紙の本
主張が強かった
2022/02/08 23:50
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投稿者:オムラ椅子 - この投稿者のレビュー一覧を見る
血縁だけではない新しい家族のかたち、にはとても興味があったのですが、
登場人物の主張が強すぎる、と感じました。
新しい人間関係を描くのなら、
いい点もわるい点も含めて、
繊細な、けれど新しい距離感を描いてほしかったのですが、
いい点を主張するための、強引な展開が多かったような。
たとえば、金銭感覚についても言及ありますが、
主人公が「大金を手にして余裕がある」設定のため、現実味が薄かったです。
虚構だからこそ書けることもあると思いますが、登場人物の、迷いや定義できない感情を、もっと読みたかったです。
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正子、三十五歳、シングルマザー。挑戦したのは気の合う友人と?姉妹生活?。苦しい日常に風が吹く、ポップで自由な家族小説。〈巻末鼎談〉阿佐ヶ谷姉妹
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やっぱりナオコーラ先生の書く物語が好きだなあと改めて思わされた。分かりやすい言葉や表現で、ひとつひとつの場面を丁寧に描いていく感じが本当に好き!
ルールに反してる人のことを批判したい気持ちも、もっと寛大な心で受け入れていきたいという気持ちも、どちらも分かるからすごく考えさせられた。
この物語を読んで、叶姉妹や阿佐ヶ谷姉妹、そしてこのニセ姉妹たちの関係性に憧れずにはいられない。
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自分には姉妹はいないが、いたらいいなぁと妄想したことはある。幼い頃から一緒に育って、分かり合えて、味方になってくれる自分とそっくりな存在なのだろうなと。
でもこの本の姉妹はそうとは限らない。同じ親から生まれても価値観や性格はバラバラ、なんなら少し理解しがたい考えや反応を持つ、ちょっと邪魔くさくてでも途切れない繋がり。
かと思えば、真逆の気質を持って似てるところなんかないのになぜか一緒にいると楽しくなってくる、自分のことが少し好きになれるような他人もいる。
一緒に育ってなくても、大人になってからでも、姉妹は自分で手に入れられることをこの本は教えてくれる。
ぜひとも、阿佐ヶ谷姉妹のエッセイと一緒に楽しんでほしい。これは友人でも夫婦でも親子でもカップルでもない、新しい繋がりのお話。
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ちょっと嫌だなと思う他人の欠点をさらっと認め合う感じがいいなと思った。私もこの子と姉妹になったら楽しそうと思ったことが以前あり、その頃の心の動きを思い出した。
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これまで私は家族を自ら選ぶ機会はなかったし考えたこともなかった。 結婚適齢期に入り、自ら進んで他人と家族になりたいと思う気持ちは何なのか、どこから来るのか、気になっていた今このタイミングで読むことができてよかった本だと思う。 主人公はなんだか緊張感が常にある実姉妹との関係や彼女らの価値観に違和感があり、ニセ姉妹を選んだ。甘える・甘えられることに違和感が無いかどうか、価値観が似ているかどうか、がポイントなのかな。
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以前から読んでみたいと思っていた山崎ナオコーラさんの本。ようやく読めて嬉しかった。
前半読み進めながら、スゲー!イマドキ!と思った。
公式①地味な顔立ち=スクールカーストの下位=美人を見返さなきゃならない
(本人はカーストさえ感じていないのに!)
公式②離婚して1人で子供を育てている女性=可哀想=子供ができる前に離婚したら良かった
(子供に巡り会えた今が1番幸せなのに!別れた旦那も泣きたいほど子供を育てたがっているのに!)
公式③恋人(男)に好きな人ができて別れた=捨てられた(女)
(イケメンと一回でもセックスできて最高としか思ってないのに!)
公式④不倫してる人がいる=浮気された側は弱くて発言できない人=誰であっても不倫は道徳的ではないから、いくらでも糾弾していい
(浮気された側の人は、早くパートナーや過去のことを周りに忘れてほしいと思っているかもしれないのに!無関係の人が言葉の暴力を振るってはいけないに決まっているのに!)
