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1つの季語とその季語を使用した俳句で2ページ、
96の季語にまつわるエッセイ。
ぱっと読んでぱっと光景が目の前に広がるような
俳句が多かったです。
ざっと読んで川上さんはとても正直な人なんだなぁ
という印象。もちろん好印象。
ことばを取り上げたエッセイは大好き、なものの
未だ『大きな鳥にさらわれないよう 』を積んでいて
川上さん初読みの一冊になりました。
図書館本。文庫本派なので文庫本になったら
きっと買って再読します。楽しみです。
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川上弘美さんが季語というものの存在をはじめて知ったのは、大学生の頃だったそうです。
大学の図書館で『歳時記』を発見し狂喜したそうです。
それ以来、俳句をつくることはなくても、ずっと歳時記を愛読してきたそうで、数十年たった頃から俳句を作るようになったそうです。
私が『歳時記』を知ったのは、文学好きな伯母の家で見たものが最初でした。中身はちらっと見ただけなので、そのうち図書館で探してみようかと思います。
春、夏、秋、冬、新年の順で冒頭に季語が載っていて、川上さんのエッセイ、その季語を使った俳句が載っています。
今は五月になったばかりで、俳句の世界では夏、気分的にはまだ春なので、春、夏の季語、俳句に魅かれました。
春
ものの芽
物の芽のほぐれほぐるる朝寝かな 松本たかし
朝寝
あらうことか朝寝の妻を踏くづけぬ 脇屋善之
春菊
春菊や袋大きな見舞客 石田波郷
春愁
はるうれひ乳房はすこしお湯に浮く 弘美
夏
薄暑
朝すでにほろびみひかり湖薄暑 山上樹実雄
更衣(ころもがえ)
衣替えて居て見てもひとりかな 一茶
雷
雷が落ちてカレーの匂ひかな 山田耕司
秋
花野
花野みなゆれ初めたる通り雨 高木晴子
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川上さんがリケジョで生物学科出身だったとは意外。そういわれてみれば「蛇を踏む」「真鶴」「水声」「大きな鳥にさらわれないように」とか、タイトルは小動物にちなんでいると改めて気付く。川上さんお気に入りの季語を取り上げて、その季語にまつわるエッセイのようなもの。本書を読み彼女に興味が湧き、積極的に読んでみようと、句集の「機嫌のいい犬」と「水声」を予約。読むスピードが速いので、上面をなでただけの読みにならないように自戒して、今回は春と夏の章のみを読了することにした。季節が進みその時期が来て秋と春を堪能しよう。
『黴』で、優曇華(うどんげ)を紹介してあり、幼い頃に両親が言ってたと懐かしい響きに検索した。マッチ棒のような白いひょろひょろした画像が懐かしい。梅雨時に笊に生えていたあ奴だった。クサカゲロウの卵だと初めて知る。 ※優曇華もつきて黴けり古今集
『鯉幟』の章にお雛様にはまったく興味を抱かなかった作者が楽しく書かれてある。彼女は、弟用に揚げられた鯉のぼりを率先して夕方に取り込む役目を担っていた。
※おろされて陽のほとぼりの五月鯉 を引いてある
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図書館本
これは欲しいな。
季語が美しく、読んでいて嬉しくなる。
春
ものの芽、春愁はるうれい
夏
半夏生、雷鳥
秋
夜長妻、花野
冬
神の留守、春隣はるとなり
新年
去年今年こぞことし
去年今年貫く棒の如きもの 高浜虚子
さすがです、高浜虚子!
