紙の本
WATARIDORI
2013/04/06 14:28
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Tucker - この投稿者のレビュー一覧を見る
渡り鳥をテーマにしたエッセイ。
北からやってくる冬鳥を訪ねる旅行記でもある。
各章の最後にその章で登場した鳥の説明が載っているが、名前から姿が思い浮かばないと十分に楽しめない部分も一部あるので、図鑑があればそれで、なければネットで鳥の姿を確認しながら読んだ方がいいかもしれない。
例えば、ツメメドリとエトピリカを紹介している部分。
ツノメドリ:
「どうにもこうにも困り果てた、というようなその表情」
「ただひたすら困惑している。まいった、という風によめる」
エトピリカ:
「はっきり迷惑しています、と断言しているようである。だが、積極的に怒っている、というほどではない。」
「こちらでできることがあるなら何かいたしますが、と思わず手を差し伸べたくなるような」
表現だけでも面白いが、写真で姿を確認すると、笑い出してしまいそうになるくらい、この通りだった。
本書は渡り鳥の話が中心であるが、渡り鳥が縁で知り合った人の話もいくつか登場する。
その人との触れ合いを単純に楽しめるものもあるし、重い話も。
このあたり一筋縄ではいかなかった。
話は変わるが、本書を読んでいて、2001年のフランスのドキュメンタリー映画「WATARIDORI」を思い出した。
その中で空を飛んでいる鳥たちは、
「優雅に飛んでいる」
というより
「羽ばたいていないと落ちてしまう」
という感じで飛んでいた。
読んでいる時は、そんな鳥たちの姿が思い浮かんだ。
もう一度、「WATARIDORI」を見てみよう、と思う。
ところで、毎年、渡り鳥を見る度に思うことがある。
白鳥などの大型の鳥ならまだしも、ツグミやツバメのように比較的小さな鳥は、一体、どこに長距離を移動する力を持っているのだろう?
休みなしで一気に飛んでくる訳ではないにせよ、あんな体のどこにそんな力が?
それに、渡りを始める時と、帰る時は何がきっかけになるのだろう?
「ここが目的地」というのは、明確に認識しているのだろうか?
一度でいいから聞いてみたい。
この本の紹介文には
「この鳥たちが話してくれたら、それはきっと人間に負けないくらいの冒険譚になるに違いない」
とあるが、「人間に負けないくらい」どころの話ではないだろう。
今の時期、冬鳥の大半は北へ帰っている。
のんびり組のコガモなら、まだ日本にいるだろう。そして、もう少ししたら、今度はツバメがやってくる。
彼らを見かけたら、肩でも揉んであげようか。
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自然の中から自分を見つめる旅
2021/07/25 21:24
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投稿者:第一楽章 - この投稿者のレビュー一覧を見る
バードウォッチングを趣味にしている梨木さんが渡り鳥の姿を追いながら、鳥の「渡り」や人々の移動・移住について思索を巡らせる紀行文です。
「自分の庭に毎年来ているジョウビタキ(スズメほどの大きさ)が、実はいつも同じ個体で、夏にはシベリアにいるのだ、ということがわかったときの言うに言われぬ喜びは他を以って代え難いものだ。そのときに湧き起こるこの小さな他者への畏敬の念は、傲慢な人間であることの罪から、少し私を遠ざける気がする。」(P.96)
目の前の小鳥が危険を冒して何千キロも飛んでやってきたのだと思うと、見る目が変わるとともに、なぜそこまでして・・・と思わされます。
鳥に限らず、山の大きさ、星の輝き、海の広がり、震えるほどの森の暗さ、野生動物と対峙した時の不安感などなど、自然に触れることで、自分自身の小ささ、あるいは人間というものの生物としての弱さを再認識し謙虚さを取り戻せるように思います。自然という、はるかに大きなもの・ままならないものに向き合って自分自身を相対化、客観視することの大事さを思い出す1冊でした。
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鳥の渡りと人間の渡りと。
