紙の本
最期までともに歩んでくれる家族の存在
2022/05/02 16:19
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
東大教授であり脳外科医であった主人公、50代で若年性アルツハイマーと診断されました。地位も知識も言葉も失って。最期までともに歩んでくれる家族の存在か・・・
紙の本
病気とは言え辛い
2023/11/24 21:15
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投稿者:ピーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
東大教授しかも脳外科の医師が、59歳ころから生活に異変を感じだす。
若年性アルツハイマー、それを本人が納得するまでの辛さ、そしてそれを支える奥様の大変さ等が、奥様の手で書かれている。
どんな病も辛いが、徐々に変だ変だと自分と葛藤しつつ生活していく辛さを感じた。
電子書籍
信仰心が介護の大変さを乗り越える助けとなる
2022/02/22 23:00
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投稿者:魚大好き - この投稿者のレビュー一覧を見る
もちろん認知症になった本人も辛いけれど、介護する側も本当に大変なことだと感じた。お二人はクリスチャンで、苦境に立たされたときに信仰心が大きな役割を果たしてくれるんだなと思った。これはアメリカでもよく感じることで、何か大変なことがあっても神の御導きであるからと言う人は多い。私には神様が実在するのか分からないけれど、信じる力と言うのは人を前進させ生きる気力を与えてくれることは確かだといえる。
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脳外科医として実務があり、脳を研究する学者として長く大学教授を。そんな当事者が漢字を忘れ始める。
そして激務からの体の不調、下痢が長い間治らない。そして頭痛も。
そんな教授だから、限りなく認知症に近い症例を自分の症状に見出すのだが、認めるまでにも時間がかかる。
そんな夫を支えて看病する婦人が作者。
こんなふうに症状が進むのだと、わかる1冊。
夫婦の闘病記。
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若年性アルツハイマーの夫を看取った妻、若井克子さんの書いた本。
54歳で漢字が書けなくなってきたと悩み、密かな漢字練習の跡が残る日記帳の数ページが本書には掲載されている。次男が「一緒に漢字の練習をしよう。」と時間を共有するも、若井ご主人は怒り出してしまう…若年性アルツハイマーという自分が専門とする脳の病を受け入れるのには時間がかかる。
病が人を変えてしまうのではなく、病だからこそもともとの人間性、正義感や謙虚さを見ることができたと書いている奥様の愛を感じました。
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東大教授が若年性アルツハイマーになる、54歳。漢字が思い出せず何回も練習したという日記、どんなに絶望を感じたことか。
夫婦で沖縄、札幌、栃木とホームグランドを変えながらも、その土地土地で濃厚な人間関係に支えられてながら病気と向き合って来た生き様が描かれている。嘘偽りがないからこそ、伝わってくるものが大きい。
これからを生きていくのに、道標となる1冊だ。
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アルツハイマーになってしまった妻と暮らしているが、とても勉強になった。
妻は克子若井先生と同じように言葉の出にくさが特徴のロゴペニック型失語症。さまざまな苦労をしている。時に、なぜ自分には上手くできないのか、なぜこうなってしまったのかと辛さを表面に出すこともあるが、彼女なりにがんばって生きている。
もっともっと理解してよりそわねば。
バリデーションを心がけて歩いていこうと思う。
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私の母と診断がついた年も亡くなった年も、言葉が失われていくタイプの認知症だったことも同じだったこともあり、進行の過程に伴う本人や家族のとまどいがよくわかる。字の練習をしているノートや自筆のメモも見つけた時の著者の思いに自分を重ねずにはいられない。こんなふうになっちゃってかわいそうにとか、地獄だね、という周りの言葉には理解されない無力感と憤りしか感じれないことも。脳の専門家であった人が自分は認知症を患っているかもしれないと感じ始めた頃の恐怖はいかばかりだろう。MRIの画像を何度も見ていた話が辛い。しかし、ご本人もその奥様である著者も信仰があるからか、地位や名声より人としての本質を大切にされてこられた方々なのであまりその点を強調されないことにむしろ感銘を覚えた。
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54歳、現代ではまだまだこれからというときに若年性アルツハイマーになられたショックを思うと堪え難い苦しみに襲われる。まして脳神経外科医として活躍し何でも出来ると信じてきた自分が簡単な漢字すら思い出せないことに気がついたときの絶望感はいかばかりだったろうか。日記に繰り返し書かれた単語練習の跡が凄まじい。
