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p.215
“読まないでいることができない。”
このことばに共感できる人にとって、この本は、心の奥に届くものだと思います。
解説も含めて、満足度の高い一冊でした。
個人的には、別の意味で「本がすき」なご夫婦のエピソードが印象的でした。
p.195
“二人で暮らしていて、一人は、本はあるが読まない。もう一人は、本はないが読んでいる。”
「本」を楽しむ方法っていろいろありますよね。
書くこと、製本すること、眺めること、買うこと、借りること、読むこと……。どれも楽しいです。
積読ばかりしている旦那さんに呆れてしまう奥さんも、この本の著者も、「読まないと意味がない」と考えているような気がしますけれど。個人的には、本がすきな人のことがすきなので、どんな楽しみ方をしていてもいいと思います。
(以下、読みながら綴った感想)
2023/01/18 p.7-8
p.8
“ここにある言葉を、ここにいないひとに手わたすことができるようにするということです。”
わあ。このことば、いいですね。“ここにいないひとに手わたす”……!
2023/01/21 p.8-97
p.14
“友人とはどういうものか”
いま、「友人」について悩んでいる自分には、つらいことです。考えると、苦しくなってしまいます……。
p.14
“友人というあり方の根をなすのは、「ずっとつづく」ということ。”
嗚呼、苦しい、苦しい……。
以前の自分なら、心から同意していたでしょう……。
p.19
“何千年もの昔に友人を求めることもできる。”
『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』で、清少納言を「セイ」と呼び、友人と感じていたミアが、まさしくそうです。素晴らしい能力です。
p.26
“自分が見ていようといまいと、TVの時間は先にすすみます。本は違います。自分が読まなければ、本は先にすすみません。”
それが、本の良いところです。本の中身は、何年経っても変わらずに在る。変わっていくのは、読者のほうです。
p.32
“人間は忘れます。だれだろうと、読んだ本を片っ端から忘れてゆく。”
本当に、人間の記憶力は──主語が大きいならば、わたしの記憶力は──あてになりません。大切な人からの手紙のことばすら、忘れてしまっていました。
けれど、だからこそ、改めてその人のことばが心に響きました。このことばをわざわざ綴って、贈ってくれた、その当時の心に感謝します。
p.35
“毎日曜日、教会に行って、何度も何度も読んだ聖書をまた開いて、読んでゆく。再読という習慣がもっとも大切な行為として、信仰のなかにたもたれています。”
確かに。
最も再読している人たちかもしれません。
p.41
“歩きながら、自転車に乗りながら、読むことはまずしない。”
ごめんなさい、歩きながら読んだことがあります……。
p.41
“家の場合、本は本棚にしまいます。本棚は窓の前や、部屋の中央にはまず置かない。”
ごめんなさい、本棚はありません。布の箱に入れていま��。
そして一部の本は窓辺に置いています……。ごめんなさい。
p.75
“わたしたちは日本という国に生まれたと思っていますが、そうではなく、日本語という言葉のなかに生まれたのです。”
この発想はありませんでした。そうですね。
もし、日本に住んでいなくても、両親が日本人だったら日本語を自然と身につけるのでしょう。
p.85
“「……のように美しい」と言う文章が、ここにあるとします。この「……」に、どんな言葉を入れたいと思うか。”
美しいもの……。
夕暮れ時の影、氷の溶ける音、風に揺れるカーテン、木漏れ日、夢の中で見たしゃぼん玉、動物の呼吸に合わせて動く毛並み、冬の香りがする朝……。
p.86
“「……」に何を入れるか、どんな言葉をそこに使うかで、一人一人の自分、一人一人の経験が、その言葉のなかにそっくり出てきます。”
自分の「生活」が出てくるなぁ、と感じました。いままで生きてきた時間を、振り返っていました。
p.93
