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動画を見たりネットで調べたりしてみたけど、なんとなくわかった気になっていただけで、本当は全然わかってなかったと言うことに気がつかされた。
ものすごく面白い本だった。
ニーチェの考え方は、とても極端だけど、真実味がある。
本当に自分の命、人生を生きているのか、最高させられた。
哲学とは、白と黒がある。
白は、本質哲学。
黒は、実在哲学。
白哲学は、ものを超える存在、つまり見たり触れたりできないものの事を考えること。
例えば、「人生の意味とは」、「正義」、「愛」など。
黒哲学は、現実の存在、つまり実際に存在するものについての哲学。
現実の気持ちをごまかして生きるのはやめよう。
社会が決めたラベルは、その時代のものであって、いつか変わるし、そのラベルに縛られないようにしよう。
今にフォーカスするために、3分間だけマインドフルネスをしよう。
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Audibleで聞きました。ラジオを聴くように勉強できたのがよかったです。ニーチェはツァラトゥストラを読んで挫折したことがあったけど、こちらのAudiobookで要点がつかめたことが収穫。黒哲学という言葉も初めて知りました。実存実践が大事だというところが禅哲学にも通じてる。
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飲茶さんの本は「史上最強の哲学入門」を読んで2冊目でしたが、前回と同様にこの本も内容がまとまっていてわかりやすかったです。
人はこうあるべきとか、人生はこうしておくべきとか、常識に捉われて苦しんでいることってたしかにあるなぁと思いつつ、読み進めていてその常識をニーチェにぶち壊され、気がちょっと楽になりました。
ただそれと同時に、実は人生には意味がなくて、しかも愛も未来も意味がないという内容に絶望しました。が、そんな形ないものに縛られないで、現実に存在する今を生きて、好きなことに挑戦し続けなさいというメッセージを読み取れた気がします。
この本を読んで、今を感じて生きるということを見直すチャンスをもらえました。
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◯社会から押し付けられた常識とか価値観なんて、ただの空想上のもの。私たち人間は、「現実の存在」つまり「実存」なんだから、それを自分に当てはめて落ち込んだりする必要なんてない(62p)
◯現実に存在する今の中で、現実に存在する世界と自分を、自らの意志で「よい」と肯定して生きること。(177p)
◯「自分が美しい、面白いと思うもの」を「今この瞬間」において感じ取り、それを表現することを楽しみながら生きる(252p)
★すぐ読める。良くまとまっていてわかりやすい。最後の章は、著者の体験談を通して、ニーチェ哲学をどのように現実の生活に応用すればよいかがわかる。
★ブルシットジョブとか、今の時代、まさにニヒリズムになってきている。末人にならず超人になるには今を肯定すること。マインドフルネス、そして、アートに注目が集まるのはそういうことだったのか。
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読んだ小説のいくつかでニーチェの言葉が出ていたので、この本を読んでみました。作者の体験を踏まえた熱い語り口や対談形式の軽妙なやりとりが面白かったです。まだ理解できていませんが、実存の考えや向上心について生きる上でのヒントをもらえた感じです。ちょっと世界観が変わった気持ちになりました。読みものとしても非常に良かったです。時々読み返したいと思います。大好き度❤️❤️❤️
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ニーチェをここまで分かりやすく、しかも面白く解説している本はないのでは。
