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2021年9月
(わたしの話だが)95歳の祖母は東京大空襲を中目黒から見たらしい。下町のほうが赤く燃えているのがわかったと。
戦争を経験した世代が今、死を迎えようとしている。話を聞くのはラストチャンスかもしれない。もしくは痴呆でもうすでにこちらの質問にはまともに答えられないかもしれない。
この物語では老人たちのいろいろな人生に想いを馳せることができる。語り手を失いつつある物語。
わたしの祖母はどんな人生だったのだろうか。
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認知症で97歳の初音さんは、施設に入所している。
現実よりも、輝いていた昔の記憶の中に生きている。
会いにくる娘たちも高齢者。
長生きは尊いのだろうけれど…。
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介護施設で暮らす痴呆を患った母初音さんと、満州美、千里の2人の娘。 夢うつつの初音さんの気持ちがさまよう、かつて暮らした天津租界が、やはり今回も気になりました。 介護の鉄則、逆らわない、叱らない、命令しない。 今後の自分のために絶対忘れないようにしようと思います。
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誰にも邪魔の入らない、夢現のとき
そこには天津租界でのキラキラした世界が、、
もっと広がるのかと思ったけど、意外と現実的
老々介護か
身につまされるなあ
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長女がジャケ買いしたけど私向きだと思い読み始めたら止まらなくなった。いろいろな世界の対比がくっきり描かれていて、久しぶりに本の中の世界に自分もたたずんでいるような気分になる。現在老いてしまった母親、戦争を生き延びたけれど辛い思いもした祖母や母のことを否応なく思わされる。もっと歳を重ねた時、再読できるだろうか。
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介護施設に入所できた場合、認知症患者自身は、外から見るよりも幸せに生きているのかもしれないと思った。見たい光景を見ているなら、良い事なのかもしれない。やりたいようにやらせてあげる、その余裕が家族にあるかは考えるだけで苦しい。
初音さんのように夢心地でなく現実を生きている満州美さんのことが気になった。読んでいる限り内面はいたって穏やかに見える満州美さんだが、若くして後遺症を持つ身体になった苦しみが顔に表れているという。そして妹には心配かけまいとしている姉の心が涙ぐましい。
陽気とされる千里も、そんな性格なら結婚して子どもの1人や2人いそうなものだがそうではないところに、作中には書かれていない千里の思いがあるのかなと想像させる。一言では表せない人生という厚みを感じるのだ。
病気によってある日突然自由が効かなくなるというのは誰にでも起こりうる。そんな時どうやって生きていくか。生き方も死に方も正解がない上に、思い通りにならない事もある。そんないくつもある不安を、ありのままに受け入れるような本だった。
戦争経験者の記憶も死と共に葬られていくのが恐ろしく思った。
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不思議な味わいの作品だった。
認知症となったお年寄りたちの内面世界を浮かび上がらせたかと思えば、見守る子供たちの気持ちにもよりそう。
お年寄りが思いがけず反応を示す昔のことに、驚いたりする若い介護士たちの姿も描かれる。
現代と、お年寄りが過ごした過去とを自由に行き来しつつゆったりと話が進んでいく。
お年寄りたちの帰っていく過去は、多くの場合戦時中だったりする。
自分の人生の最盛期に戦争を経験した世代の、半世紀以上経っても消えない傷がそこにある。
主人公の初音さんは大正生まれで、戦時中は天津の日本租界で暮らした経験がある人だ。
租界での優雅な暮らしは、終戦とともに終わり、現地で生まれた幼い娘、満州美さんとともに、命からがら帰国する。
引き上げ船での過酷な体験が「エイ」の幻影となって現在の彼女を苦しめる。
けれど、彼女が帰っていくのは、それより先の天津時代。
内地と違って、女性も「お前」などと呼ばれたり、男性の従属物扱いされなかった、特別な場所。
贅沢な西洋文化に触れられる場所。
溥儀の妻、婉容が「エリザベス」として束の間、限られた自由を手にした街。
婉容のその後は、知っての通り。
次第に認知症が重くなっていく初音さんの心が、実際には会うこともなかったエリザベスにだけ、つながりを残していたことに、何とも言えない気持ちになる。
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老いと病気のなかで、認知症は幸福な病気なのかもしれないと思った。
認知症の初音さんは過去のつらい時代に行くこともあるけれど、多くは、華やかな天津租界での暮らしに行っている。現実世界では、娘や介護士の目線で、老人たちは抜け殻に例えられている。しかし、初音さん本人の意識は、羽飾りのついた帽子を被り、ドレスやハイヒールの洋装をし、美味しいケーキを囲んで、お友達同士お互いをヴィヴィアンやサラとあだ名で呼び合う。とても甘く幸せな世界だ。
初音さんに限らず、老人ホームの認知症のお年寄りはみんなそう。若くて自由だった時代に生きている。老いや病気なんて関係ないし、小さな不幸も軽く虫を払いのけるかのように自由気ままに過ごしている。そこでは、みんな「エリザベスの友達」なのである。
いずれ、親が歳を取り、私や周りの友人たちも老人になる。みんな死ぬ。確実に。絶対に。
そのことを考えると、子供の頃と変わらず、中年になった今も怖くて眠れなくなる。
解決策はないけれど、恐怖を和らげるような幸福な老いの物語として、この先も読み返したい一冊になった。
余談だけど、もし私が認知症になって名前を聞かれたときに、旧姓や愛称ではなく、例えば好きなラッパーや作家を名乗ったり、ネーミングが強すぎる友達のSNS名を名乗る可能性もあるんだな…と考えたら恥ずかしくなってきた。
「おばあちゃんお名前は?」「あい、宇多田ヒカルです」と答え、自分のことを歌姫だと思い込む老後か…。アッパー過ぎてヤバいかもしれない。
あと、老人ホームで曲をかけると心ここにあらずの老人たちが若かりし頃に戻り、急に歌い出す描写がとても好きだ。私の世代だと、老人ホームで小室ファミリーとか流されるのかな。全然好きな音楽じゃないけれど、それはそれで楽しそう。
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いい老人ホームだ。2人の娘もよく通ってくれて初音さんは幸せだ。でもそんなこちらの世界とは全く別のところに認知症のお年寄りは生きているようだ。だとしたら幸せって何だろう…
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施設に入所している認知症の母とその娘たちの物語で、認知症老人を温かい目で描く良作。中国の租界や満州などの若い頃の体験を今の体験として感じているという説明に、認知症への理解が深まったように思う。