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西川さんは、若き日、アジアの大陸に在って、多くを求めることなく、ひとりのラマ僧として、ただ旅を生きた。
同じように、岩手の地でも、多くを求めることなく、一商店主として、ただ日々を生きることを望んだ。
西川さんが望んだことは、旅がしたい・現地語を学びたい・少しの酒があればいい、ただそれだけだった。
「托鉢」「祇園精舎」「驟雨」「ラバ」「回帰熱」などをググりながら読みました。
西川さんの生き方を通し沢山のこと学べた気がします。
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さあて、久しぶりの著者のノンフィクション作品だ。しかも、満州から内蒙古、ラサ、そしてインドに及ぶ西域ロマンに溢れた旅路を辿るという、著者の真骨頂とも言える題材。大いに楽しみに読んだ。
が、なんだろう、この物足りなさは??? 期待が高すぎた? 時代が古い? 著者の衰えもあるのか? あれこれ考えながら読んでしまった。
冒頭から、やや力の抜ける記述も、そういえばあったな・・・。
“『深夜特急』を書き上げるまでは生々しく私の内部に存在していたあのときの旅が、本としてまとめられることによって希薄になってしまったような気がしてならなかった。西川も、『秘境西域八年の潜行』を書き上げてしまったことで、あの旅が体内から抜け出て、本の中にしか存在しなくなってしまっていたのかもしれない。”
本書の主人公である、先の大戦末期の日本軍の密偵だった西川一三に、生前インタビューも行っているが、その対峙から著者が感じ取った印象が上記だ。
その西川は、かつてTVの取材で8年におよぶ彷徨の旅路を改めて辿るオファ―をあっさり断ったりもしている(アゴアシどころか報酬も付いてのことなのに)。
「一度行ったことがあるところにまた行っても仕方がありませんからね。行ったことのないところなら別ですが」
なんだなんだ、この熱の上がらなさは?!と読みはじめる。
第二章あたりからはじまる西川の密偵としての潜行を辿る旅路は、それなりに面白く、内蒙古からラサへの巡礼の苦難の道のり、ラマ僧になり切り、生を全うしようとする西川の行動には、現代人がとうてい持ちえない愚直さや、至誠の精神が感じられるエピソードに満ちている。
やがて、大陸の奥地で日本の敗戦を知ってからも、途方に暮れるでもなく逞しく生き抜く。
「確かに密偵の西川一三は死んだ。だが、蒙古人ラマ僧ロブサン・サンボーは生きている。」
「密偵としての役割を果たさなくてもよくなったいま、自分の知らない土地を巡る自由を得た。」
なんなんだ、この切り替えの良さは!?
が、しかしだ、逆にその割り切りが、この旅路の目的を曖昧にし、天路の旅人西川の拘り、執念といったものを希薄にし、読む者を前のめりにさせる“何か”が足りない気がしてしかたがなかった。
沢木の筆も鈍るというか、対象者に迫る勢いというものが感じられない。終盤は、同時代に同じく密偵として、時に行動を共にした木村肥佐生の記した『チベット潜行十年』と西川の著作『秘境西域八年の潜行』の記述の差を比較検証するなどは、『キャパの十字架』で、あの有名な「崩れゆく兵士」の真贋を追求した、果たして必要だったか不要だったかの作業の焼き直しを改めて行っているかのようで、読んでいる側としては、チベットの奥地の旅情をふっと削がれるような部分ではないかと鼻白む。
が、読後に思うのは、著者がやりたかったことは、その旅路を改めてなぞることではなく、西川一三、そのヒトトナリを描き出すことだったのだろうな、ということだ。
これだけ壮大な旅を経たひとりの人間が、戦後の日本でただ静かに、盛岡という地方都市���片隅で、一年364日、正月以外は休むことなく働いて、平凡な毎日をラマ僧の修行の如く過ごしたという事実。そこが浮き彫りになれば良かったのかもしれない。
帯にも、こうある。「西川一三を描く!」
そうか、そういうことか、と静かな幕切れの終章、あとがきを読んで思わされた。
