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2012年度、第22回 ドゥマゴ文学賞受賞。著者、金原ひとみは『蛇とピアス』『アッシュベイビー』でアンダーグラウンドなイメージしかなかった。この長編の登場人物、ユカのキャラはちょっとそちら側の雰囲気が漂う、読み進めるごとに、育児ノイローゼの母親たちの、深刻なこころの叫びに共感を覚えた。読み終えて、産み育ててくれた母親の偉大さにただただ感謝するばかりである。世の独身男性におすすめの一冊。
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* 母という、男である自分が分かり得ない物語。不安定な3人の人生を読んでいる間は常にハラハラさせられる。読んでて凄く疲れるんだけど、止められない本だった。
* SNSのフィードに流れてくるキラキラした赤ちゃんの写真の裏側、子育てのダークサイドが詰め込まれた物語。こんなにもヘビーなのか…と、素直に世の母を尊敬した。
* 金原ひとみのどうしようもなくダークな文章は、正直蛇にピアスを読んでも何も思わなかったけど、母親目線の狂気というか、そういうのを得たのかな。きっと自分で出産して、一層自分のダークな部分と向き合ったりしたのかな。
* 弥生が死んじゃったのは本当にショックだった。まだ小さいながらに仲の悪い両親の顔色を伺ういい子。あんなにあっけなく終わっちゃうのは、ちょっと衝撃的すぎた。
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疑問が多い話だった。テーマは何だろう?育児の辛さ?不倫?女性の生き方?子どもの愛おしさ?
涼子は腱鞘炎になっているのに、なぜずっとスリングを使い続けたのか?抱っこ紐が主流では?
ユカと五月とは反対に、涼子は庶民で夫や両親の理解や助けがない中での孤育てで追い詰められ、虐待に走る。確かに孤独な育児で、夜泣きや長引く病気は大変だ。しかし、保育園に預けたり友だちと遊んで気分転換しており、それでもまだストレス?と思ってしまう。貯金を切り崩しているとはいえ、仕事しなくても高い保育料を払え、セレブな友人と一緒に遊べるレベルの生活かと思うと切迫感を感じず、涼子が虐待に至る理由がただ単に彼女が精神的に未熟だからかと感じてしまう。
弥生の死後、なぜユカは離婚、再婚、妊娠となったのか?ドラッグや摂食障害はどうなったのか?妊娠への影響は?ミカとオギちゃんは?
ドラッグに走ったきっかけや摂食障害になった理由がわからず、ユカの考え方も理解できなかったので、一番の謎人物。
奇抜な外見の人は、ママ世界では一番嫌煙されそうなのだが、ユカはママ友もでき、涼子や五月からも打ち明け話をされる存在。そんなに魅力的か?
解説では作者の考えを反映した存在と書かれていたが、セレブママさん作家はこんな生活をしているのか。
五月は不倫の子の妊娠、流産を通して幸福感や喪失感を感じたり、将来の不妊リスクを心配していたが、弥生出産前に中絶した子については考慮に入れないのだろうか?
弥生の死はとても悲しい出来事だが、いやいやよく考えたら高級ホテルで不倫してその間シッターや母親に子ども預けて。「自分がこれまで育てたのがパーになった」というような一文があったが、そんなに世話してなくない?と思った。
頻繁にタクシーに乗り、広い家でシッターや家事代行に育児や家事を手伝ってもらい、パーティーで遊び、オシャレな食事が日常でといったユカと五月の存在は、チャリで雨の日も風の日も子どもを乗せて走り、焼きそばや煮魚が頻回に食卓に上るような生活の私には全く共感できなかった。
子どもを持つ母親がこの本を読んで、どれだけの人が共感できるのだろうか?
そもそも共感を目的に書かれているのだろうか?
誰に向けて何をテーマに書いた話なのか?
