紙の本
ソビエト連邦時代の「記憶」
2023/02/13 14:03
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ソ連崩壊後から20年にわたり、ソ連を生きた人々にインタビューし、その声をまとめた大部な一冊。
分厚さと内容の重苦しさから、これまでの著者の作品と比べてもとっつきにくかった。
ソ連時代やソ連崩壊後の体験というものは、「西側諸国」を生きた人間にとっては戦争や原発事故よりも、もっ遠くにあるのではないだろうか。
しかし、他の作品同様、さまざまな立場の人のさまざまな声を収めてあり、一つ一つの声を読み進めると、そこに不自然さはない。ある意味特異な時代を生きた人々だが、自分たちと同じ普通の人間であると気づく。遠い存在であったソ連とは何だったのかが、おぼろげながら見えてくる。
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さすがにドストエフスキーの国の話らしく、読んでいる間は鬱々として愉しまず、時おり挿まれる笑い話は苦みが過ぎて笑えず、読語の感想は決して愉快とはいえない。しかし、景気悪化がいっこうに留まることなく、それとともに戦前回帰の色が濃くなる一方の、この国に住んでいる身としては読んでおいた方がいい本なのかもしれない。副題は「『赤い国」を生きた人々」。歴史的にも何かと因縁のある国でありながら、戦後アメリカ一辺倒でやってきた日本にとって、ソ連、そして最近のロシアという国は、近くて遠い国といって間違いはないだろう。
筆者は、昨年(2015年)のノーベル文学賞受賞者で旧ソヴィエト連邦ウクライナ共和国生まれ。このぶあつい書物は、テープ・レコーダーを肩にかつぎ、街頭や個人の家に出向いては無数の人々の声を録音してきたインタビューを文章に起こしたもの。文中にたびたび(沈黙)、と記されているように、筆者は聞き役に徹し、ほぼ相手の話した通り忠実に書き起こしたものと思われる。それだけに、読みやすくはない。内容が内容だけに、感情的になりがちな話し手の息づかいまで聞こえてくるような書きぶりに、こちらのほうまで息苦しくなってくる。
タイトルにある「セカンドハンド」とは、中古品のことで一昔前には、それを略した「セコハン」という言葉はあたりまえのように使われていたものだ。では何がセカンドハンドなのか。ゴルバチョフ主導により行われたペレストロイカ以後、共産主義国家であったソヴィエト連邦が崩壊し、ゴルバチョフの後を受けたエリツィンにより、かつてのソ連はロシア連邦となって資本主義国家への道を踏み出した。しかし、民主主義や自由という言葉にあこがれ、よりよい生活を夢見ていた人々を襲ったのは、失職、預金封鎖、ハイパー・インフレの嵐だった。
かつては技師や研究者であった人々が、国家の方針転換で職をなくし、食べ物を手に入れるために、物売りや清掃人の仕事をして食いつながなければならなかった。そして、その子どもたちの時代、現代ではスターリンの肖像をプリンしたTシャツを着た若者の姿が目立つという。かつて、目にしたものが、批判され打倒されたはずのものがいつの間にか復権し、大手を振って町を席巻している。昔を知る人々にとっては、まるで美しく輝いていた共産主義が中古品になって出回っているという気にもなる。タイトルの由来である。
それにしてもである。人々の口にする言葉が画一的というか、人はちがっていてもまるで同じフレーズを唱えることに驚く。ペレストロイカで皆が夢見たものはソーセージ、それにジーンズ。そして、一時期の混乱を経て、今、ソーセージは確かに街に氾濫しているが、人々の頭にあるのはカネ、カネ、カネだ。人よりうまくやって金を得ることが何よりも大事なことになった。キイチゴ色のスーツを着て、金の鎖をじゃらつかせ、メルセデスに乗った勝ち組が大通りを闊歩する。
昔はこうではなかった。みんな貧しかったが、そのかわり大金持ちが威張りくさるということもなかった。スターリンは偉大だった。ソヴィエトは立派な大国だった。ゴルバチョフは、CIAの手先で、ユダヤ人���ちに国を売り渡してしまった。あの偉大なソヴィエト連邦は、一発のミサイルも撃つことなしに共産主義国家を雲散霧消させてしまった。91年のクーデターを阻止するため、広場に集まった人々の口にする言葉は、みなおどろくほど似かよっている。
