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偽物とは本物があってこそだが、その偽物にもストーリーができてしまうとそれはそれで価値を持ってしまうというお話を集めた。スパニッシュフォージャー、ウィリアム アイアランド(しぇーくすぴあの贋作)などはそれ自体か贋作の古典となっている。
ほかにも、科学的な味、化石のコピーはどうか、 来歴の不確かなマヤのコデックスはどうかなど疑問を投げかける。
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副題に、模造と真作をめぐる8つの奇妙な物語とあるように、最初、本屋で立ち読みしたときに、美術品の話(スパニッシュ・フォージャー:スペインの偽作者の意味)が第1章にあったので、「私はフェルメール(フランク・ウイン (著))」のような、アートの事件のようなものと思って読み進めていると、2章は化石のウソ、3章は合成ダイヤモンド、4章は化学合成されたフレーバーの話、5章は自然(動物:セイウチ)を映像としてみること、6章はシロナガスクジラの博物館展示に関する、本物は腐臭がするので、科学的知見をもって複製する話、7章はマヤのコデックス(マヤ人の残した古書)、8章はラスコーを含む古代遺跡アートの話で、全然違った。
が、読み進めていくと、本物と偽物であれば、本物がいいに決まっている、と誰しもいいそうなことが、本書は、そもそも本物って何、偽物との境は思っている以上に曖昧なのだということを認識させられる構成になっています。
合成ダイヤモンドは、科学的な意味において、本物と元素組成は同じであり、フレーバーも物質としては同じ。ヒトは、偽物の裏に潜む胡散臭さや騙されたことに反応するのであって、誠実に正直にストーリーが判明していれば偽物を受け入れる生き物なんだということだと思いました。
ウソはいかん、というが、嘘も方便、ともありますし、自分の中で軸や基準を作ってブレないようにするのが重要なんだろうな、と思ったけど、そうそうできないよなぁなど、色々考えられる本でした。
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『#ホンモノの偽物』
ほぼ日書評 Day330
19世紀に(時代を偽って)中世絵画を多数描いたスパニッシュ・フォージャーなる画家の作品は「ホンモノ」の中世絵画ではないながら、その圧倒的な品質ゆえ逆にブランド化、高値で取引されるようになっている。
シェークスピアの贋作者、ヘンリー・アイアランドは単なるサインの模造から、失われた作品の発見までやってのけた。素人目には相当な文章力(かつ古英語の知識: 大学の英語でシェークスピアを原文で読むという講義を取ったが、単語レベルで全く現代英語とは異なるもので非常に苦戦した思い出がある)がなければ、そんなことはできないと思うのだが。
偽物では無いのだが、「へえー」的な話題。20世紀半ばに世界中で流通するバナナの種類が一変した。ひとつの種に特化しすぎたために病原菌によって瞬く間に絶滅したのだそうだ。
と、まあ、知ってて何かの役に立つかというと「?」だが、マルクスの言う「交換価値」よりもむしろ「使用価値」に重きを置くような論調が興味深い。
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いつも利用している図書館の「新着本」のリストで目に付いた本です。「ホンモノの偽物」という気になるタイトルは、私の注意を惹くには十分でした。
“偽物”をテーマにした著作ですが、対象にしている範囲はいわゆる“贋作”に止まらずかなり広く取り上げているので、その対象ごとに興味深い切り口がいくつも提示されています。
“多様な視点”を意識し、そこから“新たな気づき”を得るには有益な著作だと思います。
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ウォーホルが遺した版を使い、生前のウォーホルと同じ手法で刷られたシルクスクリーンプリントは「本物」か? 元素レベルまで天然ダイヤモンドと同一の人工ダイヤモンドを「偽物」のように感じてしまうのはなぜか? ドキュメンタリー映像は本当に「リアル」なのか? 歴史上のさまざまなエピソードを通して、フェイクとリアルの線引きについて考えるノンフィクション。
