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落人型の数学教師、馬豚煮込み、くず屋さん、真剣師、吉野屋・・・特に心に残った二篇は、軍需工場で働いていた中学生の時の、コッペパンや豆粕と共に語られる米軍捕虜とのエピソードと、店に出入りする人々のむき出しの食欲を眺めながら、吉野家で制限本数三本のお銚子をチビリチビリ楽しむひとときの模様。
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面白かった。
読んですぐレビューを書くべきだった。
母が購入した本だが、母は作者の若き日の出来事に受けて、爆笑していた。
私はむしろ、作者の晩年について興味深く読んだ。
特にこの本は、作者がこれまで雑誌などに執筆して来たエッセイを、少年期~青壮年期、中年~老年期と分けて、エッセイそのものも年代順に掲載しているのだが、さらにはエッセイのタイトルの下に、その当時の作者の年齢が書かれているのだ。
ネタばれには当たらないと思うので書く。
例えばこんな具合である。
第一話 ジャパニーズ・チェス・・・十三歳(昭和二十年)
第十五話 牛丼屋にて・・・六十二歳(平成五年)
といった具合である。
私が第二部を興味深いと思うのは、第二部は第10話~第19話までで、作者41歳~79歳までなのだが、第一部の13歳~36歳までと比較し、第二部は、そのエッセイのうちで作者の考え方がハッキリ変化していっていることが見て取れるからである。
当たり前のことであるが、作者は13歳の時に13歳の分のエッセイを書いたわけではあるまい。もしかしたら書いた時は36歳だったのかもしれない。
だからだろう。良い言い方をすれば内容にブレがない。悪い言い方をすれば中身に成長や変化がない。
けれど第二部は違う。
おそらくリアルタイムで書かれたろう41歳から79歳までの作者の自画像は、変化に富んでいる。それは人生の下り坂に差し掛かった人の変化である。哀愁というか、加齢臭と言うか、なにか憂いに似たものが少しずつ濃くなって行くのが読者である私に伝わって来る。
それはちょうど今、高齢者の施設でアルバイトを始めた私が、施設利用者さんたちと触れ合う中で感じている哀愁と感傷を思い起こさせる。
老齢とはなんだろうか?
人はどう年を重ねるべきなのか?
施設で働き始めて、それを考えない日はない。
団鬼六さんのこのエッセイは、しかし、哀愁を帯びてはいるが、カラッと乾いている。
「死んでたまるか」
タイトルにこう力強くアピールしている通り、心地よく乾いている。哀愁はあるが、ウェットではない。それがこの本のすごさ、面白さだ。
「若いくせに」の私はこの本に大いに励まされた。
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自伝エッセイなんだが、ドラマチック
戦時中の勤労奉仕、米軍捕虜とのつかの間の交流と
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