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圧倒的に天才で笑うしかない。体力もあり、様々な学問領域、研究所・軍隊・政府・委員会など様々な組織から求められ結果を出した。私の抱いていた印象と反対で、社交的な人でもあった。「人間のフリをした悪魔」、いいかえると超合理主義者。
断片的にしかしらなかったノイマンについて、より多くしることができた。
言動だけみるとたしかに悪魔である。ハンガリーのブダペスト生まれ。祖国がナチスやソ連に蹂躙されたという背景を鑑みると、そういう考えになるのも理解できなくはないと思う。師の影響にも言及されていた。結局のところ悪魔である。
ナチスから逃れ、受け入れてくれた米国に恩義を感じて(たぶん)尽くしたところは人間臭い。
不完全性定理のゲーデルを高く評価。ナチスの迫害から助け、昇進をずっと後押ししていたところも人間臭い。合理的なだけかもしれないが。
当時の多くの科学者が登場して、読み物としても楽しめた。多くの人が変人で傲慢で、あまり付き合いたくはないな、と思う。
文中に「!」が多い。筆者の熱の入れようが表れているのかもしれない。
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圧倒的天才だったが故に、関わった人々が即座にその才能を認め、研究場所や資金が与えられたからこそ、彼の頭脳は社会実装まで達した。
コンピュータも原爆も、実用化されてしまった。
彼のいなかった世界を想像すると全く違う世界情勢になっていたに違いない。
ただもう少し、彼の思考の中身(技術的内容)を深掘りして書いて欲しかった。
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いやあ、ノイマンって本当に天才だけど、本当に悪い奴だなあ。特に、京都に原爆を落とせとか言っていたなんて(広島・長崎の方々には本当に申し訳ないですが)許せない奴だなあ。というのが率直な感想。自分が京都に住んでいるせいかもしれないが。しかし、これはもう哲学と言っていいものなのだろうか。「未来への責任」どころか、「今生きている世界に責任を持つ必要がない」なんて。そして、「科学的に可能だとわかっていることは、それがどんなに恐ろしいことであっても、やり遂げなければならない」なんて。フェルミとかシラードとかオッペンハイマーとかハイゼンベルグとか、若いころにたくさん伝記を読んだ。ノイマンとウィーナーについて書いた本も読んだような気がする。けれど、ノイマンがここまでの人間だったとは思っていなかった。副題通り「人間のフリをした悪魔」だ。けれど、全体通して、実はそんな悪い人ではないように思える。ノイマンがもう少し長生きしていたら、チューリングといっしょに研究していたら・・・世界は今とは違った姿になっていたであろうか。あるいは、もっと早くに今のようになっていたのだろうか。あるいはまた、水爆を実際にソ連に対して使っていたとしたら・・・世界は今とは全く違っていたであろうか。ところで、P.179のボーアの件で核融合とあるのは核分裂の間違いだろうか。
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フォン・ノイマンの生涯と思想を簡単に知るにはうってつけの本.前に読んだ「フォン・ノイマンの生涯」は長すぎて途中で挫折したが,これは長さもちょうどいいし,レベルも新書というパッケージにぴったり.
前半は前掲書との重なりも多い.
原爆の開発をめぐる話や,日本への原爆投下の決定をめぐる話はフォン・ノイマンを離れて雄弁.フォン・ノイマンの思想を著者は「科学優先主義」「非人道主義」「虚無主義」と切って捨てる.ある意味では正当な評価とも思えるが,フォン・ノイマンには多くの人が持っているある種の感情が欠落しているのではないかと思う.その上,忙しすぎてものごとにクールすぎるくらいに優先順位をつけなくてはいけなかったのではないかと.もちろん,それが原爆を投下を正当化することにはならないわけだけれど.
ファインマンがノイマンの「我々が生きている世界に責任を持つ必要はない」という言葉をきいて生きるのが楽になった,というのは原爆を作った聡明なノーベル賞受賞者たち共通の拠り所となった思想であろう.
