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物事を簡単に語って済ませてしまわない知性。
何度も読み返してみたい。そんな本との出逢いに感謝します。
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「急に具合が悪くなる」という往復書簡を元にした書籍で知った人類学者の磯野真穂さんの新刊が出るということで手にとってみました(実際は図書館予約)。
「急に具合が悪くなる」は、哲学者である宮野真生子さんとの往復書簡。宮野さんは多発性の転移がんを患っていて、その書籍が出る前に亡くなった。
哲学と人類学。往復書簡という形の本であったけれど、なかなか内容が難しくて、理解しきれないままでしたが、それでも、いろいろな気づきのある書籍でした。
今回の「他者と生きる」も、とても難しい本でした。ちょっと気を抜いて読んでいると、どんどん置いていかれる感じがあって、かといって、真剣に読んでいても理解できない部分もあり…。
それでも、たくさんの気づきをもらいました。
その1つは「自分らしさ」という言葉。
「自分らしさ」という言葉。今では、当たり前のように使っている言葉だけれど、平成になった頃から盛んに使われるようになったとのこと。
けれど、突き詰めてみれば、「自分らしさ」というのは、社会や他人とのつながりにおいて、自分の選択肢を正当化するための言葉であって、本当の意味(?)での自分の本性というわけではないのだ、というようなことが書かれていて(言葉も解釈も違うかもしれませんが)ハッとしました。
そして、この「自分らしさ」にもつながることなのだけれど、「自我」というものの捉え方が、社会や文化によって違うということを知ることができました。
世界でのフィールドワークのいくつかを例にして書かれていたんですが、メラネシアのカナク人やジャワの内陸にある村では、「私」という感覚や、「私の身体」という感覚が、現代社会の日本における「私」や「私の体」とは違っているという話が衝撃的でした。
社会の役割を果たすためにある使えるものとしての「体」。その「体」は、個人のものではなく、その社会のもの。「私」というものも、個人のものではなく、社会の中での役割を担う意識としても「私」???
これまた言葉も解釈も違っているかもしれないけれど、少なくとも、今現在の一般的な日本人(あるいは西洋文化における?)の感じ方とは全然違う。
これらのことを読みながら、世界情勢の見方も、西側諸国的な視点で見ていたら見えないものがありそうだな、などと、全然違うことを考えながら読んでいました。
「人権」「国家」の考え方の違いの根本に、「自己」とか「自我」とかの捉え方も、もしかしたら違うものであって、私には想像できないような捉え方をしているのかもしれない…。と。
そして、もう1つ印象に残っているのは、「関係性的時間の曲線」という考え方。「自分」というものは、自分だけではなく、他者(社会)との関わりで成り立つものであって、時間というものも、均一に流れているのではなく、他者(社会)との関係性によって浮き沈みがあるのだ、という考え方。
必然的なことしか起こらない時には時間は真っ直ぐに流れるけれど、偶然的な「出会い」にぶつかった時���は、時間の曲線は下降したり、上昇したりする。カーブを描けば、描いたグラフの線は長くなる。すなわち、時間が「長い」と感じられる、と。
他者との相互作用の中で、時間曲線をふらふらと伸ばしたり、「なかったことにして」時間曲線を真っ直ぐに突っ走ったり。そんなふうに、自分の人生の時間を思い起こしてみると、違った視点から「私」というのをみることができるような気がしました。
難しい本だったけれど、得ることはたくさんありました。
これは、いつか読み返してみたい書籍の1つです。
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第一部のリスクの手ざわりは、非常にわかりやすく、少数民族の長年培われてきたリスクの伝え方や、予防医学の中の抗血栓療法で多用されている元巨人の長嶋さんのレトリック。HIV,BSE、新型コロナでの志村けんさんや岡江久美子さんの報道とどんどん腹落ちする内容。一方、第二部の狩猟採集民、自分らしさの後からは一気に難しかった。統計学的人間観、関係論的人間観あたり。読み返し要。
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この本の素晴らしさは後書きにあると思う。本書を購入された際に後書きを見てほしいが、ここでは簡単なサマリを備忘録的に残しておく。