2020/08/03 16:15
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投稿者:タオミチル - この投稿者のレビュー一覧を見る
北海道からロシアへと、渡り鳥の飛来地を訪ね「鳥の渡り」を淡々と描く。ページをめくれど、作家は、その足跡を辿り、観察し、記録することばかりをつづけていて、少し戸惑う。しかし、それでも必死に作家の跡を追うように読み、やがて「人間の渡り」の話にたどり着いて、「ああ、ここか」と、作家が私に提示したかった世界をついに発見したような気になった。
第二次世界大戦中のアメリカで強制収容所に入れられた日系二世の悔しさとかむなしさとかが読み手のほうまで静かに伝わってくる話。ロシアの探検家ウラジミール・クラディエビッチ・アルセニエフと彼がもっとも信頼した案内人、猟師のデルスー・ウザラーの、ココロが自然とわくわくする話。移民や、開拓団や、探検とか。
何かを求めて渡ってゆくのは、鳥だけではなく、人も命を賭けて、海を越え、国境を越えて「渡ってゆくのだ」と繋がれば、鳥たちの渡りが非常に身近なものとして感じられた。
紙の本
カヤック、バードウォチングがしたくなる本
2018/10/28 02:45
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投稿者:まな - この投稿者のレビュー一覧を見る
趣味紹介の本よりも、断然カヤックやバードウォッチングがしたくなります!
読むにつれ、著者の渡り鳥や身の回りのものに向けるまなざしから紡がれる言葉の一つ一つが沁み入るようです。
子どもの頃は図鑑を読んだり、近所に棲む小動物や植物に目が行きがちだったのに、いつの間にか私にとって身近なもので無くなってしまったのだと気づかされます。そのことで、失われた視点があるということにも。
今や動植物に疎い私は、著者の感じていることをもっとより身近にとらえてみたいので、手頃そうなバードウォッチングから始めようかと考えています。
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ネイチャーライティング。
しっかりと根付いたものがなければ、渡ってはゆけない。生きることの厳しさ、だけれども超えてゆかねばならない道。
静かな中にも熱い火が点り、著者の伝えたいことが感情の波が押し寄せてくるようなエッセイ。なかなかに辛辣でまた違った一面を見る。
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渡り鳥や自然にまつわるエッセイ。
自然に分け入っていく楽しみが伝わってくる。
章の最後の丁寧な鳥の解説も、わくわくしながら読み入りました。
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渡りをする鳥たちの跡をおって、「案内人」の導きで北海道を歩く。
バードウォッチングの話かと思いきや、
それだけにとどまらない。
茸の話、戦争の話、それぞれの「案内人」に導かれ、その跡をおう。
広くて深い。
章のあとで、本文中に出てきた鳥について解説が書かれている。
それが、またいい。
「動物図鑑」にあるような学術的な無味乾燥な内容ではなくて、
観察をしている梨木香歩さんの個人的な思い入れも反映されています。
鳥にあまり関心がない人にとっては、とても分かりやすいし、
ほほえましい内容が、うれしい。
大好きな梨木香歩さんの作品です。
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梨木香歩のエッセイは難しいです。でもただ単に難しいのでなく、実に面白いんです。咀嚼するのに時間が掛かるだけ。それだけ読み応えのある1冊です。
渡り鳥の観察を通じて「渡るもの」たちへ想いを寄せる。単なる自然観察エッセイに留まらず、鳥たちの想いを想起し鳥たちへの畏敬の念と親近感を抱かせる。そして話は鳥たちに留まらず渡る(移民する)人々へも広がっていく。作者の観察眼が客観的でありながら、対象を自分の元へ引き込み想像たくましく想いを寄せる術が実に面白いんです。そのため、今まで興味を全くもっていなかった鳥たちをしっかりと感じることが出来ます。それはそれぞれの鳥たちの解説にも表れており、学術的な説明だけでなく作者の私的感想を織り交ぜているのがいいです。これが小説を成す作者ならではの表現なのでしょう。
