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梨木さんは筋金入りのバードウォッチャーなんですね。読んでると鳥に興味を持ってくる。かっこよさそう。知床も行ってみたいな。
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まさか梨木香歩に対して「かわいいい」ともだえる日が来るなんて思わなかった。
...何を言ってるんだ私は。
人間が生きることを、どこまでもまじめに、真摯に追求するのが梨木さんだ。うっかり通り過ぎてしまいそうな気持ちを拾い上げて形を与え、途方に暮れてしまう問いかけも少しずつ言葉を探して近づいてゆく。一緒に遠回りしていると、いつのまにかとても深いところへたどり着いている。そんな読書体験ができる。
「春になったら苺を摘みに」の文庫版の解説で「あまりにもすきを見せまいとする用心深さに、時折わずかな隔たりを感じる。もっと正直に自分をさらけ出したって大丈夫だ、梨木香歩なんだから。」というようなことが書かれているのを読んだ時、思わず心の中で反論した。
それがいいんじゃない、梨木さんは、と。
私含め断定を使いたがる人は多い。言い切ることは気持ちがいいし、わかりやすい。
でも、おのれ一人の意見のみで言い切ってしまえる事なんて、世の中にいくつあるんだろうか。考えるのをめんどうくさがっているだけじゃないか。
梨木さんは決めつけない。自分の中に沸いた気持ちにさえ、本当にそれだけか?と懐疑的な目を向ける。考え、悩むことを諦めない。だから梨木香歩は「信頼できる」と思う。上から目線にすぎるだろうが、そういうところが本当にいいなあと憧れ、読み続けている。
そんな私がこの本で一番好きなところ。
131頁、「カルガモ カモ目カモ科」の説明。
「カモ類には珍しく、雌雄がほとんど同色で(大抵のカモは雄の方が派手。オシドリの雌雄の違いは特に目立ち、到底同じ種には思えないほど)、見るたび、それでもちゃんと種は途絶えずにかわいい雛も生まれるのだという、感慨を新たにさせてくれる。」
あの梨木さんが、人を(鳥だが)、いじっている!
さらっと書かれているけど通勤電車で声をあげそうになった。「心の中では大騒ぎ」ですよ(P33参照)。
これは、愛だ。並々ならぬ愛を感じる。
ここだけではない。全般的にカモには遠慮がない。
「ヒマラヤの雪男をロシアの貴婦人に仕立てたような」鳥(ぜいたくな比喩!)、ミコアイサに出会った興奮で、
「定住の管理人、カルガモ、苦労もありましょうが、皆さんをよくおもてなしして」(P129)
カルガモ、お世話係に任命されました。親戚なみの気安さである。
「ホオジロガモ カモ目カモ科(略)頬に白斑のない雌までホオジロガモと呼ばれるのはどうだろう。ホオジロガモ家、ということか。屋号なのか。」(P133)
いや、何を言ってるんですか。(梨木さんに突っ込む日が来ようとは)
こんな楽しそうな梨木香歩を見たことがあるか。
そうかー、カモには気を許すのかー。
人類のことも忘れないでくださいね?と寂しくなるのはなんか違う気はするのだけれど。
というか、私が梨木香歩に夢を見すぎなのかもしれない。
現実の梨木さんは、そりゃいつも難しい顔をして考えごとばかりしているわけではないだろう。
本の中で軽口を叩き、目を輝かせて野鳥たちとたわむれる姿は、見た事がないほど楽しそうだった。
その一方で、これまで以上に大きな問いも立てられている。問題の深刻さに、圧倒されそうになってしまったりもする。
すぐに答えを出さない、ずっと悩み続けるということは、ものすごく疲れることだ。
梨木さんがあえてそれをするのは、大好きな鳥たちに関する大事に見てみぬふりをしたくないからかもしれない。
好きなもののことだからこそ、もしかしてもう取り返しがつかないかもしれなくても、目をそらさないのかもしれない。
梨木さんは人類に関しても、まだ諦めない。
まだ私達はもっと良くなれる可能性があると思い続けている(ようにしている)。
それは鳥に対するのと少し違うけど、人間にも愛を持っているから、ですよね?と思いたい。
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環境問題とは何か。実は簡単ではないことを著者と共感する。
案内人という視点面白い。鳥たちにとっては太陽と星座だという!
