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2010年に大阪で起きた、幼い二児が自宅で餓死した事件をモチーフにした作品。
最近もちょくちょく子供への虐待のニュースが報道されているせいか、この事件の記憶自体ほとんど残っていなかったんだけど、逮捕されたシングルマザーの母親が子供たちを置き去りにして遊びまわっていたことが報道され、当時ワイドショーを中心に世間は非難一色になったようだ。作品の読了後に事件のアーカイブ記事をいくつか読んだけど、さすがにこれは糾弾されて当然の所業だわと思った。
しかし一方で、この母親がなぜこのような悲惨な事件を引き起こすに至ったかについては、テレビ等では突っ込んだ考察はあまりなされなかったらしい。それならばと著者は小説という形式で、想像力を駆使してこの母親の転落の軌跡を描いてみたということのようだ。
事件を起こした母親と祖母にあたる女性、そして置き去りにされて死につつある子供の計3人の視点で物語は進んでいく。
ページ数以上の重厚さがあり、ノンフィクションの形式では絶対に描けなかったであろう生々しさが伝わってきた。特に子供視点のパートは、あまりの痛々しさに読み進めるのがつらかったほど。
ただ、幼少期のトラウマが原因で数年後に大きな事件として結実するというのは、小説としてはちょっとパターン化しているかなというのは気になったところではある。実際はどうだったのだろうか。
基本的に細かいところまでがっちりみっちり描写してある作品は、その密度に反比例して読者の頭の中で想像する余地が無くなることが多く、個人的にはあまり好きではないのだけれど、この作品に限っていうと、第三者が目を逸らしたくなるような現実の酷い事件にきちんと読者を対峙させてこそ見えてくるものがある、という著者の意図が感じられ、読み進めるのは大変だったけど、これはこれでありなのかなと思った。
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傷つき続けた子どもたちの物語。
誰か助けてと、
読みながらずっと思った。
*
学生時代以来、
とても久しぶり読んだ山田詠美は、
読みやすさと説得力を強化していた。
専門家として日常的出会う、
傷ついた心を、
ここまで表現してくれてありがとうとさえ思った。
だからこそ巻末の、
対談の不思議な軽さが棘のように残る。
あと、
PTSDと診断してあげて・・・。
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わたしは子供がいないし、子供が欲しいと全く思わないから感情移入が苦手なジャンルの話だった。でも、子供たちは本当に可哀想。
言葉足らずながらも母に気に入られようと必死に話しかける5歳の子の言動には涙がこらえられない。
そもそもこの本は、虐待や子育て福祉、教育の欠如に興味があるから読んだ。
あと山田詠美さんの他の作品が好きだったから。山田詠美さんが得意とする、恋愛関係や性生活に現れるひとの欲望や心持ちの汚らしさ、稚拙さ、愚劣さの表現を各所に感じる。
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実際にあった大阪二児餓死事件を題材にした作品で、
当時かなりセンセーショナルで忘れられない事件。
山田詠美さんがこの事件を『つみびと』という作品にしていることを最近知り、読んでみた。
亡くなった子供の視点、事件の犯人である母親の視点、そして犯人を育てた母親の視点の3つの立場が
順番に繰り返される構成で
この事件を客観的に多角的に捉える事ができる作品。
あなたが同じ環境だった場合、どこまでその抱えている問題をクリアしていけますか?