愉快も不愉快もなく、理解もできず。
謎の多い作品だった。
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衝撃の小説やった。
嫁さん含め、世の妊娠、子育てを経てきた人(ingの人も)はこんな思いをしていたのか、そりゃ少子化になるわ。そりゃ子供なんて欲しくないわ。俺もきっと恨まれてきたんやろなぁ…
小説としてはスゲーと思う。ただ、とんでもない現実を突き付けられた感があって「オモロかったか」と言われると、決してオモロくはなかった。俺の思ってた母性とか親子愛は自分勝手な幻想やったんやと思い知らされた気がする。
もし、これが世の女性のほとんどが感じることであるなら、子どもなんて産まなくて良いし、日本なんて滅んでしもたらエエねん。
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3.5
同じ保育園に子供が通う3人の母親達。
ドラック、虐待、不倫、皆それぞれぶっ飛んでる。
育児、格闘、孤独や悩みが本当リアルに書かれていて、乳児期のノイローゼになる程追い詰められる所や、旦那への苛立ち、もう解りすぎて当時を思い出した。
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女性が母になると抱く葛藤、育児の辛さ…特に1歳までの乳児期は睡眠も細切れで、思考能力も判断力も低下する。ほっとけばすぐに死んじゃうような赤子を抱えて、でも一瞬の隙間時間があれば1分でも寝たいと訴えてくる脳と体。
育児の地獄体験にはわかるーわかるーと同意できる反面、クスリをやっているユカの脳内はぶっ飛びすぎており、旦那の浮気を疑い発狂する姿は恐怖だった。
母親の中にはこんなドロドロが渦巻いているんだよ、と男性に勧めたい気もするが、暗すぎて引かれるかもしれない。
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『絶望が私の一番の起爆剤であって、生きていく糧でもあるんだ』
『私を助けるものはインターネットもない。携帯にもない。家庭にもない。自分の中にもない。多分そんなものは存在しない』
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まったく関連性がないのだが、読みながら島尾敏雄の「死の棘」を思い返しながら本作を読んでいた。
・不倫モチーフという共通点。
・精神的に追い詰められた果てを執拗に追う著述。
・触れると崩れ落ちそうな緊張感に包まれた小説世界。
・鳥かごのような逃げ場のない地獄を、どこか引いた目線で見つめる態度。
「死の棘」では、妻が妄信した旦那の虚像(内地から来た青年将校と島の娘の大恋愛の末の結婚)が暴かれた先の地獄の日々が描かれていたが、本作が暴く虚像は「母性」。
すでに真綿が首に巻き付いた状態で小説が始まり、緩慢に頸動脈を圧迫されるがごとき読書なのだが、いたたまれなくも中毒性があるところも「死の棘」と同様。叫びだす数秒前の人と対峙しているような緊張感に満ち満ちており、作家と読者の真剣勝負。
読むにあたっては心のスタミナと相談しながら読むべきだが、読んで後悔のない一冊。
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女性って混沌とした生き物なんだなと思わされる本
「ヒステリーは女にとって年に数回の祭り」という表現、なるほどなと納得 笑
これ系だと個人的には同時期に読んでいた山田詠美さんの「つみびと」の方が好き
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こいつはまた、ええじゃないか。
最初はセレブvsパンピーかよー、このブルジョアどもめが、って感じだったけど、まぁ最終的にも感情移入できて心情が理解できるのはパンピーだけだったけど、でも三者三様にそれぞれ楽しいのよ。
ユカが突然と厨二病みたいな説教始めるのも悪くない。こんな面倒くさいこと言うのか普通って思ったけど女の人は時々こうだからな、それに比べて別居して巨乳DVD見てオナニーしてんじゃねーよと突っ込まれる央太は実にどうしようもなく、ていうか女流作家故にか概ね男はうんこな感じで描かれてるのもなんか、ブルっちゃうっていうか、Mかな。
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2.8 とにかく読むのに時間がかかった。出てくる男も、いけてない。母になり損ねた女たちの物語。父になることもやはり難しい。
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力作だった。
女性版村上龍じゃないかな、この人。
結婚、出産を通じての女性の生きづらさ。それは他者性だろう。
結婚した男性との他者性、出産した自分の他者性、そして子供という他者性。
登場人物の3人のマザーはバックグラウンドも思想も仕事も違う。それぞれの生き方の中にその一気に来た他者との格闘に疲弊し切っていく。
キャラクターの違いもある。ユカは作家&ヤク中で嘘つきだ。涼子とのイザコザは感情と論理の対立だ。意味と論理と感情の対立。涼子の感情をユカは論理で処理しようとする。そこに言いようのないすれ違いがある。モデルで芸能人の五月は取り繕う事が上手く仮面夫婦である夫との関係に疲れ不倫に走る。経済面、生活面で困窮を抱える涼子は虐待に走ってしまう。
3人の夫は最初圧倒的な他者として描かれ、最後には包容力を持って描かれる。
安易な解決法を導かず圧倒的にマザーズの有り様を描き切った傑作と思うぜよ。
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あなたは、『育児』真っ只中の女性がこんなことを口にしたらどう思うでしょうか?
