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川端康成が中学時代同室で過ごしていた美少年・清野の記憶を追想する。
清野一筋かと思えば、所々で別の美少年にも情を抱いているのがかえって生々しい。少年を愛する心は、彼の中に当たり前に存在していたんだなと思った。
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恥ずかしながら、源氏物語を愛読されていた事をこの本を読んで知りました。
かな文学のような、やわらかな美しさがあると感じていたので納得。
文章が静かでとてもきれい。
やはり思春期には生い立ちや孤独、人への希求があったんだなぁ。
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両親を早くに亡くし、
寂しさの中思春期を過ごしてきた著者の、温かな学生の頃の触れ合い。
気持ち悪さは感じない。
心の拠り所だったのかな。
手紙を最後は燃やしてしまうのだろうけど。
宗教の話も出てきます。
人間の心の居場所を考えられます。
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「私は本年五十歳に達し、これを記念する心も含めて、全集を刊行することになった。」(P5)ことをきっかけに旧稿をまとめて見て自身の過去を追憶。
小学六年の綴方が凄すぎて(川端本人は「自分のこと自分の言葉を一つも書いていない。」(P18)とは言うものの)級友たちはどう感じていたんだろうか。
清野との愛は歳を重ねるにつれて「少年時代の愛」という良き想い出に昇華されたのでしょうか。
川端は本当に文章が良いなぁ。内容はさておき読んでると癒されます。難しいけど。
※以下は自分用にメモ。
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中学二年の時の作文帳や谷堂集で想い出を振り返る中…
「しかし同性愛というようなことはなかった。」(P21)
いきなりこの一文。続いて次の章の始まりは
「大正五年の九月十八日から大正六年の一月二十二日までの日記には、同性愛の記事がある。」(P21)
大正五年十二月十四日の日記に、清野、登場。床の中でぎゅうぎゅうと抱き合っている。
大正六年一月二十一日、清野、大口に狙われる。
(ちなみに川端は1915年(大正4年)3月から、中学校の寄宿舎に入っている。)
大正六年、川端は十九歳で中学五年だった、ということは十九歳のときに後輩とベタベタしてたのかぁ。
「また私は高等学校の時に清野少年あての手紙を作文として提出した。教師の採点を受けてから実際の手紙として清野に送ったと記憶する。」(P27)
愛の手紙を先生に?昔はそういうのアリだったのか??(汗)高等学校一年生(19~20歳)のものだそう。
川端の手元に残っている部分に書いてあったのは
「お前は私の人生の新しい驚きであった。」(P30)
「お前はなんと美しい人だったろう。」(P33)
ものすごいラブレター。これを先生に(汗)
24歳のときに書いた「湯ヶ島での思い出」を28歳の時に「伊豆の踊子」に書き直す。「湯ヶ島での思い出」では湯治、清野少年訪問、大本教の教祖の入湯の想い出が語られる。
22歳の8月に清野を訪ねる。清野少年は宗教二世。
「私は彼の信じるものにではなく彼の信じる心に快く染まりそうなのである。」(P72)
時を遡って中学五年、清野の信仰心について語られる。
再び日記に戻る。学生時代の出来事、清野とのやり取り、大口君の恋愛、進路。川端は次から次にもの(時計と書籍)を買う
。
「「私のヘングインになってくれ。」と言うと、「なってあげまっせ。」と言った。」(P93)
ペンギン?
再び大学時代の「湯ヶ島での思い出」にもどる。
ここから逆に清野からの手紙が転載されている。22通。私からすると多いように感じるけれど当時は普通だったのだろうか。
最後の二行が衝撃的でした。勿体ない、と思ってしまいます…。
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完全な創作小説かと思って読み始めたら私小説で、私小説かと思って読み進めたらやっぱり創作なのかな、と思った。
美しい少年愛と美しい日本語!