世の中にあるナゾで理不尽な公式にズバズバ切り込みながら物語を展開していく様は、見ていて痛快だし、頭の硬い人みんなに読んでほしいと思った。世の中、"かわいそう"という言葉で人をどれほど傷つけるのかわかっていない人、正義という名の暴力を振るう人が多すぎる…。
先日旅行に行った際に、何度運転代わるよと言っても代わらず、最初から最後までかなりの距離を恋人が運転してくれたことがあった。
それは恋人の優しさでもあり、運転好きからすればなんでもないことなのかもしれない。だけど、すごくモヤモヤした。
やっぱりギブだけではいけなくて、テイクしなきゃという焦燥感に駆られた。
人間関係においては、たいていそうだと思う。
だけど、そこをうまく切り抜けられるのが、血の繋がりのない、ニセ姉妹。
視点が鋭く、面白いなぁと感心させられた。(上からのようで申し訳ないが、純粋にすごい、と思った)
ラストにかけてが、トントン拍子すぎてなんとなく物足りなさを感じたり、前半を読んで期待したベクトルとは違う方向に進んでいってしまった感があったけど、尚更気になる作家さんになりました。
また手にとってみます。
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正子は宝くじの高額当選のお金で
「屋根だけの家」を建てた
離婚をして1歳の由紀夫のシングルマザー
姉の衿子と妹の園子が同居しているが
息苦しさを感じていた
家に友人の百夜とあぐりが転がりこむ
いつしか正子は友人達と姉妹になって暮らすことを望むようになる
多種多様な形の家族 子育て 恋愛 働きかた などがあり
私達は人生において今まででは考えられなかった選択を選べる
幸せを自分の手でどんどんつくりあげられる
私は昔ながらの型にはまりやすいタイプなので
少し目から鱗な感じで読んでいた
ラストは清々しく
正子が羨ましくなった
どうか衿子と園子にも幸せになって欲しい
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主人公正子は特に極端な考えだったけど(私の価値観では)世の中にはいろんな考え方や感じ方があるわけで、新鮮な気持ちで読めました。自分も妹と2人姉妹だけど、姉妹って不思議。
正子も極端な考えだけど、血の繋がった姉妹2人も極端。考え方が全く違って、全然に似ていない印象の方が強いけど、正子の姉、妹、それぞれと一対一で本音で話し合う場面は、いずれも食事シーンで、え、この話しながらそんな感じで食べるんだ?と感じたわけだけど、当人達はそこに違和感を覚えていない。結局全然似ていないようで、物事の考え方の極端さ、自分の意見の強さ、食べる行為のリズム、それらが似ていて、姉妹だな。と感じた。
だから最後に会う場面は、なんだか嬉しくなった。
が、人生を共に歩んだのはおそらくニセ姉妹。
目を背け、その場限りで心地よい方に逃げるようにニセ家族を作るのは違うかなと思うけど、これだけ真剣に考え抜いて、周りにも伝えて、自分自身も受け止めて、まっとうするならニセ姉妹も悪くない。
家族や友達、生きたい人と生きていくべきだ。
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もし、あなたに姉妹がいるとして、ある日いきなりこんなことを言われたとしたらどう思うでしょうか?
『私、お姉さんたちとは別に、姉妹になりたい人ができたの』
もし、あなたは友人に、ある日いきなりこんなことを言われたとしたらどう思うでしょうか?
