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ダラダラと、惰性で続けてる恋愛みたいな、なんかすごく読んでて疲れた。特に大きな何かがあるわけではなく、コロナ禍の日常で結婚離婚と繰り返したり、不倫が日常だったり、ずっと恋愛要素で。
確かに母親と恋愛は相性悪いな。理子ってすごくすごくいい子に育ってるし、結婚離婚と繰り返しても元夫たちとうまくやってけてるのもすごい。結婚へのハードルが高くないってなんかいいな、いいなとは思うけど憧れたりもしないけども。
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アタラクシア以来の金原ひとみ作品。期待していた人間の内面ドロドロは今回は、そこまでの吐露は感じられなかった。
タイトルのデクリネゾンは余すことなく、やフルコース的な意味合いらしい。驚くべきは、金原さんの料理に対する知見で、どちらか言えばイタリアン、フレンチ、メキシカン、インド系に寄りつつも凄い。
コロナ禍に於ける、人と人の関係性、距離感、新しい生活様式の中繰り広げられる、人間ドラマであるが、ストーリーよりも作者の言葉、そして人生哲学に惹かれ、少しずつ少しずつ読みました。また、別の作品も読みたい。
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人は忘れられたときに死ぬとはいうが、「まあいつか忘れたとしても、その人と一緒に過ごして得たものは残るんじゃないか」という、人間関係はウイルス/ワクチン説が印象に残った。かかわった人から受けた影響は、もう会わなくなった後も原子レベルの爪痕のように刻まれ、ある時突然、ポジティブなワクチンにも、ネガティブなウイルスとしても自分に作用していくという。脳を含めた私もあなたも物質も動物も素粒子であって、食べられたり排泄されたりターンオーバーと循環していくしていくエコ・システムのように考えれば、
「もう会わなくなった人や死んだ人だって自分の中にいくらか残存して私を守ったり攻撃したりしているのだから、星だって消えた後も何かしらの存在にに作用しているはずだ。すべての存在が私に作用し、私の存在もまた、全てに作用している。」
という言葉も理解できる。デクリネゾンが余すところなく用いるというような意味であるとすれば、自分は全世界のイチブで共鳴しているという一体感のようなことを指しているのだろうか。
ところで、原子は曲がるという一節好き。規則正しさというものは存在できず、あいまいであることがデフォルトで、その差異を「わからないね」「変だよ」「きもい」と断じる前に「相手の立場を想像する力」が現代人に必要なスキル第一位かもしれない。想像したけれどわからなかったら、争わずに通り過ぎればいいというスルースキルにもつながる。
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「そっか。二年は長いか」 「二年は、ほとんど永遠だよ」 永遠……。呟きながら、私も若い頃ほどしたくない仕事を引き受けられなかったのを思い出す。今でこそ割り切って報酬と仕事内容を足したものと、プライドと苦手意識とスケジュール的苦しさを足したものを天秤にかけて受ける受けないを決めているけれど、若い頃は依頼書や企画書を読んで一瞬でも「うざ」とか「は?」と思うところがあったら受けられなかっ
「人が大人になっていく過程で身につけるべき能力第一位は想像力です。理解できないのは仕方なくても、圧倒的な力によって傷つけられた人間を見て、自分には関係ないと切り捨てるような人間にはなって欲しくないし、そうならないよう教育してきたつもりです。健康志向で、私の喫煙や飲酒を快く思っていなかった彼は、もしかしたらどこかで酒類提供禁止を喜んでいたのかもしれません。むしろ、酒に依存してた奴らざまあくらいに思ってたのかもしれないです。それくらい、彼の態度は冷淡でした。でもそれは、スケープゴートとして吊るし上げられたライブハウスや、夜の街を叩いていた人たちと同じ心理ですよね。そんな低俗なものに依存しやがってって、鬱憤をはらす行為に等しいです
「ごめんね、もっと頑張るから」 頑張るって言う時点で全然分かってなくない? 私は頑張らなくても溢れる愛が欲しいんだよ! 頑張って捻り出された優しさとか愛情なんていらないんだけど。溢れ出ないなら、私にそれだけの魅力とか価値がないってことだし、それなら別にそのままでいいし、気持ちに正直になってぞんざいに扱えばいいじゃん。えでもそれならどうして私と結婚した
