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下巻P16〈武士道とはそもそもが畜生道〉どこまでも冷静な直家をもっても、
誰がどう動くか正確に読み取ることはできない。
それぞれが懸命に生きたということ。
心理戦にもぐいぐい引き込まれ、虚しい気持ちを共有したような気分。
黒田官兵衛のことをもっと知りたいと思う。興味は尽きない。
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一人の人物に焦点を当てるというより、流転を表現した小説なので、人物の物語として読もうとしたら面白くないかもしれない。
気分がすごく高揚するようなものでは無いですが、人生の一抹の寂しさと人並みの幸せを感じるところは好き。
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万感の思いにて読了。こういう感覚で読み終えることは珍しいな。直家は宇喜多家のためにやり切ったんだなと思うとじんわり込み上げるものがある。人との出会いが大切だなと思わせられるが、偶然だけでなく、自分の努力や成長によって引き寄せる出会いもあり、そういう出会いの方がより成長させてくれることが多いのかなと感じた。善定や紗代、お福、黒田親子、恵瓊などをとても思慮深く描いており、直家に少なからず影響を与えていたのかな。下巻では紗代がいつの間にか街を出ていて全く登場しなかったが、最終盤に紗代の言葉が出てきて震わされた。大満足の1冊‼︎
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宇喜多直家の生涯。梟雄と言われるがこの小説ではうちに厚く一族郎党を守る為なら自からの汚名を物ともしない。商人との交流や生き残った知恵、作者の想像力の中で花開き軍記物としても面白い。
そしてお福と出会ったことは直家にとって何よりの幸せだった。この物語の中で凄い描写もあるが、何故か微笑ましくもあった。
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途中失速したものの、とても読み応えがありました。戦国史上最悪と言われた梟雄との宇喜多直家。垣根さんの描く直家は不遇な幼年期を過ごしながらも、人との関わりを大切にしている為人が感じられました。
『歴史は、常に生き残った勝者の都合によって捏造され、喧伝される。滅んだ系譜ー敗者は、その歴史の中で沈黙するのみである』と言った所でしょうか。
「黒牢城」を読んだので黒田官兵衛とも繋がっていて思い入れ深く読みました。
父とも仰ぐ善定の今際の場面を医者の待合室で泣きなが読みました。
自分もいつか誰かに恩義を返していけたらと思います。
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40数年前。
小学生だった頃。
吉川英治さんの宮本武蔵を覚えるほど読んだ記憶がある。
その時のことを思い出した。
なかなか楽しい時間を過ごせた。
あんまり難しいことを考えずにひたすら量を読む。
ただ、艶ごとをあんなに多量に含めないといけないかなぁ、とは思った。
そこはちょっと残念。
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『歴史は、常に生き残った勝者の都合によって捏造され、喧伝される。滅んだ系譜ー敗者は、その歴史の中で沈黙するのみである』by お福
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宇喜多直家、名前は知れども来歴はあまり知らなかった。創作要素も多いのかもしれないが、著者の歴史小説に一貫してある、理の通った話で楽しめた。
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宇喜多直家の士農工商や性別、外見にとらわれない柔軟な物の見方に胸がすく思い。歴史物があまり得意ではないので、特に後半、史実の記載が多く退屈に感じてしまったが、全体的には面白かった。
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戦国時代の備前周辺の話という事で、人間関係に馴染みがなく、途中まで勢力の分布が理解できずに読み進めている感じもあったが、秀吉達が出てきて以降は理解も進み各人のうごめきを楽しめた。
お恥ずかしながら、実は終わりの方まで宇喜多秀家の話かと思ってたくらいで…新鮮な戦国物語。
岡山城に行ってみたくなったな。
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戦国の梟雄の宇喜多直家を描く歴史小説の下巻。
下巻はお福との出会いから直家の死までが描かれていて、エピソードでお福や秀家の最後まで触れていたのは良かったです。
宇喜多直家を見直す点では木下昌輝さんの「宇喜多の捨て嫁」に先を越されましたが、物語の流れやボリュームとしてはこちらの方が直家の心情に迫っていたと思います。
お福と再婚する理由付とは思われるエロい描写が無くなった後半からは一気に面白くなったと思います。
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垣根節を堪能した。
滅亡の淵に会った宇喜多の家を一代で50万石まで持って行った直家の話し。下巻は信長、秀吉、小早川、吉川、安国寺恵瓊、黒田官兵衛など戦国のスターたちが登場して直家と絡んでくる。