ノーノーボーイ
侵略と越境。鳥の視力
門間あや子さんは私も好きになった
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エッセイ。
鳥の話だけでなくノーノーボーイと呼ばれる第二次世界大戦にアメリカで収容所に入っていた日系の人のことや
知床の開拓団の人々の話など
梨木さんらしい目線のエッセイだった。
書かれてる鳥の写真とかがあったらいいなって思う。
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渡り鳥を題材に、自然と人間との関わりや、人の在り方、物語についての考察が記されている。著者の、鳥たちへの眼差しがとても親密。ただ優しいだけでなく、まるで人間観察するように表情を読み取る。
文章は静かで濃密。読み進むうちに、心が静まるように感じる。
(2014.3)
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生物は帰りたい場所へ渡る。自分に適した場所。自分を迎えてくれる場所。自分が根を下ろせるかもしれない場所。本来自分が属しているはずの場所。還っていける場所。たとえそこが、今生では行ったことのない場所であっても。
生き物はみな、時が来れば渡ってゆく。その旅の途中で、力尽きるとしても。
命がけの旅をする鳥たちを追い、その足跡を訪ね、著者は知床、諏訪湖、カムチャツカへ――。わずか数百グラムから数千グラムの体に秘めた、旅立つ本能と衝動とは一体なにか。さらにそのまなざしは、海峡を越えて新天地へ、また故郷へと向かった人々の歴史へも向けられる。
あなたの庭に訪れる小鳥も、近所の池や川に飛来するカモたちも、命がけで海峡を渡り、大陸を横断し、奇跡的に辿り着いているいのちのひとつかもしれない。そう思うと彼らを見る目がかわりませんか?
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この鳥たちが話し掛けてくれたら、それはきっと人間に負けないくらいの冒険譚になるに違いない。
梨木香歩の2作目のネイチャーライティング。2011年読売文学賞受賞。
ネイチャーライティングというジャンルを読んだのも初めてでしたが、最初に手にしたのが梨木さんだったのがラッキーでした。
筋金入りのアクティブなバードウオッチャーな梨木さんの姿にも驚かされつつ、渡りを行う鳥たちの生体の先に旅の最中に出会った案内役の人々の様子や
移民、開拓者の人々の人生を見つめた内容はとても深く、また梨木さんの自然と他者への関心を強く感じた作品だった。
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「西の魔女が死んだ」の短編「渡りの一日」では、ほんの片鱗も見えなかった「渡り」への想いが、諏訪湖、新潟、知床、ウラジオストク、カムチャツカと「渡り」を取材するほど熱心だったとは。「からくりからくさ」で見えた、織物・デザイン・工芸への造詣にも負けないほど、知識・情熱も並々ならぬものを感じます。私の出身地も水鳥の越冬地で、通学で渡りの鳥たちを朝夕見て過ごしたのに、何とも知識の乏しい事か。改めて「渡り」について少し勉強してみようかという気になりました。
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梨木香歩の渡りの足跡を読みました。
バードウォッチングをテーマとしたエッセイでした。(ネイチャーライティングというらしい)
屈斜路湖、福島潟、ニセコ、諏訪湖、ウラジオストク、知床と言った場所で鳥たちの生態を記述しながら、「渡り」をテーマとした人々の物語が語られます。
アメリカの日系二世で強制収容所に入れられてしまった人たちの物語が、渡り鳥たちの渡りと重ね合わせて語られていきます。
サハリンの森の人「デスルー・ウザラー」の物語もおもしろく読みました。
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梨木さんのエッセイやノンフィクションを読むとなぜだろうかいつも気持ちがすっきりする。
なにかもやもやしているとき、自分が嫌でたまらなくなったとき、梨木さんの文庫本をパラパラめくり目に留まる部分を読んでみたりする。わたしは梨木さんのことが好きなのだなあとしみじみ思う。
さあこの本はどんな事が書いてあるのかしら
「渡り」をする鳥たちを観て感じたこと・・鳥に限らず「渡り」をした人たちとの関わり・・「渡り」ができない植物・・鳥たちや自然とともにある人たち・・
そして梨木さんの、梨木さんの中で柔らかく時に激しく衝突して生る(なる)思いが素晴らしい・・
とりわけ鳥たちに対する、語りかけや問い、感動、それぞれが直球で、梨木さんの可愛らしさが感じられ、とても幸せな気分になる。
鳥に限らず生きているものはその中に測り知れない命のリズムを持つ。この本を読んで、鳥のことがとても好きになり尊敬の感情が湧いた。でもそれは鳥に対してだけではなく命に対しての尊敬、と感じる。
きっと私もあなたも、素晴らしい鳥だ。
辛いなと思っても、
「個の体験はどこまでもその内側にたたみこまれて存在の内奥を穿ってゆく」(78頁より)
だからこの先も、命を諦めず生きていこうと思う。
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渡り鳥というとどの鳥もみな同じで十把一絡げみたいな印象になりますが、この作品に相応しい表現になると渡りの鳥とでも言えばよいのでしょうか。
