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我が子を愛するが故。いろんな葛藤があり、読んでいて苦しかった。子供を育てる大変さ。昔は我慢しつつも助けがそこら中にあった。今は?いろんな苦しみが重なり、正当化しつつも理不尽なことをしてしまう。こう文章にされると経験がなくとも痛いほどに伝わってくる。
そして相手を軽蔑しながらも離れられない関係性。仲良い友達と全部が全部合致するとは限らない。フェーズが変われば付き合う友も変わる。大人になればそんなもんだと割り切れるようになる、五月みたいに。
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これやばち。この気味の悪い、無機物的な文章はなかなか普通の作家には書けない。
理論と論理
理論は論理の行き着く先。論理はプロセス
人の生や死は、ある程度なんらかのルールの中にないと、どうしていいかわからなくなっちゃうもの
子育ての大変さ。というよりもはや異常といっていいほどの苦労がわかる。
ずっとストーリーが強烈だが、劇的な終わり方ではなく哀愁の残る終わり方なのがオシャレ。面白かったな。
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すごい。圧巻。すべてを書き切っているのでは。
3人の若き母たちを題材に、母親であることの幸福と孤独、身を切るような痛み。金原ひとみ節として不倫、クスリ、暴力の描写はあるけれど、それもその時々で彼女たちには必要なもの。
読むタイミングは選んだほうがいい。若すぎるとわからないし、登場人物に近すぎると嫌悪感が勝りそう。まだそこに足を踏み入れないギリギリという、最適なタイミングで読めたことを幸せだと思う。
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一気に読めました。
人間の描き方が魅力的で楽しい。
母親業をやっている人たちは色々な種類の人がいる。
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子どもを持つことって、幸せなことではないんだろうか。
衝撃的な展開の重なりに、実際に自分が育児をしてみたらどんな風になるんだろうと一抹の不安を感じた。今はまだ経験がないから共感できないことも、子どもができたらまた変わるだろう。
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子どもを産んでみて、そのかわいさ、愛しさに胸が潰れそうになり、もしこの子を失ったらもう生きていけないと思わされ、
その一方で、自分の時間のなさ、思い通りにスケジュールを組めないことにもどかしさを感じていた。
そんなときに手に取り、3人の主人公の境遇とわたしの境遇は一致しないけれど、それでも、よくぞこの気持ちを言語化してくれた!と思う描写の連続だった。
特にこの三つ。
・戦士はローションプレイをしない。
・とにかく密室育児をやってみて思うのは、育児には必ず誰かの助けが必要だという事だ。
・私は半ば、自分を諦めるように祈った。何でも差し出すだろう。私は何でも差し出すだろう。愛しい物ものに、全てを捧げるだろう。
子供を産んで、無垢という言葉の意味を、実感を伴って理解したし、
自分よりも何よりも大切な存在で、もしいなくなったら生きていけないだろうと思わされる存在を知ったし、
笑ってくれるだけで、見つめてくれるだけで溶けてしまいそうになるほどうれしくて、私の生活をガラッと変えてしまう存在を知った。
その一変ぶりは凄まじくて、正直暴力的に変えられた、という表現がしっくり来る。
夫婦の関係だって、生まれる寸前まではお互いが一番大切だったけれど、夫婦2人よりも重んじられるべき存在が登場してしまった、と産んでから気がついた。
お互いが一番大切だったのに、もう当然ながら自分は相手の一番ではない(同率一位ではあるかもしれない)と相手が思っているであろうこと、自分もそう思っていることに気がついた。
そして夫のことが好きだから子どもを作ろうとし、実際に妊娠して出産したのに、その子どもの存在によってお互いの価値観の違いを見つけたり、相手を許せないと思うような出来事が起きるようになってしまった。
(たとえば育児において、何をよしとするか、どのくらいの危険性であればよしとするか。わたしは0.01%でも危ないことが起きる可能性があるなら排除したいと思うけど、夫はそんなこと言い出したらキリがないと思っていて、わたしは夫のその開き直りが許せなかった。)
それでもこの子に会えて本当によかったと感じる。どんな疲れやイライラも、この子の笑顔だけで癒されてしまう。
夫婦2人でこの子の成長を見守ることで、2人の関係がたしかに深まっていくのを感じる。
陳腐な表現だし、いままでは「まあ子どもがいる人はみんなそう言うよね」と思っていたけど、いざ子どもが産まれたらもうそうとしか表現できない。
