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金原ひとみさんの作品を初めて読みました
決して映像作品では得られない楽しさがあった
最近人とのコミュニケーションで具体的な家族や仕事、人間関係など具体的な話しかしていなかったので本著の中で出てくるような抽象的な話(概念、思想など)をすることの良さが急に理解できた
食事の描写が多かった
色々な国の料理を食べながら食文化について考察するのは面白かった
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氏の著作なら何でも!って訳でもないから、これもどこかの書評で見て気になったのだと思うけど、ちょっと出所が分からなかった…。そして、これまでに読んだ氏の手になるものと比べると、ちょっと物足りなかったかも。”アンソーシャル~”よりも更に、コロナ渦を作中に取り入れているけど、どちらかというと前作の方に、今の世相ならではを感じた。それにしても、主人公を含めた女性作家三人組のキャラ付けは凄いな。うち、メインのタイプが個人的に苦手ってのも、本作に今一歩、入り込み切れなかった一因なんだけど。
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生牡蠣、バトミントン、ストロング缶。
文藝の私小説にも書いてあったけど、金原さんって言ったらコレなのかな?
食べ物が沢山登場するのにあえてなのか描写が細かくないからか、全然美味しそうに思えないのもお腹いっぱいにならなくてよかった。
恋愛はしたいけど娘はそばにいて欲しい。
結婚におそらくは向いてないんだろうけど今度こそはと何度も結婚する。
変わって欲しいけど変わって欲しくない。
ネットでしか教養を深めようとしない若者を懸念しつつも、あまりにも思考しすぎてしまう自分自身にも嫌気がさす。
全てに共感は出来なかったけど、人間が誰しも抱える矛盾の描写がある度に志絵、私自身の考える幸せとは何なんであろうか?と考えた。
結局は、裕福な暮らしや順風満帆な結婚生活とかではなく食べたい時に好きなものを食べたり、年末の大掃除は窓の枠の角のカビを落とさなきゃ、とかそんなたわいも無い小さい箱に入れてしまえるような出来事の積み重ねなのかなとも思った。
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夫婦関係、不倫相手との関係、母娘関係、仕事、育児…。翻弄されているようでいて強かに生きている感じがする。子育てを宗教に例えてるあたりはすごく共感できた。子供が離れていく時の気持ちも。
女友達と知的な会話するんだなとも思った。たくさんの美味しそうな未知の料理が出てきて、私死ぬまでにこのいくつかでも食べる機会があるかどうか…。
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恋愛体質な子持ちの30代女性作家のコロナ禍での生活を取り上げた小説。
主人公はあまりに自分本位だと思って共感はできず、複数の元夫や不倫相手とこんなにうまく共存できるものなのかと思ったりはしたが、随所に人間に対する洞察が溢れていて、なかなか面白く読めた。
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不穏が平穏に。
家族観や女性観が緩やかに溶かされ、温かい陽光を感じながらナプキンで口を拭う。
本作のテーブルには食欲を掻き立てる風味絶佳の料理が並び、同時にその食卓には志絵のSignificant other達が座る。最初はそこに不穏さを感じた。とんでもない、恋愛体質で子を蔑ろにし、「彼氏」や「デート」に興じていると。彼女は私と違ってそういうことができる可塑性に満ちたところに居る作家さん、なんだと。
しかし挟まれる和香やひかりとの飲み会の相伴に預かり、理子や蒼葉との気の置けないやり取りを見るにつけ、彼女が祈りにも近い切実さで人と共にあることが分かってくる。胸の中の強烈な悲鳴、暴れ出しそうな獣。それを収めてくれる絶対的な存在としての他者。
「青春の続き」を思い出してしまった。
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「己自身のだめ生きるだけって
もうしんどいの
期待も落胆も知れている」
溜め込んだ愛は過飽和中
行き場のない危ういこの心身を
強く深く重く組み敷いて押さえて
陶酔させてほしい
嗚呼 貴方を掴んでいられたら
ずっと安心
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そうして自分自身にも嵌められた桎梏に自覚的になると、小説はヒーリング的な意味合いを持ち始め、ああ長編で良かったな、まだ終わらない。と思った。
そもそも「デート」とか「彼氏」みたいな言葉がよくわかんない色に錆びて、何も意味をなしていない日本語なのかもしれない。
彼女の連載テーマとストーリーが連動している仕掛けも良い。メッセージがくっきりと伝わり、心の置き場が定まる。「小説に求めるべき価値は、社会的正当性のない言葉をいかに伝えられるか」とエンドースされ、気持ち良くフィクションに「誑かされる」のだ。それは「騙されるよりも甘く、欺かれるよりも怪しい」
最後には彼女はコロナの息苦しさから解放されたような世界で、緩やかに自立する。その澄んだ呼吸音が聞こえるかのよう。
「私は戻ってきた」かー…自分は女としてそこに達していないから、行かないで、と思ってしまったのだけれど。
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あなたは、『アラフォー』、『バツ二』で、中学生の娘と二人暮らしという女性が、『二十一歳』の大学生と付き合っていると聞いてどんな感情を抱くでしょうか?
