紙の本
民主主義は根本的に不安定
2023/04/02 10:22
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投稿者:Koukun - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者自身がわざわざ懐疑的なことを書いてはいるが、民主主義」という宗教への信仰宣言と思えた。かつてキリスト教の宣教師が信じたように、世界のみんなが「民主主義」を信じ、「参加と責任」をはたせば世の中は良くなる、と信じている と読めてしまった。グローバリズムの進展に伴い、民主主義を信じていない人たちと共同体を作らざるを得なくなる場合、どのようにすればいいのだろうか?異なる教えを信ずる者同士なので、宗教戦争のようになってしまうのだろうか?世の中の人を幸せにするのが目的であって、「民主主義」はそれを実現する手段の一つであるはずなのだが。
IT化AI化などの技術進歩により民主主義に必須の中間層は痩せ細り、一握りのエリート層と多数の無用階級に分かれてしまうと言われている。パンとサーカスを求める多数の無用階級を幸せにするための政治体制は、はたしてどのようなものなのだろうか?
アダム・スミスがとなえた単純な「レッセ・フェール」と比較すると、「参加と責任」を必要とする民主主義は根本的に不安定な制度であると感じた。むしろ専制政治を讃えた「鼓腹撃壌」のほうがわかりやすい。
紙の本
興味深い
2023/03/05 16:13
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投稿者:なつめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
民主主義について、いろいろな角度から分析されていて、よかったです。発展の道筋が示されていて、参考になりました。
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子どもの頃、東西冷戦の時代背景もあったからか、「民主主義」=自由主義=資本主義が正しいとすりこまれたような気がする。大人になってからなんか違うと思っていた。本書を読んで、やっぱり何か違っていたと感じた。
次は、ハンナ・アレントあたりをかじってみようかな。
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通勤途中の電車の中で読んでいるせいもあって、終始かすみがかかった状態で中身がはっきり見えず、記憶にほとんど残っていない。一定以上の難易度になると、たちまちこういう結果になる。集中してのめり込める本もあるのだけれど。さて、選挙のたびに思う。これって民主主義なんだろうか。多数決で、得票の多い人が選ばれる。それは正しい。しかしである。AとB二人の立候補ならBが当選する可能性も高いのに、突如Cが出て来て、BとCが票を分けた結果、Aの当選が決まった、というようなことが度々繰り返される。あたかも、AのたくらみでCが登場したのではないかと思われる。いや、僕が知らないだけで、それが真実なのかもしれない。古代ギリシャのポリスでは、抽選で議員が選ばれたという。しかしそれは、人口もそれほど多くなく、もろもろの仕事は奴隷がやっていて、もともと政治に口を出せるのは一部の人間だったわけで、いまの世の中にそのまま抽選が持ちこめるわけではない。それでも、裁判員が抽選で選ばれるようになって、ちょっと当選?してみたいなあという気がしないでもない。そんな、感じで政治に参加することも悪くないのかもしれない。そうすることで、皆が自分事として考えることが多くなると良い。教育のことも医療のことも環境のことも、いろいろと考えなければいけない問題は山積しているのだから。
