渠になり、たき火をしなくなり、本屋がTSUTAYAになるという昭和から現代までの風景の変化は、多かれ少なかれ近い世代なら共有、共感できることも多いかもしれない。