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今まで読んだ中で
一番痛いと思った小説。
光より常に先にある暗闇は
光速よりも速く進むって、
光がいくら速くても暗闇はいつも先に。
だから光を追う限り
終局に辿り着くことはない。*
世界に入り込んで、
わたしは、
そのままのルウを愛してた。
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ネビュラ賞受賞作。
自閉症の幼少期において治療可能になっている近未来。
自閉症者最後の世代であるルウが様々な困難を乗り越え、決断していく姿に打たれます。
訳者の方の力量が素晴らしい。
「アルジャーノンに花束を」の訳者、小尾美佐氏にも拍手です。
くらやみの速さはどれくらい?
天文学のパラドックス。
ルウの決断。
あなたはどう答えますか?
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帯に「21世紀のアルジャーノンに花束を」とあった気がする。
そのうえでレビューをすると、こちらの方が上だと思う。
幼少期であれば治療が行えるようになり、自らの世代以降には患者がいなくなった自閉症の主人公が送る日常、治療法が発見された時の彼の選択、そしてそのエピローグ。
「光が届く前に暗闇があるのであれば、光が届くときには暗闇がなければならない。とすると暗闇の速さはどれくらいなのか」という質問自体は決して難しくはない。しかし、答えることは難しい。
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自分や世界とは、脳が知覚してきたものの集積だとしたら、脳のパターン認識を変更してしまうことは、自分が自分でなくなってしまうことなのだろうか? 本書はそういったテーマを、近未来の治療を受けようとするべきかを迷う自閉症の主人公の主観視点による淡々とした日常の場面描写の中に描く。世界とは、その人の知覚したものによって様々な様相である、ということと、自分が自分でなくなってしまうこととは、成長や変化ととらえた場合ふつうに体験しうることでもある、ということを示唆してくれる。
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「あなたはほんとうに癒されたいのか」
自閉症をもつ主人公は、自分の特性を活かした仕事に就き、趣味を持ち、日常生活に苦労しながらも自分なりに楽しく生活している。
そんな時「自閉症を治す」治療法が開発されて…
印象深かったのが、
礼拝にて司祭が話す、ヨハネ書、癒しを求めてベテスタ池のほとりに横たわる男の話。
ベテスタ池には天使がやってきて水をかき回す。その間に池に入ることで癒されるという伝説がある。
そこに現れたイエスが、男に「あなたはほんとうに癒されたいのか」と尋ねる。
一見愚問にも見えるこの問いは、
「元気になりたいと望んでいるのか」
「水に身を浸すという特別な体験を望んでいるのか」
よく考えよ、と迫っていると司祭は説明する。
そこできょう私たちに投げかけられる問いとは、
「わたしたちは自分たちの命の中に聖霊の力が宿ることを望んでいますか、それともただ望んでいるふりをしているだけですか」
ということだと言う。
方法が目的になっていないか。
「毎日、あなたがたのまわりを、あらゆる場所を見まわしなさい。…自分に問いなさい、『わたしは癒されたいのか?』と。
そして、はい、と答えられない時ーなぜ答えられないのか問いなさい。…
あなたが癒される覚悟ができた時、あなたのすべての病が癒される準備ができるのです」
まずは自分の心にきくこと…思いがけないところからヒントをもらいました。
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売り文句は、21世紀版の「アルジャーノンに花束を」。
うん、その言葉に負けないだけの凄い作品です。
でも、読後の印象は、かなり違うものです。
以下、ネタバレありかもしれません。
http://asobo.littlestar.jp/rin/2011/12/03/%e6%88%91%e3%81%8c%e9%81%b8%e3%81%b3%e3%81%97%e3%81%93%e3%81%ae%e4%ba%ba%e7%94%9f/
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全600ページ。
フェンシングとか、
脳神経とか、
クラシック音楽とか、
宇宙とか。
他の人とのコミュニケーションが少しだけ苦手で、
他人の言動をちょっとだけ気にしすぎて、
極めて素直で真面目で純真な主人公の話。
"自閉症"って病気の名前がそもそもどうなのかとも思うが、
"ノーマル"って言い方がそもそもどうなのかとも思うが、
世間では"ノーマル"ではないとされていると本の中では描かれている
"自閉症"の人たちの話。
『アルジャーノンに花束を』よりは現代的で読みやすかった。
とはいえ外国の作品なので、
特有の雰囲気はあるけれど。
最後の50ページぐらいがなかなか考えさせられた。
本のタイトルも深い意味。
文庫本のくせに1000円もしやがるが、
その価値はある。
素晴らしい本だと思う。
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題名にひかれて図書館で。、、よみづらい、長文、元気じゃないと読みきれなかったかも。ラストがあまりにあっさりです。
「アルジャーノン」とは比べるべくも無く。
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一体何が“普通(ノーマル)”で、何が幸せなんだろうと考えさせられた。ルウにとって自閉症の治療をしたことは幸せだったのだろうか、と悶々としてしまう。
暗闇と呼ばれるものは宇宙であり、未来であり、未知の・未踏の世界と考えると、それを「いつもそこで待っている」と言い表すところにぐっときた。見えないからこそ怖くても勇気を出して飛び込む価値があるのだと、ルウは意図せず教えてくれたのかもしれない。
タイトルが秀逸。詩的でうつくしい。
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結末は悲しかった。私には。
なぜかな~と考えてみても、はっきりとした答えはわからない。
人間だれしも変わりうるものだと思う。
そういう意味では悲しくなる理由はない。
自閉症を治療するということが悲しいのか?
