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「自己責任」という言葉が嫌いだ。
自らの恵まれた境遇に無自覚な人がその言葉を使うときは特に。
実力も運のうち。タイトルからして我が意を得たりの本書。
行き過ぎたメリトクラシー(功績主義、能力主義)の罪を説く。
頑張っているのは認めるけど、もっと謙虚にね。
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本田氏の解説にあるように能力を功績と読み替えて読んだ方がもっと分かりやすいような気がした。能力には潜在的な意味の方が強いような気がするので。
訳はともかく、メリトクラシーの問題についてうなずけることが多い。オバマ大統領がスマートという言葉を何回使ったかなど、細かい指摘もあり、色々な角度からアプローチしている。ついついこういう問題は経済問題に向かうような気がしていたが、正義や人間の尊厳の問題にむかっていて、さすがだと思った。
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学歴偏重社会の弊害については、資格のある学生の中からクジ引きで合格者を選別するというアイデアが新鮮に感じた。議員についても選挙ではなくクジ引きで当落を決める等の実験的手法が提案されているが、そうした偶然性を織り込ませることで、世の中に一定の余裕や豊かさが生まれるのではないかという考えには共感する。
最後の章の労働への承認については、給与税減税や逆に低所得者への給与補助というアイデアが示されるが、社会の共通善への労働を通じた貢献を考える際に、こうした金銭を持ち出す取り組みは矛盾しないのだろうか?或いはプロスポーツ選手の高額報酬に対して「金額が問題ではない、プライドの問題なんだ」とのコメントが紹介されるが、ここでもやはり結局は年俸の額面が焦点になる。
承認と金銭的報酬の分かちがたく結びついた関係に、著者でさえほぐしきれない難しさを感じてしまう。
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「能力主義」を疑え。
なぜトランプ政権が誕生し、ブレグジットが起こり、世界各地でポピュリストが支持されるようになったのか? そこに、自らに尊厳を持てなくなった人たちの存在を見る。そしてそれは、「能力主義」を推し進めてきた結果なのだという。
「勝者は自分たちの成功を「自分自身の能力、自分自身の努力、自分自身の優れた業績への報酬に過ぎない」と考え、したがって、自分より成功していない人びとを見下す事だろう。出世できなかった人びとは、責任は全て自分にあると感じるはずだ。」そしてそれが学位を持つものと持たないものの決定的な断裂を生んでいるのが、現在のアメリカ社会という。
最後に著者はこう書く。「人はその才能に市場が与えるどんな富にも値するという能力主義的な信念は、連帯をほとんど不可能なプロジェクトにしてしまう。いったいなぜ、成功者が社会の恵まれないメンバーに負うものがあるというのだろうか? その問いに答えるためには、われわれはどれほど頑張ったにしても、自分の力だけで身を立て、生きているのではないこと、才能を認めてくれる社会に生まれたのは幸運のおかげで、自分の手柄ではないことを認めなくてはならない。自分の運命が偶然の産物であることを身にしみて感じれば、ある種の謙虚さが生まれ・・・」「能力の専制を超えて、怨嗟の少ない、より寛容な公共生活へ向かわせてくれるのだ」
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能力主義とはなにかと問題提起し一石を投げ入れている本。現代で言う能力主義で成功を収めたとしても、それはどこかの段階で誰かが手を貸してくれ、人生のどこかに素晴らしい先生がいたからであって、運命の偶然も含めて能力主義であり、一方では能力主義は目指すべき理想ではなく、社会的軋轢を招く原因であるとも語っている。運の一部である実力をどう評価すべきか、今後管理者がしっかり考えていかなくてはいけない問いである。
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興味深い内容でしたが、私には難しい部分がとても多くありました。私にもっと基本的な知識が有れば深い考察ができた書物だと感じます。