この国では恋愛は自由です。婚姻をしている状態で誰かと付き合えばそれは不倫と指弾されます。しかし、離婚届を出してしまえば、再び恋愛の自由を享受できもします。世の中にはさまざまな恋愛の形があり、例えば”歳の差婚”も決して珍しくはありません。私の知り合いにも”21歳の歳の差婚”をした方がいます。もう何年経ったでしょうか?お子さんが生まれる一方で歳上だった男性は定年を迎えすぐに次の会社に就職したと聞きます。どんな恋愛の形であれ、その先に幸せな家庭が作られていくのは素晴らしいことだと思います。
しかし、それが『バツ二』の女性の話となると複雑な事情も絡んできます。歳上の女性に一人娘がいるとなるとなかなかに複雑です。中学生の娘と、自身が付き合うことになった大学生は10歳も年が離れていません。これは、思春期の娘さんにとってはなかなかに感じることが多い状況とも言えます。
一方でそんな大学生はどうしてその女性が好きになったのか?という野次馬的な興味も湧きます。そんな女性はその理由をこんな風に語ります。
『彼は距離的にも時間的にも遠くのものを見通せないんです。物を知らない人ほど騙しやすいように、彼は経験値がなさすぎるから、私がかけた覚えのない魔法にも簡単にかかってしまって、魔法にかかった彼に好かれている内に私も魔法にかかってしまった』。
そんな風に説明するその女性。あなたは、そんな話を聞いてどのように感じるでしょうか?
さて、ここに『アラフォー』、『バツ二』で、中学生の娘と二人暮らしという女性が主人公となる物語があります。小説家をしているというその女性は、家庭と仕事と恋愛を絶妙なバランスの中に回してもいきます。この作品は、そんな女性が『離婚の原因は二度とも私の浮気だった。それでも、離婚の理由が私の浮気だったわけではない』いう先の人生を生きる物語。コロナ禍のこの国の中にさまざまな感情を抱く人の姿を見る物語。そしてそれは、そんな女性が、
『あなたが生きている世界に生きているだけで死にそうになるくらいあなたのことが好きだった』。
そんな風に、それぞれに本気の恋愛をしてきた過去の先にある今を強く生きる物語です。
『いい匂い!』と『鼻歌を歌いながらリビングに入ってきた』娘の理子に『キーマカレー作ったからね。あと冷蔵庫にサラダが入ってる』と言うのは主人公の天野志絵。そんな志絵は『吾郎、七時くらいに来るって。冷蔵庫の中のサラダ忘れないでね。明日理子が学校から帰ってくる頃には帰ってるから』と言うと家を後にしました。駅までの道すがら『スマホを手に取』り、『時間があったら理子の数学見てやって』と吾郎に入れる志絵は、『電車に乗り込むと資料を取り出し、今日これから出るトークショーの概要に』目を通します。『本当は、永遠に家でじっとパソコンに向かって仕事をしていたい。憂鬱だった』という志絵は、『結局執筆をしている瞬間だけが、自分の書くものを信じられる瞬間』だと思います。そして、無事にイベントも終わり打ち上げに訪れた志絵は、『天野さんってどうして離婚したんですか?』と訊かれ、『それは、一回目の離婚ですか?それとも二回目の離婚ですか?』と『皮肉を込めて』返します。そして、『二回とも、離婚理由は公にはしないって約束し』たと語る志絵に、今度は『今、彼氏はいるんですか?』と訊かれます。そんな質問に答えていく中に『二十一ですと答えると女の子たちが歓声を上げ』ました。そして、打ち上げ後にタクシーを降りた志絵は『おつかれ』と声をかけられ『全然心の準備ができてない』と言うと『俺と会うのに心の準備いる?』と蒼葉は返します。そんな蒼葉と志絵は『ご飯行こう』と出かけ、その後ホテル街へと歩みを進めます。『元彼との恋愛は、何故あんなにも重かったのだろう。何故蒼葉との関係にはこんなにも解放感があるのだろう』と思う志絵は蒼葉と『パネルを眺めて適当な部屋を選び』ます。部屋に入ると『今日はがんばったね。お疲れさま』と『頭と背中を撫でて抱きしめる蒼葉に、癒される』と感じる志絵。そんな志絵に『ねえ志絵ちゃん』『結婚しようよ』と蒼葉は語ります。『ことあるごとに結婚という単語を口にする蒼葉に、やはり重々しさはない』と思う志絵ですが、『今かな?』と返すと、『俺は今なんだけどなあ。と緩い答えをする蒼葉』。そんな蒼葉の『頭を』志絵は『背伸びをして撫で』ました。『蒼葉と一緒にいると時々何をしているのか分からなくなる』とも思う志絵。小説家を本業とする志絵のコロナ禍を背景とした日常が描かれていきます。