インタビューに応じる多くが、当時のインテリ階級で共産主義の理念に賛同し、熱心に活動してきた人たちだ。文学好きで、チェーホフやプーシキンの全集を備え、劇場に足を運び、舞台を楽しんでいた人々が、ペレストロイカ以後は、生きるために、まずは食べる物を獲得することに自分の全エネルギーを費やすことになる。その空しさを、切々と訴えるのだが、子どもたちには理解してもらえない。ジェネレーション・ギャップは、世界共通でもあろうが、彼らの言うように互いが異なる国に住んでいるというほどの認識までにはさすがに至らないだろう。
べネディクト・アンダーソンによれば、国家とは「想像の共同体」であって、地政学的な概念ではない。そういう意味では、かつてのソヴィエト連邦と、現在のロシア連邦は地理的には共通する部分が多いが、同じモスクワに住んでいても、ソ連当時のモスクワに暮らしていた人々と、現在のモスクワに住む人々は、まったく異なる国の国民であるといえる。ずっと故郷を離れていたモスクワっ子が、ペレストロイカ後のモスクワを見てその様変わりに「ここはモスクワではない」とつぶやいても無理はないのだ。
軍によるクーデターを阻止した人々が狂喜の後、激しい落胆に襲われた理由は、民主主義は突然やってきたりはしないということだった。ヨーロッパは二百年にわたって民主主義を育んできた。ロシアは、一朝一夕には変わらない。アメリカとの軍拡競争に明け暮れ、リベットを打って兵器を作ってきた多くの工場や研究所の閉鎖は大量の失業者を生んだ。おまけに軍縮はこれも大量の失業軍人を輩出した。「自動小銃と戦車しか知らない男たち」は、なすすべもなくウオッカを飲んで女を殴った。
政府の上層部は、共産主義を廃止すれば、民主主義や資本主義が、自然成立するとでも考えていたのだろうか。目端の利いた者が早いもの勝ちにパイを奪い合い、かつてそれなりの秩序の下にあったロシアは、ならず者が力で牛耳る国家になり果ててしまう。目を覆いたくなるような悲惨な状況が、次から次へと語り継がれる。まるで悲劇的作風の短篇小説を大量に集めたものを読まされている感じだ。しかし、これは小説ではなく事実。KGB出身のプーチンが、それなりの支持を得たのは曲がりなりにも治安を回復させたことにある。
西側からは歓喜の声を持って迎えられたペレストロイカの実態が、かくまでひどいものだったのかと、改めて思い知らされた次第。煮え湯を飲まされた世代と、過渡期の地獄を知らない世代にとってスターリンは英雄なのかもしれない。第二次世界大戦の生き残りは言う。「スターリンのことを悪く言うが、スターリンがヒトラーに勝利しなかったらロシアはどうなっていたんだ」と。年よりは、スターリニズムの恐怖を知らないわけではない。彼らは彼らの国家の夢をいまだに見ているのだ。想像の共同体である偉大なロシアの夢を。
国家が想像の共同体であるなら、この国にだって憲法に象徴される戦後民主主義の理念を共有する人々の共同体がある一方、戦前の価値観をセカンドハンドで手に入れ、ほこりをかぶったそれを今風に飾り立ててさも素晴らしいものであるように見せる人々がいる。この国もまたセカンドハンドの時代に入りつつあるのではないか。とても他山の石として見過ごせるような本ではない。
全編を通じて感じるのは、人々の語彙が単色であることだ。何人の人の口から唯物的な暮らしを意味するものとして「ソーセージ」という単語が出るか。新興成金の着る服はみな「キイチゴ色」で、他の色はない。言葉がプロパガンダ化しているのだ。この同調圧力の強さは、いったん戦時ともなれば強みだろうが、事態の急変を乗り切る際には弱みとなろう。レミングの暴走と化すのだから。この本から学ぶことがあるとすれば、そこではないか。道を誤らないためには、他人任せにせず、自分の目や耳をつかって、今起きていることを自分の言葉で語り、書きとめていく必要がある。それを反語的に教えてくれているのがこの本ではないのだろうか。
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資本主義の国に生まれていて良かったと思いました。共産主義思想にどっぷり浸かっているソ連の人は、共産主義は素晴らしい、レーニン万歳!なのでしょうが、私からすれば夢も希望もない国です。おのれの人生は国の体制に翻弄されるばかり。そして、チェチェンで起こったことは、残虐の限りを尽くした報復の嵐であり、完全に人間性を喪失している。このように恐怖が染みついたロシアの外交は、想像を絶する冷淡さを内包していると思います。日本の外交は歯が立たないのではないかと危惧いたします。