という世の中に一石を投じたい著者の強い気持ちを
感じた作品でした。
同じ事件を題材にした映画『子宮に沈める』も
見ておいてほしい。特に、子供をこれから持つ
若い世代の方に。
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ほぼノンフィクションのお話だったんですね。
母の琴音、娘の蓮音、小さきもの(蓮音の子供、被害者)のそれぞれの視点で描かれています。
琴音と蓮音がたまにごちゃごちゃになって少し読むのに苦労しましたが、後半からはサクサク読めました。どの立場でも絶望的に酷くて読むのが辛かった。特にモモとモネに関しては何でこんなに純粋で幼気な子供が…と胸が痛みます。蓮音だって十分に子供を愛していて、宝物とか大好きとか言ってるのにどうしてああなってしまったのか。もちろんモネとモモが一番可哀想なのですが、蓮音も辛い。小さい時から頑張りすぎていた。ちゃんと愛情を受けていなかった。自分自身を大切にできていなかった。現実逃避するしかどうしようもなかったんだなと悲しくなりました。殺したのはもちろん許せない事ですが、そうならない社会であってほしいと切に願う作品でした。
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読了した。
もう少し、事実を知らなきゃコメントできない。と思う。
どの立場で考えるか、とても、とても慎重になるノンフィクションストーリー?だった。
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【大阪2児餓死事件】(Wikipedia)
大阪2児餓死事件とは、2010年7月30日に発生した大阪府・大阪市西区のマンションで2児(3歳女児と1歳9カ月男児)が母親の育児放棄によって餓死した事件。
本作品は、この事件を基に描かれたフィクションである。
タイトルは『つみびと』
表紙に大きくそう書かれたひらがなの隣に、英語で『sinners』と並ぶ。
日本語のタイトルだけでは伝わりきれないものが、英語に含まれている。
そう、複数形になっているのだ。
2児のいる部屋に粘着テープを張り、夏の暑い中50日子どもを放置し、餓死させた母親は、懲役30年という有期刑の中で最長の刑に処された。これだけ見ると、つみびとは2児の母親なのかもしれない。
しかし、本当にそうだろうか。本当に、彼女だけが悪いのだろうか。
そう思いながら、必死に読む、読む、読む、読む。
胸の奥のほうで流れている血液が、切り裂けた表面からずっと、とろとろと、まるで止め方を知らないように流れ続けていくような、そんな読書の時間を過ごした。
つみびとは誰か。誰と誰なのか。誰と誰と誰が、彼女だけをつみびとに仕立てあげたのか。なぜ彼女以外は、つみびととして裁かれないのか。なぜ彼女だけが、ぜんぶの罪を被ることになったのか。
事件の全容はたぶん、『ルポ 虐待:大阪二児置き去り死事件(杉山春)』に描かれているのだろう。あくまでこの作品は、実際の事件を基にした、フィクションである。
読みながら時々分からなくなる。これは、2児の母親である蓮音の章なのか、蓮音の母・琴音の章なのか。
しかし、それは入念に仕込まれていた。
二人が育った環境は、あまりに酷似していたのだ。
「虐待の連鎖」という言葉は、好きじゃない。
だけど、蓮音も琴音も、父親からの暴力というものに、親和性があった。
重なり合っていた二人の物語が、ページを重ねていくにつれ、気付かされること。
それぞれの見ていた景色が、異なってくる。
琴音から見た夫(隆史)の描写に、暴力はそれほどないものの、蓮音から見た父(隆史)の描写には、暴力が溢れている。
いったい、つみびととは誰なのか。
家の中で暴力を振るい、権力を行使し、その家族が病んでいくことは、何らかの罪に問われないのだろうか。
何がその人を、暴力に搔き立てるのか。
巻末の、著者である山田詠美さんと精神科医で作家の春日武彦さんの対談によると、人間が不幸になる理由として、以下の二つがあげられるそうだ。
①大間違いな工夫(本質的な問題を見ないようにして、日常を過ごすために気持ちを工夫する)
②痛々しい見当違い(なんでも自分のせいだと思い込む)
