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柄谷行人 「畏怖する人間 」
夏目漱石の存在論的な恐れ(内側から見た私)を抽出し、その系譜として 小林秀雄、吉本隆明、江藤淳らの思想的到達点をたどる構成。夏目漱石から吉本隆明への系譜はわかりやすかった。
意識と自然(漱石試論1)
漱石小説の二重構造を指摘し、漱石の存在論的な恐れ から漱石の内的世界を論じている
意識と自然とは
*意識=自分に始まり自分に終わる=自分=社会
*自然=当然あるべき世界〜社会の規範と背立する=存在しないもの
*自然と人間の関係〜人間は「自然」を抑圧し、無視して生きるが、それによって自らを荒廃させるほかない
漱石は人間の心理が見えすぎる自意識の持ち主だったため、見えない何ものかに畏怖する人間だった
漱石の内的世界
*社会に背立する私
*正体不明の不安〜私はどこから来て、私は何であり、どこへ行くのか
*行き止まりの先にまだ奥がある
吉本隆明
*人間はもともと社会的人間ではない〜孤立して、自由に食べ考える「個人」であればいい〜自立とは孤独であること
*吉本隆明が自立の根拠にすえているのは「自然」
吉本隆明は親鸞に「心理を乗り超えたものの影」をみた
*善悪を決定するのは、人間の心理(意識)でなく、規範でもなく、それらを超えた何か
*人間の善悪を「無意識の構造〜主観的な恣意性を超えた構造」において見る
漱石小説の二重構造
*倫理的位相と存在論的位相
*他者としての私(外側から見た私)と他者として対象化しえない私(内側から見た私)