人は相互理解をスムーズにするために共通規範を導入し、お互いの意思疎通で齟齬が生じないように調整している。例えば、ビジネスメールでは「いつもお世話になっております」と冒頭に書くのがマナーになっているが、この一文があるだけで「私はちゃんとビジネスマナーを分かってますよ」と相手に伝えるシグナルになり、相互理解を円滑にするきっかけになっている。そして、共通規範はコミュニケーションの予測可能性を与える。ビジネスメールのフォーマットが決まっているから、読み手は簡単に内容を理解できる。もし、自由なフォーマットで全員がビジネスメールを書けば、コミュニケーションのコストは膨大になる。
一方で、共通規範だけではコミュニケーションは取れないし、相互理解を深めることができない。なぜなら、共通規範にない偶然の出来事は必ず起き、その時の最善マニュアルは存在しないからだ。例えば、受験に失敗した浪人生に掛ける最適な励ましは、浪人生ごとに違うはずだ。
だからこそ、相互理解の根幹にあるのは、愛と信頼に基づく投射である。投射とは、過去・現在・未来を線形に予測するのではなく、偶然性に自ら足を踏み入れ、相手に伝えることだ。偶然性は不確実性を持つので、自分の考えを伝えることは相手を傷付けるリスクを背負う。それでも、精一杯の愛と信頼をベースに、相手を傷つけてしまうかもしれない畏れを持ちながら、自分からの投げかけが相互関係を変えるかも知れないと思いコミュニケーションを取る。
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自動車事故を恐れるからといって自動車を禁止しない。
アルコール依存症が問題になるからといって禁止しない。
何をリスクとみるのかは何を基準にするべきか。
心房細動と抗血栓療法。出血のリスクを引き受けても抗血栓薬を飲み続けるべきである。飲まなければ必ず心房細動を起こすわけではない。皮下出血を起こしやすくなる。しかし血液サラサラの言葉に惹かれて薬を飲む。血液サラサラは、試してガッテンが最初に使った。
HIVやBSEは、合理性を欠いたパニックがみられた。
ゴンドラ猫の実験=自由に動けない猫は、ゴンドラを降りた後あちこちにぶつかる。=身体体験がないまま情報体験に反応して生きることは生命たりうる所以を骨抜きにする。情報発信者の意図のままに想像力が操作される。
震災時には、仮葬として土葬し、2週間後に掘り起こして火葬にした。冷たい土の中に閉じ込めておくことが耐え難かった。遺体を運ぶ車はトラックではなく、新車を含む10台の霊柩車らしく改造された車をつかった。
コロナのときは、有名人の死が、恐怖をあおるために報道された。
万が一、という留保が過剰反応を作り出している。万が一の連鎖が痛ましい死を作り出す。
大衆は、暴力的な事件を記号として喜んで消費する=ほどよい室温になったワインのように供されるのなら、大衆はそれを好んで飲む。
スマホ脳とファクトフルネス。どちらも狩猟採集民族である人類が今でも残っていることを主張の根拠としている。糖質制限食も同じ。=石器時代への幻想。パレオファンタジー。
農耕開始から1万年は十分な時間であるという主張もある。高地で生活したり、乳製品を効率よく消化する能力はここ数千年である。『私たちは今でも進化しているのか』マーリーン・ズック
平均人の病いの語り。=一般化可能性がある、が客観的事実として認識されやすい。
どんなときも。世界に一つだけの花、=自分らしく、自分らしさ、が強調された。
自分らしさ、を説明するとトートロジーになりやすい。
=大勢がそのようなもの、に対して抵抗すること。内発的に動機づけられていること。しかし、社会の規範を超えない範囲であること。
自殺は、自分らしいとは言われない。死ぬことは、家族との関係性の中で起こること。
統計学的人間観=平均人という概念を支える。
個人主義的人間観と関係論的人間観。
宇宙人と交流することは可能か。関係性をもつことができるか。
共存の枠=互いの間に規則性が生成される。挨拶はその規則性にはめるためのきっかけになる。
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難しいテーマを平易に描いてる。はずだがそれでも私には難しい。
統計学的人間観はとても大切。だが取り扱い方が上手い人は少ない。長生きすれば幸せなのか、には答えられないので。
正しく恐れる、って時に弊害生むのね
自分らしさ、は周囲の環境があって初めて決まる。観測するから、何が他者に比べユニークかがわかる
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テーマが深く、集中して読まないと筆者の言いたいことがなかなか頭に入ってこない。が、それは単に読者の私の集中力のせいであり、すぐに頭に仕掛かり中や納期に迫られる仕事に神経がついてしまう様な私には合わなかった。だが、本書のテーマは冒頭申し上げた様に深く考えさせられるものだ。
