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2020.1.18
愛しさと、切なさと、心の収まらない感覚とうが、たくさん押し寄せてきて苦しい位でした。本から一度離れて、読み進む事が何度も必要なほど。
カップヌードルを食べるくだりが最高で、このタイミングはこういう風に感じるよな〜と、アンバランスさに感動しました。
これだけ一途に生きれたら最高!
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リリーとリュウ君の関係が素敵。
あんな風に誰かを愛おしく思えたらいいのに
菊さんが可愛くて頼もしくって
家族の形、関係について糸さんらしく描かれているなと思いました。そしてまっすぐ、とっても。
菊さんが亡くなったシーンは泣いてしまった。
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あれは、二十歳の誕生日でした。
父から手渡された一冊のファイル。折り畳まれた紙を開くとそこに書かれていたのは名前が線で繋がれた図のようなもの。『さてさて家の家系図だ』という父。紙の最上部から柳のように垂れていく線は、途中で幾つもに枝分かれし、下まで辿った最下部中央に見つけた私の名前。『お前ももう二十歳だ。さてさて家の家系図を末広がりに広げて次に繋げていけ』と受け取ったそのファイル。その図に載っていない人から見ればなんの意味もないよその家の家系図。でも、その図に載っている人には、とても深い意味を持つ家系図。歴史上の有名人もいなければ、自分もそれまで聞いたことのなかった祖父より上に並ぶ知らない名前の人たち。普通に生まれ、普通に暮らし、そして普通に死んでいった、でも私にタスキを繋いでくれた、私にとってかけがえのない人たち。今も時々取り出してきては眺めるその家系図。父が逝き、この図を更新していく使命を背負った私。悠久の歴史の中に自分が確かに存在することを実感することを感じるとともに、自分に繋がり、自分が未来に繋がっていくことを再確認する機会となる家系図という存在。二十歳の誕生日に父からもらったかけがえのないそのファイルを次に繋いでいきたいと願う。この作品は、そんな家系図=ファミリーツリー=家族の繋がりというものを主人公・流星と、家系図に名前のある人々の十余年の日常から感じていく物語です。
『リリーは、空とおしゃべりするのが大好きな女の子だった。ちょっと目を離すと、すぐに”空の国”に翼を広げて旅立ってしまう』と何かファンタジーが始まったかのような物語のはじまり。『リリーと最初に出会った時のことは、もう覚えていない。なにしろ、まだ三歳だった』という主人公・流星。『僕には年子の姉、蔦子がいる。蔦子が出来たと知った両親は慌てて入籍。延び延びになった二人の子連れでの結婚披露宴の場。『両親の結婚式は、平成元年三月』。そして、そんな場で出会ったリリー。『僕は、リリーと三週間違いでこの世に誕生した』という流星。『リリーには、四分の一だけスペイン人の血が流れている。幼い頃から人を魅了するエキゾチックな雰囲気があった』というそんなリリーがとても気になります。『そしてこの物語は、僕とリリーを巡る、同じ血が流れる家族のお話でもある』という物語は、信州を舞台に始まりました。『僕のひいおばあさん、菊さんは旅館を営んでいた。旧街道沿いに建つ、古くて立派な旅館だった』という旅館の名は『恋路旅館』。そして、『リリーは毎年夏になると、東京から“ あずさ”に乗ってやって来た』、『幼い僕にとっては、夏イコールリリーであり、リリーイコール夏だった』、と『僕は、毎年その日が待ち遠しかった。リリーに会えると思うと心がはしゃいだ』という幼き流星。『リリーと過ごす夏。それは、一瞬一瞬がきらめきの連続で、毎日が冒険だった』という夏。『まだ、僕もリリーも蔦子も、幼稚園児の頃だ』というある日。『すごい、すごい、あれ見て!』という『遠くの空に虹がかかっていた』のを見て、『あれにつかまって、みんなでターザンごっこしよう!』、と『目をキラキラと輝かせて』言う��リー。『無理だって』、と冷静に言う流星。『それでも、リリーは納得しなかった』リリーは『行くの』、と言うやいなや『自転車にまたがって猛スピードで走り出した。仕方なく、僕と蔦子も慌ててリリーを追いかけた』という展開。『けれど、見晴らしのいい場所までたどり着いた時には、虹は、もうどこにも見当たらなかった』という何もない空。『虹、風に飛ばされちゃったんだよ』、と『なんとかリリーを慰めたくて適当なことを』言う流星。そんな横で『リリーは、じーっと空を睨みつけていた』という夏のある日の出来事。そんな流星とリリーのそれからの十余年が描かれる物語が始まりました。