『私と姉妹になってください』
う〜ん、どちらも意味不明です。”夫婦になる”、”友だちになる”、”弟子になる”といった言葉はあります。世の中の多くの関係性はそんな先に繋がっていくものだと思います。しかし、『姉妹になりたい人ができた』といって、『姉妹』になることなど普通には考えられません。親に頼んで養子縁組でもしてもらう意味なのか?そんな風に考え込んでもしまいます。また、いきなり『姉妹になってください』という依頼ごともありえないでしょう。はい、わかりました…なんて答えた先に何が起こるのか?意味不明なだけに逆に警戒もしてしまいます。今の世の中、用心しないとまさかの危険はあちこちに潜んでいます。
そう、そんな思いを抱いたあなた、そんなあなたに是非読んでいただきたい作品がここにあります。なんだか妙にポップな表紙に書かれた「ニセ姉妹」という書名が怪しさを醸し出すこの作品。そんな作品の舞台となる『屋根だけの家』という言葉がさらに怪しさを募らせるこの作品。そしてそれは、「ニセ姉妹」という言葉の意味する『姉妹』の関係性のその先に、『血の繋がり』とはなんだろうと読者が自問することになる物語です。
『明日、私の友だちが泊まりに来てもかまわない?』と姉の衿子に尋ねたのは主人公の松並正子。『もちろん…ここは正子ちゃんの家なんだから…私の承諾なんて必要ないよ』と返す衿子に『いるよ。お姉さんの承諾もらいたいよ』と言う正子は、『園子と由紀夫も一緒に、六人で夕ごはんを食べよう。餃子を作るつもりだから』と続けます。そんなところに『一歳になったばかり』で『正子のひとり息子』である由紀夫が近寄ってきました。『ほとんど残業がない』『市役所に勤めて』いる姉の衿子に『二時間で三千円という約束』で『子守』をお願いしている正子は、『アクセサリーアーティスト』の仕事をしています。しかし、まだ『子守』の時間前だったことからその旨告げると衿子は洗面台の方へ行きました。そして、『由紀夫を膝に乗せ、家の中をぐるりと見渡す』正子は、『屋根だけの家』と名付けたこの家のことを思います。『緑色の屋根が、地面に着くぐらいまで家を覆』い、『すべて屋根っぽい造り』の家は、正子が『若手建築家に「壁を取っ払った家を建てたい」と依頼』し『建築費』を全額払う中に竣工しました。そんな家の『二階に衿子がベッドを置き』、『三階に』妹の『園子が布団を敷いてい』るため、『この半年ほど一階のみで過ごして』いる正子。そんなところに『末っ子の園子』が帰ってきました。『看護師として三交代制で病院に勤めて』いる園子に、『明日、私の友だちが二人、うちに泊まりに来てもいい?』と訊く正子。『友だち?誰?』と訊かれた正子が『百夜とあぐりっていう…』と答えると『正子姉ちゃんの離婚を喜んだ人ね』と返す園子。『正子の妊娠中に、元夫の茂���正子ではない女の人と恋愛をした』という展開から『離婚を求められた』正子は、そのことを『百夜とあぐりに相談し』ます。『子どもができたあとで良かったね…』と励ます百夜と、『泣け、泣け。任せろ。これからも、困ったときには私が側にいてやる』という反応に『気持ちが軽くなった』正子。一方で出産後に伝えた姉妹からは、『茂さんは責任感がない』と憤怒する衿子と、『よくあることだ。男ってばかだ』と呆れた園子という反応。そして、『本気で心配するのは”血の繋がった家族”』と自ら言う衿子と園子は『正子ちゃんを助けるために、一緒に住んであげよう』と正子の家に越してきました。『正子ちゃんが離婚したり由紀夫くんが小さかったりして大変だから、助っ人として同居している』と言う衿子は『運の良さで当てた宝くじの当せん金で』『正子ちゃんが建てた家なんだから』『長く居座ったら正子ちゃんに迷惑だ』と認識する中に、取り敢えず始まった『三姉妹の同棲生活』。そして、今の園子に友だちの年齢を訊かれた正子は、『百夜が四十二歳で、あぐりが二十八歳』と説明します。それに『うちらと同じじゃんか』と気付く園子。そして、翌日『お招きありがとう』、『お邪魔しまーす』とやってきた百夜とあぐり。『屋根だけの家』で始まった、六人の不思議な同居生活の中にさまざまに揺らいでいく正子の心持ちが描かれていきます。