“やがて子どもの本のスタンダードになってゆくような本が、自分が子どものときにはまだ出ていなかった、ということです。”
それはいま、「子ども」である人たちも経験することなのでしょう。本は毎年たくさん出版されているのですから、新たな名作が生まれても不思議ではありません。
p.96
“本は年齢で読むものではない”
それは絶対そうです。実年齢より上の方に向けて書かれた本でも、下の方に向けて書かれた本でも、読んでいいです。
2023/01/27 p.97-148
p.100
“今、子どもたちが本を読まない、と声高に言われます。言いだすのはきまって自分たちが本を読まなくなった大人たちで、”
ブーメラン……。
子どもは大人のことをよく見ているので、本を読まない大人の近くにいたら、読まないのも当然でしょう。
p.110
“子どもの本のあり方をいちばん傷つけてしまいやすいのは、何にもまして子どもっぽさを優先する、大人たちの子どもたちについての先入観”
これはそうですね、感じます。「大人が考える子ども」のえがき方だと感じると、一気に冷めます……。
p.114
“この本を子どもが読んだらおもしろいだろう、子どものためになるのではないかというような目線で、子どもの本を見るのではなくて、なによりもまず、自分がこの本を読んでおもしろいだろうかという新鮮な眼差しで、子どもの本と付きあう”
どんな本が相手でも、そう考えています。自分が読んで面白いか否か……。
だって自分の時間を使うのですから。自分にとって興味があるものでなければ、もったいないです。
まぁでも、つまらないと感じてしまう本であったとしても、それはそれでご縁なのですけれどね。
p.120
“本というのは、自分で、自分の時間をちゃんと使わないと機能しないメディアなのです。”
時間のことを書いたら、すぐ時間について触れている文章があって、面白いです。
自分の時間を使って、自分の手でめくって、自分の目で文字を追っていくのが、紙の本との向き合い方ですからね。
p.147
“むずかしい言葉が知識とみなされて、正しい言葉ばかりが求められますが、もともとは赤ちゃんの喋るのも異国の人の片言もまた言葉であり、不完全な言葉もまた、わたしたちにとっての大切な言葉のはずです。”
そうですよね。完璧なぶんぽう、単語でなくとも、日本語ならなんとなく意味がわかります。
ことばが拙いことを恐れず、もっとしゃべるべきなのでしょう。母国語ではなくとも。
2023/01/28 p.148-163
2023/01/30 p.164-172
p.165
“不幸というのは、言葉が信じられなくなる、ということです。”
それは、とても、悲しいことです。
ことばが届かないことほど、悲しいことはありません。ことばを交わさないことを選ぶならば、分かり合うチャンスをこの先一生放棄するということ……。
ご縁が切れても仕方がないです。
p.171
“目安はぜんぶ言葉、すべて記号です。地上であれば、陽の差す方向を見れば、西か東か北か南か、およその時間の検討もつくけれども、地下道では、周囲の風景がいま、ここを語るということはしません。”
残念ながら自分には、陽の光によって方角や時間を察することはできません。むしろ、地下道を導くことばや記号、時には色によって助けられています。それらがあってよかった、と心から思っています。
けれどそれは、力が弱まっているということなのでしょう。著者の方にとっては、よくない状況だと考えているような気がしました。
2023/02/04 p.172-195
p.189〜
“言いたいことを言えば、たがいにわかりあえるだろうというのでなく、何をどう言ってもうまく語れない、言葉がとどかない、たがいにわかりあえないというところからはじめて、自分の心の中にある問題を、あくまで切り捨てない。”
ことばが届かないことを、悲しいと思ってしまいます。人はみんな違うと頭ではわかっているはずなのに……。
2023/02/05 p.195-200
p.197
“読書というのは「育てる」文化なのです。対して、情報というのは本質的に「分ける」文化です。”
育てるのは……自分ですか?
