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戦前既に大衆娯楽の王様となっていた映画。戦中には国民の戦意高揚映画が多数作られたが、戦後は一転、軍国主義、封建主義を排し、「民主主義」を啓蒙する作品を作ることが奨励された。そのために取られた手段が、占領軍による"検閲"である。
それは民間情報教育局(CIE)と対的諜報部のもとにあった民間検閲支隊(CCD)の二重構造であった。
1945年11月には、民間情報教育局(C IE)から13項目の禁止令が出された。軍国主義を鼓吹するもの、国家主義的なもの、民主主義に反するものなどのほか、最後に
ポツダム宣言または連合軍総司令部の司令に反するものとの項目があり、この解釈運用によってはどのようなものも禁止することができた。
そして、戦前の日本官憲が検閲の事実を隠さなかったのに対し、米国は検閲の事実をオープンにはしなかった。
以下、個々の作品に即して、日本側と米国検閲官とのやり取りが具体的に示される。
特に、亀井文夫監督『日本の悲劇』と黒澤明監督『我が青春に悔なし』については、作品解釈も含めて詳細な分析がなされており、読み応えがある。
検閲は、占領政策の転換に伴い変化してきたようだ。初期を理想主義的なものとすれば、日本を反共の防波堤にしようとした時期からは、そうした思惑が強くなってきている。
第15章に著者の感慨が示されている。映画界でも戦中の戦争協力について、少なくとも表面には真摯な反省はなかった。この点について、著者は言う。多くの日本の監督は、要請されたらどのような映画でも作ることができた。その意味で、日本の監督は芸術家というよりは職人であるという論議は当たっているであろう。…こうした
仕事に熱中する日本人の精神構造を、戦時中の政府も占領中の当局も利用したのであろう、と。