一気読みした。
一章
哲学には白哲学と黒哲学がある。
白哲学は物事の本質を考える。
黒哲学は現実存在(実存)について考える。
黒哲学は白哲学を批判するための反逆の学問
二章
ありもしない架空の価値観を信じて不幸になっていないか。
人間は実存であり、生まれながら「生きる意味」はないが、それをそのまま受け止めると「ニヒリズム(虚無主義)」になり、「生の高揚(充実感)」を失う。
「神は死んだ」宗教、恋愛、仕事、人生のあらゆる絶対的な価値は必ず壊れる
三章
「奴隷道徳」とは「嫌なことに文句を言わず受け入れる人が善い」という不自然な価値観
「架空の価値観」を持ち出して「現実の気持ち」をごまかしていないか。
四章
「未来に目指すべき何かがある」という思考方は必ず破綻する。「今、この瞬間」を肯定して生きていくことが大切である。
まとめ
①人間は社会から押し付けられた「架空の価値観」に振り回されて、自分が不幸だと思いがち
②そもそも人間は「現実の存在(実存)」であり、意味や価値などない。
③だから「押し付けられた価値観」にとらわれて不幸になることはない。
④だからといってすべての意味を否定すると「ニヒリズム」になり、「生の高揚感(充実感)」を失う。
⑤だからこそ「ニヒリズムな世界」をまるごと受け入れ、「今、この瞬間」を肯定して生きよう。
過去に囚われず、未来を憂うることはやめよう。
今、この瞬間を肯定して、生きていこう。
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【星:♾】
今まで読んだ本の中でダントツナンバー1。それぐらいよかった。
内容はタイトルの通りニーチェの哲学をわかりやすく説明したもの。著者と女性との対話形式で最後まで進んでいく。
この本がすごいのは、実体験にもとずく著者なりのニーチェに対する深い理解と、その理解を何とかして読者に伝えたいという強い熱意である。
まさに「最強」のニーチェ本である。
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ニーチェの哲学は人々に生きる勇気を与えてくれる…。
道徳観、倫理観はラベリングされた価値にすぎない。
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ニーチェの思想をわかりやすく面白く解説
毎回著者の言葉による説明の
分かりやすさに驚きを覚えていたが、
第五章の個人的な体験談を読んで納得
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いやいや、今どきの人たちも、原理的には、やはり「奴隷道徳的なもの」にとらわれていると僕は思うんだ。ここからはニーチェではなく、僕オリジナルの考えになっちゃうんだけど、今の人々は「奴隷道徳」から少し価値を変えた「道化道徳」にとらわれているように思う。
ーー道化道徳? なんだか言いにくいですね。
芸人道徳とか、自虐道徳でもいいかな。つまり、自分の境遇の悪さを「ネタ的な笑い」にすることで「それをよし」としてしまう考え方のことだよ。たとえば、残業が月一00時間を超えてるとしてさ、その惨めさを「笑い話」っぽく話してくる人って多くない?
ーーあ、それはいますね!「残業一00時間やったよ、社会人として当然だよ」という人はさすがにいませんが、「もう最悪でさ(笑)、あり得ないよ(笑)」みたいに言ってくる人はメッチャいます! というか、だいたい職場の人と食事に行くと必ずその手の話になりますね。
まあ、社会人あるあるだよね。ダメな上司の話とか、お客にひどい目にあわされた話とか、急に仕様が変わった話とか、詳細設計が終わってないのに製造が始まった話とか、そういう仕事の愚痴トーク合戦。恋愛の愚痴もそうだけど、こういう身に起きた不条理や不幸って、みんな案外、楽しそうに話したりするんだよね。「やってられない(笑)」「最悪だわ(笑)」「ほんとひどいでしょー(笑)」みたいな感じで。
ーーなぜそうなるのでしょう?