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前半はソビエトを懐かしむインタビューが多い。社会主義の頃はとんでもない金持ちはいなく年寄りは自分の年金だけで暮らせてた。。。
「今は何を読んでいるの?」が挨拶だったり、詩人の朗読会にスタジアムがいっぱいになったり、資本主義以前のソ連の様子は「こんな世界もできるんだ」というかんじ。見習う面もあるのでは?亡くなった母が新聞の切り抜きを本棚いっぱいにためて、どの記事もたくさん線が引いてあるとか、レベル高い。でも密告とか情報統制は恐ろしい。
後半は戦争の話ばかりで、しかも自分の家に敵が来て虐殺されたり、強姦されたり、隣の人が家財道具を盗んでいったり、日本にはない恐ろしい記憶の数々が何人もの言葉で語られる。
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http://blog.goo.ne.jp/abcde1944/e/bdd347aa697169bb8223cce8413cc3e8
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ソビエト崩壊から現代ロシアにいたるまでのやく20年余りを生きた・生きている人たちからの聞き書き。第二次大戦を戦った人から、ソ連時代の記憶がない人まで、膨大な人たちの語りの記録。盗聴されたくない話をするときはラジオの音を最大にするとか、党員証を返却されたり夜中に投げ込まれたと思いきや、解散して発行できなくなる前に早く出してくれと頼まれた党幹部(というより地域の役員的なポジションぽいですが)の話だったり、細かな息遣いがつまった持ち運ぶのに困るぐらいの大著。やっぱりこれは文学なんだろう。
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ソ連崩壊後のロシアとは、明治初年度の没落士族たちがアル・カポネ支配下のシカゴに放り込まれたようなものだということがまことによく分かる。
著者は2015年のノーベル文学賞受賞者。
祖国ベラルーシやロシアでは危険人物扱いされて不自由を強いられているだけに、この賞もまだまだ捨てたものではないとあらためて思う。
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ちょうどワールドカップロシア大会が始まったばかりだけれど、これを読んだ後では、ちょっと複雑な気持ちである。
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1991年、ソ連邦崩壊。世界史年表にしたらたったこれだけの
文字数で済んでしまう。だが、その1行は多くの人々の生活を
根底から変えた。
これまでの価値観を180度変えてしまった「20世紀の実験場」
の崩壊は、市井の人々に何をもたらしたのか。「赤い国」を
生きた普通の声を集めたのが本書だ。
国ががらりと姿を変える。今まで「悪」とされて来たことが「善」
となり、「善」とされてきたことが「悪」となる。資本主義への
移行期間に、金儲けのチャンスを見出す人もいれば、ソ連時代の
価値観を捨て去ることへの感傷を抱え込む人もいる。
ソ連はユートピアのはずだった。アダムとイブが住んでいたのは
ソ連ではないのか?と言われるくらい。何故なら、着る物もなく、
食べる物もリンゴしかないのに、自分たちを幸福だと思っていた
から・・。あ、これはアネクドートだったわ。
社会主義から資本主義への転換。それがもたらしたのはハイパー
インフレと紙くず同然となったルーブル紙幣。そして、混乱の
どさくさに紛れて国営企業を手中にし、大金を懐にしたオリガ
ルヒと呼ばれる新興財閥の台頭だった。
「ロシアには強い腕が必要なんです。鉄の腕が。ムチを持った
監視者が。だから、スターリンは偉大なんですよ!」
このように語る人がいる。だから、ロシアはプーチンを選んだ。
再び「強いロシア」を実現してくれる指導者を求めて。
「あの頃は良かった」。実際にはデストピアだったソ連を、懐かし
み、「あの時代」に戻ることを希求する人のなんと多いことか。
