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少し難しかった。また再読したいと思う。印象に残ってるのは、読書の内容は忘れてもいい。また再読すればいい。
本は自分の心を見つめ直す場所。池澤春菜さんの解説は、読書欲を駆りたてられる。
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【2022_02】他の方が主催される読書会でのテキストが、長田さんの『最初の質問』という絵本だった。それが縁となって手にした著作。今年はこれ1冊しか読めなかったとしても、もう後悔することはないだろうと思う。できることなら、生前にお会いして、「先生」と呼ばせていただきたかった。うまくコメントできないが、お許し願いたい。
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こころに残る文章が多く、こんなにスマートフォンのメモに打ち込んだ本はないんじゃないかな。
多感だった頃に感じていたことを言葉にしてもらった感覚。あの感覚は私一人ではなかったんだな、という安心感。一度読むだけでは味わいきれていないので、また時間をおいて読みたいと思える本だった。
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うーん、なんだか思っていたものと、というか少し違うような気がした。うなずくところもありそうでないところもあり。
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1年前に読んでいるのに、すっかり忘れて再読…
再読は友情の証、なんて書いてくれている、ただボケてるだけか?と思ったが、忘れたらもう一度読めばいい、それが本の文化だ、と。素晴らしい。
読んでも読んでも忘れる人のために、取っておくしかないから図書館は必要なのだ、と。
前回は読むための椅子、の話が強烈な印象に残ったが、再読では視点も変わるのか、他にも沢山良い言葉
やはりこれは本棚に残すべき一冊かと。
人びとが本を読まない時代に、人びとの間に失われるのは友人を見つける能力。
言葉は、誰にとっても同じもの、言葉は平等なものだけれども、人と人を違えるのも言葉、言葉を豊かにできる人と乏しくしてしまう人とを言葉は違えるから。
自分は言葉を、どう豊かにできるか。
器量よし、心の大きさを、心の容積を大きくしてゆけるような言葉を、どれだけ自分の中に蓄えていけるかが、これからの時代の物差しになってゆかないと、私達の時代の言葉はどんどん乏しくなってしまう。88
何事も段階的にということを前提に考えることは、何事も制限的にしかとらえることをしないという事110
絵本のような子どもの本の読み方に教えられるのは、読書というのは自分の時間ほでに入れ方なのだ、ということ122
良寛より 耳を洗うとはどうすることか
我見をもたぬということだ 162
我見によってしかこの世を見ないというのは危うい
文庫ならではの解説、池澤春菜もまたいい
幸田露伴の孫引き、
「どんな人もその気になれば友だちは見つけられる。現実生活に友だちがいない人にも、唯一友人を準備してくれるものがあるとすれば、それは書籍だ」221
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『すべて読書からはじまる。本を読むことが、読書なのではありません。自分の心のなかに失いたくない言葉の蓄え場所をつくりだすのが、読書です。』
めちゃくちゃ共感。
そして美しい表現の多い本でした。
本って、言葉って、日本語って素晴らしい。
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気に入った文章の抜粋。
本は死んだすべての人の中から、自由に自分で友人を見つけることができる。何千年もの昔に友人を求めることができる。読むとは、そうした友人と遊ぶということです。
子どもには、大人には、老人にはこういう本といった壁で囲むような考え方は、わたしたちにとっての本の世界をすごく狭く小さなものにしてしまう。
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読書についてというよりも本とは言葉とはといった内容。私自身本を読むことは好きだけれど同時並行が出来ない分、後回しにしてしまうことが多い。本と向き合う時間をきちんと設けたいなと改めて思った。
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本を読む意味を一緒に考え、本好きの自分を優しく肯定してくれる本です。
本に書かれている言葉によって、自分の存在を確かめたり肯定したりできる。
見たこともない世界を言葉から想像できる。
本を通して世界と、自分と静かに対話できる。
いつでもそばにある、いてくれるという心強さを感じる。
自分の言葉にできないものを、感じたり言葉にしてくれたりする。
本ってやっぱりいいな。
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本への愛をとても感じる文章。本は読んでも忘れるものだけれども、それによって再読するチャンスが得られるという考え方は素敵。聖書が章や節で分けられて引用されるようになるのに1500年以上かかっているというのは知らなかったし興味深い。
