投稿元:
レビューを見る
・「自分らしさとは」
・「近代」の目標の一つは、これまで人々を縛りつけてきた伝統の拘束や人間関係から人々を解放することだった。
・与えられた人間関係を、自分で選んだ関係に置き換えていく過程が近代化
・「聖なるもの」が見失われてしまった現代において、価値とされるものはもはや「私」しかない
投稿元:
レビューを見る
自分の中でそんな昔の視点で語られても今は違うんだよ、って思っていた「今」をきちんと解説してくれた良作。なかでも昔も格差はあったはずなのに、むしろ弱まったはずなのに、なんで今はそんなに平等平等って騒ぐのか、それの解説が一番しっくりきました。
投稿元:
レビューを見る
本書は「平等」という概念を再考察した上でデモクラシー論に結びつけたものである。
現代における「平等」とは、誰もが自分らしく生きることであり、そのために他者からこのように見られたいだとか、社会にあのようなものをもとめているとか、そういったものがやがて収束していくと政治の話になっていく、というのが大まかな内容である。
本書の内容は、一方で現代社会で人々が漠然と抱いている意識をうまく描写している点でも評価できる。そういったミクロ的な視点からデモクラシー論に展開しているため、本書で語られているデモクラシー論もまた説得的である。
投稿元:
レビューを見る
非常によく練られて深みのある論考が展開される、新書にしては珍しく読み応えのある作品です。個人的に読める冊数には限界があるのですが、新書でこのレベルの作品に1年に1回くらいあります。この作品は私個人にとっていえば、以前の読書感想文で取り上げた大澤真幸著『不可能性の時代』(http://mixi.jp/view_diary.pl?id=930414441&owner_id=320755)や森稔幸著『変貌する民主主義』(http://mixi.jp/view_diary.pl?id=920942985&owner_id=320755)に並ぶ作品と言えそうです。
著者自身も新書という手に取られやすい部類において、政治学と社会学的要素を盛り込んだ文章を読ませ続けるための工夫を意図的に加えているようで、とても親切な本だとも思います。読者自身がメディアとの接触から得ているであろう不平等意識の根源に光をあてながら、その照射点をだんだんと上につりあげながら、一個人の周辺にも目を配れるような説明をしています。
特に、書籍の中ほどで触れられている事例は、現代人が置かれている心理状態と、それが意識的・無意識的両面の発露から形成された社会を客観的に見た時の症状をあざやかに描き出しているように感じられます。それが、日本でも顕著なセラピストとカウンセラーの勝利や、ナンバーワンよりオンリーワン(http://www.jvcmusic.co.jp/-/Discography/A002763/VICL-35477.html)で癒される日本人、土地への帰属性から時間に従属する自己意識、短小化する個人意識の向かう対象としての時間軸などに示されています。
一億総中流社会の崩壊や、貧困の出現など誰もが感じていたはずなのにそれを正面から捉えることを拒否し続けてきた日本の政治と社会全体への審判をあっさりと下し、その先にある再度の連隊とのいえる人間同士のつながりと個々人の意識や希望の重なりからデモクラシーの再考を図っていきます。
確かに書籍の中頃で、引用される中曽根康弘氏(http://www.yatchan.com/)の比喩は半世紀近くにわたって日本政治の現場で民意を感じ続けた人間だからこそ語れる言葉です。投票行為が軽くなり、個人的問題の解決を最大目的とする投票が多いようでは、民意のなんたるかはますます風に吹き飛ばされます。だからこそ、「砂」ゆえの心地良さと怖さがあるのだと有権者自身が気づかなくてはいけないのでしょう。それが、古代ギリシア時代に存在した私的領域と公的領域の中間にあたるアゴラであり、歴史から学びという帰結は単純なようで奥深いものがあります。
ジグムント・バウマン(http://en.wikipedia.org/wiki/Zygmunt_Bauman)やウルリッヒ・ベック(http://www2.lse.ac.uk/sociology/whoswho/academic/beck.aspx)の作品からの引用が多く見られますので、著者のこれまでの知識や理論的背景には彼らの知的影響は感じながらもより精緻で深い理解のためにはこれら知の巨人に読み進む道筋が示されているとも言えます(あくまで著者の論理展開に賛成できればの話ですが)。