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書名のとおり、「民主主義とは何か」について解説した作品。その起源や現在の立ち位置など、民主主義にまつわるさまざまな事柄が書かれていてとても勉強になるが、とくに印象的だったのが、戦争が皮肉にも民主主義を発展させたという話。こんにちわれわれが戦争と聞くと、「治安維持法」による弾圧など、民主主義とはおよそ対極の方向にばかり眼を向けがちであるが、しかしたとえば古代ギリシャでは、戦争のために立ち上がる市民が増えることで、市民の発言権が大きくなっていったという側面もあった。戦後日本では、戦争に負けたことで女性参政権の実現など、民主主義が大きく前進したことを考えるとわかりやすいだろう。本文にはないが、世にも凄惨な大虐殺を経験したルワンダが、いまや「男女平等先進国」であるという話にも通じるかもしれない。もちろんだからといって戦争を肯定するわけではないが、民主主義とは正反対の行動により民主主義が進展しうるということは押さえておきたい。おなじような「逆説」はほかにもあって、絶対王政下のヨーロッパにおいて、王権を強化するために有力貴族を排除したところ、結果的に権力が平準化され、最終的にはフランス革命などの共和政に繫がっている。このように一見民主主義にとってはデメリットでしかないように思える動きが、現在へと至る民主主義を形成しているという話が大変興味深かった。
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政治体制を知り尽くしている宇野先生が、これまで人類が採ってきた民主主義を平易に、すべからく解説した本です。
圧倒的な情報量なので全てを消化できた訳じゃないけれど、読みやすかったです。
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民主主義についての歴史的展開が専門的にではありながら分かりやすくまとめられていて非常に勉強になった。
トクヴィルがみた民主主義の力である、「その原動力にあるのは自治であり、人々は自らの地域の問題を自らのことがらとして捉え、それゆえに強い関心」ということは、今のアメリカの教育改革にも貫かれている理念であるとかんじた。
P143 否定的に語られてきた民主主義がトクヴィルによって再び積極的な意味をもつ言葉に変わったあたりの議論を読むと、やはりデモクラシーについて考える上でトクヴィルとその影響を考えることは必須なのだなぁと思った。トクヴィルのデモクラシーの3つの使い方も面白い。
ロザンヴァロンの立法権中心に対する批判も時勢的に興味深い。執行権を直接的に民主的な統制のもとに置かない限り、民主主義は実質化しない。
民主主義が誤った決定を下すことを認めつつ、しかしその修正力も認め進んでいくしかないのかなと思う。
参加と責任のシステムとしての民主主義という本書を貫くテーマの中で、とくに責任についてはもう一度確認したい。
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正直私は、1回読んだだけではこの本を完全に理解することはできなかった。
また読み返したい。
兎にも角にも、民主主義が歴史の流れの中で様々に変容し今の形になっていること、そして今このコロナ禍が民主主義にとっての転換期であることは理解できた。
民主主義とは何になのかを考えるきっかけとなったので、この本に出会えて良かった。
多様性がますます広がっていく昨今の国際社会において、あらゆる人の意見を取り入れようとする民主主義はなくてはならない存在だと思う。
民主主義が退潮するのではないかと叫ばれているコロナ禍において、弱者の意見を汲み取ろうとする民主主義の存在はむしろ必要。
政府によってそれが行われるかには疑問が残るけれども。
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『民主主義とは何か』 宇野重規
日本学術会議で任命されなかったことで有名になってしまっているが、個人的には以前もトクヴィルの本や、保守主義の本等でお世話になっている宇野先生。民主主義とは何なのかという問題を、中立的に、かつ現在への示唆を含めて概観する名著。
概説書であるゆえに、どこかを引用して関連した項目を説明することは難しいが、「おわりに」の文章が心に響いた。
「本書を書き上げて思うのは、むしろ民主主義の曖昧さ、そして実現の困難さです。民主主義は2500年以上の歴史がありますが、そのほとんどの期間において、この言葉は批判的に語られてきたのです。(中略)肯定的な評価となったのは、例外的な時期を除けば、この二世紀ほどにすぎません。(この二世紀の間にも多くの批判がありました)」
