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ザ・人間観察のプロ!『近頃は、「女が奥」というレディファーストもどきの決まり事が日本に定着してしまっており、どこの店へ行っても、女が壁に男が通路に、ズラリと並んでいる。』など、頷ける言葉が多い。女性は固まってご飯を食べ、誰からともなくお菓子係りをすることになる。それがやがて派閥やなんかになる。会社って、社会ってめんどくさい!と思うだろうが、それは違う。他に心から好きになれるもの、例えばおじさんとか家族とかを持っていれば何事もぷっと笑えてくるのだ。実感。
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最近気になっているナオコーラさんの一番新しい文庫版短篇集(読み終わってから知った)。
"男の点と線"を読んだ時にも思ったけど、ナオコーラさんは普通の物書きのヒトの何倍も人のことをみている。外面的にも内面的にも。
だからどんな短編を読んでいてもどこかでハッとしたり、ドキドキしたり、後ろめたくなったりする。
それから、ナオコーラさんは男目線での短編でも全然違和感がなくて、むしろ男以上に男らしい。あと、いつも読み終わってから気づく。
中性的というか、前世が男でそのまま生まれてきたひとなんじゃないかと思うくらいキレイな男目線。
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ドライ。そんなひと言では表現出来ないが、サクサクとした甘くない菓子をその舌触りでのみ愛でる、そんな印象。おじさんという生き物はなんて哀しくて滑稽で愛らしいのか。おばさんだとこうはいかないのだ。
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読み始めて少しして、あ、わたしこの本読んだことがあったと思い出した。「手」のハードカバーを過去に読んでいたのだ。文庫化にあたって改題されていたことに気付かずに購入してしまった。
吉祥寺の某書店にサイン本があると聞いて、ふらっと立ち寄ったら最後の一冊になっていたので、迷わずレジに持って行った。開くと、内表紙の裏のページに見覚えのある金色のペンでサインが書かれていた。"毎朝、目覚めるだけで表現になる。"と。いい言葉だな、と思った。
この言葉は表題作「お父さん大好き」の一節だったのだ。そのページに辿り着くまで思い出せなかったのだけれど。
男と女の会話だったり、妙にドライな視点で語られる心情だったり、そういうものに惹かれて作品を追って来たのだけど(たぶん、うまく説明できないけど)、「お父さん大好き」は特に何かが起こるわけでもなく、関係に深入りするでもなく、ただひとりの男のまわりで起きた出来事を淡々と描いている。何もないようでいて、その中で交わされる会話やモノローグになぜかとても救われたような気持ちになる。
"どうして、古今東西のたくさんの人間がすでに悩み切ったことを、俺が改めて悩み直さなくてはならないのか。こんなことなら、全員で長生きすればいいのに。初めから、決まった数の人間が存在して、そのままみんなで成長し続けた方が、効率が良いはずなのに。古い老人が死に、新しい子どもが生まれて、また一からやり直すとは、世界のシステムはなんとばからしい。"
"毎朝、目覚めるだけで、表現になる。「俺は、この世に生きています」それを体中が叫んでいる。「まだ、生きたい」「世界を、味わいたい」。まばたきするだけで、世界を受け取れる。"
生きているだけで、えらい。俺は、生き続けるだけで、えらい。
最後の一行の絶対的な肯定に、ふっと肩の力が抜けるようなそんな気がした。
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俳優さんでもタレントさんでも割りと年配の方が好きです。じゃあおじさん好きの感覚が解るかというと、うーん…。人間、年を重ねることで熟成されていくと個人的には思うので「こっちは頑張って大人になったんだから年相応に見てほしい」という気持ちはよくわかります。大人として扱ってほしい、つまり大人だと認めてほしいと思うのはおじさんも同じなわけで。若い女の子と付き合ったり、「~してあげた」という言い方をしてしまったりするんでしょうねぇ。それは可愛げではなく子供っぽさに見えてしまうのだけれど、そのまま我が身に戻ってくるので痛いこと痛いこと。しかし「手」のヒロインは「好奇心が自分には向かわず、世界を知りたいと思う」。観察者にはその世界の相互作用で適用されないので辛辣な意見も言ってしまう。読んでる方がひやひやしてしまいます。
「お父さん大好き」は生への無自覚な闘志を感じられるラストが。2つの短編では珍しい視点で描かれているのが印象的でした。軽くさらっと読んで本質を掴める作品ではないと思うので、考えて考えて数人で討論したりすると面白いかと思いました。
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ナオコーラさんの本はわかりやすくて、読みやすい。
