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何か特別なことが起きるわけではないんだけど、なぜか読みながら泣きそうになった。自分の人生や自日常にもっとしっかり目を向けて、じっくり、大切に噛み締めるように生きていきたいって思った。植物を愛おしむこと、食事を味わって楽しむこと、人と関わること。自己啓発本を読むよりずっと響くような、現実を豊かに生きるヒントみたいなものがたくさん散りばめられている気がする。
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数えるくらいしか読んだことのないアイスランド小説。
戸惑う、戸惑う!
→https://blog.goo.ne.jp/mkdiechi/e/611beea95124ad564eb4e921d5c9c84d
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初めてアイスランド作家の作品を読んだ。翻訳が素晴らしいのもあると思うのだが、とてもとても面白かった。優しい青春物語であり、現実を描きながらファンタジー的要素もある。小川洋子さんの作品が好きな人にお薦め。
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うーん…。
アイスランドの小説を読んだのは初めて。
文体は読みやすく、ロードームービー的な視点や、新しい土地での生活を始めるワクワク感はあるけれど、主人公の言動が理解しづらく、地味にしんどかった本。
主人公の母、父、弟の描写は悪くない。
アイスランドは、文学のさかんな国で、ジェンダーギャップの観点から先進国だというのは聞いていた。植物があまり育たないレベルの火山と温泉の国。子供の頃に読んだ「地球家族」でもアイスランドの一家はかなり裕福に見えた。
今回、特に気になったのは婚外子の扱い。
解説によれば、アイスランドは婚外子の割合が世界一高く、2018年に生まれた子供の7割強が婚外子だそう。
あまりに自分の世界と違う事実に驚いてしまったが、読み進めると、そうでもないらしい事実にさらに胸が苦しくなった。
主人公ロッビはやる気のなさげな青年で、亡き母の残したバラをヨーロッパ大陸のどこかの古い修道院に運んで庭を作ろうとする。雰囲気からするとフランスの北部か、ドイツあたりか。
ロッビには、少し前に一度だけ体の関係を持った女性との間で子供が生まれる。
その女性がロッビの修道院まで赤ちゃんを連れて押しかけ、自分が論文を書き上げるまでの1ヶ月間赤ちゃんを見ていてほしいと言う…。
でもさあ、子供の父親とはいえ、数回しか会ったことのない男に、赤ちゃんを預けることが現実味がない。
家事もできないし、修道院の仕事もある。
赤ちゃんの描写もまた現実離れしていて、とにかく手がかからないだけでなく、9ヶ月でラテン語を教えたらいくつか覚えたとか、20ピースのパズルができる、とか、テレビも見せずに大人がワンオペで仕事もしながら子供を見てるとか、ありえないでしょう…。今はとりあえず時短で、ベビーカーで寝ているうちに仕事をするとか、この先本当にすぐ詰むよ。赤ちゃんの気質頼みなんて危うすぎる。
ふう。。。うちの子供が手がかかりまくったせいもあるけど、この育児部分は、読んでいて、違和感が大きかった。
結局、女性はその場に残り、主人公とは時間を分けて、赤ちゃんの世話&仕事/勉強をするのだけど、ここもふわふわすぎる。
いきなり一緒に住めるほどの関係を作れなかったからこそ、こうなっていたんではないのかなあ。
赤ちゃんの命や安全を第一にするのなら、こんな行き当たりばったりは有り得ない。
時間を経て、女性とは恋人のようになるものの、そこも予期せぬ妊娠を経験したわりに、どうにも詰めが甘くてイライラしてしまった。
結局、この幽霊のような印象の女性が、子供とも、主人公とも距離を置こうとするのが一番納得できた。
それにしても、このあたりの違和感を抱えたまま解説を読んで、作者が女性で、しかも子供もいると知って、理想の世界を描いているのカナ??と思ってしまったほど笑。
アイスランドの制度についてよく知らないけれど、婚外子がこれほど多いのなら、学生のまま出産したこの女性のようなパターンも多いはずで、なんらかの救済制度があるのではないかなあ。
一人で勉強しながら育児するのは、仕事しながら育児よりもっと��んどいはず。
こんな関係しかない男を頼るしかない現状がおかしいと思った。
(女性は主人公を好きらしいのだけど、正直どこがいいのか本当にわからない)
映画マニアの修道僧の言動も、やたら偉そうでイライラした。
子供が寝ているあいだに映画を観においでとか、それも現実的じゃないし、料理をはじめ、参考になるよとやたら映画を見せようとしてくる人って身近にいたらけっこう疲れそう。と思うのは、私が疲れているだけかもしれないけど。。。
ストーリーのなかの、ステンドグラスや光、色についての描写が印象に残った。
冬の長い北欧の教会では光をできるだけ取り込むために、壁は減らして窓を大きくした。それゆえ壁画は発達せず、代わりにステンドグラスができた、と谷口吉郎の本にあった。
この本を見ると、その感覚が理解できた気がしたし、火山の国のアイスランドから来たロッビの植物や色に焦がれる気持ちはさらに凄いだろうと思う。