“二度の離婚を経て、中学生の娘である理子と二人で暮らすシングルマザーの小説家、志絵”、”恋愛する母たちの孤独と不安と欲望が、周囲の人々を巻き込んでいく”と内容紹介にうたわれるこの作品。2022年8月に刊行された現時点での金原さんの最新作です。そんな単行本の表紙はインパクト絶大です。”食べたいものを食べたいだけ、食べたい時に食べたらいい”という言葉と共に表紙に描かれているのは豚肉を使った料理の数々、というよりどこか不気味な雰囲気感の中に配置された肉、肉、肉の数々です。しかもそんな食材の下部には豚が一頭、まるで丸焼きにされるのを待っているかのように鎮座しています。これは、おどろおどろしい作品なのか?という一抹の不安が頭をよぎりますが、読んでビックリ!、確かに不倫、不倫、不倫と、男と女の物語は登場するとはいえ、金原さんの作品としては異常な位に雰囲気感は悪くありません。かつ、えっ!と思うくらいに前向きな結末が用意もされています。そうです。金原さんの作品ということで、身構える必要も、読後感の悪さを懸念して敬遠する必要もない読書の時間がここにある、それがこの作品です。このことをまずお伝えしておきたいと思います。
そんなこの作品はご紹介したいポイントが多々あります。その中から三つに絞ってご紹介したいと思います。まず一つ目は食材が表紙に描かれていることに関係します。この作品は19もの章から構成されていますが、その章題が食べ物の名前をもじった不思議な名前がつけられているという特徴があります。〈第1話 生牡蠣とどん底〉、〈第11話 エビのミソはレバー〉、そして〈第15話 あずきのない白くま〉となんだか妙���引っかかりを感じさせます。そして、その本文にもやたらと食の風景が描写されます。その中から〈第10話 網の上のホルモン〉の食の場面をご紹介しましょう。
『もう焼けてんでこれ。こっちもええな』という会話の中に『網を制するひかりが私と和香にタンを取り分ける』という場面。『玉ねぎししとうも焼けてるし、多分かぼちゃ人参以外は全部いけてんで』と網の上の情景が思い浮かぶ描写の中に、『タンを頰張りながら「ふーい」と間の抜けた相槌を打つと、和香もハフハフしながら「ふふい」と答え、三人ともふふっと笑う』というひととき。『「何や幸せそうやな二人とも」 「ここの肉食べながら幸せじゃないなんてあり得ない」「考えてみれば、私コロナ以降ここ来るの初めてかも」』と会話する三人が描かれます。
このように章題で名前の上がった食材が物語に彩りを添えていくように描かれるのがこの作品の特徴です。フランス料理で”さまざまな調理方法でひとつの食材を生かすこと”を意味する「デクリネゾン」という言葉を書名に冠したこの作品。そこには、食のある日常が決して気取ることなく物語に彩りを添えていきます。食を舞台にした小説は数多あるとはいえ、金原さんと食?と、あまりピンとこない中に、美味しそうな食の場面が展開するこの作品。こんなところにも身構える必要のないこの作品の魅力の一つがあると思いました。
次に二つ目は、コロナ禍の描写です。2020年春に世界を突如襲ったコロナ禍。あれからもう三年という月日が経ち、世界的には終わりが見えてきたものの、この国では未だにマスク、マスク、マスク…の辟易した日常が続いています。そんな状況にあって日常を描く小説にコロナ禍が登場しないのは却って嘘くさくも感じてしまいます。実際、2022年に刊行された小説にはコロナ禍を背景にしたものが多いと思います。窪美澄さん「夜に星を放つ」、辻村深月さん「嘘つきジェンガ」、そして寺地はるなさん「川のほとりに立つ者は」などマスク生活、緊急事態宣言、そして閑古鳥が鳴く飲食店とそこには、現在進行形のコロナ禍がリアルに写し取られています。そんな他の作品に比してもこの金原さんの作品は一歩踏み込んでコロナ禍と対峙するような記述に満ち溢れています。それこそが、主人公のコロナ禍に対する感情が記されているところです。『その日の東京の新規感染者は過去最多を記録した』という客観描写だけでなく、