“私、お姉さんたちとは別に、姉妹になりたい人ができたの ー まったく新しい家族のつくり方を模索する、山崎ナオコーラのポップで自由な家族小説!”と内容紹介にうたわれるこの作品。「ニセ姉妹」という書名の下に描かれた緑基調の三人の人物が体を組み合っているポップな表紙がなんだか独特な雰囲気を醸し出しています。
そんな作品の読みどころはズバリ『家』と『人』です。では、まずは『家』から見てみましょう。
この作品の主人公である正子は『二十九歳のとき、ふと思いついて宝くじというものを連番で十枚買ってみた』という先に、『そのうちの一枚が、一等の三億円を』当てるという幸運に恵まれます。『働かずに金を得たことを喜んでいいのかわからなかった』という正子ですが、『何かしら、茂とこれから生まれる子どもの為に使いたいなあ』という素直な思いの先に『家を建てること』を決めます。『一等の三億円』の宝くじが当たるという設定自体、その先にはさまざまな物語が描ける余地があるように思いますが、山崎さんは、その出来事自体はあっさりと捉え、あくまでその使い道としての『家』にこだわりを見せていきます。そして、『近所に住む若手建築家』に希望を伝えた正子。それこそが、『壁をなくしたい』という言葉でした。そんな言葉にはこんな思いが込められています。
『出会った頃の茂から、「正子には壁がある。もっと心を開きなよ。オープンマインドこそ、人生を切り開く鍵だ」と言われたことがあった』
そんな茂の言葉の先に、『壁のない人間関係を築ける人になりたい』という思いを『家』に形として表した正子が結果論として建てた『家』の描写は読者の想像力を掻き立てていきます。それなりの分量をもって記されていくその『家』のポイントをあげてみましょう。
・『緑色の屋根が、地面に着く���らいまで家を覆』い、『全て屋根っぽい造り』で『壁を感じさせない外観』
そんな外観の建物は、『スペースを仕切るための壁をできるだけ作らないようにした』という屋内も特徴的です。
・『一階には、リビングダイニングと畳スペースと、玄関と、螺旋階段と、太い柱があり、どこにいても、そのすべてが視野に入る』
・『二階は、テラスがあったり、トイレがあったり、太い柱があったり、螺旋階段や吹き抜けがあったりするので、実際に生活に使えるスペースは決して広くはない』
・『三階は屋根裏部屋のような造りで、天井が尖っている。小さな窓が三方に付いてい』る
外観から、三階建ての建物の内部をフロア毎の描写で抜き出してみましたが、さて、これであなたはこの『壁がなくて、屋根だけ』という家をイメージできるでしょうか?きのこのようなイメージなのかなあ?とも思いますが、う〜ん、今一つピンときません。しかし、そんな建築主の正子は表札の上に、小さく『屋根だけの家』と書くなどしてまんざらではない様子です。そして、この作品の物語の舞台がこの『屋根だけの家』で繰り広げられていくことになります。映画化されることがあったらどんな映像をそこに見ることができるのか?映像になった姿を是非見てみたくもなる作品だと思いました。
そして、この作品最大の読みどころはなんと言っても書名にある「ニセ姉妹」というものの指すところです。この作品では冒頭に簡単な登場人物紹介がなされていますが、それをもう少し分かりやすく整理してこんな風にご紹介しましょう。
○ 『血の繋がった』姉妹 - 松並家
・長女: 衿子、42歳、公務員
・次女: 正子(主人公)、35歳、アクセサリーアーティスト(とはいえ月収6万円程)、宝くじで3億円を当てる
+ 由紀夫: 離婚した茂との間にできた子ども、1歳
・三女: 園子、28歳、看護師
○『血の繋がらない』姉妹 - ニセ姉妹
・長女: 百夜(ももよ)、42歳、Web制作会社の派遣社員
・次女: 正子(上記参照)
・三女: あぐり、28歳、工場でライン作業に従事