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本、読書、言葉と。柔らかな口調で本質をついている。本は一生を共にするもの。自分を育てるもの。師匠だったり友だったり。本って偉大だ。
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本を読むということがどういうことなのかを考えるのが本書です。
「読まない本」にゆたかさがある。「たくさん読む」が正解ではない。
ことばがゆたかな人は、ゆたかである。ことばが貧しい人は、貧しい。
気になったことは以下です。
・友人としての本。友人というのはその場かぎりではありません。「ずっとつづく」関係です。
・どこへ行っても、みなおなじ。今はどこへ行こうと、日本のどこもおなじ表情をもつようになった。ミリオンセラーの本も、ほとんど急速に読まれなくなり、昨年のベストセラーは今年は、もう読まれないのが普通。生活のなかで考えるなら、おたがいの違いを表すものがあるとすれば、それは、「言葉」です。
・母なるものとは自分が生まれ育った言葉のこと。
・今の日本のなかでゆたかでないものがあります。私たちにとって今いちばんゆたかでないものは、言葉です。
・マイ・フェア・レディという、オードリー・ヘップバーンの映画があります。映画は、とても元気がいいけれども、貧しい語彙と粗野ないいまわしと不調法な話し方しか知らない若い女性が、苦心惨憺のあげくに、みずから言葉をゆたかにしていくようになるまでを、巧みに描きます。その映画の急所は、言葉のもち方が、一人の人間を人格をつくるのだということです。
・言葉をゆたかにするというのは、自分の言葉をちゃんともつことができるようになることです。
・どんなに、おカネをもっていても、おカネで買えないものが、言葉です。
・言葉の貧しい人は貧しい。言葉をゆたかにできる人はゆたかだということを、忘れないようにしたい。
・本は年齢でよむものではない。本を読むというのが、新しいものの見方、感じ方、考え方の発見を誘われることでないなら、読書はただの情報にすぎなくなり、それぞれの胸の中にけされないものとしてのこる何かをもたらすものとしての、読書の必要は失われます。
・人は何でできているか。人は言葉でできている。言葉は人の道具ではなく、人の素材なのだということです。
・情報でない言葉が重要。伝わってのこるものは、その人の表情、身振り、雰囲気、気分といった、不確かな、非情報的な言葉です。
・人の表情は、言葉のかたちをもたない言葉です。
・良寛いわく、「耳を洗え」。耳を洗うというのは、我見をもたぬということだ。
・民話の芯になっているのは、ひとを現在に活かすものとしての、記憶の目安です。
・情報はふえればふえるほど、逆にコミュニケーションはすくなくなってゆく。
・読書の核をなすのは、努力です。情報の核をなすのは享受です。読書は個別な時間をつくりだし、情報は平等な時間を分け合える平等な機会をつくりだします。簡単に言ってしまえば、読書というのは、「育てる」文化なのです。対して情報というのは本質的に、「分ける」文化です。
・「育てる」文化の基本は個性です。「分ける」文化の基本にあるのは平等です。きわめて平等であるけれど、またきわめて画一であることも事実です。
結論
・人は読書をする生き物です。人をして人たらしめてきたのは、そう言い切ってかまわなければ常に読書でした。
目次
はじめに
1 本はもう一人の友人
2 読書のための椅子
3 言葉を結ぶもの
4 子どもの本のちから
5 共通の大切な記憶
6 今、求められること
7 読書する生き物
8 失いたくない言葉
あとがき
解説
ISBN:9784480437426
出版社:筑摩書房
判型:文庫
ページ数:240ページ
定価:720円(本体)
発行年月日:2021年05月
発売日:2021年05月12日
国際分類コード【Thema(シーマ)】 1:DSRC
国際分類コード【Thema(シーマ)】 2:VSL
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p.215
“読まないでいることができない。”
このことばに共感できる人にとって、この本は、心の奥に届くものだと思います。
解説も含めて、満足度の高い一冊でした。
個人的には、別の意味で「本がすき」なご夫婦のエピソードが印象的でした。
p.195
“二人で暮らしていて、一人は、本はあるが読まない。もう一人は、本はないが読んでいる。”
「本」を楽しむ方法っていろいろありますよね。
書くこと、製本すること、眺めること、買うこと、借りること、読むこと……。どれも楽しいです。
積読ばかりしている旦那さんに呆れてしまう奥さんも、この本の著者も、「読まないと意味がない」と考えているような気がしますけれど。個人的には、本がすきな人のことがすきなので、どんな楽しみ方をしていてもいいと思います。
(以下、読みながら綴った感想)
2023/01/18 p.7-8
p.8
“ここにある言葉を、ここにいないひとに手わたすことができるようにするということです。”
わあ。このことば、いいですね。“ここにいないひとに手わたす”……!
