紙の本
生きるは束の間、死ぬはしばしのいとま
2021/01/23 23:57
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投稿者:dsukesan - この投稿者のレビュー一覧を見る
一気に読んでしまった。読まされた。
ただ、吉良上野介を討つだけではなく、綱吉と吉保にも意趣を返すという圧巻の仇討ちとして描かれる忠臣蔵。『力のみを以て治めれば必ず乱を生む』と書かれた上巻の言葉が現実になったのが、忠臣蔵という解釈。
『我らが成すべきは、吉良上野介を討つことだけではない。我が殿に辱めを与える裁定を下した幕閣、大老、将軍を討つことだと考えて頂きたい。殿のご無念がどれほどか、我ら家臣が、赤穂の侍が受けた屈辱がどれほどのものかを思い知らせるのです』
上巻で丁寧に描かれた伏線をもとに、忠義と武士道に徹しきる大石内蔵助が、ぶれなく一貫した人格として描かれていた。『古来、天命あり』という言葉に対し上巻で葛藤していた内蔵助が、天命を知り動いたのが下巻の内容とも言える。
そして、48番目の志士の九郎兵衛が、裏から内蔵助を支えたというプロットで、物語がリアリティを持つ。この九郎兵衛が、内蔵助の盟友として、武士として良い味を出している。名を求めず、裏方に徹して、最後に笑いながら一人切腹する九郎兵衛は、もう一人の主人公とも言える。
用意周到に、忠義の本懐を遂げる男達。『君恥ずかしめられれば、臣死す』潔く、潔すぎるその散り方が、美しくて儚い。死ぬことを厭わず、命をかけて本懐を遂げるその姿に、不条理に逆らい、驕り高ぶる者を許さぬという意地と誇りを感じる。そうして散りゆく男たちが儚過ぎる。どの様にすれば、その様に生きられるのか。とてもではないが、そんなに潔く生きることはできない。だからこそ、その生き様に憧れ、その何十分の一かは、自分も潔く生きたいと思う。
『生きるは束の間、死ぬはしばしのいとま。』
この言葉の意味がまだ自分には腹落ち出来ていないが、この言葉の意味が腹落ちした時には、自分も少しは潔く生きられるのかもしれない。いつかは、自分も天命を知り、実感を持ってこの物語とこの言葉を理解したい。
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下巻も読み応えありました。江戸時代の武士道精神を堪能しました。大石内蔵助が最期に描いた想いが、今に残るのは、文楽や歌舞伎の仮名手本忠臣蔵の元になった近松門左衛門作の碁盤太平記。その成立が面白い。
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大石内蔵助と赤穂藩士達がいよいよ吉良上野介宅に討ち入り、討ち入り前の苦労とその後の出来事、さんざテレビや映画で見たりしてはいるがやはり感動して読んだ。
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山陰中央新報掲載で読む。良雄の生い立ち、妻かんの献身といったところが戯作なんだろうけれども、赤穂事件については特別新たな解釈もないので凡庸に思う。刃傷沙汰の発端が賄賂の多寡、そして勅使供応の対応に関する見解の齟齬と、おおむねこれまでの説であって淡白に描かれる。吉良上野介の不遜なふるまいがさほど強調されていない。浅野長矩の癇癖も示されているから乱心とするのが自然であって、殿中での斬り付けを喧嘩両成敗にするのは無理でしょうと思ってしまう。発刊には相当な加筆修正が必要なようです。
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一気に読んでしまった。読まされた。
ただ、吉良上野介を討つだけではなく、綱吉と吉保にも意趣を返すという圧巻の仇討ちとして描かれる忠臣蔵。『力のみを以て治めれば必ず乱を生む』と書かれた上巻の言葉が現実になったのが、忠臣蔵という解釈。
『我らが成すべきは、吉良上野介を討つことだけではない。我が殿に辱めを与える裁定を下した幕閣、大老、将軍を討つことだと考えて頂きたい。殿のご無念がどれほどか、我ら家臣が、赤穂の侍が受けた屈辱がどれほどのものかを思い知らせるのです』
上巻で丁寧に描かれた伏線をもとに、忠義と武士道に徹しきる大石内蔵助が、ぶれなく一貫した人格として描かれていた。『古来、天命あり』という言葉に対し上巻で葛藤していた内蔵助が、天命を知り動いたのが下巻の内容とも言える。急進的に仇討ちに向かう者を諌め、お家の再興のための手を打ち、お大尽遊びをする中で離れゆく人を許し見極め、真に命をかけられる志士を見極めて実行に移すところは、非常に優れたリーダーシップを伺わせる。