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書籍としては9年ぶりとなるハーバード大学哲学教授、マイケル・サンデルの新著である本書は、その間に巻き起こったトランプ旋風を踏まえ、民主主義的な社会が今や前提にしている”能力主義”に潜む問題を鮮やかに描き出している。
我々はいつの間にか「努力と才能で人は誰でも成功できる」という理屈をほぼ自明のものとみなしている。故に、そこから導き出される政策とは「すべての人々に対して、自らの才能を努力で開花させて立身出世できるような環境を整備すべき」というものになる。
しかし、こうした”能力主義”は大きく2つの問題を孕んでおり、この問題こそがトランプ旋風に代表される分断ー自らの努力で自分の地位を得たと思い込んでいるエリート層と、そうした地位につけずに忸怩たる思いを描いている労働者階級の白人たちーを招いた、というのがマイケル・サンデルの主張である。
一見、公平なように見える”能力主義”に潜む問題とは何か?1つめの問題は、結局のところ”能力主義”が具体的な形で結実するのはエリート大学への進学という学歴に帰結しており、大学に進学しない(アメリカにおいても2/3を占める)人々を貶めてその自信を失わせるという点である。そこからは直接的にエリート層との分断が生まれることになるし、間接的には議会・官僚といった政治プロセスの大半をエリート層が占めることで、彼らとは異なる人々の社会的・政治的な課題は見過ごされることになる。
では、めでたく自らの努力と才能でエリート大学への入学を勝ち取った若者たちが幸福なのかといえば、それもまた違う。この点が”能力主義”に潜む2つめの問題点である。アメリカ(また学歴競争が激しい韓国もそうであろう)では、エリート大学への入学のための様々な準備によって受験者たちは大きく疲弊しているという。そしてめでたく入学ができたとしても、常に競争を勝ち続けなければならないというプレッシャーは、大学に入学しても本人たちにまとわり続け、その結果としての精神的ストレスやアルコール・薬物中毒などの弊害をもたらしているとされる。
一見、好ましいようにみえる”能力主義”の背景に潜む残酷さをクリアに描き出し、具体的な処方箋として大学以外の教育機関への教育投資の拡大などについても最後に論じられている本書は、中国などの非民主主義国家を含めて、多くの国・地域に該当する普遍性を持っているように思う。
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メリトクラシー=能力主義(功績主義)は、勝者に選民思想と自己優越を
敗者に自己責任感と劣等感を与える。
職業に貴賎があるように見せかけるメリトクラシーは、メリトクラシー社会における勝者が運営し、敗者を怠け者とするシステムを拒み、ポピュリスト政権を生んだ。
言っている内容は難しい。アメリカの社会、大学事情を知っていればスッと理解できるのだろうが。
私はコンビニやスーパー、ファミレスの仕事を誰にでも出来る仕事と見なしているだろうか。ほんの一握りの人しか出来ない仕事なんて一体どれだけあるだろうか。
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なんとなく、シンニホンを読んだ時と同じ気持ちになった。こういう世界はわかったけど、自分には関係あるのか謎だしどうにもできない世界だなあという。そんな気持ちです。
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論説文を読むってなんだろうか。と、改めて思う。
自分の中にある、何か違和感やもやもやしたものの整理をしてみたく、本を手にとる。
未読の本の、タイトル、書評、書き出しに、興味関心がなければ、読むことはないだろう。
結局、見たいものを見、聞きたいことを聞く。
ツイッターのタイムラインと変わらない状態とも言えそうな気がする。
この本の内容は、ここ最近ずっともやもやしていたことを、鮮やかに整理してくれている。
そのとおりだな。と感じる。
こうした分析は、過去の多くの、多岐にわたる、多くの人の考察の上に成り立つんだな、とも改めて思った。
「ささやかな大学入試改革案」の、試験後籤引き案。
そのままではないけど、母校の大教大附属池田中の方法だった。今の今まで、なんであんなことを、と思っていたが、この本にあるような、問題意識から発したことなのだったのだろうか。
