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男社会への反撃のノロシとまではいかないが、男らしさなどに象徴されるそこかしらにある印、空気を壊そうとしている。とてもよくわかり共感できるが、たいていの男にはわからないだろう。
こういう本が増えていることは嬉しいが、こういう本が出ているようではまだまだだ。
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“二歩下がらずに歩く。 ぶつかってきた男を許さない。 ベビーカーの利用を他のお客さまに配慮したくない。一人前ちゃんと食べたい。好き勝手歩きたい。歩かせろ。”
“男はどこでも歩ける。ぶつかっても、他者が理由を与えてくれる。 上司に怒られて大変だったんだろ、だってさ。 女だってぶつかってくるヤツいるもんな、だってさ。いつもケアしている女がケアを外した言動を見せるだけで、男は動揺する。”(p.31)
“この社会に充満しているのは、「そういうことになっているから、そういうことにしておけ」である。 とにかく、現状維持を欲する。保身がそうさせる。実は、とっても不安なのだ。 裏に回ると、その背中は怯えて震えているのだ。怯えているのに、居丈高なのだ。自分たちが割を食わないように目を光らせている。社会や組織が自分を守り続けてくれることを願っている。 そこで潰されてきたのは間違いなく女性である。”(p.302)
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「就活でポニーテールにして面接に臨むと清楚に見えて面接官のウケが良い」というエピソードを読んで思い出したことがあった。
私が就活していた頃は「女子はどんなに寒くてもパンツスーツは着ない方がいい。スーツは必ずスカートで。」と言われていた。
タイツもNGとされていたので寒い中スカートにストッキングで就活していたのを覚えている。
おかしいと思っていたが、落とされたら困るからだ。
では、なぜパンツスーツはNGなのか。
「生意気に見えるから」だそうだ。
「生意気だから」ではない。
「生意気に見える」から。
本当に本当に意味がわからないのだが、ポニーテール問題と根っこは同じで、女子学生は面接官=男に承認されなければいけないのだ。
(ただ、最近の就活生を見ているとパンツスーツの女子学生をよく見かけるようになった。
まじでどっちでもいいと思っているので、女子学生には好きな方を履いてほしいと思う。)
「会話に参加させない」というのもハッとした。
意図的に仲間に入れず、「女であるお前は自己主張するな」という空気を感じたことはあるが、違和感を覚える程度でこれはどういうことなんだとつきつめて考えていなかったので、言語化されて理解できてスッキリした。
寿司の章はもやもやしてしまった。
『ザ・ノンフィクション』の上京物語も観ていたので、男性が先輩から可愛がられているのに対して女性がなかなか会話に入れないシーンを思い出してぶんぶんうなずきながら読んだ。
「いやいや、お前北大路魯山人かよ!」というツッコミ、今度から使おうと思います。
そして、編集者のKさんが本当に素晴らしい。
私ももっと怒らなくては、というポジティブな気持ちにさせられた。
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編集Kさんの檄文を受けての砂鉄さんの軽快なリズムのある文章。
一気に読んでしまった。
息を着く間を与えないツッコミ、とてもいい。
おわりに、に書いてあったように、一気にマチズモがなくなることはないから、日々、少しずつ削っていくしかない。
ひっかかることがあったら、それは何で?と言ってみる。まずはそこから。
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うーん、この人の言うことはわからないではないんだけど、で、この人はライターだからこういう手段での世の中に問題提起をしているわけだが、もっとご自身でこれこれこうしてみたけど、というような実力行使はされないのだろうか。
自分も男性だし、この本でいうマチズモな場面はよく目にしてきたし、むしろ自分がやってきたことも多いだろう。でも、正当化と言わば言え、今更変えられないよ、というのが正直なところだなあ。そもそもこのジェンダーレスの時代に、男性優位って、どこまでそう思っているのかな、当の女性の皆さんは…
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20ページ程で読むのをやめてしまった。
女性の生きづらさ、男性優位な社会、という現実は理解しているが、ここまで強い主張を見ると疲れてしまう。
『それでも立って尿をするのか」という章があったが、これは途轍もなく論点がズレている。
男女平等論を考えるときにいつも思うのは、「そもそも身体的な差異がある絶対条件のもと、何をもって平等とするのかが曖昧」ということだ。
人間と犬猫を平等に、とするぐらい難しい問いだと思う。
大事なのは、平等にすることではなく、相互に理解を深め、慮れる社会を作ることではないだろうか。
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あまりに頷けることばっかりで、頷き過ぎて首がちぎれそう。
フェミニズムは男性を貶めるものだと思い込み、やたらフェミニズムに憎しみを抱く人がいて、そういう人はフェミニストは女性かトランスジェンダーの人しかいないと思ってるけど(この本にも取り上げられた作家とかね)、アディーチェも言ってるように男も女もみんなフェミニストじゃなきゃね。
この本が良かったことの一つは、著者が男性だということ。現代日本で権力を持っている男性に是非とも読んで欲しい。
立って放尿するなら、掃除もしろよ。ほんと。
この本は結構売れているようで、ということは男性読者もいるのだと思う。それも嬉しい。