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私自身、生物的に妊娠は不可能。妊娠と子育てを、さまざまな視点から、追体験できるこの作品。母親とはとても孤独な期間を近くに子供がいるのに感じてしまう。
私が将来、結婚して子供ができた時には、この本を思い出して、少しでも妻の心の変化に気づいて、母親として、孤独にならないように尽くしたい。
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今、思うと、こどもってあっという間に大きくなる
今もまだ子育て中だけど、少しずつ楽にはなってるけど、成長とともに悩みも変化していく
狭い世界で生きてると、そこが全てに思いがちだけど、全然そうじゃないのになって思ってしまった
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エッセイ、小説を立て続けに最近読んだ中でSessionにゲスト出演している回を聞いた。育児について語る場面があり本著が紹介されていたので読んだ。文庫版の解説にもあるように本音は人を傷つけるから蓋をするケースが多い中、もっとも聖域となっている育児において、女性の悲しみや怒りといった真っ直ぐな気持ちがこれでもかと詰め込まれた小説で圧倒された。
三人の女性を描いた群像劇となっていて、ユカは小説家、ユカの高校の同級生の涼子、ユカと同じ保育園に通う娘を持つモデルの五月が登場する。バラバラの背景を持つ彼女たちがそれぞれ育児する中で直面する現実を細かく描いている。小説ゆえの展開のエグさはあるものの「育児に対する無理解」という通底するテーマは極めて卑近なものだ。登場人物が三人いるからとはいえ文庫で600ページ強というのは特大ボリューム。読む人によってはかなりキツい描写が続くものの、怖いものみたさが勝ってひたすらページをめくっていた。
子育てする中で当然我が子はかわいく思えるし唯一無二の存在ではある。ただ大人になると思い通りにならないことへの耐性が低くなっており、子どもの無邪気さをどうしても受け止めきれないときがある。この小説では、その無邪気さに対する親の持つダークサイドにフォーカスした育児小説となっている。これが分かりやすい。
*私たちは自分の負の感情を子供たちに見せないように、ある種の感性を麻痺させて進化したのだろう。でもシンデレラ城の裏が張りぼてであるように、子どもたちが目にする優しい母親の裏には、ぞっとするようなマイナスの感情が渦巻いているはずだ。*
著者になぞらえやすい小説家の登場人物がいるし、その役目を使ってメタ的展開もふんだんにあるものの、残り二人にも著者の情念がこれでもかと捩じ込まれており筆が走っていることが読んでいて伝わってくる。育児する上でこの日本社会に横たわる女性の不条理を叫びたい、書きたい。たくさんの鬼気迫るシーンもあいまって、育児している当事者に対して悲痛な思いがグサグサと胸に刺さってくる。また小説家という設定を用意することで他の登場人物たちを一方的に追い込んでいくわけではなく自戒の要素が含まれハードな内容のバランスを取っているように感じた。
読者と比較的立場の近い涼子がワンオペで追い込まれていく描写がとにかく辛く息がつまる。ワンオペは物理的に子どもと1対1で孤立している状況だが、仮にワンオペでなくとも孤立することを本著では手を替え品を替え伝えている。誰もが子どもに対して加害者になりたいわけではないが育児で追い込まれること=圧倒的正しさに責め立てられる辛さ、ミスの許されない辛さをこんなに言語化している小説はないだろう。このラインは育児などに関係なく刺さる。
*私たちには弱者に向き合う時、常に暴力の衝動に震えている。私たちには常に、弱者に対する暴力への衝動がある。でも暴力の衝動に身を任せて弱者を叩きのめしても人は大概満たされない。*
本著を読んで最も印象に残ったのは登場人物たちが感情を激昂させる際の表現として読点なしの独白だ。いずれも夫に裏切られた登場人物によるものなのだが読点のない文��が持つ迫力に圧倒された。文字圧とでも言いたくなるような表現。特にユカがブチ切れるシーンはラッパーのファストフローを聞いたときのようにガンフィンガー立てるレベルだった。
すべてのベースにあるのは男尊女卑がはびこる社会に対する怒り、女性に対する育児・家事の負荷の大きさに対する憤りである。男性の育児休業取得など、近年では目に見えて変わってきている部分もあるがまだまだ対等とはいえない。「母性」という言葉が生むプレッシャーに苦しみ育児をする母親ではなく一人の女性としての尊厳が欲しい、その切なる願いが悲劇を生んでしまうのが辛い。終盤にかけて救いのない展開が続くものの孤独にはならず夫がそばにいることは示唆的だ。二人を繋ぐのは子どもではなく愛なのではないか?そして逆説的にその愛があれば悲劇は起こらないのではないか?と考えさせられた。著者の筆力が最大限発揮されている快作かつ怪作。