『別にマスクも検温も消毒もできるけど、気分的にはもううんざりなのだ。人の飛沫が飛び交う狭く小汚い居酒屋で、めちゃくちゃでかい声でバカ騒ぎしたい』。
かつて『人の飛沫』などあまり気にしなかった場面、果たしてそんな以前の気持ちに私たちは戻れるのか?なんとも不安な心持ちですが、主人公・志絵の思いに共感する人は多いでしょう。しかし、金原さんの表現はこれだけに留まりません。それは、『罰則のない緊急事態宣言と自粛要請』というものを冷静に見つめ『日本人のはみだす人やはみだすことを嫌う性質を思えばそれでもそれなりの効果はあるのだろう』と第三者的に見る金原さんが、そんなこの国の現状を痛烈に皮肉ります。
『苦しんでいる人のことを思いやれ、人の気持ちを考えろと綺麗事と忖度を押し付けら��、あらゆる抑圧の中で自尊心を傷つけられ、苦しむ人は誰かに怒りをぶつけるよりも自死を考えるパターンが出来上がっている日本という国が、どうしても受け入れられない』。
東日本大震災の後、フランスに移り住まれ、四年前まで彼の地に暮らされた金原さんならではの冷静、冷徹な視線で見たこの国の姿。もちろんフランスだって上手くいっていない部分は当然あるとは言え、この痛烈な皮肉は残念ながらこの国が置かれている現況を言い当てているように思います。
最後に三つ目は、主人公が小説家ということです。小説家が主人公という作品も多々あり金原さんの作品にも「オートフィクション」などがあります。この作品の主人公・天野志絵は『アラフォー』という設定であり、39歳の金原さんと微妙な親和性を感じさせます。そうなると、そこに描かれるのは金原さん自身を写す部分もあるのではないか?という野次馬的な思いです。もちろん、そこは小説であって、自伝ではありませんのであくまで余計なお世話といったところでしょう。しかし、小説家が主人公ということは、その生活がどんなものかを垣間見ることができます。そんな視点から興味深い記述を二つ抜き出してみたいと思います。
・『絶対的に自分か相手が傷つく結果になるから、初版部数が何部かという話は作家の間では基本的に交わされない』。
→ この作品では、主人公の志絵がひかりと和香という同業の小説家と親しく交流する様子が描かれていますが、そこに登場するのがこの記述。おおよそ想像はつくのでしょうが、口にするのは確かに生々しい話ですね。
・『もちろん小説の登場人物は自分と多かれ少なかれ重なっているものです。でもどこが重なっているかというのは自分自身も正確に判断できるものじゃないし、不倫小説書いてても不倫してない、セックス好きな人書いててもセックス嫌い、Sの主人公書いててもMとか、そこから読み取れるのって、結局著者の持ってる世界観だけだと思うんです』。
→ 小説家と小説の登場人物との関係性について言及した箇所です。もちろん、これを語るのは主人公の志絵であって、金原さんではありません。しかし、そんな志絵が小説家であることを考えるともしや?という思いが湧きもします。いずれにしても主人公が小説家という小説は独特な読み味を提供してくれるように思いました。
そんなこの作品の主人公・志絵は、『アラフォー』、『バツ二』で大学生の彼氏あり、そして中学生の娘ありという今を生きています。二十一歳という年下の蒼葉と交際を続ける志絵は、『いつか蒼葉にとって耐えがたい重荷となるに違いない』と自身のことを理解しながらも『女として作家として元妻として保護者として、あらゆる役割がある』今を生きています。そんな志絵の生活は娘・理子との関係性もあって、別れたはずの最初の夫・吾郎、次の夫・直人とも険悪な状況にはありません。特に驚くのは吾郎との関係性です。いまだに娘の誕生日になると吾郎の家で一緒の時間を過ごす様が描かれるなどそこにはドロドロとした感情が表に出てくることはありません。そんな中には、そんな状況を見る読者だけでなく、志絵の心の中にさえ、『どうして吾郎ではいけなかったのだろう。急激に疑問が湧き上がる。なぜ、理子と吾郎と三人の家庭を維持できなかったのだろう』という疑問が浮かび上がるのは自然な流れだと思います。そして、娘・理子を思う母親・志絵の心持ちは二十一歳の彼がいようとも変わりません。『ただただ、私は理子が大好きだった』という志絵は、『彼女を見ているだけで胸が躍る。