情報の「分ける」イメージはなんとなくわかる気がします。
2023/02/06 p.201-223
p.208
“五〇万冊の蔵書を誇ったという伝説のアレキサンドリア図書館です。”
50万……。それがどのくらいの量なのか、想像がつかないです。
一生そこに引きこもって読書していたいです。
p.208
“図書館もまたすべて灰燼に帰し、”
えぇ……なくなってしまったのですね。だから、「伝説の」なのですか。
p.219
“大げさでなく命を救ってくれ、”
はい、わたしも、本に命を救われました。
p.221
“悲しみでどうしても立ち上がれなかった時、死んでしまいたいと思った時、寄り添ってくれたのは本でした。”
この人のことが、一気にすきになりました。こういう経験をした方々のことを、そっと抱きしめたくなります。ただの迷惑になるかもしれないですけれど。
p.222
“わたしが本に線を引けるタイプなら、”
本に線を引けないタイプなのですね。同じです。
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「どんな言葉をどれだけきちんと使っているか、あるいはどれだけきちんと使えないでいるかが、それぞれを違える大事なものになってゆく」という一節に納得したり、「読書の鉄則は、ただ一つです。最初に良書ありき、ではありません。下手な鉄砲、数撃ちゃ当たる、です」という言葉に共感して思わず笑ったり。
読書を「自分を効率的に成長させてくれるもの」だと感じて、「本を読みたい」と言うひとも多いけれど、読書はむしろ効率とは程遠いものだと思う。退屈な時間、疲れる時間も多くて、それでも読み続けている内に、思わぬ発見に視界がひらけたり、いつまでも心の中に佇んで離れないひとに出逢えたりする。
「本というのは、自分で、自分の時間をちゃんと使わないと機能しないメディア」だという言葉もあった。音楽や映画は流していれば勝手に進むけれど、本は自分で読み進めない限り、開いていれば勝手に読み進めてくれることなどあり得ない(音楽や映画と同様、内容をすっ飛ばせば勝手に進ませることは可能だし、音楽や映画も流し見では内容は入ってこないので、必ずしもそうだとは思わないけれど)。
本を読んできて、内容を覚えていなくても、自分の考え方はこれまで読んできた本の欠片によって積み重ねられてきたものだなと思う。これからもマイペースに読書を続けていきたいと感じた。
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読書という行為が人生にもたらすものは何か。なぜ読書が必要なのか。読書の意義を説きつつも、平易な言葉で読書に対する心理的なハードルを上げることはない(寧ろ下げてるくらい)。それって結構すごいことだと思う。この一冊も僕の心に植わった木になった。きっと大きく育つだろうなって気がする。
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本に対する心構え、立ち位置を改めされ再認識させられた本です。200頁ほどの本ですが、少し時間がたてば何度も読み返して新たな解釈、発見気づきがある本です。
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715
友人というのはその場かぎりではありません。「ずっとつづく」関係です。親しい、よく知っているという以上 に、友人というあり方の根をなすのは、「ずっとつづく」ということ。「ずっとつづく」ものが友人であり、友人た りうるということであり、「ずっとつづく」というのは、日常的にずっと連続するだけでなく、日常的にたとえ連続 していなくとも、続いているという感覚がずっとつづいている、ということです。 友人と言うと、人間のようにしか聞こえないかもしれませんが、人間だけでなく、たとえば山もそうです。 そこに山がある。その山を見て、そこにひとは、さまざまなものを見る。緑を見る。晴れたり、曇ったり、天候を 見る。過ぎてゆく季節、やってくる季節を見る。山を見ているうちに、自分の思いを見ていることに気づくことも、 きっとあります。状況、年齢、環境、その日の気分の問題まで含めて、それぞれに、さまざまに、そこにある山を見 る
本について語られる言葉のおおくには、すくなからぬ嘘があります。誰もが本についてはずいぶんと嘘をつきま す。忘れられない本があるというようなことを言います。一度読んだら忘れられない、一生心にのこる、一生もの だ、という褒め言葉をつかいます。こんないんちきな話はありません。人間は忘れます。だれだろうと、読んだ本を 片っ端から忘れてゆく。中身をぜんぶ忘れる。覚えているのはたださっきの小川のかがやきぐらいというのが、ほん とうです。読んでしばらく経ってから、これは読んだっけかなあというような本のほうが、ずっとたくさんあるはず です。