もちろん、単純には、明るく話してストレスを解消したいというのもあるとは思うけど、実は、そこには、人間関係において「人を笑わせる会話は善い」「面白味のない会話は悪い」という……、これまた、どっかの誰かが勝手につくり出した架空の価値観がるんじゃないかな。
ーーあ、それ、わかります。誰かと会ってるとき何か面白い話をしなければならない、という気持ちがすごくあります。もしかしたら、単純に、今時のトーク力を重視するバラエティ番組の影響かもしれませんが……。
それって、奴隷道徳のときと同じ話だと思うんだよ。「ウケる=善い」「ウケない=悪い」という「架空の価値観」があり、それにいつの間にかとらわれて「本来の気持ち」が覆い隠されてしまう感じ。だって、現実の世界でひどい目にあっているんだから、普通に考えたら「笑い話」にしてる場合じゃないよね。本来なら、怒ったり文句を言ったり、逃げるなり戦うなり解決に向けて何かをするべきなんだ。でも、「笑い話」として人に話すことで、その気持ちが「消化」されてしまう。
でも、ある日、ニーチェの哲学、実存哲学が教えてくれたんだ。人間とは、意味も目的もなく世界に放り出された「現実の存在(実存)」であり、そして世界の中にはあらかじめ設定された意味や価値などないということを、その考えに従うなら、もちろん世の中に「人間としてこうしなくてはならない」という意味付けや価値なんてあるわけがない。それらは、どっかの誰かが勝手に考えた解釈のひとつ、すなわち「非現実的な架空の価値観」にすぎない。でも、それなのに、僕の頭の中は、その「架空の価値観(しなくてはならない)」で埋め尽くされ、まさに���れによって不幸になっていたんだ。
ーーあ、それ、背後世界の説明のときに出てきた話ですよね。人が不幸になるのは、社会(他人)から押し付けられた「架空の価値観」に振り回されているからだって。
そうそう。でも、多くの場合、本人はそのことになかなか気づけない。なぜなら、背後世界にあるものは、たいていその人にとっては常識であるからだ。「挨拶はしなくてはならない」「人前では明るく話さなくてはならない」「友達の冗談には笑って受け答えをしなくてはならない」、それらが、今はたまたまこの時代のローカルな「架空の価値観」だなんてどうして気づけるだろうか。
まず、押さえるべきポイントとしては、何もニーチェは、あらゆる価値観や意味付けを否定しているわけではないということ。彼がずっと問題にしてきたのは「伝統的な社会の慣習」とか「弱者の妬み(ルサンチマン)」とか、自分自身に由来しない価値観に無条件に従うことで、生が縮小したり(つまり、萎縮してやりたいことをやらなかったり)、自分自身の生を否定したり(つまり、不幸になったり)してしまうことなんだ。だから、逆に、自分自身に由来する「自然本来の欲求から生じた価値観」を自分の意志で自覚的に採用したのであれば何も問題ない。むしろそれが「生を増大させる」ことにつながるとしたら、ニーチェ的に喜ばしいことだと言える。それにだよ、「力への意志」により生じた価値に基づく目標は、失敗しても不幸にはならないんだ。
ーーえ、そうなんですか?
たとえば、「美しいコップを作りたい」という人がいたとしよう。どうしてかわからないけど、とにかく、それがたまたま「彼の自然な欲求」であり、彼は無意味な世界の中で「美しいコップを作ること」を価値のあることだと選択したわけだ。で、そんな彼が、自分が満足できるコップを作れなかったとする。それはとても納得がいかず、悔しいことだろう。でも、だからといって、「この世界から消えてしまいたい」と思うような、そういう種類の惨めさを感じるだろうか?
ーーなるほど。悔しいとは思うかもしれませんが、たしかにそこまで惨めになったりしなさそうですね。というか、そこまでツラいなら、やめればいいだけの話でしょうし。
そうだね。ダメならダメで創意工夫するし、もしどうやっても本当にダメなら、それはそれで受け止めて素直に別のことをするよね。何せ自分で選択したことで、やめるのも自由なのだから。これが逆に、自分で選択したことでもなく、やめる自由もなかったらどうだろう?
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いま自分が持っている価値観は親、世間から得た価値観でそれが正しいものなんて言えない
今を大切に生きる
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1 どんな本?
哲人ニーチェの哲学の概要とその使い方を著者
の経験を例に教えてくれる本。哲学を自身の人生に
役立てている話は初めて聞いた。入門書としてこれ
を超えるものはあるのかな?
2 なんで読んだの?