『子どもと二人でずっと家にいる。それがぐつぐつと煮えたぎる五右衛門風呂に沈められたり、針山に落とされたりするのと同等の地獄であると知ったのは、出産直後の事だった』。
2021年に改正された”育児・介護休業法”の施行に伴い、男性がより積極的に『育児』に関わる世の中の動きがあります。しかし、この国の『育児』の中心はまだまだ圧倒的に母親が中心となるものだと思います。親子三世代同居というような考え方はほとんど見られなくなったこともあって、『育児』は母親がアパートやマンションの一室で、世の中から半ば隔離されたような環境下で黙々と行うもの、そんな状況があると思います。
人は集団社会の中で生きる生き物です。それぞれに手を差し伸べ、助け合っていく、それは”古き良き時代”であれば隣近所というコミュニティによって、例え『育児』という場面であってもなされてきたのだと思います。しかし、今やそんなお伽話のような環境はどこにもありません。一人孤独に『育児』と向き合う、さまざまなことに不安になり、思い悩み、葛藤しながら、目の前に泣き声をあげる子どもと向き合っていく他ないのだと思います。
そんな中では、何が正解か『考えれば考えるほどどうしたら良いのか分からなくなっていく』、そんな思いに苛まれることもあるのだと思います。悩めば悩むほどに『私を助けるものはインターネットにもない。携帯にもない。家庭にもない。自分の中にもない。多分そんなものは存在しない』と狂おしい思いにも陥っていく母親たち。
『育児は楽じゃない。いい事ばかりじゃない』。
そんな現実を噛みしめながら、それでもそんな我が子と日々を歩んでいく。日々少しずつ成長していると信じながら、我が子と向き合っていく、そんな側面が『育児』にはあるのだと思います。
さて、ここに一歳、二歳、三歳半という子どもの『育児』真っ只中の三人の女性を描いた作品があります。性格も環境も何もかも異なる三人の女性たちが『ドリーズルーム』という『認証保育園』に子どもを預けることで関わり合いを持っていく様が描かれるこの作品。そんな日々の中に、
『皆が普通にやっている事だ。結婚も妊娠も出産も育児も家事も、皆が普通にこなしている。私は何故そこに順応出来ないのか』。
そんな思いにも苛まれていく主人公の姿を見るこの作品。そしてそれは、リアルな『育児』の光と影を読者の前に赤裸々に綴る金原ひとみさん渾身の物語です。
『後ろからバイクのエンジン音が届き』、『恐る恐る振り返ると』、『二人乗りのバイクは私に近づき、ぶつかるっと』いう瞬間に『後部に乗っている男にラリアットをくらわされ』倒れ込んだのは主人公の一人・中山涼子。『バイクから降りてきた男』は『バッグを奪』い、『ものすごいスピードで』涼子の前から姿を消しました。『全身から力が抜け』る涼子は一方でこのことが起こらなかった自分を想像します。『睡眠不足』のためすぐに眠りにつくものの『二時間もしない内に一弥が目を覚まし泣き喚き』、『一弥��声に目を覚ましもしない浩太に苛立ち』という展開。『子どもが生まれて約九ヶ月。私は事件を求めていた』という涼子は、『育児の意味が分からない』という今を思います。一方で家へと向かう中で『全く相反する温かい気持ちが芽生え』ます。『一弥の笑顔が見たい。一刻も早く…抱きしめたい』。
場面は変わり、『五月は、二人になると甘えるよね』、『俺たちもう半年になるんだよ』と待澤に『首筋を愛撫』されるのは主人公の一人・森山五月。『久しぶりだったせいか、今日は特別激しく、特別長かった』という行為の後、ベッドに横になった五月は、『百七十五の身長に、幼女のような胸、瘦せぎすの体』に『私はエイリアンだと思っていた』という自らの体型を思います。『自分を美しいと思えるようになるまで時間がかかった』という五月は『仕事で成功していく過程はそのまま、私が自分フェチになっていく過程でもあった』と振り返ります。そして別の日の朝、『弥生、そろそろ起きな』と娘を起こした五月は、『実家のマンションへ弥生を連れて行』った後、『撮影とインタビュー』の仕事へと向かいます。