確かに、あらたにす(http://allatanys.jp/C003/20100105BGK00127.html)にある3紙書評の日経でも取り上げられているように社会学的見地からの洞察が多いように感じられ、経済活動や個々人の消費行動から醸成されるデモクラシー意識への影響とその関係性はあまり垣間見られません。��かし、個人的にはそれを補って余りある分析は展開されていると思います。
一方で後半の展望と主張の箇所については、著者のさらなる研究を待つべきレベルなのかもしれないと感じるところもありますが、いずれにせよこれを参議院選挙の前に読み終えておいてよかったと思うのです。とかく1票の格差や、当選した後の議員と自分の生活との接点を見出しにくい議会制民主主義の日本において、それを選挙民である私たち一人ひとりから変えていくためには必要な視点かもしれないとも思えるのです。
投稿元:
レビューを見る
公也先生の政治の講義で指定されていた本。著者は希望額の提唱者にして解くヴィルの思想を専門にしている。レポート、難しかったなあ・・ と内心では思ってる。
投稿元:
レビューを見る
トクヴィルの議論を契機としながら、個人化が進展した再帰的近代におけるデモクラシーの重要性を説いている。おおよそ、様々な社会現象を社会学や政治学の知見を用いながら、個人化の進展という視点のもとに分析する前半部と、そのような時代においてこそデモクラシーという政治制度が必要であることを主張する後半部に分けられる。そして最後に結論で本書での中核的主張をまとめてある。現代政治への規範的アプローチを考えるための手がかりを提供してくれる良書である。
投稿元:
レビューを見る
階級社会から平等社会への移行期に民主主義を見つめたトクヴィルを起点に、グローバルに平等意識が拡張された「私」時代の21世紀の日本及び世界でのデモクラシーの在り方について論じた好著。デモクラシーは権力の場に空虚を配置したフラジャイルなものであると同時に、それが故に常に内省を促すシステムであること、そして、個人主義が蔓延する現代で、各人の尊厳をリスペクトしつつ、「私」のイシューを「私たち」社会のイシューにして行く、ある種対話の場の重要性を提起している点に共感を覚えた。
投稿元:
レビューを見る
トクヴィルをはじめ多くの思想家・理論家の言葉が引用されている。
そのどれもが意味をもって2014年を照らしている。
今民主主義について考えるにあたって、最良の一冊のひとつであるように思われる。
投稿元:
レビューを見る
【読書その74】SMAPの「世界で一つだけの花」のように「ナンバーワンよりオンリーワン」。一人ひとりが私という存在を強く意識する社会。その中にあっていかに「私たち」の問題を解決するデモクラシーを実現するか。郵政選挙での自民党の圧勝時の中曽根元首相による「粘土が砂になった」という言葉は極めて重い。
投稿元:
レビューを見る
現代の日本人、特に若者の抱えているもやもやとした感情や思いを、社会学としてトクヴィルの平等理論を柱に用いて説明。
・〈私〉であることを強く求めるようになっており、そのため〈私たち〉というデモクラシーを起こす事が難しくなってしまっている。社会の中で以前は機能していた、公私をつなぐ中間の存在が、企業など、役割を縮小していることが一因
・一方で、〈私〉であろうとするには、社会が機能していなければならない。なぜなら、〈私〉であるためにはどうしても他との比較が必要であり、かつ、〈私〉でいてもよいという承認機能を持つのは社会であるから。
など。
他、印象に残ったこと。
・社会問題が個人問題として現出する。
・ノブレスオブリージュや名誉、といった概念は階層がある、つまり不平等を前提にした社会において成り立っていた
・グローバリゼーションにより、国家は「美観」を気にするようになり社会との差異を生んでいる。美観を気にする事により、そこについてくる事の出来ない国民を気にかけている余裕がなくなっている
投稿元:
レビューを見る