幼い頃からお互いの存在を強く意識してきた流星とリリー。この作品ではそんな二人の思いがどのように変化していくのか、または変化しないのかを、美しい信州・穂高の自然の描写と、家族の存在を背景に丁寧に描いていきます。そんな中でも流星の子どもの頃の夏の描写が絶品です。夏が大好きな流星。『その頃の僕にとって、夏だけが生きる支えだったように思う』という流星。『僕の脳裏には秋も冬も春も印象がまるでなく、ただ夏だけが、太陽のような明るさで鮮明に輝いていた』という流星の夏。『山が色とりどりのパッチワークのようになる秋も、すべての罪をその下に隠してくれそうな雪景色の冬も、新緑の芽吹く躍動感あふれる春も、僕にとってはただただ夏を待つだけの退屈な時間に過ぎなかった』、と他の季節と比べる流星。さらにそんな季節に菊さんの作ってくれたカレーライスを食べる流星。『普段以上にトロトロして、優しい味だった。サイコロくらいの几帳面な立方体に切られたジャガイモや人参、玉ねぎはうまくルゥに馴染んでいて、豚肉の旨味が滲み出ていた。福神漬けも、菊さんの手作りだった』、という小川さんならではの食の描写。そして、『僕は、何杯もおかわりした。そうしていれば、永遠に夏が続きそうに思えた』、とカレーライスを夏に繋げてみせる絶妙な表現。これはもう、ただただ、うまいなぁ、と言うしかありません。
また、食べ物ということでは、圧巻なのが、まさかのカップヌードルの描写です。『ふーっと大きく息を吹きかけてから、一気に吸い上げる。ズズズズズ。隣に立つリリーの方からも、同じようにズズズズズが聞こえて来た』、とリアルな食事の風景。『うめー』『おいしいね』という最小限のセリフの次に続く『くるんと背中を丸めた真っ赤なエビは、奥歯で噛むとぎゅっと潮の香りのエキスが飛び出した』、というあのエビに光が当たります。そして『黄色い卵はふわふわで、サイコロ型の肉も、旨みが凝縮されていた。ネギは、空から舞い落ちた緑の色紙で作った紙吹雪のようだった』、とカップヌードルを芸術作品のように表現する小川さん。『おなかの底から、ほかほかと体が温まっていくのを感じた』という二人。『幸せってこういうことを言うのかもな、と思った』という流星。『何も遠い海外まで旅行に行ったり豪華客船に乗ったりしなくても、僕らは百数十円のカップヌードルで、こんなにも心と体が満たされるのだ』という納得の結論。そして『カップヌードル、最高!と思った』、と絶妙に締める食の描写。食べ物が物語と一体化していく瞬間。もうあらゆる食べ物が、神々しいまでに昇華されていく小川さんの筆。ああ、カップヌードル食べたいっ!と思いました!
虹を追いかけたあの日。犬の”海”と遊んだあの日。ドリームと名づけられた子どもたちだけの部屋で語り合ったあの日。菊さんのおいしい料理に幸せを感じたあの日。そして、脳みそが半分とろけてしまったみたいな初めてのキスをしたあの日。流星とリリーが過ごして来た十余年は、二人にとって二度と戻ることのできない、かけがえのない日々でした。『僕はふと、この星に生まれて愛し合う男女は皆、アダムとイブなんだと思った。神様の世界から連綿と続く末裔であり、同時にこれから続いていくだろう子孫達の始祖でもあるのだ』、と思う流星。『なんだか、ツリーみたいな形してるね』、と自分に繋がる線が描かれた家系図に何かを感じた流星。何か大きなことが起こるわけでもない普通の日常の繰り返しがやがて歴史を作っていく。家系図の中に確かにその人が生き、家系図の中に確かにタスキを繋いだことが記録されていく。大きく大きく家族が繋がっていく、広がっていく。
小川さんならではの食の絶妙な描写と、信州・穂高の美しい自然の描写、そして子どもたちの繊細な内面の描写に魅了されるこの作品。人によっては途中の何もない日常を退屈と感じてしまうかもしれないこの作品。好き嫌いが大きく分かれそうなこの作品は、結末ではなく、まさしくその途中に描かれる普通の日常、味わいのある普通の日常こそをじっくり味わうべき作品なのかもしれない、そんな風に感じました。
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なんだか家族の話だけど少しだけ離れた家族だったり、複雑な家庭だったりしたけどやっぱり、血の繋がった家族だからわかることとか、幼い頃から一緒だったのに成長するにつれて変わる感情とかがすごく繊細に描かれていだと思う。犬の海が死んじゃったのがすごく悲しい
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幼なじみで、親戚関係でもある2人の恋愛物語。
恋愛というより、家族の物語かな。
言葉の比喩が素敵すぎです。
