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前編となる『緋の河』を読んだのは3年前。桜木さんが続編となる本作を、『たとえ本として出版されなくても是非とも書きたかった』と、新聞記事で語っているのを読み、「乞うご期待感」が高まった。
本作は深夜テレビや銀座、全国のキャバレーで活躍していたゲイボーイの平川秀男が、日本で初めてモロッコで男性自身を切除し、「女性の体」となって帰国し、カーニバル真子として芸能界で生き抜いていく模様が描かれている。
今回も秀男の生きる熱量に圧倒されたまま、あっという間に2日間で読了。前編の『緋の河』に書かれている秀男より共感できなかったのは残念だが、秀男のモデルとなった「カルーセル麻紀」さんが、芸能界で色んな方面に挑戦し現在も健やかに暮らしていると知り嬉しくなった。本作のように、良き理解者である実姉と一緒に住まわれているのも興味深い。
秀男が実質的に女の体を手に入れ、思考経路は男のまま(私のこういう考え方が偏見なのだろう)で、強烈な個性を売り出していく生き方は、今後さまざまな人たちに、通り一遍でない生きる方法を示してくれただろう。
テレビなどで「カルーセル麻紀」さんが活躍していた頃、私は小学生だった。カルセールさんは時代を先取りするには早く生まれた存在だったのかもしれない。
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カルーセル麻紀をモデルにした半生記。
こんな壮絶な人生だったのかと驚き。
そして色々な意味で時代を感じさせ、ある種の絶望感すら覚える。
とにかく衝撃的。
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前作「緋の河」の続編です。
性転換手術後が描かれています。
実在の人物をモデルにしたフィクションだそうですが、ノンフィクションのように感じられました。
生まれてくるのがもう少し遅かったら、あれほどまでの苦労はされなかっただろうと思いました。
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生まれ持った身体から変化を遂げるというのは、なんて難しいことなのか。
秀男はペニスも取り膣も造って、見た目は完全に女性になったが、それでも本当の女性ではないし、自分が女性になりたい訳ではないことも自覚している。じゃあなんで手術したのかと言われれば、「ノリ」と答える秀男の姿を勝手に想像してしまう。
結局自分の身体を愛することができる者が一番、この世を謳歌できるのかもしれない。
精一杯この世を生きて遊び尽くしてやろうとする秀男の人生に引き込まれた。外見も美しく、自分に自信を持っていて素晴らしい人だなと思う。一方、ネタがないと世間に飽きられると焦る面も持ち、秀男が私たちと何ら変わらない人間であることも分かる。
姉や母とご飯を食べるシーンは何の変哲もない家族団欒の場面だと言うのに、なぜかほっとする。常に忙しく(男とベッドにいるときですら)いろいろなことを考えている秀男が唯一休める時だからなのだろう。
終盤、縁があって秀男のマネージャーになった梶田が、秀男を叱咤激励するシーンがあるのだが、私はここで涙が出た。
決して秀男と恋仲ではない、でも誰よりも秀男のことを信じている梶田の強い思いにやられた。
魅力的な秀男の周りには魅力的な人物から酷い人物まで様々な人が集まってきた。ここまで人を引きつける彼のオーラは、実際に見たらとてつもないのだろう。
男だの女だの言っている場合ではない。
人間として、この先どう生きていくのだろうか楽しみである。
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途中までは駄作のような感じで、投げ出そうかと思っていたが、後半からいつもの著者の流れに乗って一気に読了。
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「あたしはあたし、男でも女でもない。出来る事をやるだけだ」。
2019年に刊行された『緋の河』の第二部にして完結篇。
主人公の秀男に、前作を上回る覚悟を感じた一冊だった。
一つ間違えば命に関わるモロッコでの性転換手術。
業界に生き残る為に身を削り、時には自ら情報を作り上げメディアに売る。
偽装結婚に利用されたフランス人の彼に同情はするが、あらゆる知恵を振り絞り突き進む秀男のぶれない生き様に感嘆の思いだ。
母や姉、後輩歌手やマネージャーへの愛情には感動。
自分と闘い世間と闘い続ける秀男の本気度と凄まじい熱量に圧倒された。
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あたしはあたし
自分部の部長
いつも自分自身を鼓舞する姿勢がヘタレの自分には眩しくて励まされる
「緋の河」のブレない秀男がこの作品で揺れる様が迫ってきたけど、中盤だるんだのが少し残念。だが、やはり、秀男=カーニバル真子のエネルギッシュな生き方は賞賛に値する
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緋のかわの続編。
モロッコでの手術とその後について。
これだけブレる事なく、自分を貫き通すことの強さ、大切さ、に改めて考えさせられる。
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今現在、社会に認知されてきたLGBT。そのような概念、言葉がない時代、自らの内面と身体の性が一致せず、その中で自分らしさを失わず、たくましく生き抜いた主人公秀男の半生を描く。昭和の時代において、秀男は“ゲイボーイ”として一世を風靡する。ただしそれは単純に「女性になる」のではなく、自分の生き方を追求して「自分になる」ことを実現させていったことに他ならなかった。
この作者は生や性についての、少し離れた視点から、しかし相当にえぐっていく感じの叙述を持ち味にしているといってよく、そこに魅力を感じるか否かは人によると思うが、自分は大きく惹きつけられており、これまでもいくつかの作品を堪能してきた。本作ではゲイボーイという、自分とはあまり重ならないだろう領域にある主人公のわけだが、その心情の変化にここまで気持ちをゆさぶられるのはどうしてだろう?