作中にある「生物は帰りたい場所へ渡る」という言葉が印象的でした。これはきっと物理的な「場所」だけじゃないんでしょうね。
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鳥の渡りを追うエッセイ。この作者さんならではの濃やかな感性と観察眼がなんともいえず魅力的。わたしはエッセイに関してはあまりいい読者とは言えず、普段はもっぱら小説(それもフィクション)を主食として読んでいるのだけれど、この方に関してはむしろエッセイが小説以上に大好き(小説も好き)。
北方に渡る旅に発つオジロワシやオオワシに会うための、知床への旅。営巣中のオオワシを探す、カムチャッカへの旅。(鳥の渡りというものをその眼で実際に見るというのは、すごい体験だよなあ、と思うのだけれど、自分で真似してみるだけのガッツと資力がない……)
鳥たちそのものについての観察と思索はもちろんのこと、挿入される現地の人々のエピソードもまた印象深い。戦時中のアメリカの、忠誠登録とノーノーボーイの話。北海道の開拓民の話。アリューシャンを旅したときのカヤックの話が面白かった。地形のせいで次から次に押し寄せるはげしい波を乗り越えるために、昔のアリュートが作りあ上げていったカヤックには、十二個もの骨がついていて、前後の柔軟性とねじれ剛性を高めているという話。人々の暮らしと、そこに流れる時間。
ワタリガラスの神秘性、ヒヨドリの逞しさ、渡りをやめた鳥たち、公害に伴う鳥の減少。
本作のようにそれを主題にまとめたものでなくても、梨木さんのエッセイにはよく鳥の話が出てくる(それから植物のことも)。それを読むたびに、鳥を見ない自分を省みる。実際のところ昔より数は減っているにせよ、身近にも鳥たちがいないわけではない。耳を澄ませば声がするのに姿を見つけられず、声を聞いても名前がわからない。ああ自分は貧しい暮らしをしているのだなあ、と思う。金銭的なものではなく、心が。鳥の名前を知り、その渡りの航路を知って思いをめぐらせ、ああ今年もまた彼らがやってきたのだなと目を細めて暮らすことができたなら、どんなにか……と思う。
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渡り鳥をめぐる素晴らしい紀行記録。静謐な文章と澄んだ感情で記録されるその語りに、思わず感動せずにはいられない。
特に「道を違える」の章は心の深いところに届いた。福島潟に梨木さんが来ていたとは知らなかった。
この本を読んだ後、鳥を見る目が変わった。がんばってるんだな、お前ら。
北海道へ行きたくなること請け合いの1冊です。
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基本は渡り鳥たちを見に行く旅。だがその中には、生きること、還る場所のこと等と鳥を通した作者の考察が散りばめられている。自分の行き先を見失いやすい時代だからこそ、この本が渡り鳥が渡りの頼りとする星の位置のように、輝いている。
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渡り鳥の足跡を辿ったエッセイ。
鳥の生態や渡り鳥と関わる人、北海道の開拓の歴史、ロシアの探検家の案内人の話、太平洋戦争の時のノーノーボーイズの話など、ページ数の割に内容は多彩でいろいろなことを考えさせられます。
面白かったけど、梨木さんはエッセイよりも小説の方が好きだなぁ…と思いました。
2013.03.18
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可能であれば。
渡り鳥の飛行ルートや、各章末ごとに記載されている鳥の説明に挿絵などがあると良かったかなと思う。
梨木さんの文章は感性を鋭敏に働かせながらも、その中でできるだけ客観的であろうとしているところも好きなのだが、いかんせん鳥類に詳しくない人間が読む場合には、挿絵や図解があった方が分かりやすいと思う。