渡りをする鳥たちや自然への作者の深い愛情や畏敬が感じられるしみじみした作品になっています。ですから、単なるバードウオッチングという点で成り立つものではなく、北海道を中心とした渡りの鳥たちの観察記録はネイチャーライテイングという多面的な要素を持つ作品であるというのもうなづけます。
梨木さんは海外での暮らしの経験もおありなので、鳥たちの大陸横断の旅をみつめる眼は彼女自身の持つ大陸的な雰囲気も相まっているように感じました。ところどころに色々な種類の鳥を、彼女自身が解説した文章も挿入されてあり鳥のことをよく知らない私でも興味を持っ読むことができました。その上、時にはエッセイ的な街角の人間ウオッチングと結びつけた文章もあり好奇心旺盛な彼女の一面を見た思いで好感が持てました。
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これはノンフィクション。
彼女が植物や鳥に造詣が深いことは知っていたけれど、渡り鳥を見るために何度も北海道を訪れていたとは知らなかった。
サロマ湖や長都沼は知っているけれど、チミケップ湖なんて北海道に住んでいても聞いたこともなかった。
とにかく彼女は自然が持つ力というものを絶対的に信じていて、人間が自然破壊をしたのも自然の意志かもしれないし、自然を回復しようとささやかながら努力することすらも自然の計算のうちかもしれない、と。
ここまで来たら、もう、自分が信じる行動をとるしかないよね。
太古の自然にもどすことは今さら不可能なのだから、無駄に自然を損なうことなどないように気を付けながら、文明の恩恵を享受するというのが、今のところの私のスタンスですが。
自然の前では人間同士はもちろんのこと、人間とほかの生き物の存在は平等であり、風や海流は世界中で命の流れを繋ぐものであるとするならば、それらをぞんざいに扱うことなど当然してはいけないこと。
けれど、ついそのことを忘れちゃうんだよね、私たち人間は。
自分だけ良ければいいなんて思っちゃって。
“太陽は、いくら礼を言っても足りないほどの、そう、神と言ってもいいほどの存在だったのだ。そのことは、私の日常からいつの間にか乖離していた。雨も、風も霧も、みな、必要とされ、過ぎれば脅威も与える。それが自分の生命を左右するものだという、その、生物として当たり前の感覚が、乖離していた。”
どんな環境でも、そこが自分の居場所と思い定めている生物がいる。
環境が変われば、それに合わせて自分を変えていく生物がいれば、自分の過ごしやすい場所を求めて移動する生物もいる。
梨木香歩は前者を植物の中に、後者を渡り鳥の中に見ているが、人間にだってそういうところはあるのではないか、と、外国に移民した日本人や北海道を開拓した人たちに思いをはせる。
自然の中にすっくと立って世の中を見る彼女の目は、ぶれない。
だから私は、ぶれそうになるとき彼女の本を手に取るのだ。かくあらんとして。
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知床の開拓は失敗例だった、というイメージを行政はつくりあげ、手つかずの大自然を売りに国立公園化したが、その背景には泣く泣く畑を手放した住人がいた。
戦時中、「ノーノーボーイ」だった日系アメリカ人。
移住者のイメージと渡り鳥のイメージが重なる。
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私には、梨木香歩さんの文章について
語れるほどの何も持ってはいない。
それでもちょっぴり
この本で分かったような気がすることを
かいつまんで紹介してレビューとしたい。
渡りの足跡を追う、梨木さんの立ち位置に
背筋が伸びる思いがする。
筆者は、種としての生きものを
きちんと意識しつつ、しきりに「個体」と
いう呼称を用いている。様々な鳥たちは
彼女にとって、個々に向き合い、自分という
人間の、生きものとしての品格を証明しようと
試みる相手なのかもしれない。
人もまた、渡る。
知床開拓団の1人だったあや子さんの言葉や
身振りを再現してみせる筆者の文章の、
それはそれは饒舌なこと。あや子さんのことが
好きでたまらないことが、梨木作品の愛読者には
間違いなく伝わるだろう。
人もまた、還る。
そこでしか生きられないという消極的な選択
ではなく、そこで生きるという確かで強いものを
心に燃やして。そこがまったく見たこともない場所であっても、生きると決めた場所へ…人も鳥も
還るのだ。
そんなふうにして見たこともない知床で生きると
決めた、あや子さんの言葉が大好きだ。
…人間って、行ったとこで、
生きていくなりのこと。
梨木香歩さんの作品には、梨木さんと梨木さんと向き合ったたくさんの生きもの(もちろん人間も含む)の生命エネルギーがぎゅうぎゅうに詰め込まれていると思う。
決まり切った言葉などで表現されてきた自然など
忘れてしまえ! 誰にともなくそう叫びたい。
季節感がどうだとか、閑静な趣きがどうだとか
言う前に、人間の先入観や予定調和で満たされた
心を解き放たなければ、私たちはいずれ、この
自然の中で個体としてその命を燃やす力を
失ってしまう。きっと。
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梨木さんの作品は植物の描写が素晴らしいので植物の造詣が深いのだろうなあと思ってましたが、鳥の知識もこれほどまでに豊富だとは知りませんでした。渡り鳥を見るために地方へ遠征までされていたのですね。観察者としての抑え気味の筆致の中に、時折擬人化していたりするあたりに鳥への深い愛情を感じます。私も、野山を歩くようになってもっと鳥のことを知りたいと思うようになり、動画サイトで検索してみたりもしてますが、まだまだ修行が足りないなあと実感しました。いつか、さらりと「〇〇の鳴き声だ」なんて言える人になりたいものです。