少しはイメージが出来たでしょうか?姉妹なのでいずれも全員が女性、そしてそれぞれ三人の年齢も全く同じ中に、主人公の正子を中心に二つの『姉妹』像が浮かび上がってきます。とは言え、この作品を読まれたことのない方には、『血の繋がらない』姉妹という発想がそもそも意味不明だと思います。このレビューを読んでくださっている方の中にも自分には『姉妹』がいる、もしくは配偶者を介して義理の『姉妹』がいるという方はいらっしゃると思います。万人に納得感のある『姉妹』とは当然にそういった繋がりこそが『姉妹』であって、『血の繋がらない』姉妹ということ自体意味不明だと思います。しかし、そんな風に思うあなたはすでに間違っています。あなたは『血の繋がらない』姉妹を当たり前のように知っているはずです。それこそが、作品中にも紹介されるこんな人たちの名前です。
『阿佐ヶ谷姉妹も、本当の姉妹じゃないよ。叶姉妹も、阿佐ヶ谷姉妹も』
どうでしょう。なんだ、そういうことなのか…そんなあなたの声が聞こえてきそう��す。『姉妹』という言葉を使っても必ずしもその関係性に『血』が必要というわけではありません。『血が繋がっていたり、一緒に育ったりはしていない二人が、大人になってから、姉妹って体で社会に溶け込んだ』、それが『阿佐ヶ谷姉妹』のような関係性です。そして、この作品の主人公・正子は、『姉妹』というものを考える中にこんな思いを感じています。
『衿子のことも園子のことも、幼少時代からずっと変わらず好き』
しかし、
『「”血の繋がった家族”という理由で仲良くするのは嫌だ」という気持ちが芽生えてきた』
そんな正子の心の中の『姉妹』に対する思いの変化。それは、茂との離婚が多分に影響を与えている側面はありますが、やがて、実際の行動にも現れ、一緒に暮らしていた『血の繋がった』姉妹を結果的に追い出し、『血の繋がらない』姉妹と暮らし始めることに行きつきます。物語は、同じ『屋根だけの家』の下に暮らす面々の人生に大きな変化を与えながら展開していきます。そんな変化を、
『嫌いにはなっていないけれど、もっと姉妹になりたい人が現れただけなのだ』。
そんな風に極めて前向きに捉えていく主人公の正子。
『もう園子とは、そして衿子とも、一緒には暮らせないかもしれない。でも、嫌いにはならないし、縁を切りたいとも思っていない』。
そこには、けんか別れしたわけでもなく、単に『姉妹』というもののあり方が変わっただけの日常が山崎さんらしく極めて淡々と描かれていきます。そして、この作品には、そんな『血の繋がらない』姉妹の新しい日常が、極めて前向きな、清々しいまでの日々、未来の姿として描かれていました。
『私と姉妹になってください』
そんな言葉の先に、『血の繋がり』に囚われない新しい『姉妹』像を提示するこの作品。「ニセ」という言葉に、どこか、悪い感情を抱きながら読み始めたこの作品には、今の世の中で薄れつつもある『血の繋がり』というものを読者に改めて感じさせる物語が描かれていました。『屋根だけの家』という従来の常識に囚われない発想と共に、新しい『姉妹』像を読者の前に提示するこの作品。最終章に描かれるまさかの視点の切り替えとその舞台設定に驚かされるこの作品。
谷崎潤一郎さん「細雪」を一番に愛しているとおっしゃる作者の山崎さん。そんな山崎さんが”結構な意気込みと共に「姉妹もの」に挑んだ”という先に、”血が繋がらなくても姉妹になれる”「ニセ姉妹」という言葉がしっくりし出すのを感じた、とてもポップな作品でした。
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本っていいなって改めて思わせてくれた一冊。作者の価値観とか、考え方とかを知ることができるし、そういう考えもあるんやって思って自分の枠が広がる気がする。
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家族のつながり、専業主婦やシングルマザーなど女性の置かれた立場を考えさせられる。
本当の姉妹の考え方も極端だし、ニセ姉妹となる仲良しの二人も大胆だし、何とも言えないが、『家族のつながり』を妙に強調する本当の姉妹には違和感を覚えた。