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昔読んだけど、内容があまり覚えていなかったので読んだ。
随所にみられる文学独特の表現が、クリスマスの心躍る雰囲気を醸し出すのによく貢献している。
内容は、王道を行くスタイルで教育的であったといえる。
大人の視点で読み返してみると、どうしてもバッドエンド版を読みたくなってしまうw。
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小学校の頃に父が読み聞かせてくれてから30年ほどして、今回自分の子供たちに読み聞かせるために初めて再読。この間、ディケンズの小説を読んだことはまったくなかったのですが、今回の僕の感想は「ディケンズすげー!!」でした。
すごいと思う一つ目の理由はその想像力です。読み始めてすぐに感じた率直な感想は「これはハリーポッターじゃないか!」ということでした。JKローリングが影響を受けていたのでしょうか。ググってみたところハリーポッター自体よりもその後に彼女が書いた小説について、ローリングをディケンズの後継者だとみなす記事があるようですが、僕はハリーポッターしか読んでいないのでハリーポッター・シリーズそのものに類似点があるというところを指摘したいです。まずクリスマスキャロルで幽霊に連れられて過去を見に行くところはハリーポッターが Pensieveを使って過去を見に行く場面と状況が似ています。しかもその際の場面転換で景色が溶けていく描写などはまったく類似しており、まるで現代の映画でのCG表現を文字にしたようです。幽霊たちの外見もハリーポッターに現れる幽霊や Dementer に似ているようだし、鎖やロウソクなどの小物の使い方も似ているように思います。まったくSFXが存在しなかった時代にこのようなものを想像することができたディケンズはすごい!
次にすごいと思う理由はストーリーです。生命の危険を伴うような極限的な体験をした主人公が、これまで気づいていなかった生の実感に目覚め、物事を捉え直し、感謝を感じ、周囲の人に対し心を開き、人生を変えた。そしてそのような体験談を視聴者とシェアすることで、視聴者にも同じような意識を持ってもらいたい、というメッセージ性。これは、まさにTED Talksの一つのパターンではないでしょうか。これが現代に本当に起きた物語だったら、スクルージはTED Talksに登壇してスライドを使って3人の幽霊について語り、スタンディングオベーションを受けているでしょう。今なお価値を高く認められるストーリーだと言えると思います。
描写も素敵です。クリスマスのロンドンの描写も非常に活き活きとしていて楽しくなります。これが意外にも、解説によれば当時のロンドンではクリスマスの風習が衰えており、ディケンズの創作だというのだからますます驚きです。文体は適度に華美にレトリックが効いています。トム・ソーヤのマーク・トゥウェインほどやりすぎではありません。
子供たちは最初のマーレイの幽霊で怯えていましたが、恐ろしいのは序盤だけなのですね。一人目の「過去のクリスマスの幽霊」が登場してしまうと、むしろ展開が(スクルージの転向が)早すぎて物足りなかったような気すら僕はしました。子供たちはその恐ろしい部分を越してからは(未来の幽霊の一部を除き)リラックスして楽しみながら教訓を吸収していました。娘は、本の表紙に使われた挿絵が本の主題とあまり関係がないと不満を述べていました。それは僕もまあそう思います。
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初めて読んだのは小学生のときで、ミッキーのクリスマスキャロルを観たのは保育園に通っていた時かな…。
簡単に言うと「人の親切を受け取らず、他人の不幸にも目を向けない人は、ひとりぼっちで不幸に死んでいくし、亡霊になった後も苦しむことになるんだぞ」という教訓めいた物語なのだが、子どもの頃の私の記憶からすると、これは「怖い物語」であった。
しかし、周りの友達や大人に聞くとそんな感想を言う人は誰もおらず、不思議に思っていた。
何故私だけがそんな感想を持っていたのか。
それはおそらく「死」というものが関係していると思う。
「幽霊」や「お墓」、「今は亡き共同経営者」など、この物語には数々の「死にまつわるキーワード」が出てくる。
ましてや、この物語は何者か分からない語り手から読者に語りかける方式をとっており、この物語に触れあうだけで、自分が死の国に引きずり込まれるような気になってくる。
そして、この「怖さ」が先行していたために、私はこの物語の真意を受け取ることができなかったのだと思う。
私自身想像力の足りない子だったなと思うが、本というものの受け取り方は人それぞれ。(開き直り)
一人くらい、私のような感想を持つ子どもがいても面白いかもしれない。
そのため、読書感想文や朗読会の題材としてはとても良いと思う。