最初は信長に付いたがその後毛利との軍事同盟、結局信長に付くという2大勢力の狭間で自国を大きくしながらも綱渡りの外交を展開する。そんななかで発病して54歳で亡くなってしまう。その約半年後に信長も本能寺に斃れる。さらに18年後に宇喜多家も関が原で滅びてしまう。まさに諸行無常。
作品紹介・あらすじ
死後440年、蹴りに蹴り続けられた男、宇喜多直家。その実像を浮き彫りにする。『光秀の定理』『室町無頼』『信長の原理』――歴史小説界に革命を起こし続ける著者が描く、戦国史上最悪と呼ばれた梟雄の素顔。自分は何故、零落した武門に生まれたのか。どうして自分は、このような孤独な星のもとに生まれたのか……答えは出ない。豪商・阿部善定は、没落した宇喜多家の家族をまるごと引き取る決意をする。まだ幼い八郎の中に、稀有な非凡さを見い出したがゆえである。この子であれば、やがて宇喜多家を再興できるのではと期待を寄せた。一方、八郎は孤独な少年時代の中で、商いの重要性に早くから気付き、町や商人の暮らしに強く惹かれる。青年期に差し掛かる頃、年上の女性・紗代と深く関わり合うことで、自身の血に流れる宿命を再確認する――八郎は、やがて直家となる。予め定められた星の許に生まれ、本人が好む好まざるにかかわらず、常に極彩色に血塗られた修羅道を突き進むことになるだろう。歴史は、常に勝者の都合によって捏造され、喧伝される。敗者は、彼岸にて沈黙するのみである。少年は、運命から自由になりたかった。だが、幼少の頃から武門の再興を定められていた。織田と毛利を天秤(はかり)にかけ、夢と現(うつつ)の狭間をあがき続ける。宇喜多家の存続のためには、どんなことでもする。我が死でさえも、交渉の切り札に使う。世間でいう武士道など、直家にとってはどうでもいい。そんなものは、犬にでも呉れてやる。直家は宇喜多家を再興し、石山城(岡山城)を国内商業の拠点と定める。同時に、近隣の浦上や三村と激しくつばぜり合いをくり返し、彼らの背後にいる巨大勢力の毛利・織田の狭間で、神経を削りながら戦い続ける。直家の生来の臆病さを良く知る妻のお福。生涯の恩人となった阿部善定。旧縁である黒田満隆と官兵衛の親子。直家が武士に取り立てた商人・小西行長……様々な人との関わりから、直家は世の理(ことわり)に気付いていく。――人の縁で、世は永劫に回り続けていく。
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垣根さんのファンとして、歴史もの「以外」を期待している私がいて、そのせいもあるのか、発刊から1年遅れでようやく読了。ただおもしろくて一気に数日で読み終えてしまった。
以前の作の信長、光秀が、いわゆる手垢が付いた人物の伝記であったのに対し、前作来、あまり光が当たってこなかった歴史上の人物にフォーカスしているところが、既視感がなくて良かったと思う。当然有名な人物とのカラミもあって、そこはそれで楽しめる作品となっている。
垣根氏の作風として、「人間観察」というものが根底にあって、そこから垣間見る人間と人間との関係性の描写がなまなましくて、そこは歴史もの、歴史もの以外でも共通した作風、と言ってもいいのだろうか・・・。
ただ、願わくば現代の人間模様を切り取った作品をまた読みたいなーとか思う私がおります。
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極楽征夷大将軍が良作だったので、勢いそのままに作者の別作品にトライ。大作である極楽征夷大将軍を凌ぐ、上下巻合わせて900ページ強の超大作。ただ読みやすさは極楽征夷大将軍以上で、こちらも引き込まれるように読めた。
私はそもそも知らなかったが、悪名高いと評判の宇喜多直家が主人公。武士の家に生まれながら幼少期に商人の家で育ち、家を再興した後も根っからの武士にはなりきらず、商人としての才を十分に発揮しながら、毛利、織田等の強国と渡り合いながらも、自身の領土を盤石なものにしていくストーリーは本当に面白かった。
一方、直家が幼少期から成長いていく中で、女性との出会い、情事がこれでもかとたっぷりと描かれているのが特徴的。これは官能小説?と何度思ったことか笑
いろんな意味で大人になっていく直家の様子が気になってしょうがなかった。
それはさておいても、あの群雄割拠の戦国時代を武力だけではなく、権謀術数を弄してのし上がっていく姿、でありながら引くときは引く潔さ、常に最悪の場面を想定し何手も先を見て生き抜く姿には感服した。
また一つ歴史が好きになった。当分歴史小説にハマりそうだな。。
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いざ下巻。涅槃のポーズで読書しながら、この小説と涅槃の意味を考える。
権謀術数渦巻く戦国の世において、敵味方も日々入れ替わり、時に親族さえも殺める。権力欲と肉欲を持ちながらも、しかし、配下の生活や義理人情を重んじる。こうした生々しい俗世から、どこか浮世離れしていく思考は、死と隣り合わせの日常における「命の軽さ」ゆえか。死ぬ事が当たり前の時代、今よりもっと、人生とは自らを思想的にも世俗的にも「成り上がり」を目指すゲームみたいなものだったのではあるまいか。
こうした戦国時代を生きた宇喜田直家の生涯を著者垣根流に書き上げたのが本作。エンタメ要素は強いが、だからこそ、一層面白い。
世俗を達観した到達点に、涅槃がある。いや、それは単に現世にしがみつく事への諦めの境地ではないのか。全ての因縁から自らを解き放つ。そんな事を涅槃のポーズをしながら、ダラダラと。私は、ただ横たわる仮初の涅槃、起き上がり俗物。