ここには性の枠を超えた主人公の、精一杯人生に向き合う姿があり(そのあり方は決して道徳的、社会的に褒められたものでないにも関わらず)、「生きる」ことについての根源的な力、といったものを感じさせてくれる何かがある。
なおはっきり銘打ってないものの、『孤蝶の城』は『緋の河』の続編であり、この2作は続けて読むことを勧める。小説とはいえ、この連作の世界に入り込むことで、主人公秀男の壮絶ともいえる生きざまを追体験することができ、そのことによって自分は人生に何か新たな視点を持てたような気がしている。
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緋の河からの続編。とても待ち遠しかったし、秀男の生き様にハラハラドキドキしながら寄り添う時間がとても貴重なものに思えた。最初は度肝を抜くモロッコでの日々に背筋が凍るようであったけれども、越えていく上で逞しさや度胸だけでなく、迷いや葛藤もあったとは。自分を貫くための武装をする上での人とのふれ合いには考えるものがあった。異性とのやり取りは理解できない部分もあったし家族愛に満ち溢れた部分、芸能の世界でのもがきなどなど、まるごとカーニバル真子を知ることができて感動だった。ところどころに出てくる有名人とのくだりも興味深かった。
桜木紫乃さんの筆力は素晴らしかった。脱帽でした。
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緋の河が青春篇なら、本作はその後のカルーセル麻紀を綴った、躍動編とでもいおうか。
其の手のジャンルをほぼ確立し、第一人者として君臨するも、やはり完璧な女の体を手に入れたいと、外国での手術に臨む。
術後の容体の悪化や、勝手の違う外国でのストレスや、思い通りにならない自分の体に苛立ち、時には絶望感に襲われながらも帰国。
好奇の目にさらされながらも、注目を集めてこそと逞しく業界を生き抜く姿。
作者はどんな綿密な取材をされたのかと思いきや、以外にも本人には一切取材をしていないという。
当時の資料や、記事を参考にされたと。
では創作も入っているのか?と思うが、全くそうは思わない。
秀男(カルーセル麻紀)の啖呵、悔し涙、恐怖と戦う姿、何としてもこの業界で生きてやる、生き抜いてやるという迫力が胸を打つ。
まったく桜木紫乃という作家はすごい。(緋の河でも思った)本人を目の前にしてここまで描くか・・・
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緋の河の続編。前作は内面との戦いを描き本作は世間との闘いが本流となっている。後29年時代が違っていたらもっと違う人生があったのか。壮絶で爽快な作品でした。読んでよかった。
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「緋の河」の続編。秀男は、初めて「女性の体」を手に入れたゲイボーイとして時代の先駆者となる。自分らしくあるための自己表現を、世間や世論と闘いながらその道を突き進む。時に乱暴で鋭利な刃は秀男やその周りをも傷つけ、プロとしての栄枯盛衰が始まっていく。パリジャンの彼はかわいそうな気がした。
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『緋の河』の続編。カーニバル真子がモロッコで受けた女性の身体を手に入れる最後の仕上げの手術は生命を落としていてもおかしくないほどの経過の悪さ。高熱と壮絶な痛みの描写にこちらまで痛みが伝染してくるようでした。
どこまでがカルーセル麻紀さんの実話と同じなのかはわからないけれど、対談相手は美輪明宏さん?同じ事務所の演歌歌手は藤圭子さんかな?轟みたいなマネージャーから坊っちゃんマネージャーに交代して良かったけど、芸能界で生き残る為にずっと話題を提供し続けるのは限界がありますよ。
大麻の事件も小説の通りなら罠だったのでしょうか?目立てば足を引っ張る人もいて、そんな芸能界で生き抜くのは並大抵の事ではありませんね。どんな時もいつも助けてくれる姉章子さんの存在が真子にとってはとても大きいですね。