しかし、#MeToo運動を支援した男性議員に対して「もしかして枝○にケツでも掘られたか?はたまた福○に舐められたか?ならMeTooの資格ありや。」とツィートした作家の本の方がずっと売れている。
買ってる人たちはこんなおぞましいほど下劣な作家を支持していると胸を張って言えるのか。
インテリを自認する男のいやらしさ、男のプライドをくすぐり持ち上げるだけの「会話美人」(めちゃくちゃモテる)。
ほんと、たくさん見たわ。
引用しだすと止まらないからやめておくけど、ここだけは。
「オレがこう思っているんだからこうだろ、に対して、別にそっちがそう思っているからって、そう決まっているわけではないでしょ、と切り返していく。」(p180)
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本書のタイトル「マチズモ」とはスペイン語のマッチョ(男らしい男)が変化した言葉で、「男性優位主義」の事です。男性優位主義を削り取れ、男性側からの問題提起を行います。社会や生活のあらゆる場面でのマチズモが縦横に語られる。スポーツの場面では「男をみせろ」「男泣き」などマチズモが溢れ、一方で女性アスリートには性の商品化、ルッキズムが優先する不条理。今、男性が、男性であるという理由だけで獲得してきた権威がようやくグラつきつつあるなかで、男性同士の契りで動かしてきた護送船団社会に、もうそういった社会ではないと投げかける。男女問わず手に取って、マチズモの不条理への理解を深めるべきではないか。
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同意と反省の嵐。今自分の置かれた場所にマチズモがいかに張り付いているかよく見えた。
同時に自分は反対側にいるつもりであったが、『ただのマチズモ脱落者』で反対側で気持ち良くなっているに過ぎないこともよくわかった。これは自虐でなく出発点だと思う。
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ライターの武田砂鉄さんの本。
男性優位社会=マチズモ について担当編集者Kさん(女性)の檄文(げきぶん)から始まり、二人で考察して深く穿っていく、という内容。
「この社会は中年男性のための社会だ」と常日頃から痛感していた私としては、これを身近な男性全員に読んで欲しい、もっというなら日本中の男性に読んで欲しいと思うほどの内容でした。
この本の一番のポイントは、ジェンダー論を当事者であり被害者である女性の視点(Kさん)を取り入れながらも、男性著者(武田氏)が書いているところ。こういった内容の本でありがちな、「ほら、また女がなんか言ってる」を払拭してくれるのです。だって著者が男性だから。男性フィルターもきちんと通してますよ、というわけです。
いつも苦しい状況を「この人ならわかってくれるかも」と一縷の望みを抱いて吐露するも、「気にしすぎなんじゃない」「そんな大げさな」「被害妄想強すぎ」などと一蹴されてしまう。そういう経験は女性ならばかなりの人がされているのだろうと思います。
すべての章を読むのが面倒だなという人は、個人的には1、2、4、5、12章は必須で読んで欲しいと思います。
ちなみに本書で最も頷き度合いが強かった一文は、
【一体いつになったら、私たち(女性たち)は楽になるのか、というストレートな告発が重い。そのストレートな告発を避け続けてきた私たち(男性たち)は、もうすでに楽なのだ。】 ー 287ページ
この本を著した武田さんには「よく発行してくれました」という気持ちと同時に、「でも著者は今、同じ苦しみは共有していないんだよな」という一抹の寂しさが過ります。
男女平等問題というのは、何にもとらわれず、制約など気にせずに素通りできるフリーパスを持った存在=男性で、「それならフリーパス制度をなくしましょう!」もしくは「女性にもフリーパスを!」というシンプルな話なのですが、既に特権階級と化した男性たちは「いやいや、そんなとんでもない」と考えています(このことを著者は、(会社の人事では)「単純に実力不足」と表現しています)。その男性たちの地位の裏側には女性たちの死体が転がっていることに気づきもしないか、気づいていても見ない振りをしているのです。結局、我が身可愛さにそのまま現状が維持されればいい、苦労していた身分はこれからも自分達のために苦労していればいい、ということなのです。だから、女性が声を上げれば「ヒステリー」「被害妄想」「これだから女は」とこき下ろして何とか問題を別方向へと向けようとします。
この構造が頁をめくるたびにハッキリと浮かび上がってきて、(時折、著者が「何様のつもりだ」などと軽快に突っこんでくれるのがありがたいものの)当事者として読むと、とても重苦しい気持ちにさせられます。
「おわりに」で著者が述べているのですが、「最近、ちょっと言うだけですげー叩かれるじゃん」と被害者側にすっと立ち位置を変える男性たちにこそ、読んでいただきたい一冊です。
「個人を責めているのではなく、社会構造に疑問を投げかけている」ということを分かってもらえたら、この問題も、もう��歩、二歩くらいは先へと進められるのかもしれません。
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One for all All for oneは集団主義の日本社会では全体のために個人に我慢や負担を負わせることを正当化するために使われる。
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マチズモ、この本を手に取るまで意味をしらなかったわ。
スペイン語のマッチョが由来で”男らしさ””男性優位主義”の意味らしい。
著者の武田砂鉄はほんとうの意味でリベラルな人だと思う。
こういう人が増えてくれれば、もっと女性も生きやすくなるんだろうな。
結婚式はしたい人はして、したくない人はしないでいい。これ以上なんで?親はなんて言ってるの?