「だから、頑張らないで欲しいんだってば」 「で��、頑張らないと。志絵のことを傷つけたくないし」 シュートの練習とか、受験前の一夜漬けとかじゃないんだよ? 恋人を傷つけない、っていうことをそんなに頑張らないと、傷つけないことができないの? また苛々してきて床を睨みつけて散々肩を震わせて泣いた後、もうなんかとりあえず言いたいことは言えたしいいのかなと思いつつ、私は本当にこれらが言いたかったことなのかどうかまだよく分からない。なんだか自分の中にある鬱憤を、正規ルートとは別のルートで晴らしたような気がするのだ。そして蒼葉を焦らせて鬱憤を晴らして、それでも実際ちょっと気が晴れている自分が情けなかった。もちろん最近の彼の態度一つ一つになんでどうしてと苛立ってきたのは事実だけれど、私はまるで弱い者いじめをしているよう
「家にいる時何してるんですか?」 「ネトフリっすね。も、永遠にドラマと映画観てたいっす」 なんかオススメあります? と聞く彼に、去年映画館で観た映画を薦める。もうネトフリに入ってて、観ててすごく痛いし苦しいし、己の中に存在する全てのトラウマを根掘り葉掘り搔き出されるみたいなシーンが二時間くらい続いて辛いんだけど、最後の三十分で超越的なトランス状態に至れるみたいな、そういう映画ですと言うと、彼はゲラゲラ笑って「プレゼン力ゼロっすね」と声を上げた。 「絶対観ないっす。俺楽しい気持ちになれる映画しか観たくないっすから」 「楽しい気持ちになる映画って、観終えて少しすると逆に苦しくならない?」 「そっすか? ならないっすよ?」 話せば話すほど彼への評価が上がっていくけれど、彼は絶対に私の小説が好きじゃないし絶対に絶対に人としては好きになれないだろうなと思う。それでも、普段マツエクでも美容室でも延々黙っているのに、今日は延々話していた。今日はいつもの担当者がいなかったから指名なしにしたら店長に当たったけれど、これからは店長を指名しようかとさえ思っ
「でも綺麗じゃん」 「綺麗だからするものじゃないんだよ」 「じゃ何でするの?」 「社会的拘束力を持つ婚姻制度に同意してそこに身を委ねることを大勢の証人の前で誓うっていう儀式だよ。私は結婚をただの愛情表現の一つとして捉えてて、本来の意味で結婚してるわけじゃないから、そういう人は結婚式なんて社会的なイベントはするべきじゃないんだよ」 「直人と梨花さん、そんなこと誓ってた?」 「ま、直人はそういうことあんまり考えないタイプかもしれないけど」 「ママも考えなきゃいいじゃん。結婚式はお祭りだよ、てか、
「結婚式挙げる?」 私の涙に気づいていない蒼葉はそんなことを言って、私は苦笑する。 「蒼葉嫌でしょそういうの」 「でも志絵一度もしてないんでしょ?」 「してないけど」 「俺だけの初めても、一つくらいあってもいいんじゃないかなって」 うーんと唸ったあと、考えとくと大きな声で言う。多分挙げないけど、蒼葉の提案は素敵だった。その言葉で、あることにも気づいていなかった傷が癒えたようだった。お風呂から大声でトリップの曲を歌う理子の声がして、私と蒼葉は同時に肩を震わせて笑っ
しまう。センマイ刺し、赤身刺し、ユッケの盛り合わせが出てきて、説明を受けるごとに皆が満足そうな表情を浮かべる。この料理の説明を受けている時の人の顔��好きだ。どうでもいい早く食べたいと思っている人、情報もしっかり味わうタイプの人、説明の間にさりげなくスマホで写真を撮っている人、大きく頷きながらも後でこれ何でしたっけと聞くと何にも覚えていない人、人格が出て面白いの
二十年前には何とも思わなかった言葉が、少しずつ時代からずれていき、完全に時代から取り残されこぼれ落ちる瞬間を日々目の当たりにしているのだと思うと、言葉が少し硬めのアメーバのようなものに感じられてくる。デビュー当時、校閲から指摘が入るたびウザいなと思っていた「看護婦→看護師に?」「スチュワーデス→キャビンアテンダントに?」「保母→保育士に?」などの指摘も、今思えば至極当然のことで、私も今は使わないし口語として耳にするとそれだけで相手への不信感を強める。そうした生物としての言葉を使っているのだという自覚を持たなければならないと、ことあるごとに自分に言い聞かせると同時に、腐敗した言葉、エイジングされた言葉の良さもそぎ落とし過ぎないようにしたいとも思う。世の中には腐敗したもの臭いもの、皆が顔をしかめるような珍味が好きな人だっていて、朝採れフレッシュグリーンサラダ(中山さんの畑で丁寧に育てられました)みたいな物を頂点に置く人ばかりではないの
