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普通のことがうまくできないけど、普通の人と違う感性を持つ兄と、何でもそつなくこなせるけれど、特別な才能に憧れる妹。そんな兄妹2人が営むガラス工房のお話。
「手っ取りばやく一人前になる方法なんかない。毎日同じ時間、同じ量の仕事をするんや。そうやってすこしずつ身につけることしかでけへん」
兄に追いつきたくて焦って、無理をして倒れてしまう羽衣子にかけられた言葉が、自分の中にも染みてくる。
焦らず、目の前のことをしっかりやっていけば、それが道になる。勇気をもらえる言葉。
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発達障害のある兄がいて、度々問題を起こすので妹なのに家ではいつも後回し。理解不能な兄にずっと反発していた妹。
距離のあった二人が亡きおじいちゃんの跡を継ぎ、一緒にガラス工房を営むことになる。
長い時間をかけてポツリポツリとお互いの思いや感じていることを知っていく。あきらめないで決めつけないで、相手に言葉で伝えていくって難しいけど大切だと思う。
言われないとわからないこと、気付けないことなんて、大人になっても日常にいっぱいある。
二人の距離が縮まっていく様子が、物語にたまにある強引さも性急さもなく自然な感じがいい。
不器用だけど真っ直ぐな兄が妹のために怒るシーンにグッときた。
寺地さんの作品は、苦しさの中にも救いと優しさがあって良いなぁ。
『もっとたいへんな人がいる。その言葉を口にする時、人は自分自身の感情をないがしろにしてしまう』
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診断はされていないけれどおそらく発達障害の兄の道と、なんでもそつなくこなせるけれど「特別」な兄にコンプレックスを抱いている妹の羽衣子。お互いに苦手意識を持っていたが、祖父の遺言をきっかけにガラス工房を二人で引き継ぐことに…。兄と妹、二人の視点から、ガラス工房での10年間が描かれています。
不器用だけれど嘘のない道。そんな道に対して反発していた羽衣子も、次第に自分のことも道のことも素直に受け入れられるようになっていく。前半は読んでいてちょっともやもやするんですが、厳しいけれど優しい、とてもとても素敵なお話でした。
やっぱり寺地さん、いいですね、好きです。あ〜自分の語彙力の無さがうらめしい。今私の感じているこの気持ちを、このしあわせな読後感を伝えたいのにうまく言葉で言い表せない、もどかしいです。今まで読んだ寺地さんの本の中で一番好きかもしれないです。
兄妹のやりとりや「死」がトピックになっているところは町田そのこさんの『ぎょらん』をちょっと思い出しました。印象としては『ぎょらん』から衝撃とファンタジーを差し引いた感じでしょうか。
***
「ひとりひとり違うという状態こそが『ふつう』なんや。『みんな同じ』のほうが不自然なんや」(42頁)
「前を向かなければいけないと言われても前を向けないというのなら、それはまだ前を向く時ではないです。準備が整っていないのに前を向くのは間違っています。向き合うべきものに背を向ける行為です」(88頁)
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普通が難しい兄と才能や特別に憧れる妹の優しい物語。
センスや才能はふわっとしたものでわからない。好きなことに向き合った確かな事実がそこにはある。
勇気をもらえる言葉が今回も沢山ありました。
泣いてる人にただ寄り添う、それだけでも救われる人はいる。
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ストーリーとしての読みやすいさと、テーマ選択の面白さのバランスが絶妙で、関西弁のテンポも良く、とにかく最後まで軽やかに、楽しく読むことができました。
寺地さんの作品には、毎回必ず膝を打つシーン、心を鷲掴みにするセリフが登場するのですが、今回も「障害があるからかならず才能もあるはず、みたいな考え方、俺は嫌いや」など、まさに!といいたくなる言い回しに、読んでいて爽快感がありました。
なんだか疲れた、仕事がつらいな、もしくは最近なにもいいことがない、つまらないやと思った時は、この本を読んでみると、少し気分が晴れるかもしれません。
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兄→道、妹→羽衣子
2人が出会う人や出来事を通して
より良い関係になっていくお話。
印象に残ったところ
もっとたいへんな人がいる。その言葉を
口にする時、人は自分自身の感情を
ないがしろにしてしまう。
やえちゃんの感じた恐怖は、
やえちゃんのものなのに。
他人の良いところを認めるより、
批判したり揚げ足とったりするするほうが、
ずっと簡単やな。優位に立ったような気分に
なれるけど、実際はその場にとどまったまんまや。
でも羽衣ちゃんは道を認めた。
それができるやつは先に進める。
そうかも!!って思った。
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発達障害の兄と、その妹が反発し合いながらもガラス工房を営む中で、さまざまな出会いと別れが気付きと変化をもたらす静かな物語。
他人に認められ、褒められるのではなく、まずは自分自身が自分を認め、褒めること。最近の自分の課題も相まって、心に刺さった。
ある程度の年月を生きた、大人に捧げたい内容だった。
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生きていれば悩みは付きもので、それを解決したことにするのか・諦めるのか・問い続けるのか・そのままにしておくのか、選択肢は山ほどあり、残念ながらはっきりとした正解はどこにも無い。
