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MMT、不勉強で言葉としては知っていたが中身についてはよく知らなかった。本書を読みよく理解したと言いたいところだがそうとも言えない。
ものすごく端折って言えば「自前の通貨を持っている国は、財政赤字は問題でない」ということなんだろうが、説明されてなるほどと思っても、心の底からは受け入れられない自分がいる。
MMTのキモは諸々の社会の課題を解決する為の考え方を提示しているところにあるのだろうが、最終的に行き着く所はどこになるのだろうか。
その理論に従って政策を実行したらとんでもないことにならないだろうか。基本的には財政赤字を理由に実行できない政策はないのだから夢のような話ではある。
今の日銀は見方によってはMMTを一部実践しているようにも見える。お札を刷りまくって超金融緩和を続けた先には何が待っているのだろうか。
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序章 バンパーステッカーの衝撃
第1章 家計と比べない
政府は自らが使う通貨の発行体
第2章 インフレに注目せよ
過剰は支出の証拠はインフレである
第3章 国家の債務(という虚像)
国家の債務は国民に負担を課すものではない
第4章 あちらの赤字はこちらの黒字
財政赤字は国民の富と貯蓄を増やす
第5章 貿易の「勝者」
貿易赤字は「モノ」の黒字を意味する
第6章 公的給付を受ける権利
重要なのは、国民が必要とする実物的な財やサービスを生み出す、経済の長期的能力
第7章 本当に解決すべき「赤字」
第8章 すべての国民のための経済を実現する
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「政府の約束は信頼できるという認識が広がれば,これまで十分な蓄えもなく老後を迎える不安からひたすら貯蓄に勤めていた若い世代はより自由にお金を使うようになるだろう。さらに若い世代はより多くの子供を持てるようになり,人口減少という問題の軽減にも役立つ。」(p.19)
これは本論でもなく,日本版序文の脚注の文章だけど,まさにコレ。増税や社会保障費の増加ばかり予期させる政権下では,どうしても貯蓄行動の傾向が高まる。「消費しても大丈夫」という環境を整えられない経済オンチが与党になるから問題であり,そういう経済オンチに票を投じるから問題なのだ! 「国民はバカであってほしい」という与党の願望を打ち砕くためにも国民が(経済学ではなく)経済を理解すべきだ!
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私が懸念しているのは,日本が巨額の赤字を出し続けることでも,先進国最大の政府債務を抱え続けることでもない。政府が過去の過ちを繰り返し,景気回復が本格化する前にその勢いをくじくことだ。そうした事態は過去に何度も起きている。
たとえば財務省は今回のパンデミックがはじまるずっと前から,政府が借金をして膨らみ続ける財政赤字を埋め合わせていると,いつか必ずしっぺ返しを食らう,なぜなら消費者が将来の税負担が増えることを見越して支出を抑え,貯蓄を増やすようになるからだと,あらゆる手を尽くして国民に思い込ませてきた。「リカードの等価定理」と呼ばれるこの考え方は,政府の赤字に批判的な世論を形成し,消費税率引き上げを正当化するために,日本国民の脳裏に刻まれてきた。
国の借金は持続不可能な増え方をしている,政府債務の伸びを抑えて「市場の信頼」をつなぎとめるためには増税が必要だと,国民はずっと言われ続けてきた。国の財政状態に対する市場の信頼が失われれば,金利の急騰,インフレ率の急上昇,場合によっては政府のデフォルト(債務不履行)など,さまざまな弊害が出てくる,と。
この誤った思考に基づいて,日本政府は一九九七年,二〇一四年,二〇一九年に消費税率を引き上げた。そのたびに消費支出は急激に落ち込み,売り上げは急減し,経済はマイナス成長に陥った。新型コロナを別にすれば,この先数か月および数年の日本経済にとっての最大の脅威は,こうした政策の失敗が繰り返されることだ。というのも実際には先に挙げた増税は,国の財政の安定化に一切必要がなかったからだ。いずれも誤った事実認識に基づいており,経済に破壊的影響を及ぼした。端的に言えば,財政赤字の神話に基づいていたのである。(pp.14-15)
より良い未来を勝ち取るのは,容易なことではない。昔ながらの凝り固まった発想は,おとなしく道を譲らないはずだ。古い経済学のパラダイムを守ることに必死なエスタブリッシュメント(主流派)は,新たなフレームワーク(MMT)に異を唱え,嘲笑することさえあるだろう。しかし健全な経済,高い成長率,賃金の上昇,適度なインフレを生み出すのに失敗してきたのは,まさにその古いパラダイムなのだ。戦いはすでに始まっている。(p.16)