(1) 飲茶さんの本だから。
(2) ニーチェの概要を知りたい。
(3) 次にニーチェの話しを聞いたら理解できる状態
になりたい。
3 構 成
5章構成249頁
「哲学とはなんなの?」から始まり、5章のまとめで「全ての人が自分なりの芸術(楽しみ)を持って生き
ていけます様に」と終わる。対話形式で各章ごと
まとめもあってとてもわかりやすい構成になった
いる。
4 著者の問題提起
現実に存在しない価値観、現代のマイナールール
(常識とか思い込み)に苦しんでいる人がたくさん
いる。
5 命題に至った理由
ニーチェが本当に届けたかった事をガツンと伝
えたいという熱い思いから。
6 著者の解
実存を蔑ろにする非現実的な価値観の正体を暴
きたて破壊して、芸術(生きがい)を見つけて幸福
に生きて皆幸福に生きるべきだ。
7 重要な語句・文
(1) 本質哲学、実存哲学
(2) 永劫回帰
(3) 偉大なる正午
(4) 背後世界
(5) 奴隷道徳
(6) ルサンチマン
(7) ニヒリズム
(8) 生の高揚
(9) 奴隷道徳(架空の価値観を持ち出して現実の気
持ちを無視して無いか?)
(10) 超人
(11) 末人
(12) 芸術
(13) 力への意志
8 感 想
とても分かりやすくて楽しかった。著者の人柄
が伝わって来てとても素敵な読書になった。
刺さったのは奴隷道徳。私は明らかに末人の時期
があった。
深く知りたい事はニヒリズム。「俺どうせバカ
だし。勉強しても意味ねーし。」みたいな事も
かな?
人に勧めるなら末人。そんな奴が周りにたくさん
いる。
図で背後世界等とても分かりやすかった。
タイトル通り入門書として最強(最高)だと思
った。
9 TODO
(1) 次のニーチェの本の購入
(2) 子育てに活用(考え方を提示、本の勧め)
(3) 自己の芸術を高める。
10 問 い
常識とは?
11 答 え
地方ルール(やらなければいけない事なんか無い)
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水王舎出版の「飲茶の最強のニーチェ」と全く内容同じです。
出版社もタイトルも違うから別物だったらいいなと思ってただけにちと残念。
でも水王舎の方はAudibleで聴いただけで活字で読んでなかったので、おさらいの意味も込めて再読。
やはりオススメです。
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哲学の入門書として最適。
自身の経験を踏まえての対話形式なので、非常に読みやすいし、面白い。
読み終えると、くだらないけど夢中になれる瞬間を大切にしようと思う。
★背後世界
外部から押し付けられた価値観。
勝手なラベル付け。事実ではなく、全ては解釈。
★末人
人生には意味はない。
毎日忙しく働いて、暇を潰すだけの人間。
★ルサンチマン、奴隷道徳、社畜道徳
弱者を善いとする歪んだ価値観
嫌なこと、惨めなことに文句を言わずに受け入れる人が善い
だから、人間本来の生き方ができなくなってしまう
★超人
永劫回帰により、同じことを繰り返す世界
時間を直線ではなく、円で考え、今この瞬間を肯定する。
★力への意志
常に自己を拡大させたいというノリ
子供は横断歩道の白線だけで渡ろうと一生懸命。
なんの価値もない正解に自らの意志で価値を作り出し、積極的に楽しみながら生きている。さらに、失敗しても不幸にはならない。
確かに自分の子供達を見ていると、大人からすると無駄だと思えることに一生懸命になって楽しんでいる。
しかし、それこそが超人なのだろう。
子供こそ最強!