政治思想史、政治哲学研究者による、現代社会における諸問題を概括した新書。本当にこれはすごい。
多様な社会学的文献を引用し、今日本で起こっていること(政治の混迷、プリナショナリズム、自分探し、主体性の賛美等々)がどのような文脈の中で起こってきたことなのか、具体例に寄り添いながら丁寧に書かれている。
信仰が失われ、家族制度が崩れ、不平等が明確には意識されない、〈私〉という個人に重きが置かれるこのポストモダンの世の中でニヒリズムに陥るのか、それとも未来に希望を持って生きて行くのか。
目指して行くべき明確な方向性がない中、どのように模索するのか、そもそも模索を放棄するのか、個人的にずっとモヤモヤしていただけに、解決策が得られたわけではないが、モヤモヤの社会的文脈を改めて見直すことができた。
はじめに、の文章がいいので一部引用したい。
消費者の「自分らしさ」意識を満足させるための商品が、次から次へと生み出されています。とはいえ、それらは綿密な市場調査によって割り出された、類型化された「自分らしさ」に他なりません。「あなたらしさを演出する、定番アイテム!」などという吊り広告を見ると、なんともいえない気分になります。
投稿元:
レビューを見る
近代化がある程度達成されることで、人びとが自分を他者と平等であるような存在だと考えるようになり、そのために自他の違いについてますます敏感にならざるをえないことが、現代の社会のさまざまなひずみを生み出していることを、トクヴィルをはじめ現代の多くの社会学者たちの議論を参照しながら考察している本です。
ウルリッヒ・ベックによって焦点が向けられて以来、さかんに論じられてきた再帰的近代化の一つの側面を、わかりやすくていねいに論じています。著者は、単に問題の所在を指摘するだけでなく、それに対する処方箋を提示することもみずからの責務だと考えているようですが、結論としてはやや弱いと感じられます。また、かならずしもそうした処方箋を示す必要があるとも思えません。
とはいえ、全体を通じて関心を惹かれた論点がいくつもあり、興味深く読みました。
投稿元:
レビューを見る
#学術会議 で排除されて注目されているのか否かは定かではないが、これは著者の代表作と言えるのではないだろうか(あくまでも「庶民」感覚として)。結局、人生とは「個人」と「社会」の折り合いをどうつけていくのかという葛藤である。そこで「政治的」に問題になるのは、肥大化した<私>の処理である。哲学上の最大の問題は<私>とは何かであり、政治学上の最大の問題は<社会>とは何かである。本来は両者を架橋する学際的な「哲学」が模索されるべきだろう。とはいえ、著者は政治学者でありトクヴィルの専門家である。そのトクヴィルの懸念した状況が加速しているのが現代社会である。すなわち、著者は公共精神を失った現代社会を懸念しているわけであり、学者としては「ある意味」真っ当な部類である。そういう著者ですら国家から排除される状況とはいったい何なのか?現政権を考える上でも必読の書と言える。まず、「はじめに」だけでも読んで欲しい。で、心がざわついたなら本文を読んでみて欲しい。
投稿元:
レビューを見る
民主主義について「私」という観点から論じているやや抽象的な内容が多く難しい本だった。フランスの政治学者トクヴィルの研究家だそうで、彼の言葉が再三登場するが、「平等化進展のゆえに、自他の違いに敏感になる」、それだけに人間の孤独が進んでいるのだと痛感した。こういった文脈の中で2009年の政権交代のこと、その前の小泉・安倍時代のことが説明されていることが非常に分かり易く、「小泉首相の人気が自分の思いを前面に出していたから」という説明は今さらながらそう思う。「アメリカ後の世界」が「アメリカの没落」ではなく、「その他の全ての国の台頭」という説明もこの背景の説明として分かり易い。
投稿元:
レビューを見る
トクヴィルの「平等化」の時代・・・人々の平等化が実現し、安定したじだいのことではなく、人々の平等・不平等が意識化し、結果的に声をあげるなどすることで既存の秩序が動揺していく時代のこと。
近代の個人主義・・・伝統的な共同体や宗教などの束縛から解放され、自らの自分の運命を決められるようになった個人化のことを指す。
現代の個人主義・・・社会的不平等の個人化など否定的な個人主義の側面が強い。