もし私が何らかの病気を患い、明日死の宣告を受けたらこれまでの自分の人生を振り返り、良かった、充実した人生だったと納得がいくだろうか。まだやり足りないことが沢山あり、ここで死ぬのは嫌だと最後まで治療法を探し生に執着するだろうか。読み終わった瞬間に頭を過ったのはこの思いだった。私が生きている上で、仕事でもプライベートでも様々な人(他人)と関わり合いを持ち、必ずしも心地よい関係だけではなく、中には面倒だったり会うことに恐怖や嫌気がさす人もいるだろう。後者がパッと頭に思い浮かばないものの、恐らくはこれまでの経験から、特定の人を嫌いになったりしてしまうと、途端にどうしても会わなければならない状況に陥った場合に、自分の時間が無駄に感じられたり、心に負担になるのがわかっているから、敢えてそう思わない様な自己防衛策が働いている事を自分で理解している。少々周りくどい言い方ではあるが、多くの人が嫌な人に会っても顔では笑いながら挨拶できるのと同じことだ。
そうやって自分の人生は他者と共にあり、他者との関係性によって、幸せだったりそうで無かったりと価値が変わっている様に感じる。自分の未来はわからないことが多いが、就職や結婚など自分が選んだ道は少なくとも、そうした未来を決定づけるイベントとして、自己の責任の上に成り立っている。時には失敗と感じる方もいるだろうが、そこで人生が終わるわけではないので、その後の人生に深みを持たせられる人間関係を築くのは、またこれも自分次第である。
人が生きていく上で他者と共にあるのは当然だが(どんなに田舎に閉じこもっても、地球上の最後の1人になる事は考えられない)、より深みがあり、充実した幸せな人生だったと最後の瞬間に思える様、今何を選択していくかは、自分次第だ。
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「生の手ざわりを求めて――。
“正しさ”は病いを治せるか? “自分らしさ”はあなたを救うか?
不調の始まる前から病気の事前予測を可能にし、予防的介入に価値を与える統計学的人間観。「自分らしさ」礼賛の素地となる個人主義的人間観。
現代を特徴づける一見有用なこの二つの人間観は、裏で手を携えながら、関係を持つことではじめて生まれる自他の感覚、すなわち「生の手ざわり」から私たちを遠ざける。
病いを抱える人々と医療者への聞き取り、臨床の参与観察、人類学の知見をもとに、今を捉えるための三つ目の人間観として関係論的人間観を加えた。
現代社会を生きる人間のあり方を根源から問う一冊。」
目次
第一部 リスクの手ざわり
第1章 情報とリスク
第2章 正しく想像せよ
第3章 ゴンドラ猫は恐怖する
第4章 新型コロナウイルスの実感
第二部 危機に陥る人々・その救済の物語
第5章 狩猟採集民という救済
第6章 「自分らしさ」があなたを救う
第7章 人とは何か
終 章 生成される時間
磯野真穂(いその・まほ)
人類学者。専門は文化人類学、医療人類学。2010年早稲田大学文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。早稲田大学文化構想学部助教、国際医療福祉大学大学院准教授を経て2020年より独立。
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関係論的人間関係
世間の中に入る、人と関係し合うことで初めて「人」が立ち現れるという見方。
確かに、周辺にいるのではなく中に入ることで「なんか在るもの」から「私」(顔や名前のある存在、個人)に存在として変わる感覚はあるな、と納得。
逆に、人やあるグループから拒絶されたり排除されたり、引き離されたときに感じる痛みは、この見方からすると「殺された」からとも言えるのかもしれない。だから強い痛みを感じる。
この論に立脚して著者は「ただ100年生きた人より35歳で事故で亡くなった人のほうが人生が長い(良い?)こともある」というようなことを述べている。そういう見方もあるよ、という話だし、なるほどとも思うけど、孤独な人は人生が薄いという結論につながるような気もして、なんだか暗い気持ちになった。
全体としては各トピックが微妙に繋がっていなくて(書き下ろしじゃないので当然ではある)、人類学など学説の説明レベル(?)もまちまちだったので読むのが大変だった。
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【信州大学附属図書館の所蔵はこちらです】
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