でも辛さを抱えているのはあくまで自閉症の人たち本人であって。
あとはリスクの大きさとかかな。
でも医療の世界では、リスクをとるか、可能性にかけるか、
という治療はたくさん存在するのだろう。
そのリスクが、命を落とすことではなく、
別人になってしまうかもしれないというところの違い?
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この作品は「21世紀版『アルジャーノンに花束を』」と評されているらしい。確かに粗筋を書き出せば似ていると言えるが、実際の印象は異なる。
「アルジャーノン~」のチャーリーは作中で早々に手術を受け、その結果変貌していく彼の世界を描いている。一方、この「くらやみ~」は、そもそもその手術を受けるか否か、という前段階を描くことが中心。現在の生活をルウの目を通して細やかに描くことで、読者も彼の葛藤を共に味わうことになる。
自閉症について、私は全くと言っていいほど知識がない。だがこの本を読むにあたってそれはマイナスにはならなかった。むしろ何の知識もない状態で読んだため、すとんと落ちてくる部分も多かったかもしれない。勿論この作品はフィクションだし、自閉症者の方から見て、完全に正しい描写ではないとは思うが。
作品の殆どをルウの日常描写に割いているのは、彼の人となりを伝えたうえで、あのラストに読者を導くためだったのだろう。
主人公で語り手のルウは、とても魅力的な人物だ。自閉症者ゆえの色々な困難を抱えながらも、彼は一生懸命それを乗り越えようとする。自分の殻にこもることなく、「ノーマル」達と関わり、常に成長しようとしている彼の姿はとても眩しい。
だからこそ、あの結末には胸が痛んだ。
多分私の気持ちは、トムやマージョリと同じ種類のものだろう。ルウはそれまでの自分を脱ぎ捨てて、歩み去ってしまった。かつての彼の思い出と共に取り残された自分は、どうしようもない切なさで満たされている。
でも一方で、前ルウを失ったことが悲しいっていうのは傲慢だよなあとも思う。
だってルウは今の方が楽しそうだから。今の方がずっと生きやすそうだから。
それはつまり、前のルウだと生き辛い世の中だからなんだよな。
そんな中で「変わらないで欲しい」というのは、周囲のエゴでしかない。「今のあなたのままでいてほしい」、と言うなら、その相手が「今の」ままでいられる環境を整えなければいけないのだろう。
作中、犯罪者への刑罰について軽く触れられているところがある。その内容にはかなりぞっとしたが、よくよく考えてみれば、ルウ達が施された「自閉症者への治療」と称した手術と何が違うというのだろう。「ノーマル」が営む生活に「適応」させるためにと考えれば、両者は結局同じことだ。
「ノーマル」って一体何なんだろうな、と読みながらずっと考えていた。その答えは見つかってないし、多分見つからないと思う。でも、考え続けなければいけないのだろう。
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もしくらやみに速さがなく、そこに停滞するものだとしたら、光はくらやみの場所を奪ったことになるのかもしれない。
そんなことを考え始めると、結末がまた違う形で見えてきた。
ルウは好きだし、その選択も否定はできないけど、トムに共感してしまうなあ…。
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SF。自閉症が治療可能になった近未来。自閉症最後の世代である主人公ルウ。友人や同僚との交流を通してルウの視点が細やかに描かれる。
正常(ノーマル)ではないと言われ、ふつうになれと言われ続けて、しかしどうすればよいのか分からないという状態はつらいなあ。
訳が丁寧で読みやすい。宣伝に使われている21世紀版『アルジャーノンに花束を』というのは違うと思う。
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SFですが、発達障害がどんなものなのかを教えてくれる作品としてオススメです。
内容は、「自閉症」の主人公「ルウ」の日常生活や仕事や人間関係などが、ルウの視点からと第三者の視点から語られています。起承転結の転は、『アルジャーノンに花束を』を彷彿させるものになっています。
発達障害(作品中では「自閉症」解説文では「アスペルガー」とされてます)の方が外界や人間関係を内的にどんな感覚で体験しているのか、がきめ細やかにリアルに表現されていて、その体験世界に引き込まれます。。。
解説文をみると、作者の息子さんが自閉症であるとの説明があり、細やかで実感的な描写がどこからくるものか、腑に落ちるような気がします。
臨床心理の方はもちろん、発達障害の方と接する教育・福祉・援助活動に関わる方々とも、この本について語り合いたいよう気がします。
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"enlightenment"
無知の闇にもたらされる光、その光はどこから、誰の意志でもたらされるのか?あるいは誰の望みで?
知識は力である。自我の在り様は力ではなく意志である、と思う。
あと警察のひとたちが良い人ばかりできゅんとした。