2023/01/21 p.8-97
p.14
“友人とはどういうものか”
いま、「友人」について悩んでいる自分には、つらいことです。考えると、苦しくなってしまいます……。
p.14
“友人というあり方の根をなすのは、「ずっとつづく」ということ。”
嗚呼、苦しい、苦しい……。
以前の自分なら、心から同意していたでしょう……。
p.19
“何千年もの昔に友人を求めることもできる。”
『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』で、清少納言を「セイ」と呼び、友人と感じていたミアが、まさしくそうです。素晴らしい能力です。
p.26
“自分が見ていようといまいと、TVの時間は先にすすみます。本は違います。自分が読まなければ、本は先にすすみません。”
それが、本の良いところです。本の中身は、何年経っても変わらずに在る。変わっていくのは、読者のほうです。
p.32
“人間は忘れます。だれだろうと、読んだ本を片っ端から忘れてゆく。”
本当に、人間の記憶力は──主語が大きいならば、わたしの記憶力は──あてになりません。大切な人からの手紙のことばすら、忘れてしまっていました。
けれど、だからこそ、改めてその人のことばが心に響きました。このことばをわざわざ綴って、贈ってくれた、その当時の心に感謝します。
p.35
“毎日曜日、教会に行って、何度も何度も読んだ聖書をまた開いて、読んでゆく。再読という習慣がもっとも大切な行為として、信仰のなかにたもたれています。”
確かに。
最も再読している人たちかもしれません。
p.41
“歩きながら、自転車に乗りながら、読むことはまずしない。”
ごめんなさい、歩きながら読んだことがあります……。
p.41
“家の場合、本は本棚にしまいます。本棚は窓の前や、部屋の中央にはまず置かない。”
ごめんなさい、本棚はありません。布の箱に入れていま��。
そして一部の本は窓辺に置いています……。ごめんなさい。
p.75
“わたしたちは日本という国に生まれたと思っていますが、そうではなく、日本語という言葉のなかに生まれたのです。”
この発想はありませんでした。そうですね。
もし、日本に住んでいなくても、両親が日本人だったら日本語を自然と身につけるのでしょう。
p.85
“「……のように美しい」と言う文章が、ここにあるとします。この「……」に、どんな言葉を入れたいと思うか。”
美しいもの……。
夕暮れ時の影、氷の溶ける音、風に揺れるカーテン、木漏れ日、夢の中で見たしゃぼん玉、動物の呼吸に合わせて動く毛並み、冬の香りがする朝……。
p.86
“「……」に何を入れるか、どんな言葉をそこに使うかで、一人一人の自分、一人一人の経験が、その言葉のなかにそっくり出てきます。”
自分の「生活」が出てくるなぁ、と感じました。いままで生きてきた時間を、振り返っていました。
p.93
“やがて子どもの本のスタンダードになってゆくような本が、自分が子どものときにはまだ出ていなかった、ということです。”
それはいま、「子ども」である人たちも経験することなのでしょう。本は毎年たくさん出版されているのですから、新たな名作が生まれても不思議ではありません。
p.96
“本は年齢で読むものではない”
それは絶対そうです。実年齢より上の方に向けて書かれた本でも、下の方に向けて書かれた本でも、読んでいいです。
2023/01/27 p.97-148
p.100
“今、子どもたちが本を読まない、と声高に言われます。言いだすのはきまって自分たちが本を読まなくなった大人たちで、”
ブーメラン……。
子どもは大人のことをよく見ているので、本を読まない大人の近くにいたら、読まないのも当然でしょう。
p.110
“子どもの本のあり方をいちばん傷つけてしまいやすいのは、何にもまして子どもっぽさを優先する、大人たちの子どもたちについての先入観”
これはそうですね、感じます。「大人が考える子ども」のえがき方だと感じると、一気に冷めます……。
p.114
“この本を子どもが読んだらおもしろいだろう、子どものためになるのではないかというような目線で、子どもの本を見るのではなくて、なによりもまず、自分がこの本を読んでおもしろいだろうかという新鮮な眼差しで、子どもの本と付きあう”
どんな本が相手でも、そう考えています。自分が読んで面白いか否か……。
だって自分の時間を使うのですから。自分にとって興味があるものでなければ、もったいないです。
まぁでも、つまらないと感じてしまう本であったとしても、それはそれでご縁なのですけれどね。
p.120
“本というのは、自分で、自分の時間をちゃんと使わないと機能しないメディアなのです。”
時間のことを書いたら、すぐ時間について触れている文章があって、面白いです。
自分の時間を使って、自分の手でめくって、自分の目で文字を追っていくのが、紙の本との向き合い方ですからね。
p.147