本書はウォーホルで始まりバンクシーで終わる。モダンアートは本物を認証する権威への批判と挑戦を内包してこそだから、現代美術の世界におけるフェイクとリアルの線引きは今後ますます混沌としていくことだろう。バンクシーが博物館の展示に紛れ込ませたエセ旧石器時代アートの欠片はそうと知って見ればおふざけの産物でしかないが、博物館という場の権威によって三日間は「本物」だった。そして博物館から放りだされても、それはバンクシーの作品という意味で「本物」なのだ。
これと同じ例として本書で取り上げられているのが、19世紀に中世絵画の贋作をしていたスパニッシュ・フォージャー(「スペインの贋作者」の意)と呼ばれる無名の画家。20世紀後半になってこの贋作者の手がけた作品が同定されていくうち独特のキッチュな画風にファンがつき、贋作と知って蒐集するコレクターが生まれていったという。19世紀の人びとを知る資料的価値があるとして、贋作認定後も美術館に入っているとか。
科学的な裏付けを伴わない場面で何をリアルとするかは、その時代の人びとが「その物語にノレるか否か」で判断されてしまう側面がある。とても本物には見えない作り物の化石を信じたベリンガー教授の心理は18世紀の考古学熱を思えば然もありなんだし、かと思えば、発見者が語る来歴が怪しすぎるのでずっと偽物だと思われていた「グロリア・コデックス」が本物の古代マヤの遺物だったりする。
上記のような歴史学上の反省があるかと思えば、人工フレーバーの開発史にスポットを当てた章もあるのが楽しい。今の「バナナ味」や「ブドウ味」を本物と比べて甘すぎると感じてしまうのは、そのフレーバーが開発されたとき市場に出回っていたのが今主流になっているものより甘い品種だったからとは。人工フレーバーの「リアルさ」はノスタルジーのなかにある、という締めが余韻を残す。
美術系の分野に限らず、いろんな「偽物」と「本物」の物語を知ることができて面白かった。クローンやAIの問題なども含めれば、これから先はリアルとフェイクの違いを問うこと自体がナンセンスになっていくのかもしれない。
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個人的には、第2章が面白くなく、第2章の途中で「読むのを止めようかな」と思ったのですが、第2章の残りはひとまず飛ばして第3章を読み始めたところ、そこからは、「これなら読める」と思えた内容だったので、何とか読み切りました(第2章の残りも、あとで何とか読みました)。
ちなみに、この本を読み終えた直後に、「レンブラントの「夜警」をAIで復活」という記事を目にし、「まさに「ホンモノの偽物」の話だ」と思いました。
我々は何を「本物」と捉え、「偽物」に対し、なぜそう思ってしまうのかは、実はグレーで、「本物」と「偽物」との間にはグラデーションがあります。
そのグラデーションを知る上で、また、「本物」や「偽物」の自分なりの基準を身に付ける上で、この本は役立つと思います。
なお、自分としては、天然のダイヤモンドと人工のダイヤモンドの話(第3章!)が興味深かったです。
どちらも本物のダイヤモンドですが、どちらに価値があると考えるかは、その人の価値基準次第。
しかも、ダイヤモンドそのものの価値、というよりは、製品としてのダイヤモンドができあがる過程をどう考えるか、といった部分も、価値基準に関連していて、いろいろと考えさせられました。
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本物と贋物、本物の贋物、その境は必ずしも明確ではないらしい。
様々な実例が挙げられていて、楽しむことができた。
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「ニセモノ」「ホンモノ」の境界線はどこになるのか、そのモノが決めるのかそのモノに付随する物語が決めるのか。
本物の定義はグラデーションのようでなかなか考えさせられる1冊だった、
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本物とは何か?偽物とは何か?白と黒の間に濃さの違うグレーが有るように、本物と偽物の間にホンモノやニセモノがあるわけで。本当は、偽物なんて存在しないのかも。