だとしたら…日の下に新しきことなし。
自分がなんだかなぁ、と思うことぐらいは、随分昔に同じように思った人がいて、既に洗練された分析がなされている、ことがほとんどなんだろうな。と改めて思った。
後、原書で読めたら、もっと興味深いだろうな、と思った。英語力大事だな。と思う。
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謙虚さと相互理解が大事っていう本。
マイケル・サンデルの本はおそらく初めて読んだけど、読みやすく面白かった。
能力主義や機会の均等が真に平等で理想的な社会を作る訳ではない、と。
あと、労働の承認の場としての尊厳の重要性。
p. 40 能力主義的なおごりは勝者の次のような傾向を反映している。すなわち、彼らは自らの成功の空気を深く吸い込みすぎ、成功へと至る途中で助けとなってくれた幸運を忘れてしまうのだ。頂点に立つ人びとは、自分は自分の手にしている境遇にふさわしい人間であり、底辺にいる人々もまたその境遇にふさわしいと言う独りよがりの信念を持ちやすい。
p. 265 コナントが始動させた選別装置を解体したければ、能力による支配体制は、同時に二つの方向で専制をふるうと言う点に留意すべきだ。頂点に登りつめる人の場合、不安をかき立て、疲れ切ってしまうほどの完璧主義に導き、もろい自己評価を能力主義的なおごりによってどうにかごまかすよう仕向ける。置き去りにされた人には、自信を失わせ屈辱さえ感じさせるほどの敗北感を植えつける。
これら二つの専制には、共通の道徳的根源がある——我々は自分の運命に個人として全責任を負うと言う不変の能力主義的信念だ。成功すれば自分自身の手柄であり、失敗しても自分以外の誰も責められない。
自己責任というこの厳しい考え方は、やる気を奮い立たせるように思えるものの、連帯と相互義務感覚を芽生えにくくもする。こうした感覚を身に付けていれば、現代の不平等の拡大に立ち向かえるはずなのだ。
p. 311 課税は、たんに歳入を増やす方法というだけではない。共通善への価値ある貢献として何を重んじるかという社会の判断を表現する方法でもある。
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やればできるは魔の言葉
やればできるは魔法の合言葉ではなかった?「頑張れば報われる、大切なのは機会の平等」という通説を鋭く指摘し覆す。
※なお私は「やればできる」という言葉自体は好きであり、この言葉を励みに生きている。一方で、この言葉を裏の意味「できないやつ(成功してしない、貧困層)はやってない(努力不足、自己責任)」に捉え、安易に片付けるのは危険という意味で『やればできるは魔の言葉』と表現した。
■概要
能力主義、功績主義の欺瞞を社会、政治、宗教、哲学とあらゆる観点で指摘する。
特に学歴という選別装置が機能不全になっている、過剰な選抜体制になっていることを指摘。
それにより高等教育を受けられない、大卒でない労働者(工場労働者や小売店員ら低賃金の人々)の尊厳が奪われている。しかも彼らは身分制でなく、能力主義によってその職にあるのだから、彼ら自身の選択、原因という屈辱を押し付けてしまっている。世界がますます分断に向かうか、人類が驕りと屈辱ではなく尊厳を回復できるか。まずは能力主義の問題という現状に目を向けることを本書では訴えている。
・アメリカドリームはない
格差が固定されているのは、富の再分配や機会の平等が不十分なだけでなく、機会の平等そのものという考えそのものに欠陥がある。
機械の平等に見えるものも、①実は運によるものが大きいこと、②ニセ実力主義≒身分制の延長(親のコネや寄付)によるゲタ、③アファーマティブアクションなど時代の調整によるものが影響している
・壮大な人生観、社会学、哲学書
本書は心理学にとどまらず、ギリシア哲学、プロテスタントと資本主義(ウェーバー)、大学の歴史、そして近年の2016ポピュリズム政治「トランプ政権誕生&ブレグジット」をふまえて能力主義を捉えている。まさに能力主義(功績主義)により屈辱を浴び、尊厳を奪われた人たちの反乱が2016年の帰結だと。民主党、特にオバマやヒラリークリントンが唱える「機会の平等」に問題があったからこそ、能力主義から漏れた人たちがトランプを支持した。