たとえば、大学に行って、大学の誇る図書館で、その蔵書をどれだけ読むでしょうか。がんばって読んだとして 一人一〇〇冊あたりも読むでしょうか。とすれば、大学が誇るすばらしいよい図書館とは、ほとんどだれも読ま ない本がたくさんある図書館のことです。実際に読むかもしれない一〇〇冊ぐらいしか本がない図書館は、図書館と はよばれません。本は非常に不思議なのです。使わない洗濯機や、使わない自動車がたくさん並んでいても、役に立 たないのです。本は別です。だれも図書館のない大学には行きたいとは思わないでしょう。しかし実際に入っても、 図書館の本をほとんど読まないで卒業するでしょう。
というのも、他人と競争する。他人と競争して、他人に勝つ。 るいは負ける。そのように勉強というものが、つねに他人を確かめ る、他人との距離を確かめるようにして行われてきたということが あります。しかし、子どもがどんどんすくなくなってゆく社会で は、他人に勝つために勉強する必要より、もっとずっと必要なのは 自分を確かにするためにする勉強であり、自分を確かめる方法とし ての勉強がいっそう求められます。
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評判が良かったので手に取ってみたが、悲しいかな、あまり合わなかった。この本と合う方はとても感銘を受けてらっしゃるので羨ましい。
私自身が短絡的すぎる人間のため、読書は楽しい暇つぶしで、本はいつもお供にして寝てても立っててもどこでも好きなように読めて良いよなーって思っていた。それ故に、そんな難しいこと言わず楽しく読書させてくれ、と反発心のようなものがおこってしまったのであった。自分自身に残念。
所々、某政治家のポエムを思い出してしまったり…ああ。
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正直自分にはあわなかった。昔を美化しているような印象が強い。何年か経って違うタイミングで読んだらまた違うのかもしれない。
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本が好き
義務でも修行でもなく、ただ単に楽しい遊びだから
この本は読書についてではなく、もっと根本にある言葉について、自分のありようについて考える導きのような本
「言葉というのはその言葉で伝えたいことを伝えるのではない。
むしろ、その言葉によって、その言葉によっては伝えられなかったものがある、言い表せなかったものがある、どうしてものこってしまったものがある、そういうものを同時にその言葉によって伝えようとするのです。」
この文章を読んだ時にホッとした気がして
伝えたい思いがあるのに、言葉にできなくて、言葉にしようと思いがよくわからなくなってしまう
こういうことを言いたいわけじゃない...
なんでみんなはきちんと伝えられるのだろう
ってずっと思ってた
伝えたいことを言葉にしようとすることで、自分の中を見つめること、確かめること
言葉に言い表せない心のうちがあることを知り、それを伝えることができるのも言葉であること
言葉で尽くせぬものがあることは、ごく自然なこと
自分の言葉を持つということが、成長というのならばまだまだ成長過程
これからも楽しく本と付き合っていきたい
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NDC 019
(・あれ、私が借りたこの本は、池澤春菜さんの解説がのってない。読んでみたい。)
私にとって、哲学的で読みやすくはなかった。一回読んだだけではわからないなと思う言葉もあった。でも、出会ってよかった。なにがよかったとかどうよかったかとかをここに言い表せないところが、自分が「よい言葉」を持っていないということなのだなぁ・・。自分を豊かにしたいなぁ・・。
「本のなかにある「いい時間」
本とともに過ごす豊かな移管をもとめて、人は読書をしてきた。「本は親しい友人」「本は大事な記憶の扉」「本は言葉を紡ぎ、世界を身近にとりもどす一つの装置」「本は人生の比喩」ーすべては読書からはじまる。本を読むことで、自分の心のなかに失いたくない言葉の蓄え場所をつくりだすことができる。」
「読まない本」にゆたかさがある。「たくさん読む」が正解ではない。「一生忘れない」なんて嘘?最も長く、最も深く人類と共に在り続けてきた「本」というメディアは、私たちの想像よりもずっと優しく、あらゆることを許してくれる友人だ。本はあなたを孤独にしない。読書が苦手、活字に疲れた―そんな本音にもあたたかに寄り添う、「人間」を楽しむ至高のエッセイ。」