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【読もうと思った理由】
飲茶氏の哲学入門書は、すでに2冊読了済みだ。史上最強の哲学入門にこう書いてある。西洋哲学は、時系列に沿って読んでいかないと理解しにくいと。なので、ギリシア、アテネ時代からプラトン、ソクラテスなどを読んでいたが、時系列に沿って読まなくても良いと、言ってくれる哲学YouTuberがいた。それが、ネオ高等遊民(哲学マスター)氏だ。ギリシア哲学の修士号(マスター)を持っている人なので、ある程度は哲学を勉強されているので信頼できるかなと。その方が「時系列なんて関係なく、哲学書なんて興味ある本からなんでも読んでいけばいいんだよ」と。なんともありがたい言葉だ。
誰から読んでもいいよと言われ、最優先に読みたい哲学者は?と聞かれると悩む。興味ある哲学者がいっぱいいるのだ。いま興味があるのは、アリストテレス、フーコー、ヘーゲル、カント、ハイデカー、ソシュール、サルトル、そして現在哲学界に最重要人物として君臨するレヴィ=ストロース。いきなりレヴィ=ストロースから挑んでも良いのだが、玉砕したら哲学が嫌いになってしまうかもしれないし、それは一番避けたいところ。なるべくなら理解しやすい人からが良いなぁと。色々考えた結果ここは有名どころで、ベタではあるがニーチェにしようと。多分哲学にまったく興味がない人でも、西洋哲学者として日本で一番知名度がある人じゃないかなと。「神は死んだ」「奴隷道徳」「超人思想」などなど。言葉のインパクトでいうと、ダントツで興味をそそられる。
【ニーチェってどんな人?】
[1844-1900]
プロイセン(現ドイツ)ザクセン州に生れる。ボン大学、ライプチヒ大学で古典文献学を学び、スイス・バーゼル大学の員外教授となる。著書『悲劇の誕生』(1872)『ツァラトストラかく語りき』(1883-1885)『善悪の彼岸』(1886)などでキリスト教道徳を攻撃、自己克服の象徴「超人」を理想とする哲学を展開した。晩年は精神錯乱に陥り、ワイマールで死去(55歳)。
【本書の構成】
構成としては、著者である飲茶氏と文庫本の表紙を飾っている女性が対話形式で話をすすめる形。10年ほど前に刊行された大ベストセラーの「嫌われる勇気」と似たような構成だ。
【ネタバレに対する個人的な考え方】
ネタバレに対する考え方ってすごく繊細で難しいと思うし、100人いれば100通りの考え方があると思う。それを重々承知の上で、僕の考え方は以下だ。
小説に関しては、個人的に好きな書評家の北上次郎氏(今年お亡くなりになられた)の考え方に準じていこうと思う。文庫本の裏表紙にある、あらすじと本の帯に書いてある以外の内容に関しては、可能であれば触れないようにという考え方だ。もちろん作品によっては触れないと感想を書けないものもあるので、ケースバイケースであることは言わずもがなということで。
次にエッセイだが、これまた難しい。エッセイはかなり幅広い。小説に近しいエッセイもあれば、日記のようなエッセイもある。なのでこれはケースバイケースとしか言いようがない。
それ以外の僕がよく読む書籍は、歴史書・哲学書・思想書であるが���この3種類の書籍に関しては、あくまでも基本的にと前置きさせてもらって、ネタバレしても問題ないと考えている。理由は史実に基づいて書いた歴史書(時代小説除く)は周知の事実であるし、思想書・哲学書に関しては、その著者の考え方の解答を先に分かったとしてもあまり意味がないというか、その考え方に至るプロセスを自分で考える(解釈する)ことがもっとも重要だと思っているからだ。
直近で感想を書いた「口訳 古事記」も古事記に基づいた歴史書のため、ネタバレありで書こうか結構悩んだ。ただネタバレに関する自分の考え方を事前に周知する前に書くのは、アンフェアな気がしたので、内容を書くのは控えた。
今回は入門書とはいえ哲学書なので、ネタバレを気にせずこの後は書いていくので、書籍を読む前に書籍の内容を知りたくないという方は、これ以降は読まないようにご注意下さいませ。