それでも、終章の終わり際に、沢木が旅したインド、ブッダガヤで出会った盲目の、スーラ―という、いわばストリートミュージシャンを、30年以上前に西川も、現地で会っていたかもしれないというエピソードを挿しこむあたり、巧いなと唸らされるのだ。
「もし同じ人物だったとしたら、あの菩提樹の下で、少なくとも三十年近くは股にはさんだ太鼓を叩き、地を這うような低い声で歌をうたいつづけていたことになる。
西川も同じ思いだったのか、二人はしばらく黙って盃を口に運びつづけた。」
この一節を読んだだけで、あぁ沢木文学、ここにあり、と思わされてしまった。
ま、著者も歳をとったが、読み手のこちらも歳をとった。未知の旅路への憧憬よりも、淡々と生をまっとうした男の生き様そのものが沁みるんだから。
そんな感慨が一番大きいかもしれない。
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沢木耕太郎の天路の旅人を読みました。
私が一番お勧めの本は何と聞かれたら、沢木耕太郎の深夜特急と答えます。
この天路の旅人はノンフィクションで、戦時中密偵としてラマ僧のなりをして、旅を続けた西川一三の物語です。
沢木耕太郎が盛岡に住む西川一三を訪ねるところから始まります。
西川一三自身も日本に戻ってから3000ページにも及ぶものを書いて、まとめた本を出していますが、この本も、西川一三の旅を描いており小説としての盛り上がりには欠けるものの、旅をしたくなるような内容です。
ただ何度も死線を越えるようこんな旅は出来ませんが(^-^)
今ではどこでもWi-Fiが使えるので、もっと快適にはなるのでしょうけど、辿ってみたいと思わせる内容でした。
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かなり時間が掛かってしまいました。
あの沢木さんの作品だから間違いない!とは思いつつ読み始めたけれど、イントロと終盤は引き込まれたけど、肝心の中部分がワクワク感が少し希薄なのが残念でした。
まあ戦中から戦後の一人の無骨で過酷で一途な個人の旅物語であり、個性は人さまざまであるとここでも認識しましたけれど。
こういう不器用だけど多くを語らない一途な個人が多い時代だったのは我が家の故人からも大いに感じ取れていましたけれど笑
こんな旅人もきちんと居たことに意味意義を感じる作品でした♪
こう言う物語を残す事がとても大切なことだと再認識します!
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読書記録 2023.6
#天路の旅人
#沢木耕太郎
ここにあるのは、西川一三という男の8年の旅ではなく、彼の人生の大きな一部。
未知の世界を知りたいという人間の原初的な欲求。日常のささやかなことに感じる幸福。
このような一節がある。托鉢をして回る西川が、ある村で多くの村人から歓待を受ける場面。
〜 托鉢では、そう多くの物を喜捨してもらう必要はない。基本的には、その日一日食べる物があればいい。多くの物を貰いすぎ、背中のウールグに溜め込みすぎるということは、荷を重くするということであり、前に進む歩みをつらくするということでもある。もしかしたらそれは、托鉢のことにおいてのことだけでなく、生きていく上での大事なことなのかもしれないと西川は思うようになっていた。〜 451頁より
「足るを知る」ということだろうか。
西川は「未知の世界を知りたい」という自身の本願のために、何が必要で、何が必要でないかをはっきりとわきまえていた。
旅の様子が圧倒的な解像度で描かれるからこそ、このような彼の内面の心理や信条が鮮やかに浮かび上がる。
最終章、日本に引き上げてからの西川の人生も描かれる。岩手の一店主として、残りの人生を(といっても50年以上)、彼は何を思いながら生きたのだろう。自分はそこに興味があった。
その答えは明確ではないが、晩年西川が娘につぶやいた一節がある。
〜「もっといろいろなところに行ってみたかったなあ・・・・・」
そしてしばらくして、こうも言った。
「・・・・・こんな男がいたということを、覚えておいてくれよな」〜560頁より
#読書好きな人と繋がりたい
#読了