この本を読んで、私もおじさんのことがちょっと好きになった。
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☆3.6
恋人ではないけれどセックスはする会社の先輩と、セックスはしないけれど付き合っている30歳年上の上司との間で揺れる20代女性を描いた「手」(芥川賞候補作)など4編。
『私の好きなおじさん』よりも、なんていうか、よかった。
「おじさんという人種の持つ図太い精神に、私は圧倒される」(p18)うーん確かに、おじさんというものはそういうところがあるなぁ。
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これまた久々なおコーラ。
冒頭の『四半世紀も私にくっついたまま離れない指が、今日もキーボードを叩いていた。』という一文を読んだだけで、(そうそう、この人のこの表現!)と思ってぐっと引き込まれた。
手、の冷静なもう一人の自分がいる感じは共感できるところ。
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渋谷駅前の小さな本屋、帰りの飛行機で読む予定で。読後2週間経ち、内容を全く思い出せない。窮屈な座席で読んだせいではないと思う。
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大切なことだから何度も言わせていただくが、山崎ナオコーラ、好きです。もっと読みたい。が、近所の本屋がまったく扱っていない。大型書店行くか…。
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山崎ナオコーラ初めて読んだ。
すらすら、あっさり読めたのは短編だからかな?
視点が変わっていて面白い。
おじさん好きって時々いるのかな。
若い女性とおじさんのちょっぴり切ない都会の物語。
でも、おじさん達もっと、かっこよくなろう!(自分)
わけもなく走りたくたくなる。と、お父さん大好き。が良かった。
ユカリちゃんの疑問の月の大きな夜と小さな夜との違いは、なんだろう?
お父さん知っていても答えないで。
山崎ナオコーラ、もう一冊読んでみようかな。
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【おじさんは可愛い!? 新鋭の中短編集】NHKラジオ文芸館でも異例の反響を呼んだ表題作をはじめ、ちょっぴり意地悪、でもとってもキュートなナオコーラ・ワールド全開!
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おじさんと若い女の子の物語を描いた短編集。
全編にオジサンへの優しさが溢れているようで、そうでもないのかもしれなくて、なんだか不思議な距離感で中年のオジサンを描いていた。
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「手」のラストシーンに胸を締め付けられた。
ナオコーラさんの作品によくある、「ただ出会って別れるだけ」の王道をいく作品かもしれない。
恋愛を客観視すると、総じて美しく見えるが、出会いよりも別れの方が一層美しく見えるのは、本当に不思議である。
以下、本文抜粋。
《音楽って、何度も反復があるでしょう?記憶があるから、もう一回同じメロディが起こると、感動するんですよ。寅井さんと僕も、昨日会って今日も会ったから嬉しいでしょう?一ヶ月会わなかったら顔も忘れちゃうでしょう?でも会うと思い出す。だから、何度も会いましょう》(「手」)
《生きているだけで、「自殺することに、反対です」というシュプレヒコールをあげていることになる》
《朝というものは、絶対的に美しい》(「お父さん大好き」)
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物語の流れや構成というよりも、主人公が心の中で会話の相手に突っ込む場面、その一言が妙に心に残る作家だと思う。
4つの短編はそのどれもが「おじさん」と「少女」をテーマにしているが、中でも「手」は明らかに「おじさん」を人生の研究テーマに据えている「少女」(とも呼べない年齢の女性)が主役だ。
女は若ければ若いほど素敵、と思っているおじさんに対し、
女は若ければ若いほど素敵という思いがあるから、女に対して「若いね」と言うことが褒め言葉になると考えるのだ。だが女は、努力して大人になったのだから、できるだけ年相応に見られたいに決まっている。
と心で呟くシーンは妙に納得感が高い。
それでいて、こうも思い巡らすのだから最高だ。
若い人は、やっぱり、えらい。いつの時代でも若さは注目を浴びる。私は年を取っていくから、年齢を重ねる楽しさも自ずと知っていくだろうが、あとから生まれてくる人たちの眩しい若さには、いつも敬意を払っていこう。二十歳前後の女の子や男の子をこれから見るときは、決して老いた自分を卑下することなく、でも、眩しさに眼を細めるのだ。
うん、こういう思慮の表現がたまらなく好きだ。