ま、自分で調べろってことか(笑)。
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梨木さんは筋金入りのバードウォッチャーなんですね。読んでると鳥に興味を持ってくる。かっこよさそう。知床も行ってみたいな。
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まさか梨木香歩に対して「かわいいい」ともだえる日が来るなんて思わなかった。
...何を言ってるんだ私は。
人間が生きることを、どこまでもまじめに、真摯に追求するのが梨木さんだ。うっかり通り過ぎてしまいそうな気持ちを拾い上げて形を与え、途方に暮れてしまう問いかけも少しずつ言葉を探して近づいてゆく。一緒に遠回りしていると、いつのまにかとても深いところへたどり着いている。そんな読書体験ができる。
「春になったら苺を摘みに」の文庫版の解説で「あまりにもすきを見せまいとする用心深さに、時折わずかな隔たりを感じる。もっと正直に自分をさらけ出したって大丈夫だ、梨木香歩なんだから。」というようなことが書かれているのを読んだ時、思わず心の中で反論した。
それがいいんじゃない、梨木さんは、と。
私含め断定を使いたがる人は多い。言い切ることは気持ちがいいし、わかりやすい。
でも、おのれ一人の意見のみで言い切ってしまえる事なんて、世の中にいくつあるんだろうか。考えるのをめんどうくさがっているだけじゃないか。
梨木さんは決めつけない。自分の中に沸いた気持ちにさえ、本当にそれだけか?と懐疑的な目を向ける。考え、悩むことを諦めない。だから梨木香歩は「信頼できる」と思う。上から目線にすぎるだろうが、そういうところが本当にいいなあと憧れ、読み続けている。
そんな私がこの本で一番好きなところ。
131頁、「カルガモ カモ目カモ科」の説明。
「カモ類には珍しく、雌雄がほとんど同色で(大抵のカモは雄の方が派手。オシドリの雌雄の違いは特に目立ち、到底同じ種には思えないほど)、見るたび、それでもちゃんと種は途絶えずにかわいい雛も生まれるのだという、感慨を新たにさせてくれる。」
あの梨木さんが、人を(鳥だが)、いじっている!
さらっと書かれているけど通勤電車で声をあげそうになった。「心の中では大騒ぎ」ですよ(P33参照)。
これは、愛だ。並々ならぬ愛を感じる。
ここだけではない。全般的にカモには遠慮がない。
「ヒマラヤの雪男をロシアの貴婦人に仕立てたような」鳥(ぜいたくな比喩!)、ミコアイサに出会った興奮で、
「定住の管理人、カルガモ、苦労もありましょうが、皆さんをよくおもてなしして」(P129)
カルガモ、お世話係に任命されました。親戚なみの気安さである。
「ホオジロガモ カモ目カモ科(略)頬に白斑のない雌までホオジロガモと呼ばれるのはどうだろう。ホオジロガモ家、ということか。屋号なのか。」(P133)
いや、何を言ってるんですか。(梨木さんに突っ込む日が来ようとは)
こんな楽しそうな梨木香歩を見たことがあるか。
そうかー、カモには気を許すのかー。
人類のことも忘れないでくださいね?と寂しくなるのはなんか違う気はするのだけれど。
というか、私が梨木香歩に夢を見すぎなのかもしれない。
現実の梨木さんは、そりゃいつも難しい顔をして考えごとばかりしているわけではないだろう。
本の中で軽口を叩き、目を輝かせて野鳥たちとたわむれる姿は、見た事がないほど楽しそうだった。
その一方で、これまで以上に大きな問いも立てられている。問題の深刻さに、圧倒されそうになってしまったりもする。
すぐに答えを出さない、ずっと悩み続けるということは、ものすごく疲れることだ。
梨木さんがあえてそれをするのは、大好きな鳥たちに関する大事に見てみぬふりをしたくないからかもしれない。
好きなもののことだからこそ、もしかしてもう取り返しがつかないかもしれなくても、目をそらさないのかもしれない。
梨木さんは人類に関しても、まだ諦めない。
まだ私達はもっと良くなれる可能性があると思い続けている(ようにしている)。
それは鳥に対するのと少し違うけど、人間にも愛を持っているから、ですよね?と思いたい。