【感想】
飲茶氏という作家は、哲学の入門書を書かせたら右に出るものはいないなと改めて思った。こういう難解な書籍の入門書の意義って、たとえば、興味はそこまで無いけど必要があってその本を読まざるを得ない状況の人とか、あるいは過去読んだけど途中で断念した人などを、もう一度その本にチャレンジさせることだと思う。そういう意味ではこの本含めて3冊とも、「その本を読みたい!」という気に嫌がうえでもさせてしまう。この著者の書く本は、哲学初心者でも理解できるように、凄く丁寧で分かりやすく書かれていて、また著者の哲学が本当に好きなんだという熱意が溢れており、それをひしひしと肌感覚で感じられるのだ。だから最も人気がないであろう哲学というジャンルの本なのに、以前読んだ2冊が異例のスマッシュヒットした理由もそこにあるのだろう。
【そもそも哲学を学ぶ意味って?】
哲学を学ぶと、まず、いま自分が信じている常識が打ち砕かれ絶望する。でもその次に、だからこそ常識にとらわれず自分の頭で考えて、積極的に前向きに生きていこう、そう思えるようになる。特にニーチェの哲学を学ぶと、そういう前向きな生き方が身につくし、そういう効果があるからこそ、ニーチェは歴史に埋もれずに現代でも受け継がれている。
(自分の考え)
ここすごい重要なポイントだと思っていて、哲学を学んでも「生きてる意味」や「幸福になるための答え」なんかは、残念ながら見つからない。ただそれを分からないなりに、自分一人の力で深く考える思考力が、どの学問よりも身につきやすいと思う。それが哲学を学ぶ最大のメリットだと個人的に思っている。
以前、「読書について」の感想でも書いたが、ただ読書をしているだけだと、作者の考えをなぞっているだけで、自分で考えていることにはならない。しかし哲学の場合には、嫌が上にも、自分で考えざるを得ない質問を作者からドンドン投げつけられる。そこで与えられた問いに対して、自問自答する。基本的には正解なんてない質問ばかりなので、ずっと思考していることになる。その思考時間が自然と思考力をアップさせていることになるんじゃないかなと。今後AIがどんどん進んでいくことは間違い無いと思う。単純作業などはAIに取って代わられる時代になっていくだろう。深く考えられる柔軟な思考力は、AI時代にこそ大きな武器になると個人的には思っている。
【哲学ってどんな学問?】
モノの性質や動きとか物質的なものについて考えるのが「科学」だとしたら、哲学とは「物質を超えたもの」、たとえば「価値」とか「意味」とか「善」とか「愛」とか、「見たり触れたりできないもの」について考える学問。
【哲学には白哲学と黒哲学がある】
白哲学は本質哲学と言われ、物事の本質について考える学問。黒哲学(実存哲学)は「本質についてばかり考える既存の哲学(白哲学)」を批判するために生み出された反逆の学問と言われる。
白哲学がスタンダードな哲学の王道で、黒哲学はどちらかといえば邪道な哲学。
ニーチェはその邪道と言われる黒哲学側の人だ。
【人生に意味はないって本当?】
仕事こそ生きがいだ、恋愛は素晴らしいと信じられる時期があった。→しかし時間が進むにつれ退屈になりそれらにたいした意味はないことを知る。→意味がないのだから、すべてが虚しくなり、人生の充実感や情熱を失う。→毎日忙しく働いてひたすら暇を潰して生きるだけの人間(末人)になってしまう。
ニーチェとか実存哲学(黒哲学)が主張しているのは目に見えない価値観(宗教・仕事・恋愛など)は遅かれ早かれいつか壊れるものなんだということ。そして、その結果、人は虚しくなって時間を潰すだけの人生になりがちだ。
【道徳なんて弱者のたわごと?】
奴隷にされている弱い民族(ユダヤ人)がいた。その民族は弱いため、強いものに復讐できなかった。そこでその弱い民族は、空想上で復讐を果たすため「強いのが悪い、弱いのが善い」という価値観を作り出し、この架空の価値観が宗教を通して広まってしまった。これが道徳の起源である。
