紙の本
読み終わると悲しい
2024/02/17 01:15
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投稿者:恵恵恵 - この投稿者のレビュー一覧を見る
フェンシング仲間の人たちはロスになってると思うとかわいそう。とくにlost love。。。になってると思うとかわいそう。
ハッピーエンドっぽいとも感じるけど残された方の気持ちを考えるとなんか悲しい。
変化は悲しい。。。
成長は悲しい。。。
好きなようにしたらいいけどなんか悲しい
なんか文章が難しくて進むのが大変だった。
電子書籍
近未来
2023/05/03 22:40
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投稿者:エムチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
未来では、自閉症の治療が可能になっています。しかし…、子供時代にその治療が行われないと、自閉症のまま大人になってしまいます。その大人が……という展開ですが……。近未来小説としては、上位だと。
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自分が思う自分、他人が形作る自分、望む自分の姿
過去に残してきたもの、暗闇の先に夢見るもの
守るか、進むか。
言われる程、アルジャーノンとは思わない。
あっちは変化してから、こちらは今ある姿で
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文庫本で600ページあまりの長編ですが、二日でいっきに読み通しました。『アルジャーノンに花束を』の訳者でもある小尾芙佐さんの翻訳もすばらしいです。
解説の大野万紀さんがコメントしているように、主人公のルウは自閉症スペクトラムの中でも高機能で、アスペルガー症候群と言ってもよいと思うのですが、自閉症者の視点から見えてくるこの社会のありようが痛切に伝わってきます。自閉症を〈治す〉ということがどういうことなのかを深く考えさせる小説でもあります。
物語の最後で自閉症の治療に〈成功〉した主人公。それは以前の自分を失うのではなく、新しい自分を獲得することでもありました。それは、ハッピーエンドといってもよいのでしょうが、正直なところ、私はすぐにはそれをのみこめないでいます。
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SFです。ですがいわゆる宇宙だなんだというものではなくあの 『アルジャーノンに花束を』 の21世紀版、と評されたネビュラ賞受賞作です。解説の人も書いていましたがどんな人でも程度の差はあれど多かれ少なかれ世の中や他人とうまく折り合いをつけるのにぎくしゃくしたり悩んだりしているもので、そういう視点からするとこの本のルウの考えを読んでいるとああわかるわかる、と身につまされることも多かったです。
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この本のようなできごと──過去の自分と現在の自分との乖離──は我々にも充分起こり得る。たとえば、かつて中二病だった自分とそうではない自分と言うかたちで。
では、その場合、過去の自分とどうやって向き合っていけばいいのか、というようなことを考えさせられる1冊だった。
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7/24/01/09
ぼくは主人公の下した結論、そして結果に切なさと嬉しさを感じた。
でも、自分が変化するとき、何かを成し遂げようとするとき、喜びとももに、切なさやや寂しさを感じるのだろうと思う。その比重は時によって変わる。気づかないほどに小さいときもあれば、胸を劈くようなときもあるだろう。
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彼女は,愚鈍な子供を相手にするように私に話しかける。私が大仰な言葉を(と彼女は言う)使うのを嫌い,言いたいことはもっと簡単な言葉で述べなさいと言う。
私が言いたいのは,暗闇の速度は光の速度と同じくらい興味深いものだということで,ことによると暗闇の速度のほうが早いのかもしれないし,だれかがそのことをはっけんするかもしれないということだ。
私が言いたいのは,重力のこと,もし重力が二倍の世界があるとすると,その世界では扇風機が送り出す風はもっと強いものだろう,なぜかというと空気が濃密だから,ナプキンを吹きとばすだけでなく,コップをテーブルから吹きとばすほど強いかもしれないということだ。あるいは大きな重力というものは,コップをテーブルの上にしっかりと固着させて,もっと強い風でもそれを動かせない,ということだ。
私が言いたいのは,この世界は大きくて恐ろしくて騒々しくて狂っていて,でもとても美しい,でも嵐のまっただなかにいるということだ。
(本文p.13)
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間違いなく今年読んだ本のベスト10に入ります。アルジャーノンと比較されがちですが、こっちのほうが数段いいです。
ダウン症が治る時代、そこからエアポケットのようにこぼれおちた人たちがどういう選択をするのか・・・最期まで読まずに本を手放せません。
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訳者が「アルジャーノンに花束を」と同じ小尾芙佐なので、21世紀版と評されても不思議と腹が立たない。
自閉症者ルウの視点とそれを取り囲む人たちの視点が交互にテンポよく語られる。
自閉症である自分と自閉症が完治した自分。それは果たして同じ自分?新しい治療により正常に戻れるというが、正常とはいったい何だ?