以前、ルーマニアでもチャウシェスク時代を「あの頃は良かった」
と懐古する人たちが現われたのも、ソ連を懐かしむことと同じな
のかもしれない。
政治が、経済が、生活が、がらりと変わってしまったら誰でも
「昔に戻りたい」と感じるものなのだろうね。
ただ、近年の日本で「大日本帝国よ、もう一度」と夢見ている人
とは似て非なるものだとは思う。
600ページを超える大作だが、ひとつの国歌が体制を変化を余儀なく
された時、人々は何を感じ、何を思っていたのかを知ることの出来る
良書である。
尚、本書の著者がノーベル文学賞を受賞してから、日本でも岩波現代
文庫で作品が出ている。私がどうしても読みたい『アフガン帰還兵
の証言』も復刊してくれないだろうか。
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今まであたりまえのように暮らしていた生活が、日常の小さな喜びすら味わうことができないほどに一変する現実に向き合ったとき、わたしたちはどうやって生きていくのだろう?ましてや、それが自分や家族の生存すら危うくなるような現実だとしたら。
今わたしたちは、パンデミックという世界の誰もが経験したことのないような現実を目の前にしている。今までどおりに生活できない息苦しさも感じている。おそらく、パンデミック後の世界は、今までとは違った世界になるにちがいない。つまりは、それまでの世界が「セカンドハンド」となるのだ。
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ユートピア5部作の中で1番読むの大変だった。ソ連の体制分からない(汗)
望みはブラジャーとジーパンだったのに、人生全てを捧げて作り上げた国が消えて、残されたのは紙屑同然になった貯金と自己責任。
ロシアで今もソ連を懐かしむ人達がいるのが理解できなかったけど、これ読んで納得しました。
巨大なドーナツを皆で切り分けて穴をつかまされたって表現が的を得て妙。
誰でもバレエのチケットが振り分けられ、詩人の朗読を聴くためにドームが満杯になるって凄い。
でもやっぱり、密告と収容所がまかり通る世界はいかん。
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他人を見ると、寂しいそう、とか可哀想だとか、こっちが勝手に想像するけど、それをしてはいけない。その人の気持ち、わかるかい、わかるわけがない。
ソヴィエト社会主義共和国連邦。ソ連。
日本の僕から見れば、やはり共産主義や社会主義は理想、気持ちよく暮らしているのだろうと思っていた。北の方だから寒いだけがネックだろうと思ってた。実は違ってた。
今、それは中華民国、中国でのことだろう。
共産党員、金持ち、以外の中華民国の人々は、筆舌に尽くし難い苦渋があるのだろうと想像するが、それは想像でしかなく、悪いんだけど、対岸の話なのだ。
何度も思うけど、援助するには、僕は手が足りなずぎる。
で、自分が誠実に理性的行動で生きるしかない。
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共産主義下で生きてきた人びとへのソ連崩壊直後から20年以上にわたるインタビュー集。著者のライフワーク「ユートピアの声」完結作。
この2月からロシア発信の報道にまるでWWⅡ当時の過去に生きているような違和感を感じ、手に取りました。
WWⅡの「大祖国戦争」、彼らにとってWWⅡはファシストに打ち勝った偉大な国としての勝利、それを支えに生きてきたのに、結局は資本主義になにもかも奪われた、というのがペレストロイカ。
第1部は1991~2001年、第2部は2002年~2012年の2部構成。話し手やその親族の実体験が多く語られていて辛い内容も多いです。特に第1部のWWⅡから戻った人々の経験は凄惨です。例えば、
・捕虜交換で戻れても裏切り者と見なされ収容所に6年行かされ、家族の元に戻ってきたときには全身凍傷。
戦争中、ドイツ人が村にやってきてユダヤ人はみな殺し。戦後、占領下にいた人間は要注意人物とみなされた。
第2部はナゴルノ・カラバフや2004年地下鉄テロ、チェチェン、2010年ベラルーシ大統領選挙のデモなど、近年の雰囲気を感じることができます。
ソ連、ロシアでは、「偉大(な国)」や「英雄」がキーワードなのか本書では複数回出てきますが、私が思い浮かべる「偉大」や「英雄」のイメージとはまったく違いました。