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西川一三は修学館高校を卒業後、進学せずに満鉄入社。給料は恩師教頭の10倍。帝大卒の新入社員が自分の上司になるので退社。現地で義塾に入学。酒がらみの喧嘩で卒業間際に大学。支援者に頼み卒業扱いに。地元有力者の支援を受けて中国奥地へ参入、巡礼ラマ僧にばけて密偵。日本人だとバレないように巡礼僧と奥地へ。露馬に荷物を乗せる。露馬がいなくなったり、進まなくなったり。目的地で露馬を売る。冬場の川を渡る為にヤクを購入。資金不足。大きなグループのヤクの世話係りとして参加。川の流れが速い。モンゴル人は日本人のように泳げない。渡り損ねたヤクを西川は泳いで迎えに行き荷物を運ばせた
国境で日本人だとばれたら逮捕され処刑
ヒマラヤを超えてインドに潜入。金がないので巡礼僧は家々の前で物乞い。日本人として貧乏旅行をするのも限界。インドではタバコの密輸で生活費を稼ぐ。ヒマラヤを11回往復。冬場の山越で凍傷になり歩けなくなる。教会で乞食同然の暮らし
仲間の知り合いの医師から塗り薬で凍傷治療
歩けるようになる。地元の新聞で日本がアトムボムで破壊されたことを知る。日本人を探しにインド領事館のある街へ。知り合いの日本陣と遭遇。日本が負けたことを日本人から確認。天皇陛下が無事なので安心した。
タバコの密輸で食いつなぐが、ラマ層の寺院で修行して食いつなぐ。金はないが衣食住はある
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最近はエッセイを中心に単行本をリリースする
沢木さんではあるが、今回の作品は極めて忠実に主人公の西川の作品をアウトプットし、かつ読みやすく表現されていて、まったく飽きずに最後まで読み切ることができた。
本当に沢木さんは西川が旅したルートをいつかたどっていくのかなぁ。
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著者の「凍」「流星ひとつ」以来著者の関心がオリンピックやキャパ或いは小説に傾いてしまい、関心をなくししばらく遠ざかっていたが、「深夜特急」後の作品はむさぶる様に読んでいた、そして本作にたどり着いた。戦中密偵として西域に潜入した西川一三と言う人物の八年にも渡る旅行記「秘境西域八年の潜行」を散逸した原稿をも探し出して現代人にも分かる様にリライトした傑出した作品となっている。西川の旅は「深夜特急」など可愛いおぼっちゃまの旅だったかの様な壮絶な旅であり、そう言う日本人がいたんだと言う事を再発見させてくれた。
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大学生の時に深夜特急の単行本が発売され、一便、二便を読んで、自分も熱にうかされ海外に旅立った。最終巻の三便が出版されたのは数年後、大学院を卒業する間近だったが、待ち続けたせいか自分も一緒に長い旅をしたような感慨を持った。
この長い旅行記を漸く読み終え、その時の感慨が蘇った。
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初めて沢木耕太郎氏の作品を読んだ。旅文学も初めて。戦時中を、そして戦後もこのように生きた人もいたのかと思った。いい作品に出会えた。読後の満足度充分。
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まさに本の題名の通りの話だった。1938年生まれの小生だが主人公の西川氏はその前後にアジア大陸を僧侶の姿で旅をしている。驚きの連続、時には飢えに苦しみ又ある時は決死の覚悟で国境を越えて8年もの潜行旅行は感動と脅威の連続だった。
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第二次大戦の末期に国からの密偵として、1人でチベット仏教の僧侶に扮して中国大陸の奥深く、ひいてはラサにまで到達し、さらに終戦を認識しながらも、探索を続けてインドやネパールなどを放浪した西川一三という人間をめぐる伝記。