「ある意味で筆者は、民主主義にある種のなつかしさを感じています。歴史の中で大きく変質し、ひどく曖昧になってしまった部分もあるけれど、また、その名前の下に多くの過ちがなされたのも事実だけれども、民主主義はなんとか生き延びてきた、そのことを素直に良かったと思うのです。民主主義には歴史の風雪を乗り越えて発展してきた、それなりの実態があるのです。本書ではそれを、自由で平等な市民による参加と、政治的権力への厳しい責任追及として分析してきました。」
本書を書くにあたり、宇野先生の決意と、そしてやはり曖昧さや実現の困難さに目を向ける謙虚さに感服します。民主主義は意思決定も遅く、至らない部分も多くあるが、つぎはぎでもよいので、みんなで守って行こうという腹の底からのメッセージを感じます。ウィンストン・チャーチルの名言で、「民主主義とは最低のシステムである。他のいかなる政治体制を除いて」というものがありますが、まさしくその通りなのでしょう。自由の制限や、少数派の意見の尊重、ポピュリズムへの危険性等、民主主義は未だ多くの問題を抱える生ものです。しかし、我々はこれまでの歴史を見る限り、民主主義に頼らざるを得ない。何とか冷やしたり、防腐剤を付けたりして、みんなで使い続けなければならないのであると、痛切に感じます。
まとめでも、宇野先生は最後にこう語っています。
「個人は相互に自由かつ平等であり、それを可能にする政治・経済・社会の秩序を模索し続けるのが人間の存在証明です。民主主義をどこまで信じ切ることができるのか、それがいま問われています。」
コロナ下における意思決定の遅さや、シルバー民主主義と呼ばれる現象等、民主主義は批判にさらされているように思えます。しかしながら、個人の自由と平等の追求こそが、現代人に与えられた使命であるとするならば、民主主義の良くないところ、危ないところも含めて付き合っていかなければならないのだと思います。
これまでの民主主義は、共和政に準ずるものであると考えられてきました。古代ギリシアでの結論として、民主主義は多数派や少数派にとどまらず、部分利益の尊重に繋がるという批判を生み出しました。究極のところ、全会一致でない限り、民主主義での結論は社会全体から見れば、部分的な有権者の結論となり、多数者が少数派に対して圧政することも可能となります。一方、社会全体の利益を追求する政体を共和政と呼び、民主主義に対して優越するものであるとされていました。しかしながら、誰がどう判断することによって、社会全体の利益を追求することができるのかということはやはり謎に包まれます。ルソーの言う一般意志に関しても、全ての人々の意思の総体とは異なる、社会全体の利益のようなものの体現として扱われていますが、「言うは易し行うは難し」です。イタリアのコムーネでは、利害関係の働かない外国人に政権の執行役を任せるなど、様々なシステムを試してみましたが、やはり結論はでません。
自分自身の中に、公人というもう一つの人格をつくりだすような、私人としての判断と公人としての判断を区別して行うことができるような自己の分裂と葛藤に耐えうる人々でなければ、民主主義の中で社会全体の利益を追求することは難しいと考えます。
その点で、トクヴィルがアメリカのタウンシップから発見した「各々の地域の課題に対して全ての人が参加し、責任を持って討議し、執行するスタイル」に民主主義の能動的な完成形を見出したという点では、多くの人々が自己の分裂と葛藤に耐えうる政治的に成熟した成員であったのではないかと考えます。
J・S・ミルも本書では取り扱われていますが、彼の考え方もまた非常に興味深いものでした。個人の能力の発現や幸福の追求を行う上で、民主主義は最適であると彼は結論付けました。個人が参加意識を高く持ち、自身の能力を発揮するためには、やはり自分の意志を反映し、政治を動かす仕組みが必要であります。さらに、民主主義において、真理の追求という観点では、少数派の意見を弾圧することは百害あって一利なしとします。仮に少数派の意見が真理であった時に、そこに活路を見出す可能性を残しておくことや、多数派の意見をブラッシュアップし、硬直化を防ぐという意味で、多くの人が対立し、議論の場を設けるスタイルは、政体を動かす上で適しているとします。上記の議論からも分かる通り、ミルは社会全体を考える視野の広さや、長期スパンで物事を考えることが出来る歴史観がありました。