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面白い本というよりも人物が面白い
意外な掘り下げとかはなかったので-1だが普通に面白く読めると思う
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悪魔か天使か。原爆、コンピュータ、ゲーム理論、天気予報の生みの親。マッドサイエンティストとも言われた天才の生涯。
「博士の奇妙な愛情」のモデルにもなったとされる天才科学者の生涯。
個人的には原爆開発とその後の核兵器に対する科学者の対象的な態度にテーマを絞っても良かったかと思う。
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フォン・ノイマンは、ただただ天才だ。そして、かなりの合理主義者でもある。「フォン・ノイマンの頭脳は、常軌を逸している。彼は、人間よりも進化した生物ではないか?」とノーベル賞受賞者に何度も考えさせるなんて、まさに新人類と呼ばれてもおかしくはないのかもしれない。
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純粋数学、量子力学、ゲーム理論、気象予報、コンピューター、そして原子爆弾。本書では、これら全ての発展に関与し、20世紀最大の研究者とも称される科学者、ジョン・フォン・ノイマンの偉業を追い、その思想の源流を辿る。
1人の科学者がここまで多くの分野で業績を挙げたということ自体が信じがたいが、その天才さは原子爆弾に代表されるような倫理との葛藤を全く持たず、その技術が多くの人をしに追いやるものであっても徹底的に追求するという純粋さに裏付けられている。そして、本書では”虚無主義”と言われているように、この世界には普遍的な責任や道徳などは存在せず、仮に原子爆弾が多くの人を殺そうとも、戦争が早期に集結するのであれば全く問題ないという考え方をノイマンは一貫して持っていたとされる。
事実、マンハッタン計画の主要人物として原爆の投下場所を選定する会議に出席していたノイマンは、日本の降伏を引き出すために最も日本人にとって歴史的な意味を持つ都市、つまり京都への原爆投下を強行に主張する(もちろん、京都に原爆を落とせば戦争終結後に禍根を残す、という判断からこの主張は棄却されるわけだが)。多くの科学者が原爆の完成後に倫理的な恐怖に苛まれる中で、ほとんどそうした素振りを見せなかったノイマンの冷徹さは際立っている。
テクノロジーと倫理の問題は21世紀になっても未解決であり、この問題を考えるにあたって、極に振り切った存在としてノイマンのような天才がおり、倫理を何ら意識していなかった悪魔のような存在だったからこそ偉業を成し遂げられたのかもしれない、という点は示唆深い。
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前半は偉大な数学者のお話。
後半はコンピュータに興味がある人にも楽しめるお話。
期待通り、面白く読ませていただきました。
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フォンノイマンの哲学というより伝記です。
「人間のフリをした悪魔」というフレーズが度々出てくるけれど、本書を読んでいる限り、優れた研究者を戦争の災禍から救うために尽力したり、合理的な観点から世界政府による平和構築を目論んだり、決して「悪」とは言えないようなノイマンの姿が浮かび上がってきます。
著者はこのフレーズに引っ張られすぎているのでは?
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2021/06/11
2021年17冊目。
『史上最高の頭脳』の生涯を綴った一冊。読み物としても単純に面白い。
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【感想】
フォン・ノイマンの名前は、マンハッタン計画に従事した原爆開発の第一人者として、そして「コンピュータの父」として、多くの日本人に知られていると思う。
彼は「20世紀最高の頭脳」と呼ばれるほどの超天才であり、論理学、量子力学、気象学、ゲーム理論、コンピュータ開発、原爆開発など、功績を残した分野は多岐に渡る。
そんな彼の生涯を、幼少期から晩年まで辿ったのが本書だ。
一章から四章まではノイマンの生い立ちや実績、私生活について記載されているが、タイトルにもなっている「人間のフリをした悪魔」の詳細については、第二次世界大戦と原子爆弾について書かれた五章以降に説明がある。
ノイマンの思想の根底にあるのは、科学で可能なことは徹底的に突き詰めるべきだという「科学優先主義」であった。そして、目的のためならどんな非人道的兵器でも許されるという「非人道的主義」も掲げている。
第一次世界大戦で使われた「毒ガス兵器」を開発したフリッツ・ハーバーは、こんな言葉を残している。「毒ガスで戦争を早く終わらせる事で、無数の人命を救う事ができる」。ノイマンは、このフリッツ・ハーバーの思想に影響を受けた可能性があると語られており、彼が科学の発展を、道徳や人命よりも上位に置いていたことは疑うべくもない。
ただ私は、ノイマンは「人間のフリをした悪魔」などではなく、むしろ使命感に燃えていた常識的な科学者であったという印象を受けた。
戦争という動乱期を経験すれば、思想が多少なりとも過激になることは致し方ないと思う。事実、ノイマンは原爆に賛成しながらも、戦争行為自体には嫌悪感を見せている。軍に協力したのは、アメリカの戦略に寄与することで早く戦争を終わらせるためであり、一種の合理的な決断であった。