MMTは動詞,すなわち政策当局が採るべき単一あるいは一連の行動を表す言葉ではない。通貨制度や��国家の財政および金融にかかわる活動を支える法的・制度的取り決めを描写する形容詞だ。(p.16)
日本に求められるのは,必要とされる財政支援をすべて実施していくという確固たる決意だ。MMTのレンズを十分に活用すれば,日本はコロナショックから完全な回復を遂げ,さらに経済停滞との長い闘いにようやく終止符を打てるだろう。そのためには新政権は財政赤字削減への執着を完全に捨てなければならない。ほかの通貨主権国家と同じように,日本にとって重要なのは,政府の予算が赤字か黒字かではない。国民にとってバランスのとれた公平な経済を実現するために予算が使われているかどうかだ。(p.18)
経済がすでにフルスピードで走っているところに政府がさらに支出を増やそうとすれば,インフレが加速する。制約はたしかにある。しかしそれは政府の支出能力や財政赤字ではない。インフレ圧力と実体経済の資源だ。MMTは真の制約と,私たちが自らに課した誤解に基づく不必要な制約とを区別する。(p.26)
社会保障制度の話題が持ちあがるたびに,あるいは下院議員が教育や医療への支出を増やそうと提案するたびに,政府の赤字を増やさずにどうやってそれを「まかなう」のだという反論が山のように出てきた。だがみなさんはお気づきだろうか。防衛費の拡大,銀行の救済,あるいは富裕層への減税が議論されるときには,たとえそれが財政赤字を大幅に増やすものであっても問題になったことは一度もない。政治家の票につながるなら,政府は必ず自らの優先課題に必要な資金を手当できる。そういう仕組なのだ。(p.26)
[アメリカの]議会にはもっと打つ手があったはずで,実際手を打つべきだったが,財政赤字の神話に阻まれた。失業率が九.八%という驚くべき高水準にあった二〇一〇年一月には,オバマ大統領はすでに方向転換を始めた。この月の一般教書演説では,財政刺激策からの転換を宣言した。「国中の家族が支出を抑え,困難な決断をしている。政府もそうしなければならない」と。こうしてアメリカは自ら苦境を長引かせることになった。(pp.30-31)
MMTは単純な会計原則を使って,別の見方があることを示す。政府が国内で一〇〇ドルを使ったが,税金として回収したのは九〇ドルだったとしよう。差分は「政府赤字」と呼ばれる。しかし,この差分は別の見方もできる。政府赤字は誰かの「黒字」になるのだ。政府の一〇ドルのマイナスは,常に経済の他の部門の一〇ドルのプラスになる。問題は政治家が片目で世界を見ていることだ。財政赤字は見えているのに,反対側にある同額の黒字は見えていない。さらに多くの国民にも校舎は見えていないため,損をするのは自分たちなのに財政均衡への努力を支持する。政府がお金を使いすぎることも,財政赤字が大きくなりすぎることもありうる。しかし支出過剰の証拠となるのはインフレであり,財政赤字は大きすぎるより小さすぎるケースがほとんどだ。(pp.33-34)
アメリカは資金調達を中国に(限らずどこの国にも)頼っていない。何より重要なのは次の事実だ。通貨主権を持つことは,その国が財源の心配をせず,国民の安全と幸福を最優先できることを意味する。(pp.49-50)
モズラーはこのエピソード[モズラーの名刺アプローチ]を使って,主権通貨���発行する国の資金調達に関する基本原則をいくつか説明した。税金が存在する目的は,通貨への需要を生み出すことだ。政府は独自の会計単位となる通貨を定め(ドル,円,ポンド,ペソなど),税金その他の債務をその通貨で支払うことを義務づけることによって,本来無価値の紙切れに価値を付与する。もズラーは「税金は紙くずを通貨に変える」とジョークを飛ばす。結局のところ,通貨を発行する政府が求めるのは金銭ではなく,実態のあるものだ。欲しいのは税金ではなく,私たちの時間である。国民に国家のために何かを生産させるために,政府は税金などの金銭的負担を課す。こういう説明は,ふつうの経済学の教科書には書いていない。物々交換から生じる非効率を克服する手段として貨幣が発明された,という皮相的ストーリーのほうが好まれる。そこでは貨幣は取引を効率的にする手段として自然発生的に生じた便利な仕組みということになる。経済学の学生たちは,かつては物々交換が主流であり,それこそが本来の姿であった,と教わる。しかし古代世界の研究では,物々交換を土台とする社会の存在を裏付けるエビデンスはほとんど見つかっていない。
MMTはこのような歴史的に不正確な物々交換説を拒絶し,代わりに表券主義(チャータリズム)に関する膨大な研究に依拠している。表券主義とは,古代の統治者や初期の国民国家が独自通貨を導入することを可能にしたのは税金制度であり,それによって通貨が個人間の交換手段として使われるようになったと考える立場だ。納税義務が生まれると,政府の通貨で報酬をもらえる仕事を求める人々(すなわち失業)が生まれる。そこで政府(その他の権力)は支出をすることによって通貨を世に送り出し,国民が国家への債務を支払うのに必要なトークン(代用貨幣)を入手できるようにする。当然ながら,政府がまずトークンを供給しなければ,誰も税金は払えない。このシンプルな論理によって,モズラーはほとんどの人が順番を逆に考えていたことを指摘した。納税者が政府に資金を提供するのではない。政府が納税者に資金を提供するのである。(pp.59-61)