場面は再度変わり、『シッターの山岡さんを見送ったその場で、玄関で眠ってしまった』のに気づき頬を上げると娘の輪(りん)が『首を傾げているのに気づ』いたのは主人公の一人・土岐田ユカ。リビングへと入り自席に座った輪に『ロールパンとハムと作り置きしておいたゆで卵を皿に載せる』と『ちゅるちゅるめんめん、ためたい』と不服そうな顔をされてしまいます。『保育園で他の友達が言っていたか、保育士が教えたのだろう』と思い、舌打ちするユカ。その後、ソファに横になったユカのもとにやってきた輪を抱き上げると『満面の笑みを浮かべきゃっきゃと声を上げ』るのを見て『愛おしさに、胸が潰れそうになる』ユカ。そんなユカは輪を保育園へと送ったあと、自室へと戻り『書きかけの原稿をクリックし』ます。
三人の母親が『ドリーズルーム』という保育園での関わり通じて、一人の母親として、そして、一人の女性としてそれぞれの人生を生きていく姿が描かれていきます。
“同じ保育園に子どもを預ける作家のユカ、モデルの五月、専業主婦の涼子。先の見えない育児に疲れ切り、冷めてゆく一方の夫との関係に焦燥感を抱いた母親たちは、それぞれに追い詰められてゆく”と内容紹介にうたわれるこの作品。赤ん坊を抱き上げる聖母を思わせるかのような母親の姿が大きく描かれ、そこに「マザーズ」と書名の入った表紙が強いインパクトを与えます。そんな作品は最初から最後まで書名の通り『育児』真っ只中の三人の母親たちの姿がこれでもか!と金原ひとみさんの鬼気迫るような筆致のもとに描かれていきます。あなたは、『育児』にどのようなイメージを持っているでしょうか?そんな時代を遠い過去に見る方、経験のない方、そして現在進行形の方、大きく分ければこの三つのいずれかになるのだと思いますが、この作品はどの分類に属される方が読んでもそれぞれに激しい衝撃を受ける作品ではないかと思います。文庫本で600ページ超えという圧倒的な物量で『育児』真っ只中の母親の心の内をさまざまな視点から炙り出すこの作品。では、そんな物語の主人公三人をご紹介しましょう。
・土岐田ユカ、25歳、���婚6年目の小説家。夫・央太とは関係悪化を期に『通い婚』状態となるが、逆に仲の良さが復活。二歳の輪(りん)を育児中。薬物に溺れる姿が度々描写される。涼子とは高校時代の同級生。
・中山涼子、26歳、結婚2年目で職探し中。夫・浩太は育児に非協力的であり、保育園に通わせることを良く思っていない。一歳の一弥を育児中。虐待をうかがわせる姿が度々描写される。ユカとは高校時代の同級生。
・森山五月、29歳、結婚5年目のモデル。夫・亮とは『格差婚』を引き金に関係が冷めているものの離婚には至っていない。三歳半の弥生を育児中。予備校の非常勤講師・待澤と肉体関係を続ける一方で『ママさんモデル』として活躍。
三人は『ドリーズルーム』という『認証保育園』に子供を預けているという共通点もあって『ママ友』としての付き合いをしている…そんな三人の『育児』な日々が描かれていくというのがこの作品の概要です。上記三人の設定を見て、感情移入できそうな人が一人もいないじゃないか!というのが男性の私の正直な感想です。女性の方にも思うところは多々あるかと思いますが、この作品はおそらくそんな設定上のイメージでは分からない感情移入対象としての姿を三人に見せていく作品でもあると思います。それこそが、今まで読んだことのない、『育児』真っ只中の母親たちの内面をこれでもかと曝け出しながら『育児』な日々を送る三人の描写です。次にこの側面から見てみたいと思います。まずは、こんなリアルな『育児』の場面です。
・『耳だれと鼻水を垂らす我が子を見ていると、この子の体内は腐敗し、この黄色くねばつく液体が頭から指の先まで詰まっているのではないかという気になる』と『抗生物質』を止められない状況に苦悩する涼子。