日本は原爆による直接の被害者であることから、ノイマンへの評価は「人間性が無い」という、多少辛辣なものになるかもしれないが、本書で述べられている部分を読んだだけでは、そうした印象は見受けられなかった。(どちらかというと、WW2へのアメリカ参戦に喜び、原爆投下の片棒を担いだチャーチルのほうが「悪魔」という印象がした)
また、ノイマンは周囲の人間に気を配り、ジョークで場を和ませる明るい人物だったと言われている。偏屈な人間が多い界隈の中では、相当に人間が出来た人だったのではないかと思う。
いずれにせよ、ノイマンという人物がいかに優れた頭脳を持ち、現代の基礎技術に貢献しているかを知れる一冊であった。
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【本書のまとめ】
1 ノイマンの生い立ちと哲学(まとめ)
ノイマンは22歳にして、大学を卒業すると同時に大学院博士課程を修了し、博士論文も完成させて、前代未聞の「学士・博士」になった。この論文によって、天才数学者ノイマンの名声は、ヨーロッパの数学界に響き渡った。
ノイマンは、量子力学であろうと数理経済学であろうと、いかなる分野であろうと、既存の概念や偏見に左右されずに、新たな視点から数理モ���ルを定式化して、効率的な成果を導くための筋道を切り開き、長年の未解決問題でさえ、あっさりと解いてしまうという離れ業を得意にしていた。
ノイマンの思想の根底にあるのは、科学で可能なことは徹底的に突き詰めるべきだという「科学優先主義」、目的のためならどんな非人道的兵器でも許されるという「非人道的主義」、そして、この世界には普遍的な責任や道徳など存在しないという一種の「虚無主義」である。彼はまさに人間のフリをした悪魔だったのだ。
「我々が今生きている世界に責任を持つ必要はない」と言い放ったノイマンは、犠牲者に対する人道的感情とは無縁だった。
2 第二次世界大戦と原子爆弾
1939年9月に、「核分裂のメカニズム」が掲載される。当時はドイツがヨーロッパ侵略を企てている最中であり、原爆のメカニズムの公表はドイツに開発の契機を与えてしまうのではないか、と懸念されていたが、「科学的事実は世界の科学者で共有すべきだ」というボーアの理念に基づき、リーゼ・マイトナーの発見した「核分裂」以降に発見された理論や情報が、すべて記載されていた。
その後、ドイツ陸軍省が早い時期から原爆開発を命じていたことが明らかになると、アメリカがドイツよりも先に原爆を開発すべきであることを、アインシュタインの署名で合衆国大統領に直訴している。
普段は感情を荒立てないノイマンが、ナチスに対しては「尽きることがないほど強い憎悪」を抱いていた。また、ヒトラーに対する自由主義陣営の「宥和政策」にも腹を立てていた。
1940年9月、ノイマンは、陸軍兵器局弾道学研究所の諮問委員に就任した。
アメリカの参戦後には、戦争省から「科学研究開発庁」の公式調査官に任命され、爆発研究の科学技術面の最高責任者となった。
当時のノイマンはあらゆる軍事プロジェクトから引っ張りだこであった。海軍兵器局と陸軍兵器局、戦争省、科学研究開発庁からも相談を受け、マンハッタン計画の主軸を担う「プロジェクトY」からも出頭要請が届いた。
ロスアラモスの科学者は、自分たちが「大量殺戮兵器」の製造に加担していることを認識し、内心に強い罪悪感を抱いている者も少なくなかった。しかし、ノイマンは「我々が今生きている世界に責任を持つ必要はない」という考えであった。
1945年の春、普段は冷静なノイマンが自宅に戻り、狼狽えた様子で述べた。
「我々が今作っているのは怪物で、それは歴史を変える力を持っている!…それでも私は、やり遂げなければならない。軍事的な理由だけでもだが、科学者として科学的に可能だとわかっていることは、やり遂げなければならない。それがどんなに恐ろしいことだとしてもだ。これは始まりにすぎない」
戦争を終わらせるためなら、どんな非人道的兵器も許される。そう考えていたであろうノイマンが、初めて自分の作った兵器に恐怖した瞬間だった。
3 コンピュータ開発
アナログの「微分解析機」では、一発の弾道を計算するために丸一日が費やされる。そこでノイマンが陸軍を説得して開発を急がせたのが、現代にも通ずる「コンピュータ」の原型であった。
原爆投下を目前にして、ロスアラモスの業務に忙殺されていたノイマンは、仕事の合間にコンピュータの「論理構造」を考察し続け、手書きメモによりコンピュータの計算能力を飛躍的に向上させた。
ノイマンは現代のコンピュータの根本となる「ノイマン型アーキテクチャ」を設計している。例えば現代のスマートフォンは、1台の機械に時計、メール、カレンダー、カメラなど数多くのソフトが組み込まれている。「同じハードを使いながら、ソフトを多種に変換させる」という「プログラム内蔵方式」の概念を、史上最初に明確に定式化したのがノイマンだったのだ。
また、ノイマン型アーキテクチャの草稿を書く間、彼はゲーム理論を発展させ、経済学における分析方法を根底から変えてしまった。
ノイマンは、「数学はあくまで人間の経験と切り離せない」という「数学的経験論」を主張している。彼は「純粋数学」の限界を見極めて、応用数学の重要性に目を向けるべきだと主張した。「経験的な起源から遠く離れて『抽象的』な近親交配が長く続けば続くほど、数学という学問分野は堕落する危険性がある」というのが、ノイマンが未来の数学に強く抱いていた危機感だったのである。
4 ノイマンはマッドサイエンティストか?
