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『#敗戦は罪なのか』
ほぼ日書評 Day653
副題にもある通り「オランダ判事レーリンクの東京裁判日記」である。
第二次世界大戦/太平洋戦争/大東亜戦争、いずれの呼称をとるにしても、日本が最後に行った戦争で、我が国は敗戦国となった。
東條英機元首相をはじめとする人々が、戦勝国の判事たちによって裁かれ、いわゆる「戦犯」とされた"東京裁判"。
そもそも敗戦国だけが責任を問われなければならないのかとか、どのような法規によって罪状を問うべきかといったロジカル側面で、その妥当性を疑問視するような本は何冊か読んだが、こちらは同裁判で判事を務めた当事者が、個人的なあるいは心理的な側面から、法律家としての矜持を問う内容。
東京裁判では「英語と日本語が公用語とされた」が、レーリンク判事は、自身が英語では会話においてすら意思疎通が難しいことを認め、フランスのベルナール判事は自分に輪をかけて英語が不得手、ソ連の判事にいたっては英語はまったく出来なかった(常にロシア語通訳を介した)。
英米法に手慣れた判事たちに対し、レーリンクと仏人判事の大陸法は、手続きの進め方からして大きく異なり、ソ連人はいずれに関する知見もなかった。
裁判開始以前、判事らが顔合わせをしている時点の食事会で、米国人判事ヒギンズは「ルーズベルトが日本に真珠湾攻撃をなさしめた」旨の演説をぶった。
それほど早い時期に米国人の中で、既にそうした説(噂?)が流布され、かつ約束を違え多くの若者を海の向こうの戦争に送り込んだルーズベルトの人気はガタ落ち、過去の人扱いだった。
戦後、我々が信奉して来たイズムとは、何ともそこの浅かったものと気付かされ、改めてその決算をせねばならぬと考えさせられる。
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