読んで思うことは「知ることはできた。」です。理解や共感することはとても難しい。私の「幸せ」と彼らの「幸せ」はたぶん定義が違うのでは?というのが感想です。
2015年に『死に魅入られた人びと―ソ連崩壊と自殺者の記録』(ロシアでは1994年発行)を読み、内容が一部重複している本書もいつか読もうと思っていました。1994年から約20年経った2013年、ロシアで本書が発行され、冒頭部分「社会にソ連邦の需要が生まれた。」(P11)などから1994年と2013年、ロシアの空気が変わったことが感じられます。
※下記は個人的に印象に残った文章です。
なぜこの本には自殺者の話がこんなに多いのだろうか。(中略)国家が彼らの宇宙になり、彼らのあらゆるものの代わりになり、彼ら自身の人生の代わりにさえなった、そういう人びと。彼らは、偉大な歴史から逃れ、それと決別し、別のやり方で幸福になることができなかったのだ。(P2~3)
私はそれまでお金がどんなものか知らず、お金を軽蔑していたんです。(中略)お金はペレストロイカとともにやってきたのです。(P29)
きのう犯罪だったことが、きょうはビジネスなんです。(P32)
「わたしたちにソ連のおとぎ話をしないでください」(P53)
葬っても、葬っても、どうしてもスターリンをうまく葬れない。(P63)
これまでずっと信じて生きてきたんです。わたしたちは世界一しあわせで、みたこともない素晴らしい国に生まれたんだって。(P107)
だれがなんと言おうとわたしは納得できない。なにかを買って別の場所でちょっと高くそれを売る人が英雄だなんて。(P115)
われわれはファシズムとの戦争に勝った、負けなかったのだ。われわれには勝利がある。(P137)
ぼくには偉大なロシアは必要ない��(中略)ロシア人の夢は、スーツケースを手にしてロシアからとっとと失せることだ!(P170)
「これは若き英雄です。この人は手榴弾で自爆して、ファシストをいっぱいやっつけたんですよ。みんなも大きくなったら、彼のような人になるんですよ」。(P197、幼稚園の先生の言葉)
われわれは地上の天国を建設したかった。うつくしいが、かなわぬ夢だ、人はまだその用意ができていない。(P207)
あなたがたには、なにか偉大なものがありますか。なにもない。快適さだけだ。すべてが胃袋のため、十二指腸のため……。(P227)
わたしたちは英雄でしたが、赤貧のうちに死んでいくのです。どうぞお元気で。(P233)
ぼくと……ぼくの息子と……ぼくの母親……僕らは異なる国に住んでいる、どの国もロシアという名前だけどね。しかし、ぼくらはこわいくらいおたがいに結び付けられている。こわいくらい!みんなが、自分はだまされたと感じているんです。(P347)
なにもしないほうがましだ。善も、悪も。今日善だったことが、明日は悪になるんだからね。(P376)
レジ主任がいうの。「私たちは勝ったけど、あなたたちロシア人もえらいわね。わたしたちを助けてくれたんだもの」。彼らは学校でそう教わっているのよ。(P492、アメリカにて)
春。おひさま、こんなにぽかぽかした陽気なのに、人びとは殺しあっている。山中に逃げ出したかった。(P505)
……ロシアは偉大な国なんだよ、バルブつきのガスパイプじゃない(P545)
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【はじめに】
本書は、スヴェトラーナ・アレクシエービッチの「ユートピアの声」五部作 ― 『戦争は女の顔をしていない』、『ボタン穴から見た戦争』、『アフガン帰還兵の証言』、『 チェルノブイリの祈り』に続く最終作に当たる。ソビエト連邦崩壊を経て、当時のことを振り返る人々の声を集めたものとなっている。
【集められた声】
ゴルバチョフ大統領のペレストロイカ政策によって急速に共産主義国家が崩壊し、いびつな形での資本主義への移行がおきた1990年代ロシア。多くの人は非常に貧しく苦しい生活を強いられた。それ以上に、その生活が共産主義時代とさほど変わらなかったとしても、一部の人が大金持ちとなり、貧困が能力の差ともみなされて格差が生まれたことも大きい。信じて従ってきたことが、丸ごと否定されたからだ。そういった中で、驚くほど多くの人があれほど理不尽でもあったソビエト連邦時代のことを「ある意味では悪い時代ではなかった」という形で振り返る。それは、その時代の彼らにとってそれ以外のありようはなかったということでもあり、またある種の理想の中でそれを信じて生きていたことへの郷愁と悲しげな誇りでもあったように聞こえた。その声は「ユートピアの声」と名付けるに相応しい。