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俳句って高尚、なんだか難しそう、でも季語には惹かれる。そこで手に取ったこの本。
川上弘美さんの好きな季語にまつわるエッセイは生活感溢れていて楽しい。
「ひろみさんもそうなの?わたしもおなじ~」まるでお友達気分です。
知らなかった美しい言葉も教えてもらった。
川上弘美さんに導かれて季語が身近に感じられた。
季語を意識することで、移ろう季節に心を留め日々の暮らしが豊かになりそうだ。
季語辞典、欲しいなぁ。
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『白シャツになりすもも食ふすもも食ふ 木星』―『夏/李(すもも)』
「すてきにハンドメイド」(NHKテキスト)に連載されていたということで、少しミッション系スクール的雰囲気のする文体なのだろうか(雙葉だし)。他のエッセイの文章とは違いやや改まった口調の文章が並ぶ。もちろん四季折々の感慨を季語に寄せて書かれたものを読めば川上弘美であることには違いなくて、これまで出版されたエッセイ集同様に記憶の中の心象と呼応する感情の起伏を巧みに引き寄せて語ってはいる。けれど、やはり少しだけすました顔つきの文章と感じる。
川上弘美には「東京日記」という何処までが事実でどこからが脚色なのか判然としない日記風の連載もあるので自身のことについて語っていても注意が必要だけれど、極端に言えばこの作家のエッセイには自虐的な話が多いように思う。如何に自分が自堕落であるか、ゲームや漫画などの誘惑に負けてしまい易いか、人見知りできちんと他人と会話ができないか、そんな社会不適合者ぶり(を装った姿?)が軽妙に語られていることが多いのだ。そんなおっとりとした雰囲気に誘われて思わずその世界に入り込んでしてしまう。この季語を巡るエッセイでも、少し余所行き風の文章で語られているとはいえその軽妙さもしっかりとあり、手芸にいそしむようなマメな人たちに寛容の気持ちを抱かせるだろう。
しかしずっと読み継いで来ただけに、おっとりとした雰囲気を醸し出しながら芯のところで他人の言うことを鵜呑みにしない人だから、と用心する。白シャツに赤い果汁が付くのも厭わないという「やさぐれた」心根を時に晒して見せつける、啖呵を切った風なところがやはり川上弘美を川上弘美たらしめているところだし、と。例えばこんな句のように。『はっきりしない人ね茄子投げるわよ』―『機嫌のいい犬』
そう言えばかつて日本経済新聞に連載された随筆を書籍化した「此処彼処」にも、すももの句に通じる強情さとそれを日経を読むようなオジサマたちに向かってさらりと晒してしまえるようなフェミニストぶりが潜んでいるように思う文章があったっけ(因みに、こちらの随筆集ではマダガスカルの逸話に川上弘美のおっとりしていない部分がよく表れていて秀逸の面白さと思います)。
『考えあぐねた末、パンツをはかずに学校に行くことにした。コンビニエンスストアなどない頃だ。貧乏だから、デパートに行ってパンツを買うという発想もない。木の丸椅子に座って授業を受けていると、お尻が冷えた。すごく心細い。一方で、今わたしパンツはいてないんだよという、妙な自慢の心もぽっちりある』―『此処彼処/吉祥寺』
「ないんだ」ではなくて「ないんだよ」と書き表わすところが絶妙なニュアンスと思う。本書の中で、この対オジサマへの企みに呼応する対オバサマへの悪戯は、
『はるうれひ乳房はすこしお湯に浮く 弘美』―『春/春愁』
という句だろう。毎回ではなく極まれに開陳するそんな茶目っ気のようなものに、ご用心、ご用心。
ところで、このエッセイ集は一つの季語に見開き二頁というフォーマットで統一されているのだけれど、春夏秋冬各々の章の中の��開きの文章の頁の間に四枚の摺り模様風の薄紙が挿し込まれている(春:わかめ?、夏:蝙蝠、秋:柿、冬:銀杏)のは装丁上の意図なのかしら? 各章の扉の頁に挿し込まれている方が落ち着くように思ってしまうのだけれど、それは野暮なの?
