投稿元:
レビューを見る
元脳外科医の東大教授とその妻が、認知症に直面し、苦悩し、それを受け入れた歩みの記録。
認知症になったら時の経過とともにどのような感じになるのか、認知症の方にはどう接したらよいのかなど、気付きが多かった。そして、本書から伝わってくる夫婦愛に感動。
投稿元:
レビューを見る
若年性アルツハイマーで東京大学を早期退職、家族は認知が進む夫を見守って16年近くを過ごす。
沖縄での生活、デイケアでの事件、講演会の失敗、それでもその様に存在することが、何かしら生きることにつながる。
生きることは死すること、死することは生きること。人が存在し生きることは尊い。
投稿元:
レビューを見る
若年性アルツハイマーは、どれほど頭を使おうと、活動的にしていようと関係なくやってくるのだ。
65歳未満で発症するアルツハイマー型認知症を若年性アルツハイマーというらしいですが、まだ働き盛りの50代、しかも東大の教授(脳外科の医師)という脳のエキスパートが発症してしまう、その診断された後の絶望感はいかなるものでしょう。
受け入れるのに数年かかったそうだが、その葛藤を思うと胸が痛くなります。
しかし、この夫妻には大学時代からのキリスト教の信仰があり、信仰や周囲の人々との関わりとともに生きていくのです。
人が変わってしまったのではない、出来ることが出来なくなり、分かっていたことが分からなくなり、不安になるのであって、その人の思いやりはなくならないというところに気づきをもらえました。
寄り添うこと、相手の言動、行動の裏の意味を考える
こと。
大切なことがたくさん詰まっていました。
若年性に限らず、高齢化によってこれから更に認知症を発症する人が増えることでしょう。(将来の家族や自分も含めて)
認知症を理解し、見守ることはこれからの社会に求められていることなのでしょう。
そして、認知症になっても絶望ばかりせず、前を向いて歩くことによって見える世界があると気づかされました。
投稿元:
レビューを見る
老いゆけよ、我と共に! 最善は これからだ。
岩井晋先生は1947年生まれ、東大出身の脳外科医で独協医大の脳外科の教授(1996-1999)、そして東大の国際地域保健学教授(1999-2006)。2001年ころから記憶の低下などが出現しているので54歳という若さで発症した若年性アルツハイマー病。
2006年、東大教授を早期退職し沖縄に移住・療養。2010年、要支援1、2015年、要介護5と進行し、2021年1月誤嚥性肺炎で死去、73歳。
症状が出始めてからの苦悶、現実との折り合い、診断確定、早期退職。病名の公表、講演活動(失敗もあれば成功もあり)、病状の進行、そしてコロナ禍中の死まで。全体を奥様がつづったものが本書。
健常者からみた認知症患者の経過なので苦悩・苦労が多いのではあるが、エピソードごとにどこか救いを感じる表現もあって、読み通すとほっとできるのは、ご夫婦ともキリスト者だからであろうか。
それにしても要介護5と認定されてからでも5年以上の介護・看護が必要だったことを考えると、家族の苦労は並大抵のことではないだろう。お疲れさまでした。そして冥福を祈りたい。
投稿元:
レビューを見る
とても読みやすく、あっという間に一読。
認知症だけでなく、キリスト教についても
興味を抱くきっかけとなった本。
今後は奉仕の精神を学んでいきたいと思えた。
投稿元:
レビューを見る
認知症の話って悲しくなるから今まで避けてたんだけど、タイトルに惹かれて読んでみたら、とっても勉強になりました。
記憶は失っていき、出来ることも少なくなるけれど、その人らしさは失わないっていうのがすごく希望に思えました。そして著者の言葉を発しなくても例え叫んでいても、気持ちを読み取ろうとする姿勢に感動しました。なかなか出来ることじゃないと思います。そしてどんな挑戦でも支えて寄り添ってるのが本当に凄かった。
時には、挫折しそうになったという率直な気持ちも書かれているのが良かった。絶対大変なこともあるから、美談だけで終わると疑わしく思ってしまう。
あと日記帳も公開されており、認知症の人目線での考え方もよく分かりました。やっぱり最初は誰しも認めたくないんだなと思いました。特にこの方は、脳外科医としても働かれて認知症のことを誰よりもよく知っているからなおさらだと思いました。そして、見えている世界が違うのかと納得しました。
今まで避けてたけれど、とっても勉強になったので、闘病の本も読んでみようと思います。
投稿元:
レビューを見る
どんなに頭が良い人も、病で言葉が出なくなり、言葉を理解ができなくなり、そしてその現実を受け入れていかなければならない場合がある。