現在の私は教訓も読み取れたし、スクルージが最終的には良い人になったことを喜ばしいと思う。
しかし、冒頭に出てきた、マーレイや他の苦しんでいた亡霊はどうなったのだろうか…。
今もクリスマスの時季になると苦しんでいるのだろうかと考えると、少し陰鬱になる。
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クリスマスの浮き立つ気持ちと町並みと雰囲気と人々が
これ程幸せに描かれている物語は他に無い気がする。
料理の表現が本当に美味しそうで素晴らしい。
特に、クリスマスプティングの描写は、
ちょっと、すごいことになっている
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クリスマス・イブの夜、強欲な金貸しスクルージの元を訪れる三人の精霊。過去・現在・未来をスクルージに見せてくれ、スクルージは生きる喜びを思い出す。
クリスマスという季節の素晴らしさを呼び覚まさせてくれる佳作である。
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季節外れですが(^o^;
息子の本棚から拝借。子供の頃に読んだが、当時は道徳的な意味合いだけを理解していた。大人になってから読むと、なんだか、しみる、、、主人公の年齢に近づいているからだろう、、、
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『フランダースの犬』に続き、クリスマスシーズンに読む岩波少年文庫。今回はガチです。
こちらも有名な話ですが、ちゃんと読んだことがないって人も多そう。
あらためて読むと、庶民のクリスマスの描写がすばらしいです。貧しくても小さな七面鳥を貸しかまどで焼いて、リンゴソースとマッシュポテト、クリスマスプディングのご馳走で祝う書記の家族。
解説によるとクリスマスの風習が廃れていたのがこの物語によって復活したとか。カーライルが七面鳥を買いに行ったというエピソードも。
過去、現在、未来をめぐることで心を入れ替えるという大筋はやや説教くさいんですが、過去は変えられなくても人間いくつになってもやり直せるんだと思うと希望のある話です。
子供向けの物語として書かれていると思いますが、かつての恋人が別の人と結婚して素敵な家庭を築いているとかシビアな話が入っていたり、文章のひとつひとつがさすがディケンズだったりします。
以下、引用。
つまり、マーレイ氏が死んだことは、ドアに打ったかざり釘が死んでいるのとおなじくらい、たしかなことだったのです。
そしてその冷気は、クリスマスが来ても、温度計のたった一目盛りさえ、やわらぐことはありませんでした。
「とにかくクリスマスは、親切と、許しと、恵みと、喜びのときなんです。長い一年のなかでもこのときだけは、男も女もみんないっしょになって、ふだんは閉ざされた心を大きく開き、自分たちより貧しい暮らしをしている人たちも、墓というおなじ目的地にむかって旅をする仲間同士なのであって、どこかべつの場所へむかうべつの生きものじゃないんだってことを思い出すんです。」
店の主人と店員たちは、前かけをきりりと巻いて、みんな感じよくきびきびしています。その前かけを留めた金具はうしろにあり、ぴかぴかのハート型をしていましたが、まるでそれが本物の心臓で、みんなに見てもらえるように身体の外につけたのだと言わんばかりです。
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強欲で嫌われ者のスクルージが過去、現在、未来の精霊と出会うことで自分を振り返る物語。ディズニー映画化もされている作品。
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時期を問うが、クリスマス付近に読むと非常に引き込まれるのではないか。クリスマスというきらびやかな日に、暗いところではあるが、ひっそりと人のやさしさに触れられる、心温まる作品。ぜひ、この時期に読み、毎年クリスマスになったら思い出してほしい。
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映画「3人のゴースト」が好きで、ディケンズの本も気になっていたので読んでみた。というか、子供に勧めたのを横から借りた。ストーリーは、映画と同じだけど、時代はだいぶ古い。宗教や時代背景を知らないと、例えが分かりづらく、子供には、というか私にも苦だった。訳が悪いような気がする。いいお話なので残念。
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キリスト教の隣人愛、自分の周りの人に親切にすることを大切にする教えを改めて教えてくれる本だった。この本が書かれたときは、イギリスの産業革命や宗教改革でクリスマスの行事が下火になっていたときだった。こな本で改めてクリスマスを大事にして、キリスト教の教えを大事にすることを思い出したんだろうな。