“むずかしい言葉が知識とみなされて、正しい言葉ばかりが求められますが、もともとは赤ちゃんの喋るのも異国の人の片言もまた言葉であり、不完全な言葉もまた、わたしたちにとっての大切な言葉のはずです。”
そうですよね。完璧なぶんぽう、単語でなくとも、日本語ならなんとなく意味がわかります。
ことばが拙いことを恐れず、もっとしゃべるべきなのでしょう。母国語ではなくとも。
2023/01/28 p.148-163
2023/01/30 p.164-172
p.165
“不幸というのは、言葉が信じられなくなる、ということです。”
それは、とても、悲しいことです。
ことばが届かないことほど、悲しいことはありません。ことばを交わさないことを選ぶならば、分かり合うチャンスをこの先一生放棄するということ……。
ご縁が切れても仕方がないです。
p.171
“目安はぜんぶ言葉、すべて記号です。地上であれば、陽の差す方向を見れば、西か東か北か南か、およその時間の検討もつくけれども、地下道では、周囲の風景がいま、ここを語るということはしません。”
残念ながら自分には、陽の光によって方角や時間を察することはできません。むしろ、地下道を導くことばや記号、時には色によって助けられています。それらがあってよかった、と心から思っています。
けれどそれは、力が弱まっているということなのでしょう。著者の方にとっては、よくない状況だと考えているような気がしました。
2023/02/04 p.172-195
p.189〜
“言いたいことを言えば、たがいにわかりあえるだろうというのでなく、何をどう言ってもうまく語れない、言葉がとどかない、たがいにわかりあえないというところからはじめて、自分の心の中にある問題を、あくまで切り捨てない。”
ことばが届かないことを、悲しいと思ってしまいます。人はみんな違うと頭ではわかっているはずなのに……。
2023/02/05 p.195-200
p.197
“読書というのは「育てる」文化なのです。対して、情報というのは本質的に「分ける」文化です。”
育てるのは……自分ですか?
情報の「分ける」イメージはなんとなくわかる気がします。
2023/02/06 p.201-223
p.208
“五〇万冊の蔵書を誇ったという伝説のアレキサンドリア図書館です。”
50万……。それがどのくらいの量なのか、想像がつかないです。
一生そこに引きこもって読書していたいです。
p.208
“図書館もまたすべて灰燼に帰し、”
えぇ……なくなってしまったのですね。だから、「伝説の」なのですか。
p.219
“大げさでなく命を救ってくれ、”
はい、わたしも、本に命を救われました。
p.221
“悲しみでどうしても立ち上がれなかった時、死んでしまいたいと思った時、寄り添ってくれたのは本でした。”
この人のことが、一気にすきになりました。こういう経験をした方々のことを、そっと抱きしめたくなります。ただの迷惑になるかもしれないですけれど。
p.222
“わたしが本に線を引けるタイプなら、”
本に線を引けないタイプなのですね。同じです。
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「どんな言葉をどれだけきちんと使っているか、あるいはどれだけきちんと使えないでいるかが、それぞれを違える大事なものになってゆく」という一節に納得したり、「読書の鉄則は、ただ一つです。最初に良書ありき、ではありません。下手な鉄砲、数撃ちゃ当たる、です」という言葉に共感して思わず笑ったり。
読書を「自分を効率的に成長させてくれるもの」だと感じて、「本を読みたい」と言うひとも多いけれど、読書はむしろ効率とは程遠いものだと思う。退屈な時間、疲れる時間も多くて、それでも読み続けている内に、思わぬ発見に視界がひらけたり、いつまでも心の中に佇んで離れないひとに出逢えたりする。
「本というのは、自分で、自分の時間をちゃんと使わないと機能しないメディア」だという言葉もあった。音楽や映画は流していれば勝手に進むけれど、本は自分で読み進めない限り、開いていれば勝手に読み進めてくれることなどあり得ない(音楽や映画と同様、内容をすっ飛ばせば勝手に進ませることは可能だし、音楽や映画も流し見では内容は入ってこないので、必ずしもそうだとは思わないけれど)。
本を読んできて、内容を覚えていなくても、自分の考え方はこれまで読んできた本の欠片によって積み重ねられてきたものだなと思う。これからもマイペースに読書を続けていきたいと感じた。
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読書という行為が人生にもたらすものは何か。なぜ読書が必要なのか。読書の意義を説きつつも、平易な言葉で読書に対する心理的なハードルを上げることはない(寧ろ下げてるくらい)。それって結構すごいことだと思う。この一冊も僕の心に植わった木になった。きっと大きく育つだろうなって気がする。