東大教授でありながら、漢字を思い出せなかったとき、アルツハイマーの可能性に思い至ったとき、どんなに恐ろしく不安に感じただろう。
本人の生き方にもよるが、聡明な奥様や、協力的な子どもたちがいて、自身の病と向き合われる姿は勇気をもらえた。
両親の老い、自分も若い時ほで体力もなく、些細な不調は日々感じる中で、これから先は不安も多々ある。
人間らしく生きる、尊厳とは?を考えたりするよい本だった。
投稿元:
レビューを見る
元精神科医で東大教授である若井晋先生の妻・克子さんによる著書。
若年性アルツハイマーを患った晋さんがどのように病と向き合い、歩んでこられたかという半生が綴られています。
全体を通して柔らかい文章から伝わる克子さんの思いと、壮絶ながらも心温まる内容に自分の価値観を見直すきっかけにもなる本でした。
病気は代わってあげることができないし、今すぐに特効薬を生み出すこともできない。
お金だけではどうしても解決できないこともあるし、辛さをわかってもらえない・わかってあげられないもどかしさもあります。
そんな中で「自分一人が闘っているわけではない」という孤独を和らげるような優しさが、この本にはたくさん込められていたと感じました。
投稿元:
レビューを見る
元脳神経外科医の若井晋さんが、漢字が書けなくなってきた、言葉がでなくなってきた、ATMの操作ができなくなった…などの症状からアルツハイマー型認知症を疑うのが54歳の頃…。なぜ、どうして自分が…まだ、大丈夫じゃないか…葛藤しつつも、若年性アルツハイマーの診断を受け、退職し沖縄に移住する…。その後生活の場を変えながらも、講演活動なども行っていたが、病は進行し寝たきりになって在宅での療養生活に…。最期は肺炎を起こし病院で余命僅かと宣告を受け、コロナ禍ということもあって家族で看取るために退院、穏やかな最期を迎えた…享年75歳。若井晋さんの妻である克子さんが、夫の生活歴や、本人の状態、介護の状況などを赤裸々に描いた作品…。
アルツハイマーかも…そう疑ってから、亡くなるまで実に20年以上…。大変なことも沢山あったと思うけれど、妻が夫のためにできることを日々模索している姿を垣間見ることができました。それが理解力が低下していても晋さんに伝わっていたからこそ、穏やかな最期を迎えることができたのではないかと感じました。若井晋さん自身が綴ったというよりは、妻の克子さんの目線での記録です。最期住み慣れた自宅で看取ると決断した克子さんの判断、素晴らしいと思います。ただ、どこか遠い人っていうか身近に感じられないのは、あまりにも偉大な方だったからか、私には具体的な信仰がないからかもしれないけれど、そんな風にも感じました(個人的には、長谷川和夫先生の本の方が読みやすかったです)。この作品の表紙、沖縄の海で撮影した写真でどこか晋さんの表情はかたいと克子さんは書かれていますが、私はいい写真だと思います。
投稿元:
レビューを見る
アルツハイマーと知って医者である本人には認めたくないことであったろう。それからの人生を妻の目で綴った記録。出来ることは減っていくが人間性に深みが出てという箇所に妻ならではの温かい気持ちがこもっていて、とても勇気づけられる思いだ。
投稿元:
レビューを見る
仕事の関係上認知症の方やその家族と関わることがありますが、認知症本人の病気への恐怖心は計り知れない。専門家なら尚更。忘れるということが増えて、できないことが増えて。怖かっただろうなと思います。
妻の克子さんもすごい人だなと思った。介護って綺麗事じゃない。一緒に肩を並べて歩んできた旦那がアルツハイマーになって徐々にゆっくりとできることが減っていく様を間近で見て、できないことを支える。病気といっても少し前までできていたことができなくなるって介護する側も苛立ちや葛藤が毎日あったろうな。嘘だったらいいなって思っただろうな。
この本は誰かの支えになる一冊だと感じた。
晋さんの「人の脳って、本当にきれいなんだよ」が印象的でした。
投稿元:
レビューを見る
東京大学の国際地域保健学教室の教授をされていた若井晋先生の奥様の克子さんの手記です。
先生の闘病生活を支える様子が書かれています。
お辛い状況の中で、何が支えであったかということや、失うものばかりではないのだということなど、前向きに受け止められる瞬間を捉えられているところに、克子さんの強さを感じました。
私は宗教に理解のない人間ですが、信仰が人の大きな支えになるということもよくわかりました。
ご自分の状況だけでなく、認知症の患者さんやその支援者に有益な情報も提供されており、非常に心のこもった一冊だと思って読んでいました。