この本で取り上げられた声は多様だ。一般の市井の人びと、元共産党員、強制集収容所に行った人たちやその家族、グルジアやアルメニア民族紛争に関わった人たち、自殺をした人びとの家族、地下鉄テロ事件に巻き込まれた人たち。それぞれが、それぞれの物語を持っている。こういった人たちがどう感じていたのかを感情ごと残さないといけないという著者の意志を感じる。かつての密告社会で生きていたことやペレストロイカがやってきたときのことを。それは歴史的に特異なできごとであり、人びとが社会に翻弄された時代であり、そしてときに人びとが積極的にそれに加担をしていた時代だった。70年間続いたソビエト連邦は一種の社会実験場でもあったといえるのかもしれない。
アレクシエービッチは、インタビューの対象として次のような人びとの声を聞いたという。
「わたしがさがしていたのは、思想と強く一体化し、はぎとれないほどに自分のなかに思想を入らせてしまった人で、国家が彼らの宇宙になり、彼らのあらゆるものの代わりになり、彼ら自身の人生の代わりにさえなった、そういう人びと」
彼らは偉大な歴史と自らを同一視し、ある日それが変わったときにうまく適応することができなかった。それほど、理想の国家を信じていた以上に血肉とし、抗ったり変えたりすることを想像できなかった人びとなのではないか。アレクシエービッチは、自分が奴隷であることに気づかず、自分が奴隷であることを愛してさえいた人びとだという。そして、今、スターリンを偉大な政治家として称え、プーチンを崇拝し、中国共産党がうまくやっているとうらやむ人が一定数いる。その理由をおそらく感じとることができるのではないだろうか。
【自分のこと】
1994年の3月、ヨーロッパ・北アフリカへの卒業旅行の帰りに寄ったモスクワで、その前年に起きた10月政変の舞台となった最高会議ビルを見に行った。知り合ったロシアの大学生に案内をしてもらったのだけれど、もっといろいろと彼の声を聞くべきだった。しかし、それだけの背景を知るための好奇心が足りていなかった。まだ傷痕が残る最高会議ビルを紹介する彼の声はどこか寂しそうだった。
【まとめ】
あの時代のソビエトのことを異質で理解不能でもはや起こりえない社会だと考えるべきではない。あのような社会が作られて継続しえて、その中人間というものがそれに加担しながら生きていたということを深く考えるべきなのだと感じた。
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『戦争は女の顔をしていない』(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4006032951
『ボタン穴から見た戦争――白ロシアの子供たちの証言』(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/400603296X
『亜鉛の少年たち: アフガン帰還兵の証言 増補版』(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4000613030
『チェルノブイリの祈り』(スベトラーナ・アレクシエービッチ)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4006032250
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クーデターを打ち破り解散したソヴィエト連邦。自由に憧れ、見習ったのは西側諸国。その体制は使い古され疲労が起きていた中古品。共産主義の苦しみと使いこなせぬ資本主義。自ら何かを生み出せない”セカンドハンド”の時代…「共産主義の終わりに死を選んだ元元帥」「元連邦内対立国で起きた男と女の悲恋物語」「地下鉄爆弾テロから生還した母と娘」「チェチェンから棺に入り戻ってきた娘と向き合う母」「ミンスクの不正選挙に対するデモ参加で拘束された女子学生」…インタビューの受け答えの中に埋まる文学。それは発掘でもあり創作でもある。