* * *
抑うつ状態だった自分は薬を飲み正常に戻ることを選択した。勤めていた会社も辞めた。これも自分で選択したことだ。そうしないことだってできたのだ。
人生とは暗闇を手探りで進むようなものだ。そしてその先には死という終局が待っている。それに向かってある一定のパターンに当てはめることもできるかもしれない。ただそこに向かう経路はひとつではないはずだ。パターンは自分で選択できるはずだ。ただ宿命に流されて光差す湖のほとりで癒しを待つのではない。僕という暗闇は横たわってるだけでない。鬱という闇の深淵から光明を求めて旅に出る。ただじっと待っていても朝日は昇るかもしれない。でも僕は事象の地平線を朝日に向かって歩き出すのだ。新しいアイデンティティを手に入れるために。
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ネビュラ賞を受賞したと帯にあったので読んでみました。梶尾さんも推薦文章書いてらしたしね。
確かにアルジャーノンに花束をを彷彿させます。それは仕方がない。ただ主人公が自分と言うものに対して変わってしまったらそれは自分なのか。正常と障害を持つ自分とは何が違うのか。(正直ドンやクレンショウ氏の方が異常に見える場面が多々ありますし…)そして自身を変えることを受け入れられるのか。そう言った深い問題にゆっくりと真摯に向き合う様が自分はこんなに深く真剣に向き合えるだろうか、と考えさせられることが暫しありました。
人と自分の物事や世界に対する受け止め方は同じではないですが違う受け止め方をする人もいるということ。完全には受け入れられていない世界でそれでも居心地の良い場所を探して生きていくのか。それとも変化してリスクを負うのか。
色々と考えました。とても深い作品だと思います。読んでよかったです。
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自閉症が幼児期の治療で治る世界。生まれた頃に治療が確立していなかったせいで自閉症として社会を生きるルゥのもとに、成人の自閉症治療の試行の話がやってくる。障害だけを自分から取り除くことなどできるのだろうか。障害すらも自分のものとして生きていくより他に自分の同一性を守る方法はないのではないか。ルゥや周囲の人々の思いは絡み、そしてひとつの結論に至る。
「障害」に対して蔑むでもなく天使扱いするでもなく丁度いい距離感。ルゥの言葉がとても興味深い。
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考え方、感覚、好きなこと、嫌いなこと、コントロールできる部分とできない部分。自分が自分自身であるということ、自分ではなくなるということ。その線引きはどこでしたらいいのか。アイデンティティっていうのはどうやって確立したらいいのか。難しいし答えがないのかもしれないし、普段はそんなことよりも先に考えなければいけないことがいっぱいある。だけどふとした瞬間に、少しずつ意識をして自分なりの考えがもてたらいい。「ここからが私だ」と。
そしてできれば、ルウのように変化を恐れず、どんなふうになった自分でも受け入れる覚悟ができたらいい。いつか。
読みやすく、温かく、忘れられない小説になると思う。
「私はきょう、自分の無秩序な過度の感覚を楽しむ必要がある、来週のいまごろそれらは失われているかもしれない。そのときどんな感覚が生まれようと、それが楽しめるようにと願う。」
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「タイトル」と「表紙イラスト」と「自閉症というワード」に反応して購入しました。
悲しい言葉がポツポツ並んでいても、かすかな希望の感じられる…そんな印象を持ちました。文庫一冊にしてはかなりの長文ですが、引き込まれる様にして一気に読む事が出来ます。それほど魅力的な一冊(^-^)
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自閉症の治療が可能になった近未来。幼児期に行えば完全に、青年期であれば軽度(アスペルガーに近い)に抑えられる。
主人公ルゥは軽度の自閉症ながら、その特徴である高度なパターン認識能力を活かした適職に就いている。そこへ、青年でも自閉症を完全治療できる新たな治療法のニュースが入り、勤める会社から被験者になるよう命じられる。
ルゥは葛藤する。「健常者」になりたい。しかし、そうすればアイデンティティを失ってしまうのでは……。自閉症者でも、好きな仕事、趣味、異性と充実した日々を送ることはできる。「健常者」になるのは、それほど望ましいことなのか……。治療をめぐる、周囲との交流や衝突を経て、ルゥの下した決断とは……。
21世紀版『アルジャーノンの花束』。
『「暗闇は光がないところのものです……光がまだそこに来ていませんから。暗闇はもっと速いのかもしれない――いつも光より先にあるから」』