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1回読んだだけでは内容が入ってこなかった。子どもの成長と教師の役割。教師は教科を教えるだけでなく、子どもの成長に貢献する役割があるということか。
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まぁ文章が難しいこと、難しいこと。例外を極力排除する緻密な文構成ゆえに仕方ない。
「伝統的教育」と「進歩主義的教育」の二者択一的な「主義」で捉えてはならないことを口酸っぱく述べている。
両者を良い塩梅で組み合わせると良いのでは?と考えたが、訳者はあとがきでそれを「中間者」と表現している。
今、自分の中でその中間者はどんな教育組織であるかは一読するだけでは曖昧だ。
まぁ政府が伝統的教育、民間が進歩主義的教育を推進しても良いのではないか?と思わなくもない。
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100年以上前の書籍でも名著の素晴らしさは全く色褪せない。系統主義と経験主義の話、強化を進歩的に組織化することなど現代にも通じる教育哲学の名著。
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どうなるか分からない将来への「準備」としてのみの教育ならば、それは「今」という時間を犠牲にしている。未来における価値しかない授業よりは今この瞬間に価値がある授業がしたい。
「将来英語を使って~するため」なんて子どもに言うのは、無責任なことかもしれない。その子が将来英語を使わずによく生きることができたならば、その子の時間を無駄にしていたことになる。今、この教室で、ここにいる友と教師とともに、英語を学んでいることに価値がある授業をしたい。
私は今まで、教育の成果は数十年先にしか分からないだろうと思っていた。しかしこの考え方は改める必要がありそうだ。子どもの「今」という時間を本当に大切にするならば、この学校生活での数年間が子どもにとって幸せだったかどうかが教育の成果の一つの形として問われるべきである。将来よりよく生きるための教育だけではなく、数年間の学校生活も子どもにとって素晴らしき人生の一部となるために。
・経験には教育的価値が高いものと低いものがある
・経験のつながりが大切
・相互作用の原理と連続性の原理=経験の価値をはかる基準
「教室」は子どもの「生活経験」の場となり得るか?
佐伯でいうところの「第二接面」をどうつくるか?
社会
日常生活から古代の歴史にどうたどり着くのか?
オンラインでの「経験」とは何か?
d-school
教育における how と why
英語:なんで英語を学ぶの?
どのタイミングで why を問うか
時間ベースの教育・空間ベースの教育
議論の立て方
主義を固定化しないで問うことが大事
「どうすればいいかわからない」ということを教師が認めることも必要。
だからこそ子どもの学びにとことん付き合う。「教える」ことだけを考えていると、教えた気になるこわさがある。
子どもを「見る」という介入。徹底的に見ることで何が必要か見えてくる。
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「教育とは知識を教えることではなく経験から学ぶこと」というデューイの教育哲学が書かれています。ワークショップを学びの仕掛けとして行う実践者へのエールのようにも感じられます。
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極めて本質的で古びないことを主張している。「学習者個人と社会との両方の目的を達成するための教育は、経験ーそれはいつでもある個人の実際の生活経験ーに基礎づけられなければならない。」