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アイスランド発の小説(英訳版を日本語訳したもの)初読。22歳のモラトリアム青年が一念発起し、ヨーロッパのどこかにある修道院のバラ園に亡き母が丹精した8弁のバラを接木しに行くという話だが、文化・習慣の違いを強く感じた。ぼくは一種の“家族小説”として読んだが、解説によればそうした書評はなかったとのこと。男らしさや女らしさ、父親と母親の役割、結婚や出産についてなど、本書が書かれた2007年当時と現在ではだいぶ状況が異なるらしいが、いずれにせよ日本の“常識”では理解するのが難しいかもしれない。小説としては楽しめたけれど。
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『順番は逆だけど、子どもがいたから家族になれる』
母の遺した『八弁のバラ』を携え、遠くの修道院へと向かった青年。そこで、一夜限りの関係で生まれた娘とその母親と一緒に過ごす中で、家族のあり方を見つめ直していく。
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外国の修道院の庭園にバラを持っていくために旅に出た青年ロッビ。以前に一度だけ関係を持った女性との間にできた一歳にもならない子どもと暮らすことに。戸惑いと不安のなかで大切な人のために学び始める。料理や子育てを周りの人に助けられながら、自分の意思で選択していく。頼りなさそうに見えて実はそうではなく迷いながらも進んでいく過程がいい。学ぶことが楽しく、それを喜んでくれる人がいるということの尊さや幸福感に満ちている。素敵な作品でした。
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母が遺したバラをもって旅に出た僕。辿り着いたのは片田舎の修道院。父親は悪い人ではないが、「僕」が望むことに理解を示さない。強要はしないが大学の進学を望んでいることを口にする姿は国は違えど父親の望みは同じなのかもしれないとそんなことを思ってみる。僕には一夜の過ちでできた子供がいる。子供の母親から、子供を預かって欲しいと頼まれたことから僕の世界は一変する。それを丁寧に、柔らかい描写で描いている。22歳の僕は若さゆえの悩みや青さはあるし、世界に対して斜に構えているようにも見える。だけど、世界はそんなに悪くない。
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母が遺したバラをもって僕は旅に出る。遠くの修道院にある庭園に植えるのだ。
ところが、温室育ちの僕の旅は、ままならない。飛行機内で腹痛にもだえ、森でさ迷う。
旅で会った女性たちとの関係を妄想しては、空回り。
当の庭園は荒れ果てており、手入れを始めたところ、意外な人物が訪れる。
かつて僕と一夜をともにした女性が、赤ん坊を預けにきたのだ。
こんな僕が父親に!?
ゆったりした時が流れる小さな村で、
右往左往しながら成長する青年と家族をあたたかく描く長篇小説。
2~3ページで日が変わる日記調の物語。女性受けは良い感じがする。これが文学で、ヨーロッパ各地で賞を受賞しているらしい。う~む……。装画が最高。本に触れ始めて日はまだ浅いけれど、過去一番の装画だと思いました。額に入れて飾りたいくらい素晴らしい。
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久しぶりにこんなにもどかしい本を読む。引き込まれる簡潔な文体でありながら、ファンタジーの作品のように一歩読み進めるごとに理解の深まる描写。家族のあり方の再考、といえば美しいけれど結局どこまで自分がなにものからもとらわれずに、心のままに生きていけるかということかな。まだ幼い子どもを育てる身だからか、1歳の子をおいて研究の道へ進む彼女に対して羨ましささえ感じてしまう。まだまだわたしもとらわれていると思う。
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子育ても、本当はもっとドタバタするのだろうし、きれいに描いてしまっているといえばそうなのだけれど、物語の雰囲気と植物を愛する主人公の心がそのまま現れたような文体が優しく、美しかった。
子どもから始まった関係がどこに行き着くのか。
恋愛関係にない男女に思いがけず子供を授かり、そこからどうなっていくのか、という物語はけして珍しいものではないけれど、彼の等身大の戸惑いが、恋愛に限らず、人と人との関係はもっと自由でいいのだと教えてくれているようだった。
読了後、訳者あとがきや解説から、アイスランド文学への愛を感じたし、英語圏以外の文学への興味がさらに拡がったので、とても良い読書体験をしたと思う。
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「子供が産まれたことを理由に慌てて結婚を強要する国」だからこそ「授かり婚」とかいう気持ち悪い言語がうまれてしまう。そして意味もなく「男だから」「年上だから」とまるで王族のように傲慢に振る舞う男が少なくないこの国に産まれ住んで本書を読んでみると、主人公の若者が自分の子供と別居していて、ガツガツ将来を語らない様子がちょっと頼りなく感じた。しかし偏見ヘルメットを被っているこちらが間違いとすぐに気づく。「本人達の幸せが理由としてあるなら結婚する」当たり前の事を前にどうして我々は真理に辿り着くのが難しいのだろうか?