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今なお大きな存在感を持つ旧七帝大。明治維新後、西欧の技術を学ぶため、1886年の帝国大学令により設立が始まった。本書では、各地域の事情に応じて設立・拡充される様子、帝大生の学生生活や就職先、教授たちの研究と組織の体制、予科教育の実情、太平洋戦争へ向かう中での変容などを豊富なデータに基づき活写。建学から戦後、国立総合大学に生まれ変わるまでの70年間を追い、エリート七大学の全貌を描く。
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帝国大学の歴史・変遷が良くわかった。
旧7帝大の現在の位置づけも納得できた。
書評で知って図書館に予約。かなり待ってGWに入手。
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天野の文体は中公新書の体裁によく合う、と思うのは私だけだろうか。おそらく将来的に新書にすることを想定して執筆当時から連載されていたのだろうと思った。文章の雰囲気は固すぎずやわらかすぎずでとてもよみやすい。著者独特の「大学」を表現する単語としては、しばしば「装置」「施設設備」といったハード面に関する語を充ててくる。旧帝大は、まず学問をする「場」としての機能が強調されている印象を持った。戦後に帝国大学は廃止され今に至ってるが、昭和22年10月1日から廃止された。大日本帝国が亡くなってから2年間は帝大があったことがわかった。
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開国後、他国との遅れを取り戻すべく、予算の乏しい中国策として高等教育に力を入れる。悲壮感さえ感じる努力であったようだ。他大学との差別化を図り、研究大学としての機能を現在も脈々と受け継いでいるようだ。2017.6.8
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正直、期待していたものとは違った。旧帝国大学それぞれの建学の歴史から現在に至るまでが書かれているのかと思って買ってしまったのである。ところが、実際は帝国大学という制度に関して、誕生から現在の大学制度に改変されるまでを述べた本だった。
ただ、例えば漱石など明治の文豪の本を読んでも、実はいまいちよくわかってなかった旧制中学と大学の関係等についての説明が書かれていて、それは一応参考にはなった。しかし、これはひとえに私の理解力不足のせいなのだが、今の制度に引きずられてしまうため、昔の制度は複雑に見え、かつ、途中でいろいろと変更されているため、結局はどういう関係なのかいまいちすっきりはしなかったのだが…^^;。
そんなわけで面白く読めた…というわけにはいかなかったものの、結局、教育制度も他の国家制度と同様に、欧米の制度をよく咀嚼もせぬまま導入して、途中で何か問題が生じれば場当たり的な変更をして学生たちを振り回し、受験戦争等の問題の本質的な改善はなされぬまま…というのが、今に始まった事ではなく戦前からのものであった、ということが認識できたのはよかった。「大学」というものが日本の社会にとってどのような存在であるべきなのかという根本からの議論は、正直今もなされていないような気がする。数年後新しい大学入試制度が始まるけれども、今までの制度変更と同じように、いたずらに学生を振り回すだけとなってしまわないか、心配になりながらこの本を読み終えた。
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講座制や付置研究所の立ち位置が理解できる.明治時代から続く帝国大学という存在に対する政策を顧みると,現在進行している研究大学あるいは国立総合大学への政策の要点が見えてくる.
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天野さんの著作ではかなり読みやすい。
帝大の設立と発展については別の作品でも触れられているけど、教授会と大学の自治、学問の自由を賭しての文部省とのやりとりが分かる。でも文部省とは戦えても財務省には手も足も出ない。泣ける。
関係ないけど、
本郷には東大に足跡を残した先人の14の銅像がある。なかで山川健次郎の胸像だけが見下ろす位置に設置されており、かつ没後数十年後におこされている(他の人はたいてい没後3年後くらい)。山川は学問の自由を守った総長で、かつ東大と京大の総長を兼任したほどの人物なのだが。これって山川が会津藩士だったから?じゃないよね。
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★思ってたのと違う★設立の経緯を丁寧に追っているのだろうが、どうもアタマに入ってこない。旧制中学や高校との関係もきちんと書いてあるのだか理解ができない。いまの帝国大学の現在進行形の改革の背景を知りたかったのだが、もっと根本の話だった。
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「歌のわかれ」などを読んでて、主人公が四高で進学と試験とで四苦八苦してる描写があるのですが、そこらへんの制度がよく理解できてなかったのです。(今の東大の教養学部、高校とどう違うのか的なところが…)
今回のこの本、知りたかった旧帝大の設立の歴史や、一高をはじめとする高等学校・大学予科辺りの話が書かれてまして良かった。(ただし、制度や定義がしょっちゅうグルグルかわるので、文字だけの説明だと理解が追いつかない。つど図示して変更前後の対応などを整理して欲しいレベルのややこしさ…!)