ミルが注目した個人の能力の発現という部分において、やはり民主主義の参加と責任という仕組みに呼応する部分があると述べましたが、昨今世の中でワーク・エンゲージメントが叫ばれる中で、参考になるものであると考えます。確かに企業と国家運営はシステムや目的が異なります。企業の目的は利益の最大化であり、株式会社であれば究極のところ株主価値の最大化です。一方、国家の目的は第一義にその国家の存続にあります。目的は異なることは重々承知の上で、やはり人々が個人の能力を発揮するための態勢には参加と責任のシステムが不可欠です。確かに企業は機動的でワンマン的な経営は必要ですが、例えば大企業の一部署において、会社全体の利益に対しての感覚が鈍くなってしまう単位の集団においては、彼らのエンゲージメント向上の為にも、参加と責任に関する議論は参考になるかと思います。
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読了。
民主主義は、分かったような、分からないような、難しさがあることがよく理解できた(自分の印象と似ていた)。
時間を置いてもう1度読もう。
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【本書の概要】
ポピュリズムや独裁者の台頭、AIの発達、コロナの拡大によって、民主主義はかつてないほどその地位を脅かされている。民主主義は誕生から現在に至るまでの殆どの期間で批判に晒されてきたが、それを乗り越えて発展してきた。民主主義において大切な要素は大切にし、批判すべき要素は批判しながら、この制度を続けていくべきである。
【詳細】
①古代ギリシアにおける民主主義の萌芽
民主主義のルーツは古代ギリシアである。
古代ギリシアの政治とは、人々が言葉を交わし、多様な議論を批判的に検討した上で決定を行う中にあった。そこでは貴族や農民は区別されず、あくまで相互に独立した人々の間における共同の自己統治こそが「政治」だった。加えて、人々の間には、一度決めたことをひっくり返すことなく自発的に従うべきというルールがあり、これが安定した政治と自治を生んでいた。
ギリシアの民主主義を一言で表すならば、「参加と責任」である。政治家は選挙ではなく市民の中から抽選で選ぶこととされており、平等で広く開かれた窓口があった。市民は政治に参加することを誇りに思っていた。対して、政治家は行ったことへの監査を受けなければならず、もし政治的不正を行えば弾劾も免れなかった。
時には専制政治や衆愚政治に陥ることもあったが、利害や意見を異にする人々が、相互に議論して決定を下す価値観は大切にされていた。
②ヨーロッパにおける身分制議会の鼓動
ギリシアで培われた民主主義の原型は、その後長い間なりをひそめることとなる。
次に民主主義が再興し始めたのは、中世ヨーロッパにおける王政からの転換期だ。
中世において執政権は国王のものであった。王は、当初は議会を必要とせず国政を専断できたが、周辺諸国との対立から戦争が頻発してくると、傭兵を確保するためにも巨額の費用が必要となり、都市に対して課税する必要がでてきた。
課税のためには議会を招集して貴族たちの了解を取る必要がある。これが身分制議会の成立であり、同時に王権の制限をもたらした。新しい民主主義の形態であるが、これが諸国に広範に広がっていったかは微妙なところである。
課税制度により国家が中央集権化すると、それに抵抗する社会集団が現れる。この2集団の間の均衡が取れている国においてのみ議会制が発展するが、実際に成立した国は少ない。また、身分制議会は政治参加の契機が少ないため、これの発展が直ちに国を民主主義化したと言えるかは留保が必要である。
③アメリカ独立と合衆国憲法制定に見る民主主義への攻撃
アメリカは独立後、合衆国憲法を制定する。しかし、中央主導の専制政治の可能性を危惧した国民から強い反発が起こった。
これに対して憲法を推進する建国の父たちが主張したのは、「我々がやろうとしている政治は民主政ではなく共和政である」ということだ。
彼らは民主政と共和政の理念の違いをはっきりと意識していた。民主政とは市民が直接集まって政府を運営する国家であり、人々の共通の利益や感情が協力と団結を生み出すものの、反面、多数派によって少数派の利益が犠牲にされることがある���利益追求の結果として激しい党派争いが起こるのも民主政の特徴だ。結果として民主主義の国家は不安定であり、個人の安全や財産権を保障することができない。対して、共和政とは代表制を取り入れた政治体制であり、少数市民が自らの利益ではなく「公共の利益」を追求するために動く。また、直接参加による純粋な民主政は小規模な社会にしか適さず、大きな国家においては「共和政」こそが有効であると、彼らは説いた。