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これまでの金原ひとみ作品の中でいちばん隣人感があった。
コロナの経過が小説にきれいに落とし込まれていて、この生活にちゃんとつながってくる。その中でまあよく食べよく飲む人たちよ、出てくる料理が全部美味しそうで贅沢で、混沌の不安の中にいてもこの人たちは生を満喫していた。
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タイトルの『デクリネゾン』とは、フランス語で「様々な調理方法でひとつの食材を生かす」という意味がある。
本書は2度の離婚歴があり、現在3度目の結婚をするかもしれない男と交際中の作家天野志絵の日常を描いた長篇小説だ。19の章に分かれ、それぞれに登場する料理のあれこれが章題となっている。最初の夫との間に生まれた中学生の理子との関係、2人の元夫と現在進行中の1人の男、同業の2人の友人、編集者等との会話が主体で、コロナ禍も大きく影を落とす。
明確なストーリーがあるわけではなく手こずったが、 読み応えのある作品だった。
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ちょっと前のコロナが設定されている。
志絵という主人公は全く好きになれなかった。普通、主人公に共感するもんだけど、ここまで嫌いになる主人公はいない。めんどくせー女。すごいブスだったらいいのに。青葉が理子のこと好きになって2人に捨てられればいい。ドラマなら松本まりかだな。仕事も恋愛も子どももいるけど自分の作った葛藤で苦しんでる。うざい。
唯一、子育ては宗教、みたいなくだりだけ共感。
人とのかかわりをウイルスと免疫に例えた話は面白かった。もう2度と会わなくても抗体はできる、みたいな。
人は目の前のものを見てるからリモートは対面と違うとか、うんざり。
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デクリネゾンという取っつきにくい言葉、バラエティに富んだ料理に仕上げると、説明にあった。
志絵と蒼葉、娘の理子、前夫の吾郎や直人、作家仲間の和香とひかりとの絡み、これでもかいう各種料理の詳述、確かにどれもバラエティに富んでいる。中弛み感がなくもない。
著者の本はこれが初めて、これ以前の本も読んでみたいと思った。
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タイトルの「デクリネゾン」とは、フランス料理の言葉で、同じ食材を異なった調理法でつくったものを盛り合わせた料理のこと、だそうだ。
一人の女性を通して、恋愛小説・家族小説・お仕事小説の各要素が全て楽しめるところが、タイトルの意味するところなのかな。
というか、人生楽しめれば、家族のあり方なんてそれぞれでいいじゃんと思うのだ。
主人公の志絵は欲張りなのかもしれないけど、欲張り上等!と思う。
「生きる」ことの葛藤を描いてはいるけれど、ほんわかしていて、読んでいて安心してしまう。登場人物みんなが幸せになってほしいと思える、平和な小説なのだ。
「アタラクシア」と同じことを「デクリネゾン」は陽の側から描いている、と言えるかもしれない。
僕の勝手なイメージの金原さんらしくないけど、これはこれでありだな。
結末がジョン・アーヴィングの「ウォーターメソッド・マン」を彷彿させるなぁ、と思った。
いろんな形の幸せがあること。
それが多様性なのだと思う。
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痒い所に手が届く、
それもピンポイントで。
っていうくらい名言がビシビシ刺さった。
金原さんらしくみっしり濃厚な作品なのに
読後感が爽やかでよかった。
家族って自由でいいんよねって
言ってもらえたようで嬉しかった。
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バツ2子持ち、大学生の彼氏持ちという女性小説家が主人公な時点で共感できそうにないのに、働く子持ちの母という共通項でなぜか不思議と移入できました。自分にも犬っぽい彼氏がいるせいかもしれません。