→ 『一弥が常に鼻水を出し中耳炎を繰り返しているせいで、完璧にたてたはずの予防接種のスケジュールも狂いまくっている』。
→ 『今手元にある予防接種票は三種混合が二枚とポリオが一枚…これからの季節に備えてインフルエンザも打ちたい… このままでは近々風疹麻疹混合の予防接種票も届き、接種スケジュールは更に混迷を極めるだろう』。
これは私も自分の子どもの予防接種で同じような苦労をしていたのを思い出します。ここまで母親のリアルな苦悩を他の小説に見たことがありません。育児経験者の金原さんならではの細やかさ、『育児』あるあるだと思います。次はママさん同士の会話を見てみましょう。
・ユカ: 『涼ちゃんはどうなの最近?育児はうまくいってんの?』
涼子: 『まあ、大変』
ユカ: 『ストレスない?』
涼子: 『あるよ。もう毎日へとへとだもん。ユカは?もう楽になった?』
ユカ: 『あー楽になったー、って感じたのは一歳三ヶ月だった』
涼子: 『あと半年か。早く喋れるようになって欲しいよ。何で泣いてるのか分かんない時が一番辛い』。
これも同感です。何が原因なのか?何をして欲しいのか?こんなに泣かれるならなんでもしてあげるのに理由がさっぱりわからないというのは限りなく苦痛だと思います。まあ、喋れるようになったらなったでそれも大変ですが、いずれにしてもリアルな会話だと思います。次は、保育園をどう思うかというこんな心の内です。
・『保育園に行くため駅に向かって歩き始めると、一気に気分が軽やかになった』という涼子。
→ 『保育園に着けば私は自由になる』。
→ 『病院や調剤薬局で待たされるのと違って、自分が歩けば歩いた分保育園に近づき、抱っこすれば抱っこした分残りの抱っこ時間が減る、という事は素晴らしい幸福だ』。
これはどうでしょうか?『育児』に苦悩する時間が長ければ長いほどに、いっ時でもそんな『育児』から解放されることを望む感情の発露を描きます。このような感覚を覚えること自体に罪悪感に駆られる方もいらっしゃるかもしれませんが、これまた『育児』の本音をリアルに表した表現だと思いました。
このようにこの作品では、一歳、二歳、そして三歳半という子どもを育てる母親の『育児』のそれぞれの場面が相当に生々しく描かれていきます。可愛い我が子という側面だけでなく、言うことを聞かない我が子に対するイライラした感情をそのままにぶつけていく三人の母親たちの姿は、綺麗事が散りばめられただけの『育児』を扱った小説に不満を覚えていらっしゃる、そんなあなたに是非読んでいただきたい。もしくは、中途半端な育児本を読むくらいならこの作品を読む方がよほどためになる。そして、精神衛生上も良いのではないか、そんなことも考えさせてくれる作品だと思いました。
そんなこの作品は上記した通り、ユカ、涼子、そして五月という三人の母親たちの生き様と関わり合いを見る物語でもあります。三人の母親たちの生き方はどこか薄氷を踏むような危うさを秘めてもいます。主人公の一人、小説家のユカは、『ユカの書く改行の少ない悪趣味な小説』と涼子が揶揄する表現をもってどこか金原ひとみさん本人をモデルにしたとも思わせる中に、一方で『抗鬱剤や眠剤などの処方薬から、MDMAやマリファナなどのドラッグまで、常に多種類の薬を持ち歩いていた』と描写され、その危うさが付き纏います。その一方で、娘の輪への対峙の仕方はどこかサバサバしつつもそこに愛情を感じさせるものがあります。次に職探しを続けている涼子は、三人の中で一人だけ一般人であり、その生活も慎ましやかで、本来であれば一番親近感を抱く存在のはずです。その一方で『さっき一弥を虐待していた時の恍惚と快感を思い出し、体が震えた』というように息子・一弥への激しい虐待を繰り返します。そして、モデルをしている五月は『弥生は私たちに喧嘩の予兆が出始めると「喧嘩だめ」「怒っちゃだめ」とそれぞれに注意して私たちを和ませた』というシーンの描写など娘の弥生との関わり合いはとても穏やかです。その一方で『私は彼と不倫を続ける生活の中で、いつの間にか自分と待澤を切り離して考える事が出来なくなっていた』と不倫の日常を送ります。