幽霊が過去、現在、未来のスクルージを見せて、クリスマスの大事さ、楽しさを思い出させ、頑固で不親切なままだとこんな悲惨な未来が待っているよと伝えるのは分かりやすかった。けれども、表現が固くて中々読み進めるのが難しかったな。日本以外の文化や習慣は、背景や前提を知らないからすっと頭に入ってこない。けれども、少しづつ知っていければいいなと思う。
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「クリスマス」というのはどういう役割を持ったイベントなのかということについて民衆に問い直させる作品。幽霊が登場するのは周知の事実だろうが、実はディケンズが生きたヴィクトリア朝の流行りには、「幽霊が登場する怪奇小説」というジャンルがあった。文学的にこの作品を分類するならば、「教訓物語」ではなく「怪奇小説」の部類なのかもしれない。
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金貸しのスクルージ爺さんは、ケチで気難しく冷たい心の持ち主です。今日はクリスマスイブだというのに、たった一人の甥を追い返し、書紀のボブ・クラチェットを安い賃金でこき使っています。しかし家に帰ったスクルージの前に七年前に死んだ共同経営者のマーレイの亡霊が現れます。マーレイの亡霊は重い鎖をつけてスクルージに警告します。「この鎖は生前のわしが自分で作ったものじゃよ。お前もわしのようになりたくなければ心を改めよ」
そしてスクルージの前に三人のクリスマスの精霊が現れて、過去・現在・未来を見せます。
貧しくも希望のあった若い頃の楽しいクリスマス、金だけを信じて人の温もりを自ら投げ捨てたこと、自分が周りの人々にどのような酷い仕打ちをしたのか、そして人々は自分をどのように思っているのか。
自分の人生がどんなに冷たいものだったのか、自分が心を閉じずに人々と触れ合えば皆が楽しく良い人生が遅れるのに。スクルージは「わしが心を入れ替えれば、人々を助けることができて、わし自身も人間としての温もりを取り戻すことができるのだろう、まだ遅くはないはずだ。必ずわしは行いを改める」と決意するのでした。
===
ディケンズーー!!おもしろいーー!!
始まりかたが<まず最初におことわりしておきますが、マーレイは死んでいました。そのことに疑いの余地はありません。マーレイを埋葬したことを証明する記録簿には牧師さんと教会書紀と葬儀屋と会葬者代表とのサインがきちんと揃っていました。会葬者代表としてサインしたのはスクルージでした。(…略…)つまり、マーレイ氏が死んだことは、ドアに打った飾り釘が死んでいるのと同じくらい確かなことだったのです。(P7)>などと長々しく念押しされたのには冒頭から笑ってしまいました。
このようなテーマは説教臭くなってしまうこともあるのですが、ユーモアと皮肉の混じり合いがとても良く、スクルージが改心して良かったと思えます。
出てくる人たちもいい人たちで、心からクリスマスを楽しみ、お互いを思いやっているので読んでいても気分がいいですね。
私は「クリスマスキャロル」の舞台を二種類見たことがあります。両方とも市村正親さん主演です。年末の気分向上にとても良いんですよ。
一つは一人芝居で、市村さんがスクルージはもちろん、ドアノブから女性の役もすべて演じきります。
もう一つはミュージカルで、これは再演のたびに年末の気分向上として3回位みにいきました。スクルージの甥と若い頃、甥の妻とスクルージが別れた女性の役をそれぞれ同じ俳優さんが演じて、大切なものを手放したスクルージと、大切に持っていた甥の姿として現れていました。また最初のクリスマスの精霊はスクルージの姉で(甥の母。しかし実際には妹ですよね?姉だと甥がなかなかの高年齢になってしまう…)、スクルージは大切な姉と会話を交わせたという描き方になっていました。
本も舞台でも、本当にいい気持ちになるお話です。
ではティム坊やの言葉を皆さんにも。
「神様のお恵みが、みーんなぜんぶにありますように!」
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「クリスマス前夜、けちで気むずかしいスクルージの前に現れた3人の幽霊たちは、過去・現在・未来を見せてくれたのですが…。19世紀イギリスのクリスマスをいきいきと伝える物語。小学5・6年以上。]
「ブックガイド:岩波少年文庫の脇朋子訳がある。改訳で読みやすくなった新潮文庫の村岡花子訳、村岡美枝、村岡恵理補訳はとくに文章が綺麗。ちくま文庫の小池滋・村岡昌家訳では落語のような調子でこの物語が語られている。」
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100億年ぶりに読んだ。最初の展開はそりゃもうクリスマスの奇跡はかくありけりと言わんばかりの突拍子のなさだが、まあそんなもんかと飲み込めたら後は一気読みできる。