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かなり興味深い一作だった
精神を病んだ人の家族(身近の人)も一種の精神病になり得るという事が恐ろしい
それでは誰がそのサイクルや生活から助けられるのだろうかと思うと、今もそれに気づかないで生活している者は沢山いるんだろうなと思った
ただ自覚症状がないだけで
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侵入者はなぜ床下ではなく屋根裏に潜むのか
野暮という言葉の解像度が上がった
患者達の主張は荒唐無稽なんだけどだからこそリアルで怖い、玄関開けてすぐに箪笥の裏側待ち構えてるのはくるものがある
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●=引用
●幻の同居人の存在を訴える老婦人たちは、なるほど天井に向かって「そこから出ていけ!」と怒鳴ることもあろう。(略)だがそのいっぽう彼女たちには、過剰に侵入者個人を意識するといった点おいても、あまりにも被害内容が生活に密着し具体的である点においても、またどこか危機感が希薄な点においても、さらには迷惑を訴えても恐ろしさや不安感を訴えぬ点においても、なにがしかの屈折した親近感を屋根裏の某へ抱いているような気配を指摘し得るのである。(略)天井裏の侵入者は、実は老婦人の孤独を癒すべく彼女と不思議な交流を実現していると考えることも出来るのである。
●ひっそりと一人暮らしを営む老女たちにとって天井裏を這い回る幻の同居人は、文字通り昔なじみの世界に同化しているからこそ「不気味な」存在なのである。しかもそんな幻の同居人は、彼女たちの孤独救済願望の産物でもある。そのようなパラドクスゆえに胡散臭げな侵入者たちは、どこか老女たちと狎れ合った奇妙なトーンを形作るのだろう。
●おおむねゴミ屋敷の住民は独り暮らしである。(略)自分の周囲に馴染のあるものを集めることで、気持ちの安定を図ろうとする心理が働くらしい(略)ただしそういった心理機制はいつしか形骸化し、しかも歯止めを失ってしまう。
●天井裏は身近にありながら非日常的、そして窃視の欲望を孕んだ闇に支配された「小世界」である。歪んだ好奇心、屈折した全能感、懐かしさ、不気味さ、不健全さ。あるいは生理的不快感、閉塞感、孤立感、意外性、スリル―そのような感情を励起する場所が天井裏であり、しかもそこに孤独および狂気という触媒が作用すれば、たちまちのうちに幻の同居人がたちあらわれてくる。
●わたしは前章の最後において誰の心の中にも「物語の胚珠」が埋め込まれていると述べたが、大原が指摘する「物語になる以前のモヤモヤとしたもの」とは、日常生活における獏とした不安感や違和感が「物語の胚珠」へと働きかけ、発芽させ、くっきりとした形を得ようとしているそのプロセスを指しているのではないかと思うのである。
●彼女は、花瓶の向きがちょっと変わっていたとか、額縁がほんの少し傾いていたとか、置物の位置がずれていたとか、そのような些細な変事から、何者かが侵入して室内を「くまなくさがしまわっている」といった結論を引き出した。通常は錯覚とか勘違いとして忘れ去ってしまうようなディテールに拘泥し、しかも一片の歯の化石から太古に活躍していた巨大な恐竜の姿を思い浮かべるようなたくましい想像力を以て、得体の知れぬ侵入者の実在を主張している。これはまさに、妄想に取りつかれた人たちと共通したロジックなのである。
●孤独は現実感覚を遠のかせ、そのとき心に埋め込まれた物語の胚珠が発芽を始めやすいことは再三述べてきた。おおむね被害妄想的なトーンを帯やすいことは確かだが、ストーリーとしては様々なパターンがある。奇想天外なものもあり、その好例が「幻の同居人」であった。(略)まず孤独によってヒトは現実感覚を失い、やがて日常の中で違和感や不信な出来事に遭遇する。普段なら偶然のこと、思い過ご��と見逃してしまうそのようなエピソードに対して、孤独な暮らしぶりゆえ精神的視野狭窄を呈している病者は過剰な意味をそこに見いだそうとする。おおむねそれは被害感情に裏打ちされ、ひどく通俗的な「物語の胚珠」が芽吹き始める。物語に沿って、病者は論理だった考えを進めていく。もちろんそこにはバイアスが加わり、可能性は必然性にすり替えられ、常識から遠く隔たった結論が引き出される。そしてその結論とは妄想そのものであり、妄想のフィルターを透して見る世の中には、妄想を証拠立てる事象が次々に発見されることになる。