やはり受け容れることは容易ではない。脳の専門家として客観的に、自分がDementia(認知症)ではないかと疑いながらも、そのことを認めて受け容れるまで、4、5年の間苦しみ続けた。大きな転機となったのは、有名なクリスティーン・ブライデンの講演だったという。ブライデンは自らも認知症患者として苦しんだ末に、認知症になることは自己の喪失を意味するのではなく、むしろ自分の本質に還ってゆくのだ、という答えに辿り着く。家族でも専門家でもなく、同じ葛藤を経た人間の言葉だからこそ、自然に受け容れられたのではないかと思う。
とはいえ、自分が認知症であると受け容れてなお、患者自身も介助者も大変な思いをする。そこが本書では印象に残った。氏が認知症患者はエイリアンだと言ったのは、明確な意思を持ちながらもはやほとんど意思疎通のままならない境遇を嘆いているようにも思える。はたから見れば支離滅裂かもしれないが、確実に意思を持っているのだ。
これからの時代、患者自身が一人で葛藤し認知症と向き合うだけでなく、社会がそれを後押しするような時代であって欲しいと願う。
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脳神経外科を専門にしていた人が自分がアルツハイマーではないかと疑う。
漢字が書けなくなっていき、言葉もだんだん失われていき、これまで当たり前のようにできたことができなくなっていく。
どれだけ恐ろしく、受け入れるのに勇気が必要だっただろう。
想像するだけで呼吸が浅くなってしまう。
講演会でアルツハイマーになったことの意味を問われた時の若井先生の言葉(P159)
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私がアルツハイマーになったということが、自分にとって最初は「何でだ」と思っていました。けれども私は私であることがやっとわかった。そこに至るまでに相当格闘したわけですけど。
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病気になっても自分は自分。
同じ立場に立たされたとき、このような発想を手にいれることができるか、私には自信がない。
若井さんには信仰があるけど、私にはないし、1番信じているのは自分。
その自分が自分でなくなるように感じたら、立ち上がれるだろうか。
若井さんは何て高潔な人なんだろう。
読みながら勇気のようなものを感じたけれど、立派すぎて手が届かない気もした。
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若年性アルツハイマー病と診断された教授と、長年に渡り支えてきた妻、克子さんとの闘病手記。
専門医が、自身の病気に疑いを持ち、気づいた時、どれだけの不安の波が押し寄せてきたのだろうか、受け入れづらかったのだろうか…と。
そう思いながら読み進めてきました。
文字がわからなくなったり、言葉を少しずつ失ったりしても、正義感、優しさ、謙虚さはそのままで信仰が深まったりと、先生自身の強さを感じる場面もあり、読んでいてジーンとくる場面もありました。
夫婦二人三脚での闘病生活。読ませてもらえた事に感謝。良書。
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東大教授、医者、クリスチャンの世界を駆け巡っていた第一線の研究者がワルツハイマーにかかり早期退職しての闘病記。読後感は重たいものであった。自分も認知症になる可能性もある。どれだけの率で罹患するかおわからない。50代で発症し60前にリタイアせずにいられなかったばりばりのドクターが、認知症が進行して行く過程を赤裸々に夫人が書いている。本人も配偶者も家族も巻き込んで発症してから寝たきりになり亡くなるまでの16年余りの見取りまでよく世間にあらわしてくれたことに奥さんに心から感謝したい。クリスチャンだからできることかもしれない。超高齢化に突入して認知症を患う日本人はある程度の率になると思う。余命何年とかの闘病記もいいけどこのような認知症の患者の家族周囲の体験をもっと世間に表さなければいけないと思う。
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いつも利用している図書館の新着書リストの中で見つけました。以前から気になっていた本なので、早速予約して読んでみました。
テーマは「近親者のアルツハイマー病発症」というとても厳しいものです。著者は発病者の奥様の若井克子さん。
看病・介護の現実には、本書には書かれていないような壮絶なご苦労があったことでしょうが、そのあたりには敢えて深入りせず、粛々とした語り口が穏やかなお人柄を表しているようです。
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昨日、父がアルツハイマー型認知症と診断を受け、病院からの帰り道に買った本。
父のために何ができるのか。自分なりに考え、行動に移していきたい。まずは毎朝、薬を飲んだか、血圧を測ったか、確認の電話を入れるところから、一歩ずつ。
お父さん、これまで私たち姉妹のためにがんばってくれて、ありがとう。これからは私たちがお父さんを支えます。一緒にがんばろう。
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奥様の教授に対する想いを考えると涙が出そうになった
妻の支えがあるってどれほど有難いことか世の中の男性にわかってほしい