したがって、我々のいう道徳の正体とは、実は「奴隷(弱者)を善いとする歪んだ価値観」に基づくものであり、「奴隷道徳」だということができる。この道徳観は、「嫌なこと、惨めなことに文句を言わず受け入れる人が善い」という不自然なものであるため、道徳に囚われている人間は、「人間本来の生き方」ができなくなってしまう。(ニーチェ個人の考え)
ニーチェ哲学の要点は、「人間は現実の存在である」「見たり触れたりできない非現実的なもの」に振り回されて生きるのはやめよう、だ。この非現実的なものの中には「社会から押し付けられた価値観」や「道徳」も入るわけだ。ここで大事なのは、ニーチェは何も「道徳の起源が弱者の負け惜しみだから、道徳なんて捨ててしまえ」と言っているのではなく、「道徳という自然ではない架空の価値観」によって真っ直ぐに本来の人生を生きられないのなら、それにとらわれるのはやめよう」と言っているということ。ここを見誤ると、ニーチェが単なる反道徳者で反社会的なことを言っているだけの人になってしまう。
(ここで自分で思ったこと)
西洋哲学を学ぶ上で避けては通れない、キリスト教の思想。そのキリスト教は、ユダヤ教から分派したものだし、同一の神を信仰しているという意味では、イスラム教も無視できない。そう、なのでユダヤ教を知るために旧約聖書、キリスト教を知るために新約聖書、イスラム教を知るためにコーラン��読むことは避けては通れないし、西洋哲学を深く知るためには、絶対必要不可欠な要素だ。近々読まなければいけない本がまた増えた。
【それでも哲学を学べば生き方が変わる】
3冊目のこの章で初めて、飲茶氏が自身のことについて赤裸々に語っている。この時初めて知ったのだが、飲茶氏はかなり重度の吃音障害を持っているという。日によっては、どもってしまって、まともに人と会話ができないレベルの日もあるんだそうだ。そのため学生時代は、かなりしんどかったんだそう。一番辛いときは、本当に死んでしまいたいくらいに落ち込んだんだそうだ。
そんな折、気になっていた女の子が読んでいた本がニーチェだったんだそう。その女の子と共通の話題を得るためにニーチェを読み始めたんだとか。最初は女の子に気に入られようと読み始めた飲茶氏だったが次第に、ニーチェにのめり込んでいったんだそう。飲茶氏にとってニーチェはまるで、日常に突如舞い降りたロックスターのようだったんだそうだ。社会やみんなが善いと押し付けてくるものの正体を暴き、それらを徹底的に破壊するニーチェの過激な言葉が、飲茶氏の中で固まっていた常識を壊してくれたんだそうだ。言い換えると常識を疑う目を養ってくれたとも言い換えられると発言。そんな中飲茶氏が、ニーチェの言葉の中で一番感銘を受けたという言葉が以下だ。
「事実というものは存在しない、存在するのは解釈だけである」と。
(この言葉を聞いて僕が思ったこと)
これって、僕がよく使っていた、まさしく「パラダイムシフト」だと思った。どんな辛い出来事があっても、それをどう解釈するかは本人次第で、ポジティブな解釈をしてもまったく問題ないし、そうすることによって、前向きに生きれるのであれば、是非そうするべきだ。ヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」の中で、こんなことが書いてあった。明日ガス室送りになるかもしれない、そんな絶望の毎日にいる中でも、頭の中までは、誰にも犯すことはできない。なので、そんな人生の絶望にいた4年間も、どんなネガティブな事象もポジティブに解釈することによって、希望を失うことなく前向きに生き抜いたフランクルの生き方と、ニーチェの思想を重ねて読めた。だからこの言葉がより胸に沁みた。
【雑感】
キリスト教を知る上で必要不可欠な新約聖書もまだ未読のままだが、このあと一旦「ツァラトゥストラ」を読もうと思います。読んでみて理解力が圧倒的に足りないと感じたら、そのときには新約聖書を読もうと思います。