そして、48番目の志士の九郎兵衛が、裏から内蔵助を支えたというプロットで、物語がリアリティを持つ。この九郎兵衛が、内蔵助の盟友として、武士として良い味を出している。名を求めず、裏方に徹して、最後に笑いながら一人切腹する九郎兵衛は、もう一人の主人公とも言える。
用意周到に、忠義の本懐を遂げる男達。『君恥ずかしめられれば、臣死す』潔く、潔すぎるその散り方が、美しくて儚い。死ぬことを厭わず、命をかけて本懐を遂げるその姿に、不条理に逆らい、驕り高ぶる者を許さぬという意地と誇りを感じる。そうして散りゆく男たちが儚過ぎる。どの様にすれば、その様に生きられるのか。とてもではないが、そんなに潔く生きることはできない。だからこそ、その生き様に憧れ、その何十分の一かは、自分も潔く生きたいと思う。
『生きるは束の間、死ぬはしばしのいとま。』
この言葉の意味がまだ自分には腹落ち出来ていないが、この言葉の意味が腹落ちした時には、自分も少しは潔く生きられるのかもしれない。作者が何故この物語を描いたのか、何を伝えたかったのか、まだ十分には消化できていない自分がいる。いつかは、自分も天命を知り、実感を持ってこの物語とこの言葉を理解したい。
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大石内蔵助の幼少期から若くして筆頭家老になり、討ち入りに至るまでの生き様凄みを改めて知った。「生きるは束の間、死ぬはしばしのいとま」良き言葉なり。
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上下巻、読み応えたっぷりの力作。
忠臣蔵の話しは何度も映画やドラマになり、なんとなくは知っていたけど、大石内蔵助良雄(が正式な名前)がこれほどまでに忠義を主君を守る卓越した頭脳と懐の深い家臣頭だったとは。
武士の「君、辱められし時は、臣死す」この教えが1ミリもブレることはなかった。
そしてこの偉業なる遂行にあたってはなくてならない人物、、裏切り者にとそしりを受けひとり離れた米沢で鍛錬に励みむ赤穂藩の勘定方、大野九郎衛。
この書を読むまでその存在を知らなかったわ。
寺坂吉右衛門は有名だから認知してたけど、
ある意味、陰の立役者だよね。この人物を主役にした忠臣蔵も観てみたいし、読んでみたい。
最期は雪深い米沢の地で介錯もなしに、余程の気概を持って切腹したひとりの元赤穂浪士。
その顔はかすかに微笑んいるようにみえたというから、きっと良雄と再会して念願を果たせたことを喜びあっていたんだろうか。
これ、現代の俳優で一年くらいかけてドラマでやってくれないだろうか。(大河になってしまうか、それもよし)
「生きるは束の間、死ぬはしばしのいとまなり」
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大石良雄の人望の厚さと討ち入りに向けて着々と準備が進む様子が見事に描かれ、読後は清々しさを感じました。
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ご存知、忠臣蔵。大石内蔵助中心のストーリーながら、副家老の大野さんが泣かせる。用意周到な準備と覚悟。泣かせどころ満載。
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誰もが知っている『忠臣蔵』を、
大石内蔵助という1人の家老の生涯を、
とても丁寧に、
最後の最後まで丁寧に描かれた作品でした。
起こることが分かっているのに、
凄く興味深く読み進めていました。
そして、
なんて深く、なんて綺麗に、
なんて素晴らしく描かれているんだろうと、
著者の伊集院静さんに、感動しました。
***ネタバレ***
討ち入りをはたし、
内蔵助をはじめとする赤穂義士たちが、
切腹すると分かっているのに、
いや、分かっているからか、
切腹の日の早朝、
内蔵助と家臣の吉田忠左衛門が、
預けられていた細川家の屋敷の庭で、
「ようやく、我らも赤穂へ帰ることができます」
「誠に、さようでございますな。我らの殿がお待ちになっておられる赤穂へ・・・・・」
と汐の香りを感じながら言葉を交わす場面、
そして、
別のお屋敷で内蔵助の嫡男・主税が、
切腹のため名を呼ばれ、
傍らに座していた堀部安兵衛が、
「主税殿、私もすぐに参ります故」
と微かに笑って声を掛ける場面、
大野九朗兵衛が、雪深い米沢で、
介錯なしで切腹したと知った場面は、
たまらず涙がでてきて、
余韻に残る、暫く忘れる事のできない、
印象深い場面となりました。