投稿元:
レビューを見る
●:引用
●「父」と「子」の相克 このような構図を見ていくと、そこに父と子という対立が生まれているということがわかる。この対立は、天皇という制度が不可避的に抱えているものであり、歴代の天皇は必ず父と子との関係で相克を起こすともいえるのではないか。誤解を恐れずにいえば、それは天皇と皇太子の個人的な感情という次元ではなく、それぞれの天皇は常に時代とともにあるがゆえに、皇太子には、父の時代にあってやがて来るべき自らの代にどのような軌道修正を行うかといった発想が、ごく自然に生まれるということでもあろう。むしろこのことは天皇制のバランスを保つための知恵ということにもなるはずだ。(中略)明仁天皇もまた昭和天皇に不満を持ったとしても不思議ではない。天皇家の父と子は、感情を抜きにして、天皇としてのその時代に対するそれぞれの責任、皇太子としてのそれぞれの目からの批判というものが必ずあるということであろう。この「父と子」という宿命の相克に対して、皇太子は父・昭和天皇の軌跡を理解しようと努めた。(中略)皇太子は前述のように父親・昭和天皇への不満を克服するために、改めて昭和史の基礎文献を昭和三十年代のある時期から徹底して読んだ、との証言がある。そして少しずつ、昭和天皇が置かれていた状況を理解していったように思われる。
●最大の平和勢力となる天皇家 昭和天皇が体感したあろう教訓のひとつが、皇統を守るためには二度と戦争という手段を選んではならないという決意ではなかったか。逆説的にいえば、天皇制は平和を堅持するための最大の勢力になる宿命をもったということになるのかもしれない。私は、現在の日本にあってもっとも純粋で、そして崇高さを兼ね備えた平和勢力は明仁天皇である、との理解をもっている。それが国民的諒解になることが望ましいとも考えている。すでに外国ではそのような理解があるとも聞いているが、このような視点をもって私たちは、明仁天皇の軌跡を見つめていくべきではないかとも思うのである。