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出征した息子を案ずる母の姿。
空襲で家族やクラスメートを亡くす子供。
我が子の顔を見る事なく、戦場で散る父親。
抑留され、故郷への思いを鶴になぞらえる兵隊。
すべてが悲劇である。
戦争は、一度始まってしまうと、場所や立場など関係なく、悲劇をもたらすものだと言う事が、とても丁寧に書かれている。
今こそ、すべての人が見るべき本ではないだろうか。
そう感じました。
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淡々とした語り口でありながら、握り潰すような強い悲しみが伝わってきます。
たくさんの人に知ってもらいたい作品です。
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発表から40年の間に幾度も小学校の国語教科書に採用されてきた戦争児童文学の名作。8編からなるが、表題がおかあさんの木。
七人の息子がそれぞれ兵隊へ。その都度桐の木を植え、子どものように育てる母。この一言が胸に響きました。
『何もお前たちのせいではないぞえ。日本中のとうさんはかあさんが弱かったんじゃ。みんなして、息子を兵隊にはやられん、戦争はいやだと一生けんめい言うておったら、こうはならんかったでなあ』
私にもまだ8歳だけど息子がいる。たとえ非国民と言われても赤紙がきても、我が子を兵隊には出さんからねっ!と、テレビの国会中継を見ながら、そんなことを時の首相に向かって言ってみるけど、きっと有事の際はそんな理論が通るような状態ではないんだろう。
だからこそ、「あの戦争の時のかなしみや、くるしみや、つらい思い出を…二度とふしあわせにならないために、いつまでも語りついでいきたいと思う」という前書きの文章が心に刺さる。強いとうさん、かあさんでいないといけないと思う平成の世。
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『だれをよんだって、助けてなんかくれんかった。「まって!」というても、まってはくれんかった。やさしい子だから、あばれんぼうだからって、にがしてはくれんかった。』
等しく、誰もが、火の中を逃げ惑い、死んでいった。
自分の皮膚が焦げていく。焼かれていく。いくつもの戦争の物語を読んだが、こんなにリアルなものはなかった気がする。
(火のなかの声)
『なにも、おまえたちのせいではないぞえ。日本じゅうの、とうさんやかあさんがよわかったんじゃ。みんなして、むすこをへいたいにはやられん、せんそうはいやだと、いっしょうけんめいいうておったら、こうはならんかったでなあ。』
7人の息子を次々に兵隊に取られ、その代わりに植えたキリの木を見上げながら、母はつぶやく。ひとりでもかえしてください。ひとりだけでも…。でも、それは手遅れで、戦争が終わっても、息子たちは帰ってこない…。
(おかあさんの木)
初めて読んだが、大川悦生氏の書く物語は、戦争に対しての怒りがストレートに出ていると思う。
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市立図書館で見かけて、思わず手に取った。
子供のころに読んだ本。
あの頃とは違う、親の目線で読むと
あの頃以上に胸が締め付けられる思いがした。
子供の頃は絶対に戦争をしてはいけないと思った。
今は
国が暴走しようとしたとき
それを止められるか不安で仕方ない。
いまを戦争前夜と言う人もいる。
子を守るために、もっともっと知らなければならない。
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「今から数十年前、ある家に「おかあさん」と七人の息子が暮らしていた。やがて日中戦争を皮切りに日本が戦争に入ると、七人の息子たちは次々に召集され、戦地へ赴いていった。おかあさんは息子が出征する度に裏の空き地に桐を植え、息子が不在の間、代わりとなる桐に語りかけて息子たちを励まし続けた。初めは出征をするからには手柄を立てるようにと願っていたおかあさんも、一郎が中国大陸で戦死し、遺骨となって戻って来たことをきっかけに、次第に手柄を立てるより無事に戻ってくることを願うようになっていった。
召集をかけられた全ての息子たちは、戦争が終わっても誰一人戻らず、戦死または行方不明になっていた。おかあさんは次第に体が衰えていったが、それでも息子たちの帰って来るのを心待ちにして、自分が植えた七本の桐の木に絶えず語りかけた。
しばらく経って軍人たちが次々に帰還する中、ビルマで行方不明になっていた五郎が片足を引きずった状態で家に戻ってきた時には、おかあさんは「五郎」と名づけた桐の木にもたれかかったまま息絶えていた。」