当代随一のノンフィクション作家の1人である沢木耕太郎による著ということで、一才の無駄なく西川一三が歩んだ旅路を詳細に伺いしることができる。言語や文化の壁をもろともせず、完全に僧侶として修行を積み、自らの足だけで過酷な旅を続ける彼の旅路はあまりにも壮絶であり、何かに憑かれたかのようにすら見える。
本書は実際に現地・現物に触れるという沢木耕太郎にしては珍しく、西川一三本人へのインタビューと、その旅路を自ら記した著作等の文献調査が元になっている。それは本作がコロナウイルスの猛威の中で描かれ、実際に現地を訪問することができない状況下にあったという理由によるものであるが、その分、西川一三という人間が一体何を感じて旅をしていたのか、という内面を追体験できるような良さがあると感じた。
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こんな数奇な人生を歩んだ人が実在するのか、比べたら私はぬるい人生だな、と思った。生きるヒントがたくさんあった。いつか子どもたちにも読んで欲しい。
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沢木耕太郎さんの「天路の旅人」を読む。
クローズアップ現代のインタビュー番組を見て興味をそそられ本書を手に。著者の作品を読むのは、若い頃に読んだ「深夜特急」「テロルの決算」以来だ。
「ヒマラヤを9回越えた男」にはビックリ仰天!そんな日本人がいたんだ!初めて知った。その人、西川一三さんが本書の主人公だ。
第二次世界大戦末期に密偵として中国大陸奥地に潜入。戦争終結以降も、蒙古人ラマ僧としてチベットからインドへ。そして、パキスタンからアフガニスタン、ビルマ(ミャンマー)への旅を試みるも果たせず。1950年に日本へ送還されるまでの足掛け8年、蒙古人として旅に生きた。
おそらく2万キロ以上になるだろう旅と旅人、蒙古・チベット・ネパール・インドの現地の人々との交流の物語だ。そして、本書は作者である沢木耕太郎さんと西川一三さんの心の交流の物語でもある。読み終えてそう思う。
500ページを超える大作だが、一気に読んでしまった。読みやすい文体、臨場感あふれる文章だ。まるで、旅の現場に立ち会っているような、その場の状況や情景がくっきりと目の前に浮かび上がるような、そんな気がしてくる。
時は四半世紀前、盛岡の居酒屋で回を重ねるインタビュー。手酌で酒を傾けながら、次第に交流を深めるお二人が語り合う場面も好きなところだ。「一年364日働く。昼は毎日、カップヌードルとコンビニの握り飯。仕事帰りに居酒屋で酒2合。つまみはいらない・・・」80歳の西川一三さんがそう語る。
仏教の聖地、インドのブッダガヤの菩提樹の大木。その樹の下にいつも座っている老人にしてかつての青年。片膝を立て、股に太鼓判をはさんで、それを打ったり低い声で歌ったりしている。その盲目の修行僧のような芸人のような人物。お二人が目にしていたのは、はたして同じ人だったのだろうか。
一度読んだだけでは物足りない。勿体ない。もう一度、読み返してみよう。題名も装幀も素敵だ。そう感じる好著です。
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チンギス紀を読んでいるのでシルクロード沿線はだいたい分かるけど、これは南下してチベットへ向かったモンゴル人に扮した日本人の物語。フィクションとばかりに思っていたら実際の人物が実際に何千キロの徒歩の旅に出るというのだから壮大すぎる。目的は中国を内偵する諜報員ということだが、やっていることはまさに巡礼僧。まだ見ぬ世界に飽くなき探求心だけで内偵とは名ばかりで僧としての生活を熟し、仲間と共に広大な大陸を歩き続け、ヒマラヤ山脈を何度も超え、終戦後は日本で364日を日々過ごすだけとなった西川さんの遺作がこうして一冊の物語としてまとめられて読みやすくなっているのはうれしい限り。とても原作は読めそうにない(笑
長編でページ数も多く、内容がかぶり飽きる時もあったけど、概ね冒険活劇として楽しめた。実際の物語というからなお楽しめたし、巡回路を地図を開きながら眺めるとどれだけのポテンシャルを持った人だったんだろうと感心する。
読むのに時間はかかったけれど、読破できてよかった!