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紙の本
作家は書き続けるしかありません
2011/11/10 08:12
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
1994年、川上弘美さんは『神様』で第1回パスカル短編文学新人賞を受賞し、本格的デビューを果たします。その後、『蛇を踏む』で第115回芥川賞を受賞するなど着実に作家としての業績を重ね、今や芥川賞選考委員を務めるなど現代日本文学の先頭を走る人気作家となりました。
そして、2011年。川上弘美さんは再び『神様 2011』という作品を描きます。
デビューを果たした作品と同じ題材で、しかもあの2011年3月11日に起こった東日本大震災に続く原発事故を背景にして、作品を仕上げました。
川上さんは何故同じ題材で、新たに作品を生み出したのでしょう。
「静かな怒りが、あの原発事故以来、去りません」と、本書の「あとがき」に川上さんは書いています。
川上さんが高校の生物の先生だったということは周知のことだと思います。生物の先生だから、原子力のことについて詳しいかというと、そんなことはないようです。むしろ、私たちと同様、今回の原発事故で初めて耳にする言葉ばかりだったと思います。
だから、「原子力利用にともなう危険を警告する」といった意気込みなどありません。それよりも川上さんが驚きの気持ちを持ったのは、ありふれた日常は続いてゆくのだが、「その日常は何かのことで大きく変化してしまう可能性をもつもの」ということでした。
1994年、『神様』に登場した「くま」は今から思えばなんと素朴な生き物だったことでしょう。日常の中に「くま」という大きな異物が紛れ込んでも、なんの不思議もありませんでした。
ところが、2011年、「くま」は前作同様の「くま」であっても、それははっきりと異物だということを知らしめます。「くま」は日常のなかに紛れ込むべきではなかったのです。
「熊の神様」がどんなお恵みをしたにしろ、「くま」は人間界に生活できるはずもありません。
おそらく川上さんはこの作品を2011年3月11日を契機にして一気呵成に書き上げたのではないかと思います。それは、作家としての使命だったのではないでしょうか。
あの「くま」が三度私たちの前に現れることがあるかどうかはわかりません。しかし、できうれば「熊の神様」のお恵みによって、本当の「悪くない一日」になるよう、願わざるをえません。
紙の本
くまも神様も変わらないのにね。
2011/11/23 07:09
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:アヴォカド - この投稿者のレビュー一覧を見る
怒っているのだな、ということがわかる。川上弘美は、怒って、怒りながらこれを書いたのだな。
だって、くまと散歩して魚をとったりお昼寝したりする、一読してのんびりとも牧歌的とも感じる「神様」を、いくつもある自作の中からわざわざ選んで、そこに、「あのこと」の後の世界を上書きしてしまったのだから。
読み比べてみればわかる。そこここに彼女が差し込んだ、「防護服」「除染」「被爆許容量」などの、くまと散歩して魚をとる昼寝をする世界とは、明らかに異質な単語。
3世帯しか残っていないマンション、子どものいない水辺。
「神様」には出てくるのに「神様2011」には出てこないものと、「神様」にはなかったのに「神様2011」には当然の顔で居座るもの。
その異質なものが、いつか日常になってしまうことを恐れる。
今だって、まだ家に帰れない人々、故郷をうちやったままで断腸の人々がいるのに、そこ以外では、停電もとりあえずなくなって日常を取り戻したつもりになっている。原発も放射線も、何も解決などされていないのに。
その日常に、かつてはSFの中のものだったガイガーカウンターや除染が、言葉としても実質としても、忍び込んでいる。そして忍び込んでいることに慣れてしまうことが怖い。
人智を超えているからこそ、触れてはいけないものがあったはずだ。今だってあるはずだ。
ウランは自然界にあって、ウランの神様はいた、ずっといた。触れずにいる間は牧歌でいられたけれど、でも触れてしまった。触れてしまった後の世界になってしまった。
知りませんでした、で済ませるには、あまりにも大きな破壊、あまりにも長いこの後の何千何万何億年だ。
それでも、「大いなるよろこび」を信じて最善を尽くしてゆくしか、手だてはない。
と、くまの、思ったよりも冷たい体温を想像しながら、やっぱり思う。
紙の本
「あのこと」を経験した後の私たちの物語、「神様 2011」。
2011/11/15 13:59
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オクー - この投稿者のレビュー一覧を見る
川上弘美の話題作であり、問題作。「神様」と「神様 2011」が収
録されている。「神様」は1994年にパスカル短篇文学新人賞を取った
彼女のデビュー作。まずはこれを再読してから「2011」を読んだ。こ
の小説は、あの原発事故のあとの世界を舞台にしている。ストーリーは
まったく同じだ。たとえば冒頭、「くまにさそさわれて散歩に出る。川
原に行くのである。歩いて二十分ほどのところにある川原である。春先
に、鴫を見るために、行ったことはあったが、暑い季節にこうして弁当
まで持っていくのは初めてである。」が「くまにさそさわれて散歩に出
る。川原に行くのである。春先に、鴫を見るために、防護服をつけて行
ったことはあったが、暑い季節にこうしてふつうの服を着て肌をだし、
弁当まで持っていくのは、「あのこと」以来、初めてである」となって
いる。
えっ?な、なに?くまにさそわれて?未読の人はこの設定にも驚くか
もしれない。「神様」はなかなかの小説である。その小説に、時折、被
曝量だとかストロンチウムだとかセシウムなどという言葉が挿入されて
いく。もちろん、読む者に新鮮さと刺激を与えた物語はバランスを失い、
なんともいえない読後感を残す物語に変わる。作者もそれはわかってい
るのだろう。わかっていながらも川上弘美はこの形で、自らのデビュー
作を再び,世に出そうと考えたのだ。それはやむにやまれぬ思い、と言
えばいいのだろうか。もう「神様」の物語は存在しない。そこに確かに
あったはずの大切なものも消え失せてしまった。僕らは「あのこと」を
経験してしまったのだから。巻末に作者のあとがきが付く。
紙の本
とても不思議なことがまるで何でもないかのように起きている。
2012/02/03 00:01
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yama-a - この投稿者のレビュー一覧を見る
bk1 から現物が届くまでこんなに薄っぺらい本だとは知らなかった。短編小説集である。最初に筆者が1993年に書いた『神様』という小説が掲載されている。お弁当を持って熊と一緒に散歩に行くという、とても現実離れした小説である。ちょうど小川洋子の作品のように、とても不思議なことがまるで何でもないかのように起きている。
それから、昨年その作品に手を入れた『神様2011』という短編が続いている。「手を入れた」と言っても、ほとんどは元のままで、ほんの何箇所かが書き換えられているだけである。しかし、ほんの何箇所かが書き換えられているだけなのに、熊と散歩に行く半ばファンタジーが、完全に福島の原発事故を扱った小説に変貌してしまうのだ。この不思議を何と考えたら良いのだろう。
川上弘美は多分、「あ、そうか、ここをこう変えたら原発事故の小説になるな」と思いついて書き換えたわけではないはずである。何かが彼女にこんな風に手を入れさせたのである。それが何であるのかは分からない。だが、原発の事故こそが、とても不思議なことがまるで何でもないかのように起きている事例そのものではないか。
この符合に驚き、そして、彼女自身によるあとがきを読む。
確かに神様はいるのかもしれない。