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「気が付くといつも何かを探していた。それは、山だった。」
私もここに来た時に同じ感情を抱いた。
いつでも帰れると思っていた場所が無くなる。
いつまでも続くと思っていたのに、気づかないだけで確実に変わりゆく日々が描かれている
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自分の先祖や家族に感謝したくなる物語。
家族や恋や舞台となる穂高(安曇野)などについて。
暫く会えていないおじいちゃんおばあちゃんに会いたくなった。
火事の中から海を助け出せなかったシーンでは胸が痛んだ。
「人って、一人じゃ生きていけないんだね
人が、一人の人間からは生まれないのと一緒かもしれない」
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信州の清々しい空気がページ越しに感じられる物語でした。家族・親族のつながり、小学生だった少年少女が成人してゆく様子などが、丁寧に描かれています。
読み終わった後、長野に訪れたくなるような小説でした。
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映像や匂いや温度を運ぶ作者の文章は、本当に好きです。文章で読み手を浄化してくれる作者だと思います。
本作は、主人公を中心とした人達の泥臭さが、ちょっと上手く合って無い気がした読後感でした。
でも、主人公や大人達を含め、誰もが格好のつかない、情けない、泥臭い人達で出来上がっているのが私達だ、というメッセージは読んでてとても伝わりました。
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リリーとリュウ、幼い頃から一緒だからこその甘酸っぱい恋愛感情にキュンとした。小川糸さんらしいほのぼのとした、しかし不思議と何かを考えさせられるお話。
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ファミリーツリー=家系図
僕は年子の姉の蔦子と、毎年夏に穂高に遊びに来るリリーと過ごす夏の思い出がたくさんある。
僕とリリーが大人になっていく過程を描く物語。
人が感じる気まずさや居心地の悪さや、なんとなく物悲しくなる感情を描くのが小川糸さんは本当に上手だなーと思いました。
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曾祖母、菊の家で暮らす流星と、毎夏やって来る父のいとこ、リリーとの成長を描いた物語。
愛犬、海を火事で亡くしたときの悲しみと喪失感、好きなのに縮まらないリリーとの距離感にイラつき、周りとギクシャクしていた流星の気持ちは少しわかる気がした。
そして、色んな苦労を乗り越え、大事な人を大勢見送り、質素に暮らしつつ、大切なものを守りながら丁寧に生きてきた菊さん。
少し複雑な家庭に育ちながらも、リリーが優しくて強い女性に成長したのは菊さんによるところも大きいと思った。
菊さんが亡くなったシーンと、初盆で菊さんや海が帰ってきたシーンは号泣。命の繋がりを感じるラスト。
小川糸さんの小説は、毎度じんわり効いてくる。
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目に見えない自然のエネルギーを感じさせる描写は流石です。マッサージや土に埋まってみる話はスピリチュアルっぽくも感じますが、小川糸さんのエッセイでお気に入りのアユールヴェーダがあることを知っていたので、ご自身の経験に基づいた表現かなと思いました。
ファミリーツリーという言葉は物語の終盤に出てきます。その頂点が菊さんというのが、説得力あります。
主人公が両親や妹との関係を修復しきれていない感じが、もや〜っと残ります。にじいろガーデンもそうでしたが、ただのハッピーで終わらない感じもまた、小川糸さんらしい。
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少し退屈。
何か事件があるわけでも大きな出来事があるわけでもなく、流星とリリーの小さな頃からの心情が淡々と書かれている。菊さんが亡くなったことで、流星の心が開かれていくけど、ちょっと単調すぎた。
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シンプルに生きていくってなんだろうと考えられる小説だった。菊さんの存在の大きさがどんどん増して来て、人は苦労も悲しみも包み込んで豊かな人生を送り、次世代に伝えることができるのだと感じた。田舎に帰って自然に癒されたい人におすすめ。