全く異なるタイプの女性主人公が三人もいるにも関わらず、誰にも感情移入し難い側面がある、それがこの作品のなんとも悩ましい特徴です。誰にも感情移入したくない主人公たち、しかし、『育児』に向き合う切々としたリアルさに満ちた心の声には共感するところ多々ありという状況が、彼女たちに近寄り難いのに近づきたいという不思議な感覚を読者に与えていきま��。これこそがこの作品の絶妙な構成の妙、複雑な思いに読者を抱かせていく所以なのだと思います。そんな主人公たちはさまざまな思いを独白してもいきます。
・ユカ: 『育児の大敵は孤独だ。孤独な育児ほど人を追い詰めるものはない』。
・涼子: 『子どもと二人でずっと家にいる。それがぐつぐつと煮えたぎる五右衛門風呂に沈められたり、針山に落とされたりするのと同等の地獄であると知ったのは、出産直後の事だった』。
・五月: 『聖母マリアに象徴されるように、母とは最も満たされた存在であるように捉えられているけれど、本当は昔から、母なるものが誕生したその時から、母とは最も孤独な存在であったのかもしれない』。
そう、そこにあるのは孤独な存在としての母親を意識する三人の主人公たちの姿です。三人は見かけ上仲の良い時間を過ごしてもそれぞれに対する複雑な思いが交錯し続けます。そのあまりに激しい内面の吐露の連続に読者にもそれを受け止めていく覚悟がないと読みきれない作品だとも思います。物語は、ユカ→涼子→五月の順に視点が切り替わりながら進んでいきますが、最後の一周となって、物語はそれまで読んできた物語とは別物に色合いが変化します。どこか超然とした筆致に別の意味で衝撃も受ける物語。これから読まれる方には、そんな最後の展開にも是非ご期待ください。文庫本600ページ超えという圧倒的物量が嘘のように読み進めることのできる物語、『育児』に強い光を当てる物語がここにはありました。
『育児は楽じゃない。いい事ばかりじゃない』。
育児を経験された方には誰もが納得するであろうそんな涼子の言葉をしみじみと感じることになるこの作品。そんな作品には三人の母親たちが、『育児』に葛藤しながら、一方で一人の女性として人生を生きていく姿が描かれていました。育児未経験の方には『育児』がとても恐ろしいもののように思えてくるであろうこの作品。『育児』を遠く過ぎ去った方には、がんばれ!と主人公たちに声をかけてあげたくもなるこの作品。
“幼い我が子と対峙するとき、母はつねに孤独な存在だと思います”と語る金原さんの鬼気迫る筆致に、ただただ圧倒されるインパクト最大級の作品でした。
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はじめて読んだ金原ひとみさんの作品。
ドラッグ、虐待、不倫、流産……なんとも重たい内容を描く作品でしたが、この本には育児で葛藤しながら1日1日を生きていく母親の姿、母親の愛、母親の苦しみが詰まっていて読んでいくうちに心苦しくなることが多い。特にユカという母親はドラッグ中毒なので幻覚する場面はいつも恐ろしさを感じるけど、本人自身それだけ苦しんでいるんだろうと思う。金原ひとみさんの喩えかたはインパクトがあって凄いと思いました。
ユカが央太の部屋に上がってDVD齧るとこやばかった。
涼子が一弥にシャワー浴びせるとこもやばかった。
読んでいて痛々しい描写もあって、読み進めるにも時間がかかりました。重たい…(泣)
最後の方の五月の章はもう、悲しすぎて……(T ^ T)
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50頁読んだところで、この感じで600頁越えか…きついかもな…と思ったけど、そんなことなかった。鋭利な狂気さと正直さ。嘘があったとしても、その嘘すら正直なものに感じる。