幸せな気持ちになる』と娘・理子の存在を強く意識します。そして、志絵は、理子が『物心がつき、その軽やかな性質を露わにし始めた頃から、彼女はポジティブの象徴として』志絵の中に『君臨し続けていた』ことに気づきます。それは、『逆に言うと、彼女が関与できない、私に残された分野が、仕事と恋愛だったのかもしれない』と結論する志絵。そこに、この作品に描かれる奔放な性が登場する余地があるのだと思います。そしてまた、小説家としての仕事に邁進する志絵の姿が強く印象に残る物語がここに生まれたのだと思います。そう、この作品は、主人公・志絵の”恋愛物語”であり、”お仕事小説”でもあるのです。
『結局執筆をしている瞬間だけが、自分の書くものを信じられる瞬間なのだ』。
一人の小説家として、娘・理子の母親として、そして『バツ二』の中に『二十一歳』の大学生と付き合う『アラフォー』の今を生きる主人公・志絵の日常が描かれるこの作品。そんな作品にはコロナ禍を舞台にした人々のリアルな暮らしが描かれていました。小説家が主人公ということで、いらぬ深読みをしてしまいがちにもなるこの作品。美味しそうな食の描写の数々が物語の雰囲気感を明るく保つこの作品。
主人公・志絵の言葉を借りて、金原さんの思いが圧倒的な迫力をもって伝わってくる物語の一方で、金原さんらしからぬ読後感の良さに驚きもする、そんな作品でした。
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最高の小説だった。生涯ベスト5あたりに食い込むかもしれない。
「私」を支配する、自分でコントロールしきれない私の欲望。それに従ったり抗ったり絶望をおぼえながらも、それでも、誰かと、この世と、生きていくしかない。その選択をし続けている「いま」の尊さ。
コロナ禍の直前から落ち着くまでの期間を、飲み会やライブの状況と照らして描くから、まるですべて自分ごとのよう。いやー、最後までめっちゃおもしろかった。
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年齢の変化、人間関係の変化、環境の変化、そんな細やかな日常の中の気持ちや感じてることが、とても細やかに言語化されていて、じっくり読めた。金原ひとみさんの作品は食事がとても美味しそうで、今回もたくさんの魅力的な食事がでてくて、美味しいご飯を食べたくなった。
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心地良さは皆無。
二度の離婚を経て中学生の娘・理子と二人で暮らすシングルマザーの小説家・志絵。
二人の元夫と交流を続けながら、大学生の恋人・蒼葉と暮らし始める。
とても貪欲だ。
仕事も家庭も子供も恋愛も、全て手中に収めたい彼女と自分の境遇が違い過ぎて共感する事が難しい。
友人や恋人と美味しいものを食べ歩き十分満たされているかのように思えるが、時に発動する破滅的な言動にたじろいでしまう。
時間と共に人との関係性は変化し、未来に絶対はない。彼女の危うさに翻弄されつつも、迸る熱量に圧倒された。
志絵の自由さが羨ましくもある。
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ハッピーエンドでよい。
自分の衝動に素直に生きることは良い。
これに出てくる歌舞伎町の火鍋のお店は行ったことある
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「腹を空かせた勇者ども」の裏表になっている作品だと、何かのインタビューで見た記憶があって、こちらの本を読んでみた。
女性小説家で2度の離婚を経たシンママが大学生の男の子と恋愛して……という筋書きで、合間合間に繁華街のスペインバルちっくなお店の料理の描写が差し込まれる。
なぜだか分からないけれど興味を持続することができずに半分読んだところで挫折してしまった。多分、小説家という職業に就いてるし、2回は結婚してるし、娘は理解あるし、小説家の友達はいるし、元夫は育児に協力的だし、年若い男の子から崇拝のような眼差しを向けられてるし、「まあ、じゃあ、いいんじゃない?」と思ってしまったからなのかも…