これは民主主義が否定的な意味合いで使われた例だが、こうした思想はアメリカだけではなかった。
④ルソーの影響
フランス革命の原因はルソーが作った(諸説ある)とも言われるぐらい、当時とその後の政治思想に影響を及ぼした。
ルソーが提唱した政治理論は「社会契約論」である。
「各構成員をすべての権利とともに共同体に譲渡し、われわれの各々は身体と全ての力を共同のものとして一般意思の最高の指導の下に置く。そしてわれわれは各構成員を、全体の不可分の一部としてひとまとめにして受け取るのだ」
全ての人の力と権利を平等な条件のもとで合わせることにより国家を形成し、一般意思に沿って国家の執政をしていくのが大切だ、ということだが、一般意思が何たるかは不明瞭である。
またルソーは、「議会制民主主義とは、選挙の日だけ国民が主権者になるものではない」とも述べている。人々が国政を代表者に一任することなく、自ら国家を作っていくことの重要性を説いている。
ここでも民主主義の在り方に関して疑問が述べられている。国民が代表者を選ぶという議会制民主主義は、運営の観点からは効率的であるものの、国民一人ひとりの意思を希薄化してよいのかという疑問である。
⑤民主主義と自由主義
19世紀になると、絶対王政とは違い、人民による人民のための、つまり一般性に基づいて法が作られる時代が到来する。普通選挙の始まりの時代だ。
近代民主主義では、社会に対する意見や利害の調整を、「政党」が担うことが期待された。ギリシア自体では悪とされていた党派だが、出自や宗教ではなく、「利害」に基づく党派であれば党派間の妥協が可能であるとされた。また、小国ではなく大国であれば様々な利害関係者が集まるため、党派同士が牽制し合い、均衡に行き着くことができるとされた。
古代ギリシア以降、民主主義という言葉は長きに渡り否定的に使われてきたが、民主主義の用法が変わったのはトクヴィルの「アメリカのデモクラシー」からである。
トクヴィルは「貴族無き国家(中産層しかいない国家)であっても民主主義は成立し得るのか?」という疑問を調査するためアメリカに視察へ向かった。そこでトクヴィルが見たのは、地域の問題を自分たちの事柄として捉え、強い関心を持ち問題解決に動く人々であった。政府の力が弱い分、自分たちの力でお金を集め、そのための結社を設立して事業を進めていた。
トクヴィルはここにアメリカのデモクラシーを見出したのだ。
トクヴィルが連邦政府を評価するのは、一般の市民によるコミュニティの自治が基層にあり、その上に地域の統治があり、さらにその上に広域の政府がある、という構造になっていること、加えて、そのような構造にありながらも、各コミュニティと政府は上下関係に立つわけではなく、独立した自治権を有していることである。自由自治という小国のメリットと、人口や産業を経済発展に利用するべく集権化する大国のメリットを兼ね備えており、これを民主主義の優れたモデルとみなした。
対して、トクヴィルの友人であり賛同者でもあるミルは、自由主義の観点から「危害原理」を定式化する。
ミルは自由の性質を、「自分自身のやり方で自分自身の幸福を追求すること、そして各個人の自由は他人を妨害しない限りにおいて認められること」と定義している。
ミルは、個人の個性や多様性を重視し、個人の自由を認めることが、「社会的にもプラスになる」とした。行政の範囲が拡大する世の中で、一人の専制君主が全ての領域を統括することはできない。そんな中で必要なのは、あくまで国民一人ひとりの資質の向上である。だから自由主義と個性の尊重は大切であるとしていた。同時に、民主主義の政治制度は大衆による多数派の専制をもたらす危険性があり、これをミルは警戒していた。
⑥第二次世界大戦を経験しての民主主義への懐疑
トクヴィルによって見出された民主主義の可能性は、ヒトラーの誕生によって再び厳しい視線に晒されることになる。民主主義が大衆の能力の未熟さと向こう見ずな集団心理に大きく影響されることが顕在化されたからだ。
近代においてはもっぱら議会制を中心に民主主義の諸制度が発展するが、それは選挙に主眼が置かれたためである。人々が主権者として自ら政治に参加し、自分たちの問題を自分たちで解決するという民主主義の理想との間には、依然距離が空いたままである。