金原ひとみさんの本は読んだことがなかったのですが、けっこう分厚いのに飽きることなく読み切れました。食べ物と生きることって繋がっていると思いました。
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すげえ! 恐るべき身勝手! と感じたので,私はそういう価値観なのだなと教えてもらった気分。
でもこの主人公のこと好き。
主人公は自分の内面をとことん言葉にできるのに,娘の「母と恋愛って相性悪くない?」には「世界的にはステップファミリーが普通」みたいな「誰か」の話を持ってきちゃうのが意外だった。そこは我が事は言語化できないのか。それとも言語化できないほど大事なのか。
美人で仕事あって健康な娘がいて別れた二人の夫とも関係が良好でひと回り年下の彼氏がいて、それだけでよくね? と思うが全然よくないのだ。そーだよな。
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■漠然と感じていた感覚を言語化してくれた共感しかない作品
○好きな相手を尊いものとしておきたい
自分も付き合っても会う頻度は高めたくないし、その相手といる時間は楽しく過ごすための時間だから、不要にぶつからないようにしてきた。
それは裏返すと「相手を全部受け入れたい」みたいな感覚とは正反対で、相手を都合よく尊いものとしておきたいから、自分の認識を違えるようなシチュエーションにおきたくなくて、頻度を制限していたように思う。勝手で理解されない感覚(人に話すと引かれる)だけど、言語化されていることで腑に落ちた。
○人との深い関わりは「抗体」にも「ウィルス」にもなりうる
「人との思い出は一生もの」みたいな考え好きじゃないし、どうせ別れるなら一緒では?みたいな感覚も持っていたけど、別れる=失うではないなと確認できた。
シーンによってはその関わりが自分を強化してくれるし、反対に責めてくることもあるが、どちらにせよ消えてない。
○子どもという共依存関係
子どもができる=自分の一部(マインドシェア、時間、お金、人間関係諸々)を明け渡すある種分身を作る行為と思っていたが、それは一定期間のことなのかな、とも思うようにになった。
最初は絶対的に君臨する理不尽な守るべき存在として大半のリソースを割くけど、その後自分が大切にしていた自分が一部戻ってくる。
戻ってくる頃にはかけがえのない存在となっていて、その相手に対し自分が各ターニングポイントに関われること自体が幸せと思える。
本作では失って「口出しできていた」「その素直な反応を見られていた」ことの幸せに気づいていたが、そういった尊さを忘れずに接したいと思う(子供できたら)
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24歳の今読んだけれど、ふと10年後くらいの自分を想像してしまうような内容だった。
いつか親になっていてもおかしくない年になったらもう一度読んでみたい。
その頃にはまた違う角度で読めるようになっているかもしれない。
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デクリネゾンとはフランス料理で使われる『1つの食材をさまざまな調理法で仕上げること』といった意味合いの専門用語。
小説家の志絵を軸に1人娘、2人の元夫、20年下の大学生の現恋人との関係性とその変化を、コロナ禍の時代背景を交えながら描いている。
中学生の娘を既に持つ志絵の恋愛に対する果敢な姿勢は、非常に強い欲望に突き動かされているように一見思える。しかしその時々での男との恋愛、そして衝突や別れを淡々とした語り口で描いていることから、あまり強い衝動は感じなかった。
志絵の感情や共感力が薄いわけではなく、自分が他者に感じる愛に対して正直な行動を重ねていった結果とも言えると感じた。
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金原ひとみさんの作品を初めて読みました
決して映像作品では得られない楽しさがあった
最近人とのコミュニケーションで具体的な家族や仕事、人間関係など具体的な話しかしていなかったので本著の中で出てくるような抽象的な話(概念、思想など)をすることの良さが急に理解できた
食事の描写が多かった
色々な国の料理を食べながら食文化について考察するのは面白かった