また一見正義に見える能力主義が形成された歴史が分かる。カトリック=貴族制、身分制、ひいては免罪符による腐敗であり、ネガティブなイメージがあった。一方でプロテスタント=勤勉、平等、自由と発展というイメージだったが、そのProtestantism(それ自体は崇高でも)が資本主義の歪み、行き過ぎた能力主義の源流である。
(参考)
ふろむだ『人生は運よりも勘違いさせる力〜』と少し重なる。こちらは超簡易版で、これはこれでおすすめ。ハロー効果による錯覚資産をどう活かしていけるかを考えられ、まずは心理学の一分野というミクロかつ具体から帰納的に理解するのもあり
■所感
・改めて人生は運
これまで人生は運であり、その運をいかに最大化するか、確率を少しでも高めるかが本人の努力という認識だったが、それも驕りであるのかもしれない。人事を尽くして天命を待つ、の人事を尽くせるのも運なのだと
・『共通善への貢献』に共感した
貧困は貧困で問題だが、やはり共感善に貢献する機���、貢献していることを実家できないことが課題。貧困はUBIや所得調整で解決できるが、共通善への貢献を感じられるようにするには所得調整は必要条件であり、他の要素も必要だと感じた。
具体的な解がある訳ではないが、贈与と感謝だとか文化的な喜びがヒントになるような気がする。そのためにも、自分は何者であり何のために生きるのか、を考えさせる教育(本書内の学歴獲得のための高等教育とは異なる)をあらゆる人々に提供することは大切ではないか?
・難しく読むのに苦労
このような英語の論説は翻訳が難しく、訳の分からない日本語になりがち。その一方で本書の日本語自体は悪くないものの、いかんせん元の英文が抽象概念を説く内容なので、日本語に訳すと難解な文章になりがち。英語力ある人なら原文で読んだ方が理解できるかも
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能力とは何か?功績とは何か?
どこまで個人の範疇で、どこまで社会の範疇か?
能力主義は必ず勝者と敗者を生み、敗者には屈辱や怒りが生まれる。
それが表面化したのがトランプの勝利である。
専門家による政治(テクノクラート)は民主主義の範疇なのだろうか?
不平等を社会的流動性でカバーするアメリカンドリームはもう機能しておらず、世界的にもそんな国は一握りである。
高等教育を重視すればするほど、不平等を個人の能力の問題に落とし込み、敗者の自己責任にしている。
そして、現在の政治は高等教育を受けたものが占有しているのが現状である。
所得、人種など広い意味の多様性を共有する公共の場を作り、互いに尊重できる条件を作ることが有効である。
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功績主義=メリトクラシーを批判的に書いた本。日本は周回遅れをとっている領域の議論。
メリット(功績)が評価されることが徹底された社会において、功績を出した人と、功績を出せていないとされた人々との断絶が起きている。お互いの人々は日々の生活において交わらない。
メリットは果たしてその人だけの手柄なのかと。
その人が生まれ育った環境というアドバンテージがあったはずなのに、メリトクラシーは、功績は全てその人の手柄で賞賛すべきに値する、という勘違いや思い上がりをうむ。
もっと謙虚になるべきという議論。
オバマ大統領なども例示として出てきて、「スマート」を多用した、meritocracyの体現者として出てくる。
オバマによる環境問題を議論しない人は、前提知識が欠如したスマートでない人たちという論理展開も、結局は、環境問題以前に自分達のアイデンティティが脅かされていることの優先度が高いという人たちを理解しない、功績者とそれ以外の断絶を物語っていると。
経済社会は、消費が目的であり目標だと言う、国富論以後の理論は間違っている。
消費ではなく労働自体も目的である。
つまり、働くことで共通善に対して貢献している(貢献的正義)と同胞から評価されること自体が労働の意味でもある。
つまり「金のためだけに働いてるんじゃない!」って話である。
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「能力主義」や「学歴主義」、そして、「自己責任論」に
疑問を投げかけ続ける。
努力をするのにも、環境という名の「運」がいる。
周りあっての自分。完全な「自助」など存在しない。
見下してしまう誰かは、ひょっとしたらこうなってしまったかもしれなかった自分。
そういったことを示唆する一冊。