蓮音だけではない。彼女が生まれ育った家族、母である琴音が育った家族、そこで日々隠されてきた罪が雪だるま式に膨らんでいった結果が、この事件だ。
P93「困っているのは父じゃない。私たちなんだ。そう訴えたいのだが言葉にならない」
P123「一度で良いから、こう慰められたかったよ。お前だけが悪いんじゃない、と」
P322「結局、普通ではない自分自身に我慢がならず、罰を与え���うと行動に移してしまう」
P345「ただ、なりふりかまわず叫べばよかったではないか。助けて!と。でも出来なかった。だって、幼いころから助けを求めたことがないのだもの。彼女のその声は、いつも封じられてきた」
子どもたちは、いつだって助けを求めてる。
その声に、耳を傾けることができるか否かだ。
その人が、子どもの声に耳を傾けきれなかったら、その人は、別の人に助けを求めてほしい。
この「助けを求める」を、適切な助けをしてくれる人のところまで、運ばなくちゃいけない。
直接的な援助をできない大人にできることは、これだけだ。
この作品は、一人で懲役30年という処罰を一身で背負うことになった蓮音の、罰に至るまでの物語であり、蓮音をとりまく、彼女のSOSに手を差し伸べなかった大人の、大きな罪の物語である。
最後にもう一度問いたい。
つみびととは、いったい誰なのか。
そして、わたしのような児童福祉に関わる専門家は、どうしたらこのような事件を防げるのか。
対談P422「援助者としては『どうしようもないから見守っていた』、しかし傍から見れば、『放置していただけ』」
児童福祉問わず、対人援助をしていると誰もが経験する、こういった「どうしようもない」ケース。支援者は自身の何もできなさに落ち込み、自分を責め、心を病むことだってある。
これに対する春日武彦さんの言葉は、全対人援助業務をしている人の救いになるだろう。
今月の残りの有給休暇:あと8日
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血か、連鎖か、環境か。
体の奥底に固く積み重なってきたものを、一枚一枚針で突っつくようにしてめくってゆく。
どうして自分はこうなってしまったのだろう。
助けを求めるというのはそう簡単ではなかった。わかっているのに止められない。
吹き出す痛み、苦しみ、叫ぶ声。当事者では、あるいは当事者であればこそ、表現しきれないようなこの渦巻く感情を、それでも説明の付かないもどかしさごと作者は言葉にしてみせる。
二人の子どもたちの本当のところの声、それが聞けたなら、そしてそれを蓮音に伝えられたなら、と思う。
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2023/04/13読了
良かった。が、、引っ張られる。数日間抑うつっぽくなり気持ちが晴れなかった。それほど文章表現が優れているんだろうなぁ
人に会う日は読まない方がいいと思う
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誰を視点にするかで評価が変わってくる作品。母なのか、子なのか、そのまた子なのか。誰でもいいのなら他の人の行動が理解できないのだろう。血が連鎖しているとはいえ、全くの別人なのだから。
ってのは建前で、伸夫がキモすぎた。
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購入済み
2023.07.26.読了
前々から山田詠美さんの作品を読もう読もうと思いつつ今回に至ってしまいました。
初の山田詠美。
毎日のように起こる猟奇的殺人や子供が被害者となる事件。そして終結しない戦争。世界的な熱波、酷暑。人間の頭はどうかなってしまったのか?
この作品の題材となった事件はよく覚えている。真夏の灼熱のマンションの一室に幼い兄妹が置き去りにされ飢えと渇きで亡くなった。母親はホストに狂い、遊び呆けていたという。
なんと残酷で救いのない事件であることか?こんな無責任な母親が居てよいものか?鬼畜だ!悪魔だ!と毎日のように報道されていた。
しかし
幼い、手放しでかわいい我が子をなんの事情もなく、邪魔だからという理由で置き去りにできる母親などいるものだろうか?