同じ人が一人もいないこの世の中で人は皆不器用にしか生きられない。
それぞれの悩みを抱え、時に間違え、そこから新たな学びを得る。
それを何度も繰り返していくしかないということをこの兄妹が教えてくれた。
夏休みに子どもの頃に見た昼ドラ(愛憎劇ではない方の)を彷彿とさせる。
10年という年月をかけてとても健康な心の動きを見ているなと思った。
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多分発達障害の兄、道。
妹の羽衣子。
兄中心の母。
家族を捨てた父。
優しかったガラス職人の祖父。
母と実家の権利で揉める伯父。
家族だからこその葛藤、もどかしさ、歯痒さがうまく書かれていた。
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燃えるような海を、自分を信じて進む。
夜明けに息を吹きこんで、記憶を形に残す。
これは、ガラスのようにきらめく美しい物語。
主人公の二人の兄妹は、日々ぶつかり合って、長い歳月の中で、どこが強くてどこが脆いのか、互いに認め合いながら絆を深めていく。
二人の関係性に入っていたヒビですら、光を受ければ、それはまるで美しい要素のひとつのように愛おしく思う。
沈んだ心を掬いあげてくれる言葉の数々が、自分の欠けた部分を包むように反射して、なんにも上手くいかない自分を、そのまんま受け入れられるような気がしました。
海を彷徨うような日々で、思うような場所にたどり着けなくても、心のままにくり返して積み重ねて、いつだって前を向いて自分を信じてあげよう。
そんな風に思えました。
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「愛すべき、だって兄妹なんだから」
舟を漕ぎだした兄とガラスの中に佇む妹。
祖父のガラス工房を継ぐことになった兄の道は発達障害(未診断)で人の気持ちが分からず、人とのやり取りが下手、実生活でも様々な困難がある、妹のことが苦手。でも才能に恵まれる。妹の羽衣子はしっかりしているところと純真なところが混じった普通の子、そして兄のことが大嫌い。
道と羽衣子は言い争ったり折り合いをつけたりしながら寄り添うことを覚えていく。家族の中での自分をそれぞれ見つけてこのままで大丈夫と、さらなる未来に向かっていく。
難しい話ではなかったので10代の子にも読んでほしい。
初めて#NetGalleyJPを利用しました。
https://www.netgalley.jp/book/232419/review/798056
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道のような曖昧なことはわからず明確に言語化された言葉のみを理解するという人は結構いる。
見た目にはわからないから、誤解されたりしてツライことが多いだろう。逆に大多数の人は曖昧なふわっとした表現の中で生きているんだなと気づいた。
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手元供養のためのガラスの骨壷、調べてみたらとても綺麗で可愛らしい
骨壷をオーダーメイドで欲しがる人たちの切なかったり温かかったりする事情に触れることで兄妹も成長していく
羽衣子は自分も何か特別な才能がきっとあると信じ、様々なことで打ちのめされ、それでも努力を続けるのは痛々しいけれど格好いい
道の発達障がいを受け入れて支援していれば、本人も家族ももっと生きやすかったのでは…と考えてしまう
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2015年の6月、幸運に恵まれてわたしは一冊の本に出会った。
その作品のたったひとつの台詞は今も尚、わたしの脳裏に刻み込まれてこの先も決して消えることはない。
『心に棺桶を』
何度も繰り返されるこの台詞にノックアウトされて、早六年、わたしは寺地はるなという作家を静かな情熱で追いかけたきた。
そしていま、こうして『ガラスの海を渡る舟』にたどり着いたのだ。
冒頭の骨壷のシーンを見た時に、あの『心に棺桶を』が蘇った。
あぁ、これは間違いない。
また、あの時と同じくらい、いやそれ以上に心を持っていかれる。
その予感はもはや確信に近く、その熱い海を渡る間、まず後頭部が痺れ、じわりじわりとその痺れは全身に広がっていくのがわかった。
寺地はるなさんはいつだっていろんな家族を描く。今回もそれは例外ではなく、既刊のどの家族とも違っていながら、どこかが似ているようにも感じる。
それは巷にあふれる家族が似ているようで同じでないのと同じだ。
特別であることはあたりまえなのか、もしくはその言葉は暴力なのか。
普通ってなんだ。大丈夫ってなにが。前を向かっていったいどっちが前?
不器用に生きる彼らの世界は私たちが生きる世界と同じで、だからこそ目を逸らせない。だって、そこにいるのはわたしたちだから。
特別にはなれなくとも他と同じものなんてなく、失った人との向き合い方も人それぞれ。
骨壷に入れるものは骨ではない。
かつてビオレタで菫さんが作っていた棺桶と同じように、道が作る骨壷にひとつとして同じものはないのだ。
海を渡るのに舟なんて、心許ない。
そう思って読み始めた本作は、やっぱり脆い『舟』であった。それでも、道と羽衣子は、時に背中を合わせ、時に手を取り、時に同じ方向を向いて、このガラスの海をこの舟に乗って渡っていくのだろう。
不思議と涙は流れない。
ハートにしまった何かがじわりと温まるのを感じた。それはかつて仕舞い込んだわたしの『棺桶』なのかもしれない。
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相容れない兄と妹が心の中では徐々に分かり合っていく、しかしその分かり合える感覚も切れたりつながったりと読み手を翻弄させる
面白い作品でした