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川上弘美さんは理系の人だと思っていたが、理系の人は俳句や詩を構築するのがうまいのではないだろうか?と勝手に思っている。
俳句には季語というものがあり、それを織り込んで俳句を作らなければならないので難しそうに感じているが、それが定型の美しさを生むのだろうか。
この本は、季語を元にしたエッセイ。句作をしなくても楽しむことができる本。その季語を使った有名な俳句も知ることができる。
ご本人の俳句も控えめながら掲載されているが、句作16年目という句集「機嫌のいい犬」を読んでみたくなった。
どんな言葉が飛び出してくるだろう。
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春(22)・夏(24)・秋(25)・冬(19)・新年(6)と、川上さんが好きな季語とそれを含む一句を選び、その季語や句にまつわるエッセイが綴られている。
虫大好き、生物大好きな川上さんの、生きとし生けるもの全てに注ぐ視線が温かく、そしてちょっと不思議な体験談もあったり。
昭和の頃の話も同年代として懐かしく読みました。
載っている季語は、誰でもそこで一句読めそうな身近なものが多いですが、その中で異彩を放っていたのが『絵踏(えぶみ)』でした。
現代の歳時記にはもう載っていないことも多い、ということですが、2018年7月に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産へ登録されたこともあり、こんな季語もあったんだ、と合わせて知るとまた面白いかもしれません。
NHK「すてきにハンドメイド」のテキストに2012年4月号から2020年3月号まで載っていたものをまとめたものらしいです。
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歳が近いから、思い出話しが、解る~!
引用されてる句も、すーと口ずさめる句ばかり、楽しい時間を持てる本です。
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まず、ブックデザインが好き。
カバーデザイン、カバーをとった本のデザイン、
折々に挟まれた、トレーシングペーパーのデザインが
そこはかとなく「和」のテイストを感じられ。
季語も知らないものが多く、
それに伴う作者の語り、エピソードも好き。
眺めても、読んでも味わいのある本。
手元に置いて、四季折々、開いていきたい。
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川上さんのあたたかいお人柄が感じられる本。幼少期の思い出から最近の小話まで、身近な話と季語の融合がよかった。
北窓開くーー冬の間締め切っていた北に向かう窓を、春が来たのでひいらく、という意味をもちます。ずっと耐えた冬がゆるみ、ようやく明るくあたたかい空気が北側の部屋にも入るようになった喜びを表しているのです。
春愁(はるうれい)ーー小説内では、ひとはしばしば恋に落ち恋に敗れ友と別れ大切なものをなくし、人生を憂え、深い哀愁を覚えるものなのです。
鯖ーー鯖の目が、大きくてつぶらだったこと。油がよく乗っていて、包丁が油まみれになったこと。内臓も豊かだったこと。などなど、お店で買ったのでは実感できないことを、たっぷりと味わいました。
蚯蚓ーー大蚯蚓空に桃色たなびけり(磯貝碧蹄館)
空に桃色がたなびく。きっと、夕方なのでしょう。夕焼けにもいろいろありますが、桃色にたなびいているのは、いかにも初夏の感じです。そこに、大みみずガイル。一抹の寂しさも感じてしまうのは、私の個人的な、みみずへの思いのためなのかもしれませんね。
木耳(きくらげ)ーームースーロー(卵、木耳、春雨、豚肉、長ネギを炒め合わせる中華のお惣菜)が食べたくなった。(食べたことない)
半夏生(はんげしょう、はんげしょうず)ーー
愉快系季語ー浮いてこい(お風呂の中などで遊ぶおもちゃ。中に空気が入っていて水に浮いてくることから、この名がある)・木の葉髪(晩秋から初冬の時期は、髪の毛が抜けやすいので、まるで木の葉が散るよう)・蛙の目借時(かわずのめかりどき:春に蛙がなく時期は、なんとなく眠い。蛙に目を借りられているようではないか)