戦後、第二次世界大戦で疲弊しているソ連に対し、原爆を持つアメリカが「予防戦争」を仕掛けるべきだという意見が挙がる。これが正式に表明されたのは、第二次世界大戦が集結したばかりの1945年10月。提唱者はイギリスの哲学者バートランド・ラッセルであった。
ノイマンもこれに同調する。「ソ連を攻撃すべきか否かは、もはや問題ではありません。問題は、いつ攻撃するか、ということです」「明日爆撃すると言うなら、なぜ今日ではないのかと私は言いたい」。この言葉から、ノイマンはマッドサイエンティストであるというイメージがついた。
予防戦争論は、ソ連がアメリカと同じぐらい早く原爆を開発できるわけがないという見込みによるものだった。しかし、1949年8月、ソ連が核実験に成功したというニュースが世界を驚愕させる。
なぜそこまで早く開発できたのか。それは、ノイマンと一緒に原爆を製造し、共著で機密書類をまとめていた同僚のフックスが、実はソ連のスパイであり、機密情報をソ連に流し続けていたことが原因であった。
これを受け、アメリカは原爆よりも強力な水爆の開発に向かう。水爆はその威力から、原爆に賛成していた科学者にも開発を反対されたが、ノイマンは賛成していた。道徳的批判に対しては、「いっさい躊躇してはならない」と平然と述べている。
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20世紀前半の歴史と、第二次世界大戦の経緯を、大勢の科学者の珍エピソードと共に語る面白い本だった。フォンノイマンの哲学は非人道的で許容されるものではないが、科学が軽んじられる現在、ノイマンの夢見た世界も少し見てみたい気がした。
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ノイマンは、コンピューターの仕組みを作った科学者、そしてアメリカで原爆を開発したチームの主要メンバー。彼の思想の根底には、「科学優先主義」、目的のためならどんな非人道的兵器でも許されるという「非人道主義」、そして、この世界には普遍的な責任や道徳など存在しないという一種の「虚無主義」だという。
開発に関与して、その原爆の威力の凄まじさに、流石に狼狽えたというが、それを直ちに日本に投下すべきと強く主張したという。
科学を突き詰めること、新しい技術を確立することの素晴らしさは称賛できるが、どうしても現実社会に対する「哲学」には、決して賛同できない。太平洋戦争の早期終戦、その後の統治を見据えて、強い影響力を持つアメリカ軍の中で発言したという。人が傷つかないよう、原爆実験を日本に見せつけて降伏を迫るという案もあったらしいが。
現象や考え方を数式化する天才、それを突き詰めた先にコンピューターがあった。現代社会の技術に大きな影響を与えたが、太平洋戦争、戦後の統治、米ソ冷戦など、政治的にも大きな影響を残したらしい。
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作者の意見や思想がところどころ垣間見えるが、全編通して徹底的に事実を書き連ねた伝記といった印象。
人間のフリをした悪魔なんていう下世話なキャッチコピーが題名についていますが、単にめちゃくちゃ頭がいいだけの普通の人だなと思いました。そんなに変じゃないよ。
数物の深いところには切り込まず、うっすら表面をなぞる文章が続くので、理系の人には物足りない印象。
内容としてはマンハッタン計画を中心として二次大戦の歴史を辿る部分が多い。ノイマン周りの出来事を心に留めておくと、他の本を読んだときに少し裏舞台がわかって楽しいのかもしれない。