とくに気になった一文はあった。こういう表現は心地が良い。
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"和香の不倫もきっとそれと一緒で、一人の男を知っていく、とことんまで深く入り込んで愛し愛され、これから食される牛や豚のように喉元から肛門まで互いをナイフで切り裂き内臓を表出させ内臓同士を擦り合わせたり裂け目に顔を埋めたりするような恋愛をして互いを遮る皮膚の存在をすっかり忘れた頃、彼女は彼に纏わる小説を何本か書き上げ、もう彼から得られる栄養素がないことを知り、小説を書くため新しい恋愛を探し求める。"
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また気が向いたら続きを読むかもしれない。
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腹減った
ってな事で、金原ひとみの『デクリネゾン』
いつもの金原さんのイメージかと思いきや料理と絡めたお話
普段は和食、居酒屋飯メインのわしじゃが、色んな国の料理が出てきて、これ食べてみたいなってのもあったり
デクリネゾンってタイトルはそれぞれみんなのデクリネゾンって言うのか、読み終えてタイトルの意味を調べると、なるほどなっ‼️って腑に落ちた
志絵、理子、吾郎、蒼葉それぞれみんな好きなキャラじゃったなぁ。みんなそれぞれええ調理(良い人生経験、新しい家族定義と言うのか)されて活かされとる感じですかね
じゃが、『蒼葉』の名前にルビが打って無かったんで、何と読んでいいのか分からぬままモヤモヤした気持ちがデクリネゾン ← 意味も無くただ使ってみたかった
2023年19冊目
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単純に主人公がやりたい放題で周りの男が振り回されてる感があるが、何とも言えない魅力があるんだろう。
志絵自身にも自分では制御出来ない感情があるのも、それが決して常識的で良いことでは無いことも承知の上で生きてる。
それがヤケクソでなく、いけない事も己と悟ってる感じがする。
感情の起伏が激しいがそんなのは誰しも有る事で、読んでて身につまされる。
終盤は作者の想いが前に出過ぎて小説の流れが少しずれてる感じがして少し残念。
金原作品は不倫しないと気が済まないのか(村上作品の男女がすぐ寝るのと同じ感じ)、そのことで描きたいものは何なのか、そうでないと描けないものがあ何なのか、そこを理解出来れば金原作品がもっと面白く読めるんだろうと思う。
文章は読み易いし、才能の塊って改めて感じた。
まだまだ金原作品を読み漁ろうと思う。
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自分が面白いと思う小説には2種類あって、ストーリーが気になって一気読みしてしまう小説と、登場人物の会話や独白に惹き込まれる小説。金原ひとみはまさに後者だと思う。
主人公はバツ2で作家の志絵。作者自身を投影してるような部分もあって興味深かった。元夫や娘の理子、恋人で大学生の蒼葉。コロナ禍、蒼葉と同居することになり、入れ代わりに理子は元夫宅へ出ていく。
多様な価値観とか家族観とか、これだけいわれていながら、相変わらず母親には母親らしさが求められ、そこはなかなか寛容にならない。志絵は母親よりも女性の幸せを選択し(たように見える)、それを全面的に肯定したラストは、個人的には良かったと思うのだけど、批判されないような周到な表現だな、と感じるところもあった。
作中でフェミニズム系の映画を志絵たちが批評する場面が出てくるが、この小説への批評を先んじて並べておいたのかとさえ思った。
あまりにもいい子な理子との理想的な母子関係、父子関係など、少し絵空事のように思えるところもある。
これまでの作者のヒリヒリするような痛々しい作風と比較すると毒や刺激は少なめだが、世間がコロナにどれほど振り回されていたか、描写がリアルでまざまざと思い出される。
家族や編集者たち、作家仲間との会食など、食べたり飲んだりの場面が多く、どれも本当に美味しそうだった。