素敵系季語ー春うれい、夜半の秋(よわのあき:秋の夜の中でも、いっそうふけわたった雰囲気である)・淑気(しゅくき:お正月の、和やかでめでたい感じ)
半夏生は、七十二候で言うと「夏至の末候」に当たる期間のことです。ちょうど梅雨が開け、田植えも周期になる時期ですが、同時に、その頃に生えるドクダミ科の植物のことも、「半夏生」と言うのです。時期と、植物と、両方の意味を持つ季語なのです。植物の半夏生は、水辺に生える、60センチほどの高さになる多年草。明るい色のは、白い穂のような花、名前の通り、素敵な植物です。ーー昨日まで、「全くどんどん増えて、邪魔だなあ」ちお思っていましたが、今日は折り取ってガラスの容器に刺し、一つ、愛でてやることとしましょうかね。
新米ーー歳を食ったなあと思う機会、川上さんが思うのは、「お米をやたら食べたくなったことと、お醤油味を求めるなったことです」。以前は、ご飯よりも、麺類が好き。ところが、あるときはっと気づくと、買い置きしておいたパスタが、ちっとも減っていないではありませんか。鳥や豚をフライパンで焼くときには、いつの間にか最後に必ずお醤油を十と鍋肌に滴らせるようになっているし、肉じゃがは以前のような白っぽい色ではなく茶色に染まっています。 ああ、ようやくアジアの、日本の人間になることが、できたんだ、と思いました。
案山子(かかし)ーー案山子は、神様の依代だという説を、随分前に聞いたことがあります。新生児は、神様が運んできてくださった命だとすれば、友達の細君のお里の、真夜中の田んぼに立っているカカシの一つに、今しもその命を運んできてくださった神様が休んでいらっしゃるのかもしれないな、なども思ったりして。
時雨(しぐれ)ーー「時雨」という言葉が、冬の間の寒い時期の、降って速水、病んではふる、物寂しい飴を刺すことを、はっきりと知ったのでした。しぐれ、という音の響きも美しいのですが、時雨、という感じも美しい。時折ふり、時折やむこの雨を、ずばり「時雨」と当てたのは、一体いつの時代の誰だったのでしょうか。
やがて、「時雨」が季語であることを知り、派生季語にも出会いました。「夕時雨」は、冬のすぐにくれる夕刻の時雨。灯った明かり越しに時雨をみている光景が目に浮かびます。「小夜時雨」は、夜の時雨。夜時雨、ではなく、小夜時雨であるところが、いいのです。ちなみに、「小夜」の「小」は言葉の調子を整えるための窃盗ご。「村時雨」は、少し強めの時雨が通り過ぎる様を表します。元々は「郡時雨」だったそうですが、現在は「村」の字を当てています。以前は、村に時雨が降っている光景なのかなと勘違いしていたのも、懐かしい記憶です。「片時雨」はあるところは降っているけれど、あるところは晴れている様。狐の嫁入り、という言葉もありますが、これは一年中使う表現。冬のこの時期だけは、片時雨、と呼びたい。狐だって、冬に寒い日に嫁入りするのは、躊躇うかも、と思うからです。
神の留守、大根
たくわん(祖母がなくなり、おばあちゃんのたくわんが食べられなくなった、と嘆いていたところ、お母さんが漬物をつけるのがうまかったことに対抗心を燃やして「漬物入門」に乗っていたレシピでつけたもの、ということを伝えたエピソードが好き)
死にし骨は海に捨つべし沢庵噛む(金子兜太)ー兜太のこの句、先の太平洋戦争のことを読んだものでしょうか。母と祖母の間にもあった、小さな「戦い」。葬儀の日、常々姑を煙たがっていた母は、さぞサバサバしているかと思っていたのですが、意外なくらいしょんぼりしていました。おばあちゃん、亡くなっちゃったね。ささやいた母の声は、少し震えて、しめっていました。
枯枝ーー枯木。枯蔓。枯芝。枯尾花。「枯〇〇」という季語が、俳句にはたくさんあります。冬になると、たくさんの植物は、歯を落とし、しぼみ、しんと静まりかえります。その姿を、「枯〇〇」と表現したわけですが、ここで注目すべきは、「枯」とついているからといって、マイナスイメージの季語である、というわけではないということです。青々としたときには、その勢いを。そして、茶色く枯れたときには、その寂寞とした静けさを。それぞれの持ち味を、差別せずに、ただありのままによしとする。それが、季語の精神なのだと、俳句の専売に教わりました。確かに、青々と茂っていたあたたかい季語のものに比べ、冬の景色の中にある植物は、茶色じみているし、水気をなくして小さくなってしまったように思えます。けれど、その姿をも愛でよう、というのが、俳句の心意気なのです。どんどん歳を食ってきて、精神の老化が身に降りかかってきてい���今改めて考えると、「その精神、素晴らしいですぜ」と、手を叩きたくなります。どうも最近、「人はいつまでも若くなければ」という風潮が強いような気がするのです。せっかく時を重ねて、それなりの侘び寂びを醸し出していい年齢になってきたのに、いつまでもツルツルはりはりとしていなければ女にあらず、という圧力を感じるような。