子供は母親ひとりでは産むことはできない。必ず父親が存在するし、他の血縁者もゼロではないはず。なぜ救えなかったのか?という思いが拭えない。
そこにはこんなストーリーがあったのではないか?という山田氏の見解としての本作。
心の病を抱えた母親たちが受け継いでしまった負の連鎖。ネグレクト、児童虐待がもたらす選択肢のない子供たちの人生について綴られる。
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大阪二児置き去り死事件に着想を得て書かれた作品。置き去りにした女性は風俗店で働き、遊び歩いていたという設定。もう一人の主人公は女性の母で、女性が子供の頃に家族を捨てていた。この母は虐待を受けて育ち、精神を病んでいた。母の不遇な身の上が娘にも連鎖し、結果として置き去り死につながった。二人は合わせ鏡のように似ているのだ。
あくまでも小説だが、陰惨な事件がなぜ起きるかという問いの、ひとつの回答として納得感のある作品になっていると思った。
しかし、大変しんどい読書であった。内容が不幸に満ちているからというより、すべてのキャラが山田詠美がしゃべっているようにしか思えず、余白が感じられず息が詰まった。
わざとやっているのだろうが、母と娘が口調までも似すぎていてキャラが立っていない。女は蓮っ葉で内面は純情な愛されたがり。また山田得意のこのキャラかと思ってしまった。
幼くして死んだ子供も、全然子供のリアリティがない。説明のため作者に喋らされてる。
もう少し慎重に、気持ちに迫って書いても良かったのではと思う。
大御所が馴れた筆で怒涛のごとく書いた、という読後感であった。
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ヨハネによる福音の「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」を思う。
13年前、マンションに置き去りにされ、餓死した子どもたちがモチーフの物語。子どもたちの母・蓮音、母の母・琴音、そして子ども、語り手をかえながら、その日に至るまでが描かれるのだけれど、蓮音と琴音の物語は、どちらのそれを読んでいるのか曖昧になるくらい、ふしあわせの質が似ている。ぞんざいに扱われ、それを受け入れざるをえない暮らしからくるもの。蓮音が「つみびと」になり、琴音がならずに済んだのは、誰と出会えたのか、という違いだけ。
子どもたちの命を消したのは、決して蓮音1人じゃない。
これは小説だからもちろんフィクションなんだけど、罪の背後に導いてくれる。
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大阪で起こった幼児二人を部屋に置き去りにしたまま若い母親が放置して餓死した事件ーー
ここから構想を得たフィクション作品、だが重すぎる。
事件を起こしたのは娘 蓮音。
厳格で真面目な父、でも家庭より自身の立場や理想を優先する。
母の琴音は小さい子どもを置いて逃げた。
父は仕事はすれども家のことはなにもしない。親の代わりに、小学生のころから幼い子二人の世話をした。
歪みはじめる蓮音。自分を自分で大切にできない。
母親 琴音。彼女もまた愛のない家庭だった。
つねに暴力をふるう父親。それを耐える母、怒る兄、怯える自分…
やっと父親から解放されて現れた継父から性的虐待…
守ってくれるはずの母親も壊れていき、琴音の精神が蝕まれていく。精神病院にもかかったがあまりにも深い傷は人格すら壊していく。
そういう彼女が家庭から、子育てから逃げてしまうのも仕方のないことと思えてくる。
この本は幼児置き去り事件にとどまらず、蓮音の幼少期〜事件に至るまでの経緯、そして母 琴音の子ども時代〜結婚、家庭、家を出てからの生活、と二人の母娘の人生がつづられている。
しかも交互に語られる話が、しだいにどちらのことが区別がつかなくなっていく。
「母親不適合」と世間から烙印をおされる琴音だが、彼女なりにどうすればよかったのかを何度も自身に問いかける。
自分が逃げたから、自分が置いて行ったから
琴音は何回も心の中でつぶやく
「虐待は連鎖する」と。
では、虐待された自分が娘のまえから消えたのに、なぜ娘は虐待するのか?
置いて行った娘と縁がきれたのに、なぜ?
遠目に一度見た娘家族は幸せそうに見えたのに、なぜ?
そんな琴音に声をかける音吉の容赦ない言葉が刺さる。
「そもそも置いて出て行ったあなたは言える立場にない」
完全に遮断してしまうほどの強い言葉…
でも琴音はそうしないと精神がまた壊れてしまう。
子どものころに音吉のような、理解ある大人がいて受け止めてくれたなら、なにかが変わっていたかもしれない。いや、変わっていてほしい。
救いのない話で苦しい、、
2010年の事件からすでに10年以上。
いまだに育児や家事は女性の側に負担を強いられている。
母子で孤立している女性の叫びは届かない。
衝撃的な内容だが、学校教育で教えるべきことだと思う。
子どもを産み育てるには覚悟がいることを。
途中で放棄はできない。放棄した行く末のことを。
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大阪二児餓死事件を元にした小説。マンションに残された子供達のパートは読んでいてなんともたまらない気持ちになった。母親を鬼母と責めるだけではこの事件から何の教訓も得られないと思い知らされる。