彼女のためにしたほうがいい。等は余計なお世話。
本人同士が決めたことなら、それが正解なんだね。
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読み進むうちに、腹が立ってきた。私の知らない差別がたくさん。犯罪さえも多い。魯山人みたいに昔の人の価値観は仕方ないと思う。自分でも、子供の頃から言い聞かされてるから性差別だと気づいてないこともあるのだろう。女性は必ず容姿で値踏みされるなとか、はっきり意見を言うと嫌われるとか、中学生くらいからは気付いていたが、21世紀でも変わっていないらしい。男性はこれを読んでどう思うだろう?私のまわりにはこの本を手に取る人はいないだろうと思うが、それも逆差別かな。
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「マチズモ」という言葉をこの本のタイトルを見るまで知らなかった。この言葉の元になっているらしい「マッチョ」という言葉は知っていたけど、それが「ラテンアメリカで賛美される『男らしい男』を意味するスペイン語」というのもわかっておらず、筋肉ムキムキの人あるいは状態を指すという程度に思っていた。だって「細マッチョ」とかの流れでしか聞いたことないし。
ということで、マチズモとは男らしい男が男らしさを押し付けまくる男性優位主義を指すんだそうだ。それを「削り取れ」とは、また穏やかではない。そう、この本は穏やかではない。穏やかどころか怒っている。怒りまくっているのである。
本著者は名前を見ただけでは性別がわからないが、男性である。彼に宛てて毎回女性編集者から檄文が届く。この檄文が怒っている。道を歩くだけで、電車に乗るだけで、女であることが時には恐怖の原因にもなる世の中に怒っている。この檄文に応える形で筆者が一緒に怒ったり自省したりする形で各章が展開する。
怒っている人に相対するのは疲弊する。それが文章でも同じである。なので、この本は疲弊する本であり、読後感が爽やかというわけにはいかない。若い女性であれば檄文を書いている女性編集者に共感し、普段はかき起こさないようにしている怒りの炎がメラメラと立ち上って疲弊するかもしれない。それよりも年長の女性であれば、もう麻痺したようになっている遠い怒りを思い出させられ、やるせない気持ちに鬱々とするかもしれない。
また、主にマチズモに対して怒りが生じているので、その体現主体である男性と性別を同じくする人(つまり男性)はこの本を読むとおそらく居心地が悪いであろう。別に読んでいるあなたに対して怒っているわけではないのに、この本にもあるようになぜか男を代表して居心地悪さを味わい、弁護に走りたくなるのではないだろうか。さらにちょっとくらいは思い当たることがある場合には、まさに自分に対する怒りに直撃されることになるので、本を閉じてしまいたくなるかもしれない。
じゃあいったいこの本誰得なんだろう? 各章できっちりと怒りの気炎を上げ続ける著者と編集者のやりとりを読みながら、私はそれが気になって仕方なかった。私自身にとっては特に新しい怒りがなかったからだけでなく、怒りでは人を不快にはできても説得はできないだろうと思ったからだ。そして本書を読み終わる頃には一応自分なりの結論が出た。
この本は、なんとなく不快だったり、居心地悪かったりしている全ての人に「それって本当はこういう仕組みのせいなので、怒っていいものなんだ、みんなもっと怒ろうよ」と言っているのである。もっと言えば、怒り方を教えているのであろう。
男性陣は、じゃあやっぱりこの怖い本はオンナに怒り方を教えてるってことで、オンナ向けなんだな、どうりで怖いはずだ〜クワバラクワバラ、と思われるかもしれない。いやいや、人類の半分しか怒らないのでは世の中は変わらないのである。マチズモの厄介なところは、マチズモに乗っかって成功した人のみはマチズモを維持したいという点なのだが、男性も本当は大半の人はマチズモがない方が楽に決まっているのである。
お互いに男性とか女性とか年齢とか出身とかの「属性」で判定し合うのはやめて、それぞれの「個」を尊重し合うようになれば、もっと多くの人が生きやすくなるはずである。そのきっかけとしてのマチズモへの気づきと怒りをもたらす本書、気持ちにゆとりのない時にはお勧めできないが、背筋を伸ばして読書できそうな時にチャレンジしてほしい。
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いつも利用している図書館の新着書リストの中で見つけて手に取った本です。
著者の武田砂鉄さんは以前から気になっていたライターさんなのですが、彼の著作を読むのは初めてです。
テーマは「マチズモ」。恥ずかしながら、私は初見の言葉でした。“男性優位主義”の意とのことで、武田さんはジェンダー平等意識後進国である日本における「マチズモ」の実態を次々に顕わにしていきます。