では政府支出には何も制約がないのだろうか。じゃんじゃん紙幣を印刷すれば経済は繁栄するのか。とんでもない。MMTは打ち出の小槌ではない。非常に重要な制限は存在する。それを見きわめ,尊重しなければ,とんでもないことになる。MMTは現実的制約と,私たちが自らに課した変更可能な制約を区別せよ,と説く。(p.76)
たとえば議員は医療,教育などへの支出を増やしてほしい,と有権者から圧力をかけられることが多い。予算に関するルールはそれに対する隠れ蓑になる。低所得層の大学進学を支える「連邦ペル奨学金」の財源を増やすことにははなから反対だと言う代わりに,有権者に同情するふりをしつつ,財政赤字のために身動きがとれないと主張することができる。財政赤字の神話を盾にできなければ,国民に手を差し伸べないことをどうやって正当化するのか,嫌われ役はいたほうがいい。(p.79)
改めて明確にしておくと,MMTではすべての制約を撤廃せよ,と主張しているわけではない。ひたすら大盤振る舞いすればよい,とは言っていない。重要なのは財政収支ばかりにこだわる現行のアプローチを,経済の実物的制約を���重しつつ,国民への恩恵を優先するアプローチに転換することだ。言葉を換えれば,MMTは「責任ある財政」の定義を見直そうとしている。民主党の政治ストラテジストのジェームズ・カービルは,ビル・クリントンが勝利した一九九二年の大統領選挙で「重要なのは経済だ,愚か者!」と発言して話題になったが,その言い回しを借りれば,MMTの主張は「重要なのは経済の実物資源だ,愚か者!」ということになる。アメリカは実物資源に恵まれた国だ。先進的技術,高い教育を受けた労働力,工場,機械設備,肥沃な土壌,そして豊富な天然資源。私たちには重要な資源がたっぷりある。あらゆる国民に豊かな生活をもたらす経済の実現は可能だ。必要なのは,実物資源を適正に管理することだけだ。(pp.80-81)
[第一は通貨発行できる政府には家計のような制約はなく]第二に,政府の財政は均衡する必要などない。均衡が必要なのは経済だ。財政は国民の手にドルを渡す,あるいはドルを回収するための手段に過ぎない。赤字の下では国民から回収するより与えるドルのほうが多く,黒字では与えるより回収するほうが多くなる。MMTが示す証拠によれば,赤字か黒字のいずれかが本来的に良い,あるいは悪いということはない。単なる調整手段であり,目的は奉仕すべき国民のために,全体として経済のバランスがとれるように財政を運営することだ。(p.89)
インフレが懸念されるのは,実質的な生活水準の低下につながる可能性があるためだ。今は標準的な材の組み合わせを買う余裕があっても,その価格が上昇すれば,いつしか買えなくなっていたということになりかねない。それは国民の収入の動向によって決まる。標準的な組み合わせの価格が年率五%ずつ上昇する一方,収入が年二%ずつしか上昇しなければ,実質ベース(インフレ調整後)では毎年三%ずつ貧しくなっていくことになる。つまり購入できる剤やサービスの良が実質的に減るということだ。(p.92)
世界の主要国の多くはすでに一〇年以上その逆の問題,すなわち低インフレの解消に必死に取り組んできた。インフレ率が高すぎるのではなく,低すぎるという問題がアメリカ,日本,ヨーロッパ諸国を悩ませてきた。そのいずれにおいても公式に二%というのが「適正な」インフレ率とされ,アメリカのFRB,日本銀行,そして欧州中央銀行はそろってこのインフレ率を達成しようとしてきた。しかし,安定的に二%を達成できたところはない。特に苦しんでいるのは日本で,低インフレだけでなく,ときにはデフレへの対応も迫られている。デフレとは全体的な物価水準が下落することであり,アメリカが一九三〇年代の大恐慌のときに陥った珍しい状況である。なぜインフレ率が低すぎることが問題なのか,と思うかもしれない。言うことなしではない,と。それでも経済学者が低インフレを懸念するのは,インフレ率が低い,あるいはまったくない場合,通常は経済全体の弱さを表しているとみなされるためだ。(pp.92-93)
要するにFRBは,雇用市場に目を凝らしながら賃金上昇の証拠を探し,それをインフレ立上昇の前触れと見なすのだ。インフレという怪物が実際に目を覚ますまで待たない,というスタンスだ。とにかく怪物を撃ち,疑問点は後から考えればいい。このような先制攻撃志向によって���FRBは時期尚早に,あるいは偽陽性に反応して金利を引き上げ,過剰な引き締め政策に走りがちだ。このような過ちは,数百万人が意味もなく雇用市場から締め出されるなど,重大な弊害をもたらす。(p.101)