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川端康成の作品に「湯ヶ島の思い出」という長編があったらしい
そこから一部を抜粋し
「伊豆の踊子」というタイトルで発表して
残りは封印してしまったという
なぜそんなことをする必要があったのか
それは「湯ヶ島の思い出」が
同性愛のタブーに触れていたということもあろうが
それ以前に、やはり小説としての冗長さを嫌ったのだと思う
大本教の家に生まれ育った少年の
世間と相容れない純粋さが
若き川端康成の「孤児根性」に共鳴したという話は
まあそれだけのもので
そこから広がりを見せていくことはない
しかしともかく、伊豆で旅芸人の娘から受けた優しさが
川端の僻んだ心を癒やす物語には
そのような出発点があった
「湯ヶ島」から「踊子」を差っ引いた残りの部分は
戦後、大幅に手を加えられ
「少年」のタイトルで発表された
なぜそんなことをする必要があったのか
ひょっとしたら、太宰治に読ませたい気持ちなんて
あったのかもしれません
太宰は「孤児」でなかったが故に苦しんでたようなもんだし
ちなみに、三島由紀夫「仮面の告白」より5年早い
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小説というより随筆だった。川端康成が生まれ育ちから人とは異なる自分を後ろめたく思っていた頃に、寄宿舎でであった少年がその自分を受け入れてくれたことから自分を認められるようになった原点の話。心の中では性的な思いも抱えていたらしい描写もあったが、少年とのふれあいは純粋なもので、ただ乾いた紙に湿った手で触れるような、そういう微妙な湿度があった。書簡のやりとりが本文の大半を占めていて、少年の頃のあどけない言葉が微笑ましくて、そして少し羞恥を煽られた。あんな、世界が君だけみたいな時代、たしかに自分にもあったなぁという。
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令和四年四月一日発行
装画/遠藤竜太
五十歳に達した記念に全集刊行した折に、寮生活での様子や友人とのやりとり記した日記を題材にまとめたものと思われる。
父母が早くに亡くなり祖父母に育てられ病弱児だった頃を振り返り、思春期の多感な時期に心情を記した日記と、追記解説が交互に綴られている。
『私は自作が雑誌などで活字になった直ぐには読まない』『長い休みが近づくと、少しずつ家なき児のかなしみがにじみ出てくる』などと繊細さが表現される。
清野少年との戯れは『愛と敬いとの現れであった』『少しでも美しいものを見たときに、私の心に起るのは何だ。なぜ私はこんなにいやしいのだろう。』『私はもっともっと愛に燃えた少年たちとルウムをつくりたい。』『一番私を愛してくれて、私のなにもかもゆるしてくれるにちがいない』『愛の初めもその流れも自然で安穏であったのが、思い出をやわらかく温めている』『清野少年と暮らした一年間は、一つの救いであった』と特別な関係を悦楽よりも哀しさがこもった死に近い印象を持った。解説では川端の作品には体臭が感じられないとあり、妙に納得。
文中に、道を歩きながら谷崎さんの「人魚の嘆き」を読んだ。とあり、直前に同じ本を読んだという偶然に驚いた。
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2022年は作者の没後50年だった。何作か読んだはずだが、感想を書いていなかったようで履歴がたどれず。また読み返してみようと思う。
本書では、旧制中学の寄宿舎で出会った清野少年を中心とした友人らとの交流を、50歳になった作者が当時の日記や手紙を引用しながら述懐する。
肉親に次々と死別し、寄る辺ない思いを抱えたまま寄宿舎で過ごす少年の屈託と、それを束の間忘れさせるような清野との触れ合い。それを単なる同性愛、少年愛と呼んでいいものか。
腰巻の文言や引用部分はいささか狙い過ぎのような気もする。
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神奈川近代文学館「没後50年 川端康成展 虹をつむぐ人」に足を運び、この方の人となりに強く興味を持った。
悲しいけれど今までまともに読んだことがなかったのが、
先入観なく、かえって良かったのかもしれない。
この作品も小説というよりも随想のような感じなのが好ましく、彼に抱いた印象がますます色濃くなったように思う。
今年は川端康成を沢山読みたい。
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旧制中学のころの川端康成の文章がうますぎる。ノーベル文学賞をとることになる素地が垣間見える。しかし、文通相手の清野少年の文章も美しい。全体を通して日本語の美しい響きを教えてくれる。そのうえに、川端少年の思春期の心模様が映し出されて、なお美しい。
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50歳で、日記や手紙や小説で、10代後半から20代前半にかけての自身を紐解き振り返る。川端康成が幼い頃から両親や祖父母や兄弟との別離を繰り返していたことを知らなかった。美しい年下の少年が、孤独を癒しあるがままに受け入れ側にいることは、どんなに必要なことだったのだろう。どこかに別れや死を感じさせる既読の小説が、腑に落ちた。
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川端康成作品の中でもあまり整理されていない(いい意味で)、直球の表現が多い感じがする
でもその表現が好きだった
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川端康成にとって、尊く瑞々しい記憶のカケラ。
男女にはない、男同士の思慕や憧憬。言葉で形容することの難しい感情。それらを羨ましくすら思う。
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もし期待して読もうとする人がいたら伝えたい、案外そんなことないよって
短い話で読みやすい、けど頑張って読む甲斐はないかもしれない。でも次は伊豆の踊り子を読みたいと思った。一応それっぽい感想を言うと川端康成特有の孤独感、悲壮感があってエモいけどちょっと失敗したかも。けどやっぱり時代を考えるとこれが精一杯なのかなと