そして、民主主義はいまだ完成した制度とは言えない。ポピュリズムの温床、デジタル化により社会から取り残される人々、議会の監査機能の弱化など、現代においても民主主義は大きな課題を残したままだ。
これから必要とされるのは、「公開による透明性(言葉とデータを通じた、納得した上での決定)」、「参加を通じての当事者意識(身の回りのことから始める民主主義)」、「判断に伴う責任(リーダーだけでなく、ごく普通の人々も公共の任務に携わり責任を分かち持つこと)」を有した民主主義である。
民主主義はその歴史の殆どが批判に晒されてきたが、それを乗り越えて発展してきた。民主主義において大切な要素は大切にし、批判すべき要素は批判しながら、この制度を続けていくべきである。
【感想】
ポピュリズムの台頭、コロナの感染拡大、独裁者の増加、AIの発展など、従来の民主主義のスピードでは、変化する社会についていけないこともあるだろう。共産主義を志す中国が成功を収めていることもあり、人々は得てして民主主義についたかすかな傷を攻撃しがちになる。しかし、民主主義は太古の昔から不出来な制度とみなされてきた。党派による利害関係の衝突、民衆の能力の低さ、多数決の弊害など、様々なマイナス要素を批判されてきた。しかし、人々が自らの意思で政治のあり方を決めることが国の発展につながるのであるから、おいそれと民主主義を捨てるわけにはいかない。であれば、歴史の中で民主主義が果たしてきた役割を紐解き、功罪を明らかにしたうえで清濁併せ飲もうではないか。
これが筆者の主張である。
『「自由主義と民主主義の間に緊張があることを前提に、どうすれば自由を否定することなく、民主主義を十全に実現できるか」という課題は私達に残されている。』
本書の一節であるが、私もまさにこの通りだと思う。2020年の大統領選が象徴するように、自由と民主で人々が分断されつつある今、片方を否定することなくもう片方も実現する政治が求められていると感じた。
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「自由で平等な市民による参加と、政治権力への厳しい責任追求」としての分析。
民主主義を確かなものにするためには相応の責任を負わなければならない。自分を含めた一般民衆の未来のために。
菅内閣が学術会議から外した宇野さんの冷静で熱い筆致はさすがと思わせる。こういうまともな人が邪魔なんだな菅は。
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冒頭に出てきたいくつかの民主主義に対する問いがちょうどよくて、最終章でそれに対してきっちり答えを出していて、難しい本編の内容に対しての理解が弱くても知りたいことが知れる作りになっており、非常に親切。自分みたいな初学者にはモッテコイ。
アメリカとヨーロッパの民主主義の出来上がり方の違いを広く時系列的に語りながらも、歴史の教科書的にではなく、キーマンの紹介や名言をベースに説明してくれるので、読んでて飽きない。
- 参加と責任のシステム。でもいまの日本って、みんな参加してるか?
- 自ら手を上げて多数決ができない、代表者に任せる、では代表者をちゃんと選んでいるか?
- 民主主義のなかでも、議会制民主主義にあたるのがいまの日本
正直一回読んで理解はしきれないな。。違うインプットもした上でまた帰ってきて読みたい本。
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例の学術会議問題で拒否された6人のひとりの本。タイミング的にもちょうどよくて,そりゃあ買うでしょう。
内容は,民主主義について,わかりやすく歴史を追って解説したもので,これをきっかけにいろいろ読んで深く勉強しなさいよ,という位置づけなんだろう。
だいたい新書って,なんだか中途半端で,あんまり満足できないんだよなぁ……。
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民主主義の歴史を新書の範囲で簡潔かつ骨太にまとめた良書。民主主義なるものが決して安定したものではなく、今なお激しく検証され変化しつつあるものであることがよくわかる。つい楽な方に流れ、過去の過ちを学ばない人間の性質すらも包含するより良い民主主義を作っていく矜持と覚悟の材料になるような本。