こたつーー「廃れつつあるもの」としてわかり人はかなり、姿を消しつつあることを寂しく思っているようなのです。「エアコンがあるから、いいんじゃないの?」と聞いたのですが、若い人は首を横に振り、「温まるためだけじゃなくて、こたつにはこたつの空間があるんです。あの一種、やる気を全て削ぐ空間。グダグダになっちゃうこたつの空間が、ものすごく恋しいです」とのこと。
炬燵出ずもてなす心ありながら(高浜虚子)わかる…。一度入ったら、2度と出られないこたつ。たとえお客がきjたとしても。炬燵は魔と快楽の暖房具。忙しない現代にこそ、残しておきたい道具ですよねと、若いひとと頷きあったことでありました。
春隣(はるとなり)ーー春を待ちかねる冬位頃よりも、もう少し春に近くなった頃の季感といえばいいでしょうか。すぐそこまで春は来ていて、その気配があちらこちらに感じられるのです。半分凍っていた小川の流れが、サラサラと軽い音に変わったり、木の根が膨らんできたり。冷たい一方だった風が、ほんの少しだけ何かの匂いを含むようになったり。窓越しに刺す日の光が、前よりも力強くなったり。でも、まだ春じゃない。この感じが好きです。やがてくる柔な金物を待つ、安心感。けれど、どこか頼りない心細さも少しあって。小さい頃から私は、楽しい時そのものよりも、その時を待っている間の方に、心弾みを感じることが多かったのです。
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この夏我が家に突如訪れた俳句ブーム。歳時記は、勢いで買ったり、実は夫が持っていたのをチラ見したりはしたものの、かじりついて読み潰すような情熱は持てずにいる(句作をしようとしてないから当然かもしれない)。
この本はなにか雑誌の連載の書籍化のようで、見開き一ページで川上弘美が季語をひとつとりあげてミニエッセイと例句の紹介してくれており、お手軽に季語と俳句作品に触れられて良かった。誰かのフィルターを通して語られた方が近寄りやすい。
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表紙とタイトルに惹かれて。
少しイメージと違う言葉選びでしたが、新鮮な発見がありました。
読み物として楽しみつつ、季語の勉強になり、さまざまな俳句に触れることができる。
バランスの良い本でした。
季語、おもしろいですね。
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四季ごとの川上さんが好きな季語にまつわるエッセイと、その季語を使った俳句を見開きで紹介されているとても贅沢な内容。
どの季語も素敵で、川上さんの丁寧な生活ぶりが垣間見ることができますし、俳句の言葉の世界も広がりとても豊かな時間になります。声に出して読んでみると言葉が生きる感じ。生き物や食べ物にまつわる話は特に川上さんらしさが満載でした。意外な季語や意味をしることができて勉強になります。
特に素敵だと思った季語を使った俳句を載せます。
春 あらうことか朝寝の妻をン踏んずけぬ(脇屋義之)
はるうれひ乳房はすこしお湯に浮く(弘美)
夏 翅わつててんたう虫の飛びいづる(高野野十)
衣替て居て見てもひとりかな(一茶)
休らふや木耳生えし倒れ木に(増田手古奈)
秋 枝豆や三寸飛んで口に入る(正岡子規)
鈴虫を飼ひて死にゆくことも見る(古屋秀雄)
冬 花野みなゆれ初めたる通り雨(高木晴子)
炬燵出ずもてなす心ありながら(高浜虚子)
春隣待たれて釦つけてをり(林明子)
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面白かった
季節
それを表す言葉の
美しさや佇まい
大切にして
生きていきたいなぁと
思いはするけど
楽な方へ流れてしまう
川上弘美さん3冊目
ようやくしっくり来た感じ
しだみ独立書店フェス
本ひとしずくにて購入