その他、夏目漱石のお弟子さん達が教授になったり海外留学してたりした時期の大学の事情や、漱石が断ったことで有名な推薦博士制度の辺りも理解できました。
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旧帝大として現代まで生き続ける帝国大学の歴史について、時代背景を交えながら詳細に解説する新書。
設立の意図、莫大な費用などがありありと描かれており、大学の設立が明治の初めという時代の一大事業であったことが良くわかる。
「大学をつくる」というのは現代でも別の意味で困難であるのだろうが、帝国大学においては全くのゼロからのスタートでありながら、国家の存亡をかけた事業としての位置付けであり、どれだけ困難でプレッシャーがかかった事業であったかを知ることができた。
もう少しページ数を増やして、学生の声を登場させてくれるとより理解しやすかった気もする。
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帝国大学の歴史は即ち長男・東大の歴史でもあるが、九大の教員としては、帝国大学の四男坊・九州大学を中心に読んでみると、長男と四男との制度的格差を痛感できる。シビアな言い方をすれば、帝国大学そのものも、戦前の家父長制の中に位置づけられていたと言える。
7帝大の創設時期をマクロ的な日本経済史に大凡位置付けてみると、東大(1886年)は企業勃興期、京大(1897年)は日清戦後期、東北大(1907年)と九大(1910年)は日露戦後期、北大(1918年)は大戦景気、阪大(1931年)と名大(1939年)は高橋財政から戦時経済期に相当する。したがって、同じ「帝大」であっても、それぞれの創設や学部の新設過程を見てみると、時代背景が色濃く滲み出ている。
東北大と九大の新設は、日露戦後期の財政難ゆえに、大蔵省からなかなか予算を認められなかったが、古河家からの寄付が両校創設の実現に大きく貢献したことは、もう少しクローズアップされてもよい。当時の「古河財閥は足尾銅山の鉱毒事件で社会の厳しい批判を浴びていた」(38頁)が、内務大臣の原敬の斡旋を受けて、総額104万円の寄付をもたらした。それは、あくまで世論を和らげる一策だったかもしれない。しかし、明治期の官立学校の新設が基本的に地元負担を求められてきた中で、官立学校よりもさらに費用のかかる帝国大学の設立に対して、こうした財閥側からの支援が無ければ、いまごろ東北大以降の帝大は、現在とは異なる規模に据えられていた可能性もあり得る。
他方、教育者に注目をしてみると、山川健次郎に関する記述が散見されることに、目を奪われる。山川は東京帝大の総長を務めたのち、1911年に九州帝大初の総長となり、さらに再び東京帝大の総長に就任しているが、図らずも戸水事件や沢柳事件に絡まれてしまったり、大正時代の学制改革に加わったり、東京帝大の航空研究所の付置(1918年)を構想したりと、彼の教育人生そのものが帝大の歴史だったと批評しても過言ではなかろう。
大学史に限らず、学校の歴史はこれまで教育史の中で語られてきたが、近年、就活・就社・人材供与や学閥・同窓ネットワークの研究が進むにつれて、社会経済史の中にもしっかりと組み込んでいくことが重要だと思われる。こうした研究史を、以前から得意としていた慶應義塾だけの独壇場にしておいては、企業史の中で一面的な学卒者像ができてしまうかもしれない。
なお、今日降って湧いた「秋入学」問題に関して、本書では明治・大正期の実態が125-126頁に記されている。東京都の小池百合子知事が2020年4月29日に第7回全国知事会に出席し、「もともと明治時代は9月だったんですね」と発言しているが、その後のプロセスと、この問題における「パンドラの箱」の中身は、本書で十分に検証されたい。
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近代日本のエリート育成装置として設立された7つの旧帝国大学のお話です。私の母校である阪大には農学部がないという事実に気付かされました。当時の文部省は、総合大学とは7つの学部(理・工・医・農・法・経・文)を有する大学と定義していたので、そういう意味では阪大は